第7話:『壱番街サーベイヤー』32【完】
「行っちゃったねえ」
成田空港の駐車場から、青空を力強く駆け上がっている航空機を見上げる。
制服の下に包帯が見え隠れする真凛の状態は痛々しいが、本人は慣れっことのことでケロリとしたものである。骨格に入ったヒビと勁による内傷もメキメキ治っているようで、おれとしては生物としての格の違いを思い知らされるしかなかった。……自身の負傷をチートで直してもらっていることも、まあ、負い目ではある。
「よしよし、無事に飛んだな」
皇女の乗った機が離陸したことを確認し、おれは胸を撫で下ろした。日本発は経産省のアテンド。その後の旅路はルーナライナの日本大使館がバックアップしてくれるとのことで、まずは安心してもよいだろう。
「ファリスさん、向こうに戻っても大丈夫かな?」
「ま、そこはなんとかなるんじゃないか」
長らく保留のまま塩漬けとなっていた開発援助案件が再稼働したことにより、官僚のみなさんも俄然やる気になったようで、予算取りとかも頑張ってくれるそうだ。そしてセゼルとアルセスの暗号……いや、『遺書』が公にされたことで、弾圧されていた親アルセス派が大きく息を吹き返しているらしい。アルセスの意思を継ぐものとして、ファリスを新たなる女王として掲げる動きもあるとか。
今後ファリスは、無力なお飾りの皇女としてではなく、日本政府のバックアップを受けた現王の直系後継者として、中国やロシアの影響下にある他の王族と権力抗争を繰り広げることになる。
「ちょっともったいなかったな、とか思ってる?」
「あん?」
「ファリスさんがあのまま日本に残って、こっちで学生するって道もあったんじゃないかな?……正直、ボクももっといろいろ話がしたかったよ」
「そう、だな」
それは彼女にとって最善の未来だったのかは、おれに論じることは出来ない。だがしかし、少なくとも彼女は、自らの意志で義兄の意思を継ぎ、この道を選び取ったのだ。
「なに、また会えるだろうさ」
彼女はおれに約束したのだ。
「いつになるかはわかりません。でもきっと、形にしたいのです」
空港のロビー。
おれが出血大サービスで奢った三人分のコーヒーを前に、ファリスは語った。手元には、返却した携帯端末と引き換えに手元に戻ってきた、彼女自身の携帯電話。型落ち感の否めない旧式のそれを見やり、彼女は言う。
「アルセス兄様が探していた安価で大量生産可能なコンデンサの研究。技術はどんどん進んでいきますから、私が追いかけている間に実現されていくのでしょうけど。そこにわずかでもいいから、私の、いえ、私達の足跡を残したいのです」
「そいつはいい。君がウチの大学で卒業論文を書いてくれるなら、未来のルーナライナ女王の名前が大学史に刻まれることになる。……君が参考にする、アルセスの研究成果と共に、ね」
「それは、……きっと素晴らしい未来ですね」
「あの、危なくなったら、いつでも日本に来てくださいね。ウチに泊まってくれればいいですから」
「それは、その、ありがたいのですけど」
「そうそう。ファリス、君はどうも思いつめるタイプだからな。ヤバくなっても退路は確保されてる、って考えながら戦うほうが、きっとうまくいく」
「アンタは追い詰められないと仕事しないタイプだけどね」
「そりゃあ、……反論できないなあ」
二人が笑う。
他愛もない雑談。
安全な場所への帰還、というわけでは決してない。
むしろ彼女の仕事はこれから始まる。政敵を向こうに回し、治安の悪化したルーナライナを立て直すのは、並大抵の努力で済む話ではない。身の危険に晒されることもあるだろう。次にこんな雑談が出来る機会は、ずっと後になってしまうかもしれないのだ。
おれ達は出会ってから今日までの短い期間の出来事を語り、それぞれの他愛ない日常の話を語り、将来の夢について語った。
時間はこぼれる砂のように過ぎ去り、空港の掲示板が出発のアナウンスを告げる。
「じゃあ、行きますね」
「ファリスさん」
席を立ったファリスに、真凛が抱きついた。
「真凛さん……」
「またカレーうどん食べに行きましょうね」
顔を伏せたまま、真凛がつぶやいた。
「……はい。次はお腹に優しいグリーンカレーにしましょうね」
「きっとですよ」
頷きあう二人。
「……では、亘理さん」
「ああ」
おれは頬をかいた。どうもこういう挨拶は苦手だ。いつもはこう、ビジネスライクに手を挙げてお疲れ様でした、と済ませているわけだが。
『……じゃあ、元気で』
右腕を差し出す。
色々と迷ったが、結局は無難な挨拶と、無難な言葉。
ファリスは様々な表情をないまぜにしたあと、おれの手を握った。
『はい。また会う日まで!』
星の瞬きのように美しい発音。
おとぎ話の絵本から現れたようなルーナライナの佳人は、とびきりの笑顔でおれ達に別れを告げた。
「ま、銀髪美少女の後輩に囲まれた彩り鮮やかなキャンパスライフも捨てがたかったんだがなー。所学費稼ぎのバイト漬けがお似合いですよ、おれには」
「……ねぇ陽司」
「なんだよ?」
「ファリスさんはお兄さんの後を継いで勉強をしたいって言うし、陽司は学校で勉強をするためにお金を稼いでいるわけじゃない」
「……ま、それだけが理由ってわけでもないがな」
「勉強って、大切なものなのかなあ?」
「……そうさなあ。お前、武術の技の練習はつまらないか?」
「そんなことはないよ、確かになかなか結果が出なかったりしてイヤになることもあるけど。一つ技が使えるようになれば、出来ることもたくさん増えるし」
「……それと同じさ。勉強、なんて言い方をするから嫌なもの、面倒くさいものという位置づけになる。ゲームで言えば能力値を底上げして、スキルを身につけるようなものさ。スキルが有れば、今まで勝てなかった敵にも勝てる。今まで発生しなかったイベントにも遭遇する。今まで参加できなかったチームの仲間にもなれる。それだけのことさ」
「うん」
事務所のバンのキーを回し、発車の準備を進めていると、真凛が不意に声を上げた。
「ボクも、大学を受験してみようと思うんだ」
「ほう」
「今から勉強して、どこまで行けるかわからないけど。もっと、いろんな世界を見てみたい。家を継ぐにしても、言われたからそうするんじゃなくて、ファリスさんみたいに、自分で考えて、自分で決められるようになりたい」
「……そうか」
勉強、に本当に必要なものは動機と、地道な反復学習だと聞く。もしも今のコイツが効率の良い学習指導を受けた上で、武術の修練のように、日々の研鑽を欠かすことがなければ……受験本番までには意外といいところに行ったりするのかもしれない。
「いや、待て。そうなると教えるのはまさかおれじゃないだろうな?」
「なんか言った?」
「なんでもない」
このうえ家庭教師のバイトまでしてたまるか。
「そうさな、まかり間違ってお前がおれの大学に入れば、ファリスと並んでキャンバスライフ、ってな未来もあり得るかもしれんぞ」
「はは、そりゃいいね!がんばらないと」
おれの皮肉はポジティブ思考のアシスタントには通じないようだった。勢いよく駐車場のフェンスに駆け寄ってから身を乗り出し、真凛と、……おれは、豆粒ほどの大きさとなった飛行機に向けて手を振った。
「ファリスさん、また会いましょうね~!!」
「また、な」
彼女の故国の再興と。
そして、いつかの再会を祈って。
【了】
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