第2話:『秋葉原ハウスシッター』10
埼玉県草加市。
埼玉でも特に南部に位置するこの街には、おれ達が居た千代田区のマンションからドアツードアで四十分とかからずに到着することが出来た。時刻は夕方。東武伊勢崎線の駅を出て、おれ達は羽美さんが打ち出してくれた地図を頼りに駅前の商店街を進んでゆく。草加といえば煎餅が有名なのだそうだ。帰りに余裕があれば事務所の面々にお茶受けでも買って行ってやるとしようか。
「んで、またお前とかよ。鬱陶しいからおれの側を歩くんじゃねえよ」
「他人の台詞を横取りするな。今日は真凛君と仕事がてらのんびり街を散策しようと考えていたのだぞ?何故貴様のようなリアルキュビズムと歩かなければいかん」
何気にすげえこと言われてる気がするぞ。ちなみに真凛はと言えば、宅配便のおっさんがどうやら昨日攻め込んできた黒いコートの男だとわかった途端に『ボクが留守番します!』と猛烈に主張し出した。……まあ、動機はわかりすぎるほどわかるのだが。このため、おれとコイツとが外に出ることになったのである。
「はん、どーせ平面の女の子しか興味が無いんだろ?」
それを耳にした直樹、やれやれ、なんて哀れみを込めた目でこちらを見やる。
「亘理。女性に好意を向けられた事の無い貴様には到底理解し得ない心情だろうがな。俺は世の少女達は全て愛しいと思うぞ。二次元三次元問わず。これは真実だ」
だから『少女』って限定するなよ。そんなおれの言葉も届かないのか、奴は嘆かわしげに額に手をやる。
「しかし万物は移ろい往くもの。愛した少女も時が過ぎ行くほどに成長し、いつかは大人になり巣立ってゆくものよ。その度に俺が味わう身を斬られるかの如き辛さ、貴様ごときにはわかるまい」
素直に○学生以下しか愛せませんって言えよこの××野郎。
「その点!ゲームやアニメの中の少女達は素晴らしい。彼女達は何と年を取らぬのだ!!常に永遠の無垢を持ってそこに在る。人類は二十世紀に到って性的衝動と浪漫を類別することについに成功したのだ!」
「おっ。あれが笹村さんの実家だな」
おれは歩を進める。コイツと一緒に補導されるのは真っ平ゴメンだ。通路を曲がってすぐ、角の所にその家はあった。うぉっほん、ここからは営業モード。インターホンを押す。
「失礼します。当方笹村氏にご依頼頂きました『フレイムアップ』という会社のスタッフのものなのですが」
生垣に囲まれたその家はちょっとしたものだった。門越しに見える庭園は純和風。坪数も大したものだ。石灯籠の側に掘られた池には間違いなく鯉が飼われていると見て良いだろう。インターホン越しのおれの問いかけは沈黙を持って報われた。仕方が無い、予想されたことだ。では次の行動に移ろうか、と考えていると、
『ああ、フレイムアップの方ですか。どうもご苦労様です。お入りください』
そんな声がして、門のオートロックが外れた。思わず直樹と顔を見合わせてしまう。
「失礼ですが、笹村周造様はご在宅でしょうか?」
やや警戒交じりのおれの声に対する回答は、
『ええ、私が笹村周造です』
いともあっさりしたものだった。
「お暑い中よく来てくださいました。お茶菓子は煎餅で良かったですか?」
「いえ、お構いなく……」
純和風の邸宅の居間の中、おれと直樹は座布団の上で正座して神妙にお茶など啜っている。縁側越しに先ほどの見事な庭が一望出来るのだが、どうもこう広いと落ち着かない。
「しかし、正直に言って驚きましたよ。僕の部屋に強盗が入り込むなんて。取るものなんて何にも無いのに。いくら最近ついてないって言ってもなあ……」
おれの目の前にいるのが笹村周造氏。昨夜突如失踪した依頼人にして、あのスイカが大量に溢れるマンションの主である。所長から聞いていたとおり、確かに三十代後半の実直な技術者、といった雰囲気だ。やや薄くなった髪を後ろに流し、厚めの眼鏡をかけている。今はポロシャツを着ているが、仕事場で白衣を纏っている姿が容易に想像できた。
つい先ほどまでおれは手短に、今回任務中に起こった事件の概要を説明していた。その上で相手の正体を確かめるために情報が欲しい、と。それに対する回答が、先ほどの台詞である。
「驚いたなあと申されましてもね。当然予想されていたからこそ我々を雇われたのでしょう?」
意識して感情を押さえてはいるが、おれの語調は若干きつかっただろう。そもそもこの人が極秘案件でろくに情報も流さずに留守番任務を依頼してくれたおかげで、おれ達は深夜のドタバタ劇を演じる羽目になったのだから。すると笹村氏はやや細めの目を大きく見開いて、
「極秘案件?とんでもない。スイカの番をお願いしただけですよ?」
「は?」
ちょっと待ってくれ。
「失礼ですが、貴方は何か身の危険を感じておられたのではないのですか?だからこそ我々に部屋の護衛役を任命し、あなた自身は奥さんのご実家に身を隠された」
笹村さんはぽかんとおれを見詰めて、目を三度しばたかせた。
「……何のことです?」
傍から見るとかなりアヤしげな光景だ。男が三人、和室の居間で阿呆面を並べて向かい合っているというのは。五秒ほど経過した時点でまずは直樹が正気に戻った。
「どうやら、お互いに誤解があるようですな。差し支えなければ、今回弊社にご依頼いただくに到った状況を教えていただけますかな」
「ええ。お安い御用ですよ」
おれは眩暈がしてきた。どこが詮索無用の極秘任務だよ。
大手飲料メーカー『クランビール』での笹村周造氏の仕事は原料の品種改良だった。つまりは、ビールに使用する麦やホップ、ワイン用の葡萄、デザートに使用する果物類といったものについて、交配や栽培条件を変更することにより、より良い味、より高い生産力を引き出す仕事だ。もともと笹村さんは農学部出身であり、その知識を買われてクランビールに就職したのだそうだ。
事の起こりは二週間ほど前に遡る。笹村さんが手がけていた品種の一つに、あるスイカがあった。以前から地道に研究、品種改良を続けていたのだが、それがこの度、ついに完成にこぎつけたのだという。笹村さんは喜び勇んで完成の結果まとめに入るとともに、今まで協力してくれた友人たちにもメールでお礼を送った。
「協力してくれた友人?」
「ああ。学生時代の研究室仲間やフォーラムで知り合った研究機関の人たちと、定期的にメールをやりとりしてるんです。ほとんどは茶飲み話と大差ありませんが、時々かなり突っ込んだ質問やアドバイスを貰うこともありまして。彼らがいなければ今回の完成はなかったでしょうね」
なんとも嬉しそうにのたまう笹村さん。ところがそこから急に運が悪くなったのだ、と言う。
「運が悪くなった?」
おれと直樹と二人して鸚鵡返しに聞いてしまった。
「会社からの帰り道、駅を歩いていたらひったくりに合ってしまって。愛用していたカバン一式を取られちゃいました。まあ、仕事の資料はほとんど会社に置きっぱなしなので文房具くらいしか実害がなかったんですけどね。それからしばらくして、今度は会社のロッカーに置いてあった出張用カバンがどっかいっちゃったんですよ。緊急時に備えて着替えと歯磨きセットが入っていたんですけど」
「はあ……」
「それで、ついこの間起こったのが会社のシステムチェックですね。なんでも私たちの会社のLANにハッキング攻撃があったらしくて。幸い事前に突き止められたので実害は無かったんですが、結局その日は総点検だの追跡だののてんやわんやで仕事になりませんでしたよ。おかげで次の日徹夜をする羽目になりました」
困ったものですよねえ、などとため息をつく笹村さん。おれと直樹はさっきから口を開けっ放しの阿呆面を継続中である。っていうか、いくらなんでも気付くだろうよ。
「そんなこんなで縁起の悪いことが立て続けに起こりました。だからちょっと気分を変えたくなりまして。会社も夏季休業に入ったことだし、妻の実家に厄介になって、スイカに関する論文を一気に終わらせてしまおうと思ったのです」
「……あのう、つかぬことを伺いますが」
「何ですか?」
「今回ついに完成され、その論文にまとめられているスイカって……あの部屋に大量に植わっていたアレですよね?」
笹村さんは子供のように表情を輝かせた。
「そうなんですよ!だから実家にしばらく厄介になるにしても、アレを放っておくことは出来なかったんです。私の研究の集大成、誰かに面倒を見ていてもらわなければいけないですからね」
「ということは。そのために我々を雇われた、とそういうことですか?」
「ええ!こういう事をやってくれる便利屋さんをタウンページで探したら、フレイムアップさんが載ってたんですよ。一覧の中から適当に選んで直接訪問したんですけど、受付の女性の人かなあ、感じのいい人だったんで一発で決めちゃいましたよ」
ず、頭痛が。
「それで所ちょ……いや、受付の女性とはどういった対応をされたのですか?」
「ええと。どういったお仕事ですかと聞かれたので、留守番をお願いって言ったんですね。その後、多少料金は張りますが事情を一切聞かずに対応するか、事情を聞いた上で通常料金で対応するプランがあるとか言ってましたね。細かい事情を説明するのがわずらわしかったから一切聞かない奴にしてくれ、って言いましたよ」
……さいですか。
「料金等の提示はなかったのですかな?」
直樹が言う。たしかに、何と言うかその、うちは派手なことをやる分料金もちょっとお高いはずなのだが。
「ええ、料金表を渡されましたよ。忙しかったんで見ないでとりあえずOKで返事をしておきました。まあ、便利屋さんの相場ってそう劇的に変わるものでもないでしょうし」
変わるんですよ。頼むから見てくださいよ。っていうか、この人絶対に近い将来クレジットカードとか通信販売とかでトラブル起こすぞ。金を支払いする前には必ず情報は確認しような!おれからのお願いだぜっ。
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