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「兎」

書き終えたままPCに眠っている小説がけっこうありまして。一気に書いて満足し、そのまま放置しているパターン。なぜ公開しないのか。理由はひとつ。ちょっとこれは人にはあまり見せられないぞと思うから。内容が物騒だったり、健全じゃなかったりして。

まあでもね。せっかく書いたんだし、おもしろがって読んでくれる人もいるかもしれないから、ちょいと掘り起こして公開してみようかなと思います。あまり大っぴらに「読んで〜!」ってものではないという理由で、途中から有料にしますね。どーしても続きが気になる人だけ、買って読んでください。ちなみに8,000字ぐらいあります。よろしくです。


『兎』

(1)大吾の葛藤


大吾は迷っていた。
こいつの首を今締めようか、それともやめておこうか。
好きな女を寝取った男、聡史。そいつが今、大吾の目の前で寝息を立てている。

一緒に酒を飲んでいた。深夜二時、よろよろ歩く聡史の体を抱えるようにして、大吾は自分のアパートの鍵を開けた。
電気もつけずに畳の上へ聡史を転がし、我慢していたトイレに行った。大吾が部屋に戻ってくると、聡史の顔が窓から差す月明かりに浮かんでいた。眠ったらしく、声をかけても起きない。

「聡史くんってカワイイよね」
美和は大吾によくそう言う。大吾の行きつけの小さな飲み屋のカウンターで、美和は聡史の名前を何度も口にした。
「二十七にもなってカワイイはないだろ」
素気ない大吾の返事に「だってカワイイもん」とムキになって答える美和のほうが、大吾にはよほど可愛い。
俺と二人でいるときにほかの男の名前を出すなよ。そう言いたげな大吾の目つきに、美和が動じたことは一度もなかった。

その日の朝、大吾は美和に電話をかけた。起こしてほしいと頼まれていたからだ。解体現場に向かうバンの後部座席で、口やかましい先輩の苦々しい顔を気にしながら、大吾は鞄の中から携帯電話を取り出した。

虚しく鳴り続くコール音を忍耐強く聞いていた大吾の耳に、入ってきたのは男の声だった。
「あー、もしもし、大ちゃん?」
明らかに寝起きのトーン。大吾の顔が瞬時にこわばった。
「お前、聡史だな……」
怒りを帯びた大吾の声に、聡史は悪びれる様子もなく、
「あ、そっか。これ美和ちゃんのスマホだ。待って、いま変わるね」
と明るい声で言った。ガサガサと不快な音が聞こえたあと、脳天気な美和の声が大吾の耳に響いた。
「もしもし大ちゃん? ごめーん。今起きた。電話ありがとね」
大吾が何か言う前に、プツリと電話は切れた。

美和のマンションを襲ってやろうかと思った。今すぐ。
思っただけでやめた。オートロック式だ。どうせ中には入れてくれない。

大吾は美和にとって、キャバクラの客の一人に過ぎない。大した金を落とすわけでもない大吾に、それでも美和は笑いかけてくれる。たまに二人で飲みに行ってくれるし、セックスさせてくれたこともある。

美和を聡史に寝取られたと思うのは、大吾が自分に見栄を張っているだけだ。
美和は大吾の恋人ではない。誰とでも寝る自由が美和にはある。ゆうべの相手に聡史を選んだところで、大吾に美和を責めることはできない。

文句を言える相手は聡史のほかになかった。
昼の休憩時間、大吾は聡史に電話をかけた。話があるから会いたい、そう大吾が言うと、聡史はすんなり聞き入れた。夜の八時に会う約束をした。

六時に仕事を終えると、大吾は一旦アパートに帰った。汚れた作業着を脱ぎ、シャワーを浴びてシャツとジーンズに着替え、急いで部屋を出た。

待ち合わせた駅前に、聡史が細身のスーツ姿で現れた。
「やあ、大ちゃん」
屈託のない笑顔で大吾に近づいてくる。美味い店を知っているからと、大吾を案内するように歩き始めた。

聡史は全く罪のない顔をしていた。美和の言う「カワイイ」顔だ。
大吾が知り合った高校生の頃から、聡史はよくモテていた。今も社内や取引先でちやほやされているに違いない。

その上、美和とまで。

笑みをたたえた聡史の顔を横目に見ながら、大吾はぐっと拳を握った。仕事で鍛えられた筋肉が、シャツの腕に盛り上がる。

焼き鳥屋の狭いテーブルに、向かい合って座った。店は混んでおり活気に満ちていた。

「聡史。お前、今朝わざとだろう」
生ビールを半分ほど飲んでから、大吾が聡史に尋ねた。
「何?」
「とぼけんな。美和の電話にわざと出たんだろ、お前」
「ああ、あれね」
にこっと聡史が白い歯を見せて笑った。
「着信の名前が大ちゃんだったから、思わず出ちゃった」

大吾は思わず目をそらした。この笑顔にいつもほだされる。
聡史はカワイイ。愛嬌があり過ぎる。力の強い大吾からすると、聡史を殴ることは女を殴ることに等しい。

俺が美和に惚れているのを、お前はよく知っているだろう? なぜ美和に手を出したんだ。
仮に美和から誘われたとしても、俺のために断るのが情けというものじゃないのか。
もしかしてゆうべが初めてじゃないのか? いつからなんだ。
俺はもう美和に三ヶ月もお預けを食わされているんだぞ。お前に入ってこられると、俺には勝ち目がないのだ。

聡史を目の前にすると、大吾の頭には泣き言ばかりが渦巻いた。口に出すにはあまりに惨めだ。大吾は黙っているしかなかった。

聡史が美和のお気に入りだということは、大吾にもわかっている。聡史も美和の客の一人だが、金払いがいい上に、この容姿だ。
本音を言えば、せめてこれ以上ちょっかいを出さないでほしいと聡史に頼みたい。しかし大吾のプライドがそれを許さない。

大吾が悶々としている間に、聡史は相当量のアルコールを飲んだらしい。三軒めの店を出るときには、立っていられないほどになっていた。
反対に、いくら飲んでも酔えない大吾がタクシーを止め、聡史を自分のアパートまで連れてきたのだ。

今ここで、穏やかに眠っている聡史の首に、俺の両手をかけたらどうなるのか。渾身の力を込めて、この細い首を絞めたらどうなるのか。

見てみたい、と大吾は思う。

かっと見開いた聡史の両目が飛び出さんばかりに一点を見据え、このきれいな白い顔が赤黒く膨らんでいくさまを。

手をかけたい、この首に。
手をかけたい、この細首に。
無茶苦茶に締め上げて、こいつをぶっ壊してやりたい。

長いまつ毛をやんわりと閉じ、子どものようにあどけなく寝入る聡史の顔を、大吾の目がじっと見据える。

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