見出し画像

バルセロナ、ポジショナルプレーの歴史/第2章 栄光から転落、そして再生へ。

暗黒の扉

黄金期を謳歌した後に待っているルート上には、必ず存在します。例えば、昨シーズン、ひっさしぶりにセリエAを制したミラン、その前のシーズンにもひっさしぶりに制したインテルも、長い期間はタイトル争いに加わりそうで加われなかった。それどころか欧州の舞台からも遠ざかっていました。今のユーべとか、プレミアのマンチェスターユナイテッドもそうですよね。逆に、クロップ前のリバポは、ベニテスでCL制するなどしていましたが、長い暗黒期を経て今があります。バルサもそうです。今のバルサはちょっと光が差してきたかなという感じですが、クーマン期は暗黒そのものでしたね。それ以前にペップが率いた黄金期がありましたが、それはまた今度。


前回の続きですが、クライフ率いたドリームチームが幕を閉じました。さて、そこから第2の黄金期となるペップ政権まで10年ありますが、この10年間のバルサはどうだったのでしょう。


ドリームチームからペップバルサへ

■"戦術はロナウド" 脱ドリームチーム

クライフが去った96/97シーズン。チームを率いたのはイギリス人のボビー・ロブソンです。90年W杯でイングランド代表をベスト4に導いた後、国外に飛び出し、FCポルトからやってきました。因みに、この時に一緒にロブソンの通訳兼分析コーチとしてバルサに加入したのがジョゼ・モウリーニョです。

ボビー・ロブソンとモウリーニョ

このシーズンから欧州サッカーが大きく変わります。ボスマン判決です。これによって移籍市場が活発化。バルサも例外ではなく大型補強に乗り出します。前年いたフィーゴほか、同じポルトガル代表のGKヴィクトール・バイア、フランス代表CBローラン・ブラン、さらにレアルマドリードからスペイン代表のルイス・エンリケも加入しています。エンリケは後にバルサの監督になるなどバルサのイメージが強いですが、実は外様なんですね。それもレアルからの加入という。

ロブソン期のバルサ

このシーズン。もっともインパクトを残した選手がいます。ブラジル代表に若くして選ばれることになる"フェノメーノ"ロナウド。クリスティアーノではなく、ブラジル代表のあの怪物ストライカーです。実はバルサにもこの1シーズンだけ所属していました。

クライフのサッカー継続路線ではありますが、ロブソンのバルサはそれよりも「戦術はロナウド」という名言が飛び出るなどロナウドの影響力が強かったです。38試合で37得点。ほぼ毎試合点を獲っている計算です。敵陣に入ればそこからはロナウドの独断場。1人で持ち上がりそのままゴールを決めてしまう。今の時代では考えられないサッカーですが、ロナウドにはそれができてしまうまさに化け物。いいところ取りする映画の主人公というよりも、なんでも1人でやってしまう舞台俳優感。ドリームチームとは、前線の破壊力はもたらされましたが、それまでの中盤のクオリティは退化していました。


■継続無き栄光 ルイ・ファンハール

ロブソンが1年で現場を退き、その後はバルサのGMに就任します。後継監督にはオランダからルイ・ファンハールがやってきます。

オランダ代表監督として2度W杯を戦ったイメージが強いですが、名を上げたのはアヤックス時代。ちょうどドリームチームが終焉したと同時期に欧州サッカーを席巻していたのがファンハール率いるアヤックスでした。エールディビジ3連覇に95年にはCL制覇。そのシーズンは国内で無敗優勝しているほど、歴史に残る強さを誇るチームでした。ただ、例のボスマン判決後のアヤックスは草刈り場となってしまい、その後は栄光を掴めず。

さて、ファンハールのバルサですが、ルーツであるアヤックスという共通点があることでここはスムーズに入ります。実際に就任して2年はリーグ連覇。3年目の99/00シーズンはデポルティーボ・ラ・コルーニャに優勝をかっさらわれてしまいますが2位フィニッシュ。国内の成績自体は悪くないどころかいいです。ただ、ファンハールはこの3年目を終えた後に解任されています。

この時期キャプテンだったフィーゴ

理由はいくらかあるでしょう。まずオランダ人が急激に増えたこと。ファンハール率いるチームあるあるですけど、どこ行ってもオランダ人が増えます。バイエルンの時はロッベン、ファンボメル、あと数人いたような。ユナイテッドの時もメンフィス・デバイにダレイ・ブリント。思ったほどいないな。

ファンハール期のバルサ

他の理由というと、CLで勝てなかった。国内では無敵でも欧州では2年連続でGL敗退。98/99は決勝がカンプノウということでクラブも気合入っていましたが、同じグループに優勝するユナイテッドに準優勝のバイエルンがいるという不運。この決勝は後に「カンプノウの奇跡」と言われる伝説の試合となりますが、これは気になれば調べてみてください。

選手は揃ってました。元からいるフィーゴやペップはもちろん、リバウドにクライファート、コク―など。アヤックス出身者とか、技術に優れる選手が多かったので、戦術フィットは早かった。ドリームチームの幻影はいい意味で取り除けました。だけど不人気。ファンハールの性格なんでしょうかね。補強とか選手起用で揉めることはどこでやっても変わらないですし。あとやっぱCLで勝てないというのが大きかったか。



■クラブの迷走 失われているのか、取り戻しているのか

ファンハールが去った後のバルサは、まさしく暗黒期。クラブ全体で迷走していました。


ファンハールが去ったと同時期に、実はクラブもかなりの変革期でして、78年からの22年続いたヌニェス会長が会長を降ります。その後3シーズンで3人もの会長変更。監督も4人入れ替わっています。

ファンハールを解任したのはヌニェスではなく、その後会長に就任したジョアン・カンペールです。カンペールが後継監督に任命したのがバルサBのセラ・フェレール。

そしてこの時期、あの事件が起こります。キャプテンのフィーゴがレアルに電撃移籍します。
こちらも会長が変わったレアル。あのフロレンティーノ・ペレスが「銀河系軍団」として年1大物獲り計画を発動。その第1弾がフィーゴです。バルサからしたら屈辱的な放出。過去のラウドルップは喧嘩別れという感じでの移籍。エンリケは方向性の違いからレアルを去ってバルサに来ています。ただ、歴史的に見てこれほどマネーゲームで宿敵に、しかもキャプテンが行ってしまうことはなかった。バルサにとってはかなり痛い出来事でした。

フェレール期のバルサ

フェレールは1シーズンも持たずに解任。その後任はクライフの右腕でもあったカルレス・レシャック。1年2ヵ月でしたが、どちらも順位は4位。

レシャック期のバルサ

ファンハールラストイヤーから3シーズン連続で無冠に終わったチームは02/03より、再びファンハールを向かい入れます。まさかの再登板。ところがどっこい、以前から不仲説のあったリバウドは去り、補強として獲得したファン・ロマン・リケルメはファンハール曰く「私が要望した選手ではない」ということで早速構想外。リケルメはファンハールが決まる前に加入が発表されていましたが、この段階で現場とフロントが噛み合っていない状況。ファンハールは1年続かず解任。後任はアドミール・アンティッチ。しかし優勝争いどころか6位フィニッシュで終了。ドリームチームらしさは完全に消え、第1次ファンハール政権の時のオランダ色も薄くはなってはいますが、同時にカンテラからプジョル、チャビが昇格しています。失われるものも大きかったですが、この間に失われつつあったカンテラからの抜擢も増え、取り戻すモノは取り戻しつつありました。

アンティッチ期のバルサ




■ラポルタ政権の誕生 ロナウジーニョ襲来

2003年。バルサが大きく変わります。安定しなかった会長職にジョアン・ラポルタが当選します。現在もラポルタが復帰していますが、今は2期目ですね。ここからラポルタ政権が5年続きます。

ジョアン・ラポルタ

ラポルタ政権の特徴といえば、クライフが監督してた時以来にバルサと関わることになります。直のフロント入りというわけではないですが、アドバイザーみたいなもんですね。まず取り入れたのが、フランク・ライカールトの監督就任です。

ライカールトとメッシ

あとはこの人でしょう。僕がバルサにハマるきっかけになった方です。


ロナウジーニョ!!


ラポルタは選挙公約にベッカム獲得を掲げていました。ところがベッカムはレアルへ。その代わりに獲ったのがPSGから絶賛売り出し中のロナウジーニョでした。

ライカールト期のバルサ

ライカールト就任からバルサは劇的に変わります。まず勝者のメンタリティが身に着いた。これは間違いない。
ライカールトというと、最強のミランで中心選手としてプレーしていた印象。対してバルサはクライフの哲学の下、「美しく」という信条でやっていました。ドリームチームの時から勝つことよりも美しさを。それを追い求めていればいずれかは勝つみたいな。バルサの哲学上、100%勝てるやり方というのはありません。相手よりポゼッションで上回っていれば70%で勝てるだろうみたいな。もちろん、スポーツ、しかもジャイキリ当たり前なサッカーという競技上、強ければ勝てるなんてのはありません。ですがビッグクラブ特有の勝者のメンタリティってあるじゃないですか。振り返ってみると、バルサにはそれがない、レアルとかユナイテッドのように何が何でも勝つみたいな、泥臭さを持つくらいなら負けた方が美しいがバルサの美学です。なので勝負弱い。ライカールト就任までの期間、これはクラブ通算として1回しか欧州タイトルは獲ってないのです。それはドリームチームの時ですね。リーグ戦だと勝てるけど、トーナメントだと弱い。それがバルサでした。そのバルサが、ライカールトとロナウジーニョが加わることで勝者のメンタリティが身に着いた。これは今のバルサに通ずるモノです。

この時期のバルサは、まさにロナウジーニョに率いられたチームでした。

常に笑顔。どんな時でも笑ってボールを蹴る喜びを表現している。リードされているのにまだ余裕だよと言わんばかりに。あのテクニックに魅せられた人は多いのではないでしょうか。

フィーゴを強奪されたのを期にバルサは暗黒期となりました。対してレアルは、フィーゴの翌年はジダン、ロナウド、そしてベッカムとまさに銀河系軍団。CLも制してスターも数多く存在する、まさしく光り輝く神々しさがありました。バルサの代わりにリーガの覇権争いしていたのは、レアルが頭1つ抜け、バレンシア、デポルティーボ、ベティスが追う。そんなリーグです。


バルサからしたら、この悔しさったらなく、ロナウジーニョの加入と同時に息を吹き返し生き返りました。特に05/06のベルナベウでのクラシコ。映画「GOAL2」のオープニングでも流れたロナウジーニョ1人がレアルの守備陣を何度も切り裂くシーン。交代でベンチに下がる際にはベルナベウのファンからもスタンディングオベーション受けるなど、その影響力は計りしえないものでした。

バルサのエンターテイメント性で言うと、今でもこのライカールトバルサが1番ではないでしょうか。ロナウジーニョの他にも、例えばサミュエル・エトー。04よりマジョルカから加わったアフリカNo1ストライカーは瞬く間にバルサにフィットした。デコ。ブラジルから帰化したポルトガル代表は、ポルトでCLを制した後にバルサに加入。こちらもすぐに司令塔としてチームの中心になった。ラファエル・マルケス。メキシコの象徴ともいえるリベロ。ボランチとしても機能したバルサの戦術にこれほどまでにフィットしたCBもいないのではないか。

またカンテラからも、プジョル、チャビ、バルデスはその前にデビューしていましたが、ライカールトではイニエスタやメッシがデビュー。その後のバルサに繋がるスターが続々出てきます。


ライカールト政権でいうと、パリでのCL制覇。アーセナルとの2-1で逆転勝利したあのゲームは、新しいバルサを証明した象徴でもありました。

ただ、ライカールトバルサは長くは持ちませんでした。06W杯後の2年間はノンタイトル。ロナウジーニョのピッチ外でのフィーバーぶり。次期エースとして本格的にレギュラーに名乗りを上げたメッシの度重なる長期離脱の連続。そしてエジミウソンの「黒い羊」事件。副官のヘンク・テンカテが去った影響が大きかったのかもしれないですが、こうも跡形もなく崩れ去るとは思わなかった。

こうやって07/08で終わったライカールトバルサ。後継者に任命されたのが、当時指導者で全く実績のなかったあの男が就任。伝説を作ることとなります。



■次回予告

ライカールトバルサを終え、いよいよ始まるサッカー史上最強チームの始まり。ペップバルサの正体を紹介。



Thanks for watching!!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?