私の今まで、そしてこれから…中学1年編
両親が離婚して、小学校を卒業した私は中学入学をそのまま小学校区域の中学校ではなく、別の区域の中学校へ入学した。
離婚してから母は新しい人と一緒にいて、その人と一緒に住むことになった。
私はその人の事はあまり好きじゃなかった。
その人と再婚したらその人のことをお父さんと呼ばなきゃいけない。
私はあまり喜べなかった。
そして、私は中学校へ入学した。
新しい苗字も慣れなかった。
12年間、父の苗字で慣れていた私は結構ストレスになった。
新しい中学、知ってる人は誰もいない。
でも最初は何とかやっていた。
最初だけは。
後にそのクラスで初めていじめをうける。
肉体的のいじめではないが言葉のいじめを受けて精神的に病み始める。
学校にも行きたくなくなり、いじめ知ってる先生もなにも助けてくれない。
耐えられなくなった私は、母に打ち明けた。
私は小学校高学年から発育が進んでいて、身体の事を言われたりするようになった。
女じゃなく、男だったらよかったのにと何度も思った事もあった。
母に打ち明けた後、母は学校に怒鳴りにいった。
その後からは少しの間はクラスでなにもなかったが、私は同じクラスの同級生を信じられなくなった。
別のクラスで友達が出来てその子と遊んだりするようになった。
その後、母の婚約者が直接的なDVはしないが物に当たるようになる。
ガラスが割れたり、床一面洗剤まみれになって掃除する事もあった。
母の婚約者は癌になっていた。
結構危険な場所にあったらしく、ピリピリしていた。
手術前が一番荒れていた。
手術後は母が24時間付き添うようになり、私はアパートで一人でいるようになる。
たまに帰ってきて、食材を買ってきたりしてたが途中から買ってこない日も結構あった。
朝は食べずに昼は学校の給食、夜はそうめん。
一カ月そんな生活をして、体重が10キロ痩せた事もあった。
そんな生活を中学一年の半分は過ごしていた。
そして、母の婚約者は退院した。
それから母は再婚した。
また、新しい苗字。
また慣れるのに苦労した。
そして、中学一年の3学期頃に今のアパートを引っ越した。
少し遠くなるが自転車通学が出来る区域に引っ越す事になった。
そのアパートの隣に仲のいい同級生がいた。
私はちょっぴり嬉しかった。
中学2年に上がる前に私は不登校になった。
また、いじめの再開だった。
中学2年編に続く。
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