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第2話:『秋葉原ハウスシッター』12
地下鉄が駅に到着すると、おれは一人改札を抜けマンションへと急いだ。駅前でぐるりと敵に取り囲まれるかとも思ったが、幸か不幸かそういったものはなく、おれは至極あっさりと地上に出ることが出来た。すでに日は落ちており、蒸し暑い夜の空気の中、おれはひたすら走ってゆく。と。
「!!」
全く反応は出来なかった。それでもその攻撃が当たらなかったのは、向こうがあえて外していたからに他ならない。おれの目の前を槍のように何かが通り過ぎかすめていったのだ。攻撃のあった方を振り向くと、そこには脇道が口を開けている。しかし、その『何か』を飛ばしてきた相手の影は無い。
「ご招待、ってわけか……」
ヘタに断ったら背中からぶっすりやられかねない。おれはしぶしぶ、そちらの道に向かった。道なりに二回も角を曲がれば、まだ建設中なのだろうか、絶望的なまでに静かな工事現場が広がっている。お盆休みだからかどうかは知らないが、駅前に程近いと言うのに通行人は絶無だった。
さながら絶壁のごとく両側に聳えるビルの隙間から、騒音を撒き散らしながら走り往く総武線が視界の端によぎる。上空には満月から下弦に傾きつつある月。蒸し暑い夏の夜だと言うのに、その男は黒いハーフコートを着込んでいた。
「どうもこんばんわ。あんたと会うのは二度目、いいや三度目だったかな」
おれは男の顔を見やる。初老とも言えるその顔は、確かにあの時おれ達の部屋を訪れた宅配便のオジサンであった。
「変装も潜入も偽装も一人でこなす、と。まったく人手不足だと大変ですねえ」
「ご心配痛み入ります。されどそういう事が生業ですのでお構いなく」
ほほ、と男が丁寧に一礼する。その姿からは、威勢のよい宅配便業者のイメージを思い出すのは難しかった。
「んで、何の用かな?悪いけどおっさんとお茶を飲む趣味は無いんだけどね」
「いえいえ。そろそろお互い膠着状態にも飽きが来たのではないかと思いましてな。決着をつけようかと思い立ちまして、ハイ。ああ、ワタクシこういう者です」
男の手から放たれた紙をおれは受け取る。そこに記載されていた社名は、
「国際人材派遣会社 海鋼馬公司《ハイガンマーコンス》……別名『傭兵ギルド』だったかね」
「ご存知のようで光栄です。皆からは『蛭《リーチャー》』と呼ばれております。前職では主に政府筋で人事関係の仕事をしておりました」
「やだやだ。公務員が民間に再就職すると、ろくなことがないね」
「そういう物言いは物議を醸すのではないですかな?」
「なあに、お役所のやり方を持ち込むと、って意味さ」
「人事はなるべく公平を心がけておるつもりなのですがねえ」
はん。おれは嘲笑する。
「テロリストへの内通者が潜伏している村の人間を、「疑わしい」という理由だけで全員殲滅して回るのも平等主義ってワケだね」
『蛭』の雰囲気がわずかに変わる。
「ほほ、お若いのに博識でいらっしゃる」
「幸か不幸か、この業界長いもんでねぇ」
おれは投げやりにコメントすると、わずかに足を引いた。
国際人材派遣会社海鋼馬公司。中国を拠点とする企業で、社名だけならまっとうな会社に見えなくも無いが、その実態は冷戦終了後の政治崩壊で職を失った各国のエージェントを雇い、世界各国へ派遣する事から発展した、いわばおれ達の同業者だ。
だが問題が一つある。この雇われる連中というのは、大概が政治崩壊後、まともな職に就けなかった政府、軍隊関係の連中だったのだ。敗走した政府軍、旧特殊部隊くずれ、元秘密警察。そんな連中が得意とする仕事と来れば、どうしても拉致、拷問、脅迫、爆破と言った後ろ暗いジャンルに偏らざるを得ない。
結果として、海鋼馬のエージェントと言えば各国の犯罪組織を幇助する用心棒を指すようになる。『傭兵ギルド』の異名を取るのはそのためだ。おれも関わり合いになったことが何度かあるが、『なるべく犯罪行為にひっかからないように』仕事をするおれ達と、『なるべく犯罪行為がバレないように』の連中とはハッキリ言って反りが合わなかった。
「さて。あらためて交渉をお願いしたいところですが」
「スイカの新種登録申請のデータだったら完成したぜ」
『蛭』の目が細まる。
「あんたらの狙いはあのスイカだってことは誰だって判ることなんだが。理由がどうしても見つからなくて困ってたんだよ。知的財産権や特許に詳しい人に情報を集めてもらって、ようやく判った」
「……」
ギリギリ間に合った。来音さんに知り合いの弁理士に問い合わせてもらった成果である。
「つい最近成立した、『新種作物の創作権の保護』って奴だろ。あれに登録申請をされることだけは、あんたらは阻止しなければならなかった」
本やソフトウェアに著作権が存在するように、農産物も品種改良によって創り出されたものには、創作者に一定の権利が存在すべきである、という考え方だ。とはいえ、これまではあまり徹底されておらず、日本の農家が苦労して開発した新種の苗が海外に持ち込まれ、数年後には大量に安価に逆輸入されて却って首を絞める事になった、などという事もあったとか。
バイオ技術が進んでいる日本が、いわば海賊版の横行への対策として打ち出したのが『新種作物の創作権』である。これにより、先ほどのような状況に対しても特許使用料のようなものを発生させることで、創作者に利益を還元させることが出来るのだ。
「想像力のたくましい方ですね。それではまさか我々の雇い主まで見当が付いているとでも?」
『蛭』の値踏みするような視線を、真っ向から受けて立つ。帰りの電車で大急ぎで組み立てた推理だが、それなりに自信はあった。
「憶測しかないけどね。どっかのお国直営の外資企業。それも実際はお国の命令で、大使館のバックアップまでついてます、って所じゃないか?」
「……どうしてそう思われるのですかな?」
「最初は新種登録の妨害なんてのは企業同士の諍いだと思ってたんだがね。どうにもしっくりこなかった。そろったデータを見る限り、味としては従来種とそう大きく変わりは無い。ただでさえ不確定な要素が多い農作物の特許にそこまでリスクを払うものか、ってな」
しかし、笹村さんの話を聞いて納得がいったのだ。営利目的ではなくボランティア、それも国際貢献となればまた別の利害が色々と話が変わってくる。
「砂漠の緑化と言えば良いことづくめのように思えるが、現実問題としてはそれで損害を被る連中も存在する。例えば、その砂漠地帯の食糧事情が大幅に改善されると、そこに今まで食料を支援することで実質的に支配していた大国の立場はどうなるのか、とか。ひいてはそれが独立運動の機運に結びついたりしたらどうなるのか、とかね。それは大げさではあっても決して笑い話じゃない」
馬鹿馬鹿しいようで、まったく笑えない話だ。食物のため。人類にとって恐らく最も原始的で切実な闘争理由だろう。
「そして、日本で公式に登録されてしまえば安易にコピー商品を作り出すわけにもいかない。ならば、登録をさせなければいい。いや。苗さえ手に入れることが出来れば、むしろ自分達が大きなアドバンテージを握ることにもなる。そう判断したからこそ、その国のお偉方は――」
「……それから先はあまり口にされない方がよろしいかと」
「ああ。おれもこれ以上くだらない内部事情に足突っ込むつもりはないよ」
「賢明ですね」
「飛行機を落とされちゃかなわないからな」
『蛭』の目が若干の驚きに見開かれる。おれはと言えば、当たりたくも無い推理がまた当たって反吐でも吐きたい気分になった。
「彼女の場合は特別だったのですよ。それ以外にも色々と公式な影響を持つようになっていて……」
「ンな話はどうでもいい」
要するに、だ。
「テメェをこの場できっちりノして帰ればそれでOK、ってことだろ?」
おれは二人称と共に、脳内のモードを切り替える。
「そういう事になります。そしてそれは我々にも当て嵌まる。そこまで妄想を逞しくされては、隠密に物事が済む段階ではなくなってしまった。貴方を消してしまえば無力な依頼人などどうとでもなる」
「街中でドンパチやらかすつもりかい?」
「いやいや。二十一世紀は怖いですなあ。平和な日本で無差別テロ発生とは」
『蛭』の気配が、ハッキリと変わる。それは一昨日の夜、おれ達を襲撃したあの怪人とまさしく同じものだった。その両腕がすい、と持ち上げられる。
「そういえば、まだあなたの二つ名を伺っておりませんでしたな」
「ああ。聞かないほうがいいと思うよ。多分後悔するだろうし」
「……おやおや。名乗りを上げる度胸も無いとは残念。では、参りますよ」
『蛭』の姿が一瞬にして視界から消える。瞬間移動、の類じゃない。
――下!
その姿は蛭というより砂漠を波打つ蛇の如く。
地面を這うかのように『蛭』が疾走する。その両手から漲る殺気。
空気を切り裂く二つの音。攻撃個所を予測した上で、事前に十二分に回避の用意をしていてなお、おれの皮膚に赤い筋が二本走った。更に後退。しかし学生の後退と戦闘のプロの突進の速度を比べようという考え自体がそもそも無謀だ。たちまちのうちに間合いを詰められる。
必殺を期してか、目前に掌がかざされる。今度こそ見た。その五指がぐにゃり、と捻じ曲がったのを。そして、五本の指が五つの点となり、おれの視界に閃く。咄嗟に膝の力を抜いて仰向けに倒れこむおれの視界に移ったのは、鼻先をかすめて空を貫く、一メートルの長さにも延びた奴の五指だった。
『蛭』の名は、おそらくその指にある。武術ではありえない、自在に伸縮、屈折する指。何某かの肉体改造でもしているのか。一見無手の状態から、関節構造を無視し、指一本分の隙間を潜りぬけて長剣並みの間合いで刺突を仕掛けられるとなれば、暗殺には打ってつけの能力だ。一昨日に直樹の胸板を貫いたのも、郵便受けに潜ませた五指による刺突だったのだろう。
――そんな思考は、背中に突き抜けた地面からの衝撃に遮断された。ピンチが迫るほど思考が加速するのはありがたい体質だが、加減を誤ると本当に機を逸しかねない。見上げるおれの視線と、見下ろす『蛭』の視線。交錯は一瞬だが永遠にも感じられた。その掌から五本の毒矢が打ち出される。それは等間隔におれの頭を貫こうとして――横合いから突き込まれたはためく布に弾かれ、逸らされていた。そこには。
「貴様の相手は俺だろう」
このクソ暑いのにコートを着込んだ直樹が立っていた。
「……いいタイミングで出てくるじゃないか」
「何。この台詞は一度言ってみたかったのだ」
まさか狙ってたんじゃないだろうな?
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