無駄なことはないさ、無駄にすることはできるけど

今日のテーマは「無駄な事はない、無駄にすることはできるけど」っていう話


本日は朝からめっちゃゲームしてました。
マレニア国の冒険酒場っていう、可もなく不可もなくっていうゲーム。
攻略サイト見ながら、ひたすら図鑑を埋めたりとか脳死作業を繰り返していました。

多分、誰かがみたら「よくそんな意味のないことできるね」って思うんじゃないかと思う。
実際、このゲームの図鑑を埋めたからってなんにもなりゃしないからね。

しかし無職的にはムダではなかった。どこらへんが無駄じゃなかったのか

  • そもそも熱中してる時間っていいじゃん

  • 惑わされない心の鍛錬

  • どんな事でも学びはある

こんな感じです。そろそろ記事書くの疲れてきたので、それぞれについてもうちょい詳しく書いて終わります。

そもそも熱中してる時間は良い

人間「何をするか」よりも「熱中しているか」のほうが大事なんじゃないかと思っている。

世間的にどうでもいいと思えること、立派と思えること、どちらにせよ熱中して得られる高揚感は同じ。

「何をするか」じゃなくて「熱中する」、熱中できたので良い。

惑わされない心の鍛錬

個人的に今回良かったのは、もっと他にやりたいゲームがあったのに、その気持ちを超えて熱中できたということ。

モノや情報が溢れる現代において、こっちのが良さそうとか、より良さそうなものは秒で見つかる。

そのたびに、さっきまでやりたいと思っていた気持ちが薄れている。興味が他に移りやすい時代だと思う。

でも思うんですよね、自分がとことん熱中したものが良いものになるわけだよなって。

子供の頃は1冊の本を何度もよんだ、それはその本が良かったからというより、それしかなかったからという方が正しい。

きっともっと多くの本が簡単に手に入っていたら、思い入れのある本とは出合わなかったと思う。

今は簡単にモノが手に入ってしまうぶん、いろいろと雑に扱う癖がついていると思う。

今回は沢山素敵なモノがある中で、目の前のモノに集中できたという成功体験が得られた。

どんなことでも学びはある

そもそも無駄なことはなくて、自分が真面目にとりくめば絶対に学ぶもの、気づくことってあると思うんだよね。

例えば、本気でかめはめ波を出すことを考えてみて、本気で

そんなん無理だろで終わらせることもできるけど

かめはめ波が何らかの物質だとしたら個体、液体、気体、プラズマのどの状態なんだろうとか、いろいろ考えることはできるじゃん

そこまでやる人はいないかもだけど、そんなんムダって思っちゃうのは

ぜんぜん食べられるところあるのに、可食部に気付かなかったり、興味ないっていってゴミ箱に捨てているだけなんよね。

全ては無駄じゃない!何一つ無駄にしねぇ!っていう話じゃないけどね
そこまで必死に食いたくもない

ただ、「無駄なことはなくて、無駄にすることはできる」って話

今回のゲームをやっていて、無職はとにかく細かく細分化したり、迷いがない状態を作るとやりやすいなって気づいたし

単純作業の繰り返しと思うと退屈だけど、単純作業を繰り返すことで何が感じるかを分析するという視点に立つとまた違った体験になるとか

その気があればいくらでも学べたんだよなって思うと、何もかもが楽しみになってきたね。
まぁそれでもこの記事を書くのは相変わらずだるいけど。

うんこ漏れそうだから終わり

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