東京なんて大っ嫌いだ!社会派マンガ・東京BABYLONについて語る
でも東京タワーは大好きです。
昔はイモ洗いのように混んでいたけど、今の少し閑散とした感じもなかなか良い雰囲気で好きです。
東京タワーの一番上に、未だに登ったことがない。いつか登りたい。
あなたは、東京が嫌いですか?
という質問で始まる本作は、東京というファクターをちょっと暗めに扱ったなあと思う。
地方出身者・上京者にとってはやっぱり東京ってものすごい憧れがあると思う。華やかで、かっこよくて、楽しくて、何でも手に入って、何でもできて…。便利で最新のものが揃ってて…物価は高いけど給料は高いし、組織にもよるけど、古臭い価値観の組織も地方に比べたら格段に少ない。大学も仕事も遊ぶ場所もたくさんある。事実として、若者が上京したがるのは当然のことだと思う。
CLAMPの4人にとっても、そうであったに違いない。でも憧れとは別に怖さもあって、都会にしかいない怖さ、みたいなものを感じてもいる。それと少しだけ被る問題として、冷たさ、というのもある。そこがいいところである場合もあるんだけど、多くの人が東京の人は冷たいとか、東京は冷たいと思っている。
その辺の怖さとか、冷たさとか、東京のどちらかというと暗い部分にフォーカスした話が多かったと思う。闇の部分、というと言い過ぎで、たとえば殺人とか、人身売買とか、マネーロンダリングとか、もう真っ黒な凶悪犯罪!!ってのはこの作品にはあまり出てこない。(もちろん一部犯罪もありますぞ)
いじめ、新興宗教、児童虐待、高齢化社会…。今も、ものすごく社会問題になっているけど、80年代にはすでにあった問題であって、社会ってほんとに進歩してるのかなあと暗澹たる気分になる。改めて読み返して、原発の老朽化に言及したり、フロンガスと環境問題について話題になったり、障がいを持って日本で生きること、外国人が日本で生きることの暗い部分や問題点を自然に指摘していたりして、この漫画の底の深さを感じた。
それらの問題は結局のところ“人間”が原因なのであって、この漫画の各エピソードで触れられている個々の人間の欲望や悪意の総体としての結果を突き付けられている気がする。これはXにも繋がるのだが、人間が、人類社会が発展するために傷めてきたものへの視線を持つことの必要性を感じさせる。個々の事件はBOXみたいに小さいものも多いのだけど、人間の良くない部分を一つ一つ見せられていって、最後には人が人を裏切ることの残酷さを描いている。
東京BABYLONを知ったのは、聖伝の単行本の後ろの広告ページに同じCLAMP作品として載っていたからだ。同じ作者のわりには絵が違い過ぎる…と当時の私は混乱したが、聖伝担当本のおまけページみたいなところに7人組(現在は4人組)の漫画家集団だと書いてあったので、辛うじて色々理解した。
読み返しての感想
先代が茶道を…、、、あれ、表千家と逆だな。いやしかし、左手で茶碗を出す流派あるんかな?
昴流君、普通じゃないから嫌い。
がーん。ひどい。悲しい。
でも特にこのくらいの年齢って、人と違うの辛いよね。
心の中に入りました!神威の時の拒否反応を考えると、本当にこの子は昴流君のことが好きだったんだなあと思う。
怖い東京と優しい主人公の対比いいね。
解説でおじさんでも楽しめる少女漫画と書いてある。
“特別”になりたいという誰にでもある想い。
ポケベル!ダイヤルQ2!
下着の色を聞いて人生の励みに、、
日本は超常現象や精神的な病に理解が深い訳じゃない
CRIME 悲しい。辛すぎる。でもやっぱりここは嘘をついてよかったんだと私は思う。
な、内調だと…!?
桜に攫われる!
昴流くんはモラルと常識の塊!なのに…
もし昴流を泣かせたら 殺すわよ →……ある意味、本当に殺しを、、、、でも北都ちゃんは、二人にそうならないで欲しかったのに!北都ちゃんの想いを…!!!!!!馬鹿!
OLD バナナが泣ける
SMILE サイコーだ、北都ちゃん!
BOX いい話だけど、不倫はよくない。相手の男も殺!
高齢者、臓器移植、人工透析、盲導犬、いじめ、新興宗教…
やっぱり一番怖いのは人間!
解説にこれはゴーストバスターのお話だと書いてあった。なるほど!ゲゲゲの鬼太郎もその類なのか!
障害のある人たちにあまり優しい国ではない。…今もだよなあ…
人が人を裏切る、こんなことは東京にはどこにでも転がっています。確かに…。
全体について+『ALL ABOUT CLAMP』と『CLAMPのキセキ』
初期設定では北都も陰陽師だったのか。式神はみなみという。
北都とみなみ!!!ウルトラマンA!!(笑)
レオーネうちも乗ってました。
星ちゃんの式神の名前が“なんだろう”って(笑)
肩パット、原色、確かに時代を感じる。80~90年代初期だよねえ。
実写!実写あったんだよねえ。観たことはないんだが。
なるほど、社会派の作品になったのは、若かったから社会に訴えたいことがあったから…と
長い手紙をもらったことが印象に残ってるとのこと、お年寄りからや宗教関係の人、いじめの被害者などからもらったと。
80年代の終わりの雰囲気、嫌いじゃない。
“寂しい”というキーワードが重要だな。
皆大好き陰陽師もの。どっぷりとした厨二病であった私は、陰陽師とか呪術とか黒魔術とか蟲毒とかセフィロトの樹とかその辺のものをめちゃくちゃ調べていた。インターネット今ほど普及してなかったし、難しすぎる本は小学生には理解できず、そもそも難しい本がどこに置いてあるのかも分からず、研究は困難を極めた。
陰陽師ものっていうと、夢枕獏先生のシリーズが一番有名かと思うが、巷にあふれている陰陽師もので現代の社会問題を描いたものってあんまりないような気がする。そもそも大体が舞台は平安だしな。最近は魔法少女ものもそうなんですが、戦うこと前提みたいな雰囲気もあるしな。
※夢枕獏先生の陰陽師は、生成り姫が好きだ。
この作品はそんな他の陰陽師ものと一線を画す作品になったと思う。80年代の雰囲気ではあるんだけど、連載開始が’89年で、ほぼ90年代初頭の作品ともいえると思う。高度経済成長期、バブル期と来て、日本が上向きであった時代から、少しずつ綻びが目立つようになってきた時代でもある。
その綻びとして、マクロの問題からミクロの問題まで、本当に様々な問題を扱った本作は本当にすごい作品だ。
各エピソードで主として取り上げられている問題だけでなく、言及されているだけの問題も含めたら色々ありすぎて、読者はものすごく考えさせられたと思う。だから読者から長い手紙をもらったんだろうな。
80年代はいじめ、不登校、校内暴力、家庭内暴力…学校現場を大きく悩ませた時代でもあった。そして今では、バブル崩壊からの10年は失われた10年なんて言われるようになった。その少し暗い時代を予感させる作品だと思う。
BABEL。東京タワーの話。もちろん自殺しちゃいけないし、彼女も誰かに迷惑をかけているんだけど、大人になって、自分の限界が分かったからこそ、彼女の気持ちがすごく分かる。学校だと、建前であっても平等になるようにされているけれども、社会に出た途端に不平等で自分の力ではどうしようもない仕打ちを受ける。才能がある人は、何をしても許される。正論を申し上げますと、そんなことがあってはいけない。しかしながら、才能やお金や、地位、様々なものによって「何をしても許される」人に必ず遭遇する。会社でいえば、恐ろしいお局に誰も何も言えないとか、恐怖政治の社長に絶対服従とか、営業成績が一番の社員はあらゆる我が儘が許されるとか、社長の息子は特別扱いとか…。そのような理不尽な場面は生きていると必ず出くわす。その時に、ものすごく悔しい思いをすることも、ひどい目に遭わされることもあるが、大抵どうにもできないので、理不尽と思いつつ、置かれた場所で咲くしかない。つらい。
SAVE。いじめの話。80年代は校内暴力も問題になった時代だった。暴力は減ったように感じるが、今の子どもたちは、いじめが低年齢化して、そしてスマホなどの普及によって、より見えづらいいじめになっているらしい。以前、何かでいじめの低年齢化には、早くから習い事をさせたり、教育したりして、子どもがストレスを感じることが低年齢化し、そして増えたからだというのを読んだ。大人になって、いじめとは少し違うのだが、パワハラする上司について考えることが最近多くなった。これはパワハラを受けた人は分かると思うが、いじめと似た部分もあって、誰か一人がターゲットになるなんてこともある。パワハラする人を見ていると共通して何かしらで(それは家庭内のこともある)ストレスが蓄積していって、それを発散しているように感じる。何が言いたいかというと、議論が飛躍すると思うが、子どものメンタルケアの重要性をもう一度見直すべきではないかということだ。被害者への対応や被害者へのケアは当然必要だが、加害者への対応と、加害者を生まないために何かしないといけないのではないかと思う。かつて小学生だった時、クラスで一番いじめ・暴力・授業妨害をやっていた同級生がいたのだが、その子は親が超転勤族で、今考えるとおそらく物凄いストレスと感じていたせいではないかと卒業して数年後に思った。もちろんこれは予想でしかないが、その子の暴力に「どうにもならないことに対する怒り」みたいな、そんなものを感じたことがあった。たぶん、暴力をふるっている対象(もちろん同級生にだ)にそれほど怒りとか、ストレスを感じていたわけではなかったんじゃないかと思う。ただもしかしたら、その子から見て「自分の持っていないものを持っている同級生」に対する羨ましさは感じていたかもしれない。もちろん、ストレス源が家庭にある場合、外部からの介入はかなり難しい。家庭の問題を、学校をはじめとする公的機関が解決するのは不可能に近い。スクールカウンセラーの配置など、進んでいることもある。ただ、子どもの気持ちに寄り添うことは、もう少し外部から手助けできないだろうか?と思うのだった。これはこのお話の新興宗教のことにもつながると思う。当たり前だが、宗教のすべてが悪いわけではない。しかし、心のよりどころをカルト宗教だけに求めてしまえば、それはあまりよくない結果になるだろう。
PAIR。盲導犬の話。先日障がいや難病を患った人の講話を聴く機会があった。日本はかつてはそれほど障がい者に優しい社会ではなくて、例えばトイレ一つとっても、今でこそ多目的トイレが増えてきたけど、30年前はほとんどなかった。普通のトイレもほとんど和式トイレで、車イスでは入れないし、車イスでない人も、しゃがめなかったり、しゃがめても立ち上がれなかったり、とおっしゃっていた。自分も足を骨折した時に、和式トイレにはとても苦労したからすごく分かる。固定された足をどうにか個室の角に伸ばして、片足でバランスを取って、グラグラしながらなんとかしゃがんだ。立ち上がる時も、ものすごく工夫と力が必要だった。足をケガしなかったら、社会がこれほど健常者視点で作られていると分からなかった。日本はまだまだ十分なバリアフリー社会とは言えないと思う。ただ少しずつ変わってきている。そんな中で、かつては盲導犬を知らない人が多かった時代があった、そのことを思い出させてくれる。そしてその知らないということが、健常者なら意識しないで享受しているサービスを障がいを持った人が受けられないことにつながっている。アイス屋さんに入れなくて、愕然とした昴流くんの描写に共感した人も多かったに違いない。知らないことは、無意識の差別につながっているが、知ることはバリアフリーへの一歩でもある。
BOXは小さくも大きい問題を扱ったと思う。恋愛関係は当人たちしか分からない世界がありますけれども、それだけに理屈で片付けられない部分がありますな。もちろん不倫はしない方がいい。不倫はよくない。必ず誰かを不幸にします。でも心の傷を昴流くんが癒してくれて、成仏できてよかったなと、そう思います。
SMILE。外国人の話。私がかつて働いていたところには外国籍の方も結構いまして、皆さんいい人で、一生懸命仕事してて、最後に別れる時は抱き合って別れを惜しんだ人もいた。でもニュースでは外国人の窃盗集団が金や宝石や豚や牛を盗んだり、詐欺したり殺しもしていて、統計はきちんと見ていないが、体感治安では外国人が…となりがちである。個々の人々はいい人なのだと思いながらも、集団としてレッテルを貼ってしまうことも多い。でもそんなことを吹き飛ばすくらい北都ちゃんが清々しくて、ちょっと公務執行妨害していたけれど、どうでもよくなってしまう。まじめに話しますと、外国で生きていくというのは大変なことだけれども、人の優しさを感じる部分もある。それがこの人にとって北都ちゃんだったんだろうなと思ってあたたかな気持ちになる。自分が外国の方に接する時、偏見持たずに接しないとならん、と自らを改めて戒めた。
CRIMEの子どもを殺された母親のあまりにも辛い姿に、やりきれない思いになる。昴流くんがやったことは、賛否両論あると思う。読者は子どもの泣いている姿に苦しくなる。でも昴流くんの考えも分かるからもっと苦しい。幼い子供が被害者になる凶悪な連続殺人事件が80年代後半にあった。その社会へのインパクトを思い出させつつ、犯人が逮捕されて、報道が少なくなっても当事者にとって事件は終わりじゃないことを示している。また、このエピソードは、日本の裁判の「被害者不在」という問題点を指摘してもいる。でも今は被害者参加制度ができて、少しずつでも前に進んでいけていると信じたい。
OLDはなかなか家庭のリアルな感じを見てしまって、これもなかなか辛い。こういう問題は、かなり昔からあることで、姥捨て山なんてのもあったくらいである。80年代から90年代は少子高齢化が叫ばれ始めた時期でもあった。すべての人が必ず老いていく。そして、歳を重ねていくと、必ずできることは少なくなっていく。子育てを終えて、定年退職して、家庭に居場所がなくなっていく…。でも児童虐待を調べていた時、虐待から祖父母が助けてくれたけど、その祖父母が亡くなってからは誰も家庭で助けてくれなくなり…なんて事例もあることを知った。役に立たないのに、食費も住居スペースも必要で、と苛立つお母さんも生活に余裕がなくて…。今ほど介護制度や高齢者施設が充実している時代ではなく、お年寄りのことも、子どものことも、家庭がみるのが大前提であった。でも役に立つ・立たないで考えていると、やっぱり歪みが生まれてしまうと思う。生活に余裕がないと忘れがちになってしまうけど、それを忘れないで生きていきたい。
■最後のお話 START
一人ぼっちになってしまった昴流くん。鏡を見ると、北都ちゃんが見えるの辛すぎる。双子なのが辛すぎる。鏡を割ったりして、かなり荒んでいる様子。
一人寂しく依頼をこなしていく。
最期に昴流くんが、幽霊の女の子に、君も辛い思いをして亡くなったからだね、というシーン。心が動かなくなってしまったのかと思ったけど、昴流くんの心を感じられるシーンでよかった。そして北都ちゃんは、天国できっと笑っているんだろうな。悲しい目をした人はいないのだから…。よかった。
90年代初頭は児童虐待が注目され始めた時期だった。2000年代に児童虐待防止法が成立したが、現代にいたるまで虐待の報告件数は増えるばかりである。かつては躾や教育の名のもとに、家庭だけでなく教育現場でも暴力や暴言が横行していた。社会全体の雰囲気もだんだんいい方向に変化していって、虐待は許されない、子どもは子どもとして尊重される、そのことが浸透してきていると思う。しかしながら、虐待はなくなっていない。幽霊の女の子が言った「悪いことをする人は、みんな寂しいのかもしれないね」という言葉に、この事件での家族のあり方や子どもの苦しみを感じて、やりきれなくなるのであった。
東京は大っ嫌いって書いたけど、まあなんだかんだやっぱ好きなんだな。ただ…ただね…空気がちょっと汚い…。いやほんとに!
そういえば最近アニメ化の話があったけれど、諸事情により中止が発表された。発表された年に数人がこの漫画について私に連絡を取ってきて、漫画を貸すことになった。これはアニメ化と関係なく全くの偶然であったようなのだが、不思議なこともあるものだと思ったのであった。アニメ化を知った時は、80~90年代の時事問題を扱う部分もある作品だから、現代を舞台にしてって、いったいどうやるつもりなんだ、と心配したが、今回読み返してみて、現代でも全く問題ないエピソードも多いな、と驚いた。未だ解決できていない社会問題を突き付けられているようで、我々は本当にそれでいいのか!?と思う部分もあった。
〇昴流くんについて
動物園の飼育員になりたいと。子どもの時はお前は将来、陰陽師で食べていくんじゃねえのか…?と変だなと思ってた。でも今は、その意味がちゃんと分かっているつもりだ。夢があるっていいもんだよね。てか普通に動物園の飼育員兼陰陽師ってマジで面白そうじゃん。
〇北都ちゃんについて
神。この作品の神。この人みたいな大人になりたい。器が大きすぎる。
Xの方を先に読み始めたので、姉っていうから年上だと思ってた。
〇星ちゃんについて
この猫かぶり二重人格ヤンデレ ド変態が!って誹謗中傷したくもなる。人間と物の区別がつかないってやばい奴。昴流くんが好きだとはっきり認められたらよかったのによう…。でもなんだかんだ北都ちゃんのことも気に入っていたと思う。
式神かっこよすぎ。
最近色々考えてみて、そうか、結局、星ちゃんは昴流君を殺さなかったんだから、賭けは星ちゃんの負けなんだなと思った。
正直に言いまして、私のいつもの文体といいますか、もう少しふざけた内容になるつもりでありました。しかしながら今回、これを書くにあたって読み進めていって、色々考えさせられ、今だからこそ考えられこと、感じられたことも多く、このような長文を綴ってしまいました。かつてCLAMP先生たちに長い手紙を送った人たちの気持ちがよく分かった。何も考えないで読める漫画も大好きなんですが、気持ちが暗くなるくらい色々と考えさせられる漫画も好きなのでした。活字を読まない人にこそ、この社会派マンガを読んでほしい。
だから…アニメ化待ってるぞ!!
2024.10.22追記:
80年代頃はまだ普通であることへの同調圧力みたいなものが現代より強かったと思う。普通でない人は、なんとか普通であろうとして、無理やり普通を装っていた。でもどこかで無理がいって生きづらかったり、普通を装えなくて、社会から疎外されていた人たちは相当な苦しみを抱えていた。もちろん現代でも、特に日本社会では普通であることが一番無難で、昔よりは「個性」が認められる時代にはなったものの、普通じゃないことは生きづらいことと同義である。昴流くんが普通でないことに悩んだり苦しんだりする様子を見て、「陰陽師」というある種特殊な“普通でなさ”に現実にも「普通でないことに苦しんでいる人がいる」という暗喩があるような気がするのだ。
先日NoteにCLAMP展から興味をもって「東京BABYLON」と続編たる「X」を読んだという記事を拝読し、私は嬉しく思いました。こうして昔の作品が受け継がれていくのはいいものですな。
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