令和っぽいアイドルは、堂本剛なのではという提案

普段は海外で暮らしているが、コロナを機に久しぶりに日本に長期滞在している。海外にいると、「日本はまだまだ遅れている」なんてイメージばかりついて、自分が日本にいた頃と何も変わっていないと思い込んでしまう節がある。

でも、テレビや雑誌なんかを見ていると、M-1で優勝する芸人もかなり「令和らしい」というか、女性を卑下したり下ネタだったり誰かを傷つけるなんていういわゆるお笑いのイメージから少し違ったものが評価されるようになったり。マリウスが雑誌の連載ででスプツニ子と対談してたり、ツアーグッズとしてエコストローを売ってたり、penでジェンダーの特集が組まれたり、バービーやらりゅうちぇるやらけみおやら、リベラルで社会への問題意識が強い人がどんどんインフルエンサーとして頭角を表しているように思う。

そんな社会への問題意識の強さをちゃんと発信することと、(暗に)現状を疑問視する姿こそ、「令和っぽい」のかなあ、と勝手に考えている。というか、そうあってほしい、と切に願っている。

じわじわとジャニオタを続けて、もう10年ぐらいになる。最近の私は、アイドルの在り方・消費の仕方に非常に興味がある。

思うに、ジャニーズで一番「令和らしい」アイドルは、実は堂本剛なんじゃないか。

そう思う理由は、3点ある。

① メンタルヘルス(主にパニック障害)についての発信
② 堂本剛のアイドル論
③ 堂本剛のファンに対する姿勢
④ 事務所に対する建設的な批判

まず一番に、彼はメンタルヘルスの重要性について、芸能界で一番発信しているのではないかと思う。
若い頃からパニック障害と闘ってきた堂本剛。数年前に、突発性難聴で入院していたことも、記憶に新しい。だからこそ、彼はその経験を頻繁に語る。

いつの日かのラジオで、彼は「僕が若い頃は周囲の理解が得られないことも多くて、パニック障害のせいで、あいつは頭がおかしいとか、ひどい言葉をかけられることもたくさんあった。僕が自分の経験を語ることを通じて、この病気のことについて知ってもらって、そんな思いをする人が少しでも減ったらいいなと思う。」と語った(意訳)。

私もうつで苦しんだことがあるが、まだ精神疾患への理解が十分とは言えない社会ではあるし、自分の精神疾患の経験を、特に不特定多数の人に語るのは、容易なことではない。でも、彼は自分の言葉を全うし、パニック障害について語ったり、曲を書いたりしている。コロナ禍でも、精神的にしんどいときに、しんどいとちゃんと言う。そんな、忖度なしでメンタルヘルスについて語り、より理解を深めてもらおうとする姿勢は、まさに「令和っぽい」のではないか。

彼がいるから、セクゾの松島くんやキンプリの岩橋が休養できる環境づくりができているんじゃないかなあなんて思ったり。流石に真相までは知らないけれど。

2つ目、彼のアイドル論は、本当に人権派だなあと思う。

10代の頃、ぶっちぎりの人気で、忙しい生活をしていた彼。そんな日々を回顧するとき、彼と相方の光一は必ず、「自分たちはかわいそうだった」と言う。忙しすぎて全く記憶にない、と言う。
結婚や恋愛についての彼(と光一)の返答も、ジャニーズの「ジャニーズらしい」返答ではない。10代の頃からずっとアイドルだったからこそ、これまで、一度もちゃんとデートとかしたことないし、いわゆるまともなお付き合いをしたことがない。だから、結婚なんて、全く想像もつかない。と、彼らは言う。ある日のラジオで、剛は「僕が誰かを好きになることは誰かを悲しませることだと思って生きてきた」(意訳)と言っていた。

そして剛は「アイドルとは、第三者が作り上げたイメージを生きなきゃいけない、それにはもう疲れた」と言う。

確かに、アイドルは皆、アイドルである前に、人間である。消費者である我々は、人様の生き方にここまで干渉すべきなのだろうか?アイドルが若いうちに恋愛する権利を奪うなんて、私たちは何様だっけ?なんで10代の子供たちが、全く10代の頃の記憶がないほどに働かなきゃいけないんだっけ?
アイドルでありながら、アイドルの在り方について問題提起をしている姿が、あっぱれだと思う。アイドルとして成功し、事務所で確たる地位を築いたからこそ言える言葉であると思うし、彼らがそんな問題意識を抱いて、若手の環境を少しでも変えてくれれば、と思う。

彼は本当に、アイドルらしくない。が、アイドルらしいパフォーマンスを超えた部分で、ファンに真摯に向き合っている。

キンキキッズのコンサートは、他のグループと少しテイストが違う。オールオーケストラ・生演奏だったり、100%生歌が当たり前だったり(デビュー当時から格段に上手くなっているので初期のCD音源はまじで下手くそに聞こえる)、近年は剛の耳の関係もありほぼ踊らないとか、近年ではジャニーズジュニアを全く使わないコンサートをやる時がほとんどだったりとか、そういう部分ももちろん違う。
でも一番に、ほぼファンサがないし、甘い言葉を叫ぶのも近年全くと言ってない。ほぼほぼ、ファンに媚を売らない。彼らは、男性性を売っているのではなく、ただパフォーマンスと人間性で魅せているのだな、と感じる。

だからと言って、ファンを大事にしていない訳では決してない。彼のラジオを聞けば、彼がいかにファンのメール一通一通に真摯に向き合っているか、すぐに理解できる。

コロナ禍で、彼が涙声でメールを読み上げる声を、何週に渡り聞いただろう。「医療従事者として大変な日々が続くが、剛くんの音楽に元気をもらっている」と言うメッセージを泣きながら読み上げ、心から感謝と労いの言葉をかける。そんな彼の声を聞くと、ああ、ファンを大事にするって、こういうことなのか、と感じる。

最後に、彼は事務所に対して建設的な批判をちゃんと発信している。
彼は今年、彼のソロプロジェクトの音楽作品を、新曲含め、ほぼ全作品をサブスク解禁した。ジャニーズで楽曲をサブスク解禁しているのはいまだに嵐と彼だけである。

アイドルは偶像であり、何かに意見を持つ存在ではない、そんなイメージと想定が蔓延している。特にジャニーズだと、ジャニーズ事務所自体を批判するなんてありえない、そんな帝国がメディアの中で作られている。
でも彼は、アイドルでありながら、ちゃんと人であり、労働者である。所属する会社のことをちゃんと批判する。こんな保守的な事務所なんでね、サブスク解禁とかオンラインコンサートなんて一生できないと思ってました、と普通に言ってのける。まあ後輩である滝沢が社長になったから言いやすくなったのかもしれない。

リスナーからの「兄弟の前で剛くんの曲を流してたら、え、これジャニーズなの!?って驚かれました!」みたいなメッセージを読み上げていて、事務所のマーケティングの良くないところってそういうところだよね(内容まで詳しく覚えていないが)みたいなニュアンスのことを先日のラジオで言っていた。

要するに彼は、事務所に対しての忖度をあんまりしない。光一もこういう、事務所に対してちゃんと建設的な批判をする、みたいなことをする人である。KinKiがいれば事務所は安泰、逆にKinKiがいなくなるとき、事務所は結構やばいんじゃないかなあと想いを馳せてみたり。


ちなみに、さらにアイドルっぽくない姿を挙げると、彼のソロプロジェクトでは、全くジャニーズや堂本剛の名前を使わないことにこだわっている。サマソニでMCなしで1時間弾き続けるパフォーマンスを行ったり、山下達郎とコラボしたり、平安神宮で10年近くコンサートを行ったり、MISIAに楽曲提供するなど、え、アイドルってなんだっけ?と思わせる圧巻の存在感である。歌がうまいジャニーズと言えば堂本剛、という方も多いだろうが、単なる歌のうまさを超えて、彼の作る音楽の音楽性も高く評価されている。

余談だが、手越の退所直後の会見を見たときに、ああ、きっと彼は堂本剛のやっているようなことがしたかったんだろうな、と感じた。自分に置き換えて考えてみれば、同じ会社の、他の人ならできるのに、自分はそれが許されないという不公平、そりゃあそんな会社辞めて正解だろと思うが、芸能界とはそうも一筋縄にいかないめんどくさい世界なんだろうなあ。

音楽だけでなく、バラエティもできちゃうのが堂本剛である。「小喜利の私」という単独公演を行っており、簡単に言えば堂本剛が一人でやるIPPONグランプリ。カウントダウンコンサート明けに行うも、朝方で観客が8割寝てたというシュールさ。2020年はオンラインで後輩ちゃんと一緒に行っており、これもまたとても面白い。興味のある方は是非。

そんな令和っぽさのあるアイドル、堂本剛を慕う後輩は跡をたたない。剛会という、剛くん好きな後輩が集まって、剛くんのグッズを着て、コンサート映像を鑑賞する会もあるそうな。それに対し、「何がそんなにいいのか全くわからん」「そんな会があるんめちゃ怖いわー」と一蹴する彼もまた、とても推せる。

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