壱番街

第7話:『壱番街サーベイヤー』28

 紫水晶の瞳が烈しい輝きを放つ。普段の泉の如き静謐さの奥にある、アルセスの事について触れる時の虚ろな闇。そしてその奥にあるこれこそが、彼女に秘められた真の輝き。

 おれは組んでいた脚を降ろし、心持ち体を前に傾けた。

「――たぶん、君はセゼル大帝の意図に少しずつ気づいていたんだろう?でも、認めるわけにはいかなかった」
「当たり前です!後継者として決めていた、ですか……?それならなぜ、なぜアルセス皇子は処刑されなければならなかったのですか!!自分で処刑したくせに!今更になって後継者だなんて!ふざけないでください!!そんなことを言ってみせたところで、アルセス兄様は帰ってなど来ません!!」

 そう、だからこそおれは、事実を告げねばならない。

「……その経緯も、推測はできるよ」
「え……?」
「アルセスの『鍵』、いや、『箱』の裏に書かれた詩さ」
「……この詩に、意味が?」

 古代ルーナライナ語で書かれたという詩。それを書いたのは一体誰だったのか?

「これも消去法でパズルを埋めていけばわかる。古代ルーナライナ語の『読み』はともかく、『書き』は公文書を作成する王にのみ伝えられていたんだろう?」
『……でも。これはアルセス皇子が作成した数列で、セゼル大帝は触れていない』
「となれば、この詩を書いたのはアルセスだろう。王の後継者として、古代ルーナライナ語の文章作成方法も教わっていたと考えるのが自然だ。そして数式と詩のインクの劣化状況を比較すると、この詩は数式よりも後に書かれたものであるとわかった」
「じゃあ、これはアルセス兄様の」
「手記。もっと率直に言ってしまえば、処刑される前に書き記した、遺書、ということになるな」

 
 重い沈黙が、再び会議室を満たした。


「すみませんね、話が長くて。もうやめましょうか?」
『そういう悪辣な質問はやめてください亘理さん。そこまで聞いて、もういいですよなんて言えるはずがないでしょう。最後まで説明をしてくださいな。あの詩にはどんな意味が込められていたんですか?』
「ではお言葉に甘えて……。詩の元ネタはちょっと考えればすぐにわかったんですよ。子供を殺した罪で水辺に吊るされてご飯が食べられない男、なんて珍妙な話はそうそうあるわけじゃない。――美玲さんあたりならわかるんじゃないですか?」
『ギリシャ神話のタンタロス王の逸話ですね。まあ、後からキーワードからネットで検索した程度の知識ですけど』
「ええ。これはギリシャ神話にある一つのエピソードです」


 いわく。

 リュディアのタンタロス王は、人間でありながら神々に愛され、不死の肉体を持っていた。しかしある時、神々を招いて宴会を行った時。何を思ったのかタンタロス王は、自分の子供を殺し、その肉体を切り刻んで料理として神々に食べさせるという暴挙に出た。


「ええ?なんでそんな事するの、意味がわからないんだけど……」
「まったくだ。このエピソードには勧善懲悪とか因果応報とかの教訓とか意図が読み取れず、ただ王様が自分の子供を殺して神々に食べさせたという事実のみが記されている、なんとも不気味な話なんだよ」

 もしかしたら、ギリシャの歴史でそれに類するような事件があったのかもしれない。

『いちおう後世では、神々がこれが人肉かと気づくか試したのだ、とか、本当に神々を敬っているからこそ、自分の一番愛する者を捧げたのだ、とかいう解釈がなされているようですが』
「そこらへんの意図は明言されていませんね」

 いずれにせよ、エピソードの中で語られるのは、まんまと人肉を食わされた神々の怒りと報復あった。王は奈落の底に落とされ、その水辺に植わった果樹に逆さ吊りにされた。水を飲もうとすると水が引き、果物を食べようとすると枝が避ける。かくしてタンタロス王は、眼の前に水と食べ物がありながら永遠に飢えと乾きにさいなまれるという、不死者ゆえのむごい罰を受けることになったのでした……というオチで終わる。

「このタンタロス王のエピソードはその後、『手に届くところに欲しいものがあるのに手に入らない』『焦らされる』という意味で使われるようになる。日本語で言う故事成語みたいなもんだね。そして今日でも『焦らす』ことを英語では『タンタライズ』という」
「え‥…そんな単語あったっけ?」
「tantalize。授業でならわんかったのか?七瀬」
「あ?あーうん。やったような気もする」
「そしてこの『タンタライズ』は、後に更に一つの言葉に派生する。原子番号73。存在そのものは早くから認められていたものの、化合物から純粋な金属を抽出するのに数十年を要したため、『焦らされ苦しめられた金属』……『タンタル』へと」
「『タンタル』って方はどこかでなんか最近聞いたような……」

 眉間に指をやっていた真凛が、はたと手を打つ。

「あ、もしかして『アル話ルド君』の修理に使っていた、携帯用の部品?」
「おお、記憶していたか。これは素直に偉いぞ。そう、そのとおり。今日では電子部品……特に電解コンデンサの材料として非常に需要が高いレアメタルだな」
「コン、デンサ。アルセス兄様の研究成果」
「……そう。ここで話がつながるわけだ。そういえば『箱』の中身の解析結果がまだでしたね。MBSのメンツにかけて取引が合意となった以上、オープンにしてしまいましょう。ほい」

 おれは長口上を終えて、普洱茶を飲み干し、プロジェクターの画面を切り替えた。

 
 緯度と経度を表す、複数の数字の羅列。

「これが暗号解読の結果です。セゼル大帝が隠し持っていた最後の鉱脈。そして……」

 画面を操作。現代の衛星写真に、得られた座標を重ね合わせたものにページが切り替わる。そこには、ルーナライナ国内のとある一帯を、ゆるく長く走る鉱脈の位置が記されていた。

『これが、これが最後の金脈の情報!!』

 ワンシムがおやつに飛びつく家猫のような勢いで壁に走り寄る。

『ははは、これが切り札か!なんという規模だ、大きさだ。今までの鉱脈でも一級、いや、最大級やもしれん!』
『皇女の身の安全の保障をお忘れなく、閣下』
『ハッ!好きにしろ。どうせそいつには何の力もない。今のうちに我々がこの一帯を押さえれば他の連中にも手出しはできん!』


「盛り上がってるところすみませんが、これ、金脈の地図じゃないんですよねえ」


『は?』

 おれが真横から浴びせた冷水に、ネット上のペットおもしろ画像のような顔でこちらを向くワンシム閣下。やばいちょっと楽しくなってきた。

「言ったでしょう。ああ、もちろん実際に掘ったわけじゃないから確証はありませんよ?でもタンタロス。タンタライズ。タンタルというキーワード。コンデンサを研究していたアルセス皇子。産業を誘致することを目指していたセゼル大帝。ついでに言うなら、最新の衛星画像による露頭部の映像解析技術。これを踏まえて総合的に判断するに……これ、タンタルの鉱脈ですよ」

 いやあすごい。タンタルの産出はほとんどがオーストラリア、アフリカ、南アメリカのはず。中央アジアでこれほど大量のタンタルが採れるとなれば、地質学の世界ではちょっとした騒ぎになるのではなかろうか。

『……だが、希少金属だろう!価値があるのは変わらんだろうが』
「少し違います。タンタルはそれのみでは決して金ほどの価値はない。アルセスがセゼルと共にかつて進めていたのは、タンタル鉱石の採掘と半導体コンデンサの産業誘致プロジェクト。ただ掘り出して終わりの金ではなく、ルーナライナの人々が職業を持ち、近代国家として自立、飛躍するための、まさに国家の大計ですよ」
「亘理さん、アルセス兄様とセゼル大帝の考えていたことはわかりました。……でも、それは、アルセス兄様の結末の理由にはなっていないと思います」

 皇女の紫の瞳がおれをまっすぐ見据える。いかんいかん。どうもおれはあの目に弱いらしい。

「そうだね……。じゃあ、理由を話そう」

 
 アルセス皇子のそもそもの処刑の原因は、金脈の情報を持ち出したことを告発されたことだった。


 では、告発の犯人は誰だったのか。当時のルーナライナの新聞記事や公式発表から浮かび上がったのは意外にも、親セゼル派の人間だったようだ。彼らはセゼルが国を変えてくれると信じ、彼が行った、他国の息がかかった者や金脈の情報を売り渡そうとする『売国奴』を次々と発見、密告し、駆逐していった。

 当時の密告と処刑の制度はお世辞にも精度の高いものとは言えなかったらしい。白、黒、灰色があるとすれば、黒は当然処刑。灰色も基本処刑。とくに、『当人は良かれと思ってやったこと』『決定的な証拠はないがやったと思って間違いない』に対してもセゼルは徹底的な弾圧を加えた。名君でありながら、身内への冷酷さが恐れられるのはこのエピソードゆえである。

「おそらく、セゼル大帝には時間がなかったのだと思います。国内を急速に統一し、外圧をはねのけるには。だからこそ、黒と灰色は切り離し、白を己の味方とした」

 正直に言えば、これは独裁者の手口である。必要だから、仕方なかった、で容認される出来事ではない。各国の独裁者も、おおむね『仕方なく』やらかしたのだから。

 だからこそセゼルは『大帝』……親愛よりも、畏怖を持って語られる存在になったのである。

「そして彼ら『親セゼル派』の努力と勤勉の結果……。謀反の疑いありとして浮かび上がったのが、まさかの、王位継承候補、アルセス皇子だったわけです」
『アルセス皇子は日本に滞在し、採掘企業や官僚と連携をとっている。銀行とも融資を行い、金脈の横流しを企てているぞ……というわけですね。何しろ、実際に鉱脈の情報を渡すつもりだった以上。探せば疑わしい証拠は色々と出てきてしまう』
「でも、それなら!きちんと事情を説明すればよかったじゃないですか!セゼル大帝の命を受けて、ルーナライナのために計画に取り組んでいたって!」
「そうあるべきだったんだよ。でもそれは出来なかった」
「なぜ……」
「言っただろ?灰色、たとえ『当人は良かれと思ってやったこと』『決定的な証拠はない事』でもセゼル大帝は罰してきた、って。その苛烈さこそが、セゼルが支持を集めた理由でもあったんだ。それを覆しては、他の処刑された者たちの遺族たちが納得しない。だから」

 セゼル大帝は。

 自分がもっとも見込んだ後継者であっても。

 自分が与えた任務であり、無実であるとわかっていても。

「特別扱いをせず、処刑をせねばならなかった」


 ファリスは、言葉を発しなかった。

 ……おれは口にすることは出来なかったが、おそらく、これこそがセゼル大帝が苛烈な制裁を課しながら独裁者に堕ちず、名君として歴史に名を残した要因の一つであろう。どれほど正しい理由があっても、身内に例外を作っては、民は納得しない。民には民なりの正しい理由があったはずであり、それを曲げて王を支持しているのだから。

「亘理さん。…………では、アルセス兄様は、セゼル大帝を、恨んでいたのでしょうか」

 彼女の問いに、おれは直接は答えなかった。

「……数列と詩を記載したタイミングがずれているって話はしたよな。アルセス皇子がわざわざあの『詩』を新たに書き記すとしたら、それはおそらく、自らの拘禁が決まった時。処刑が避けられないとわかり、メガネの中に暗号を隠そうと思った時、だと思うよ」
「よくわからんな。そんな詩に、どんな意味があるというのだ?」
「さあね。おれだって実際のところはよくわからんよ。けどな。この詩には、本来のタンタロス王の伝説とは別に、書いた人間の主観でつけたされた箇所がある」


 おれは壁面の画像を指指した。

 それは詩の末尾。


「男が永劫の罪に問われたのは、彼が神々を試したがゆえの罰であり」
「けっして、彼が我が子を殺めたがゆえの罰ではなかったことを――」


 真凛とファリスが読み上げる。

「……国語の問題。この文章を書いた作者の心情を答えろ、というやつさ。もう答え合わせは出来ないがね。彼が父――に等しいセゼルに抱いていた感情が、多少は推測できるんじゃないかな」

 沈黙は、長く長く続いた。

『……ええい。内輪話を色々されたが、結局はもう終わった話ということだろう。さあ、交渉は成立だ。早くファリスをつれて出て行け。私はこれから忙しくなるのだ!』

 絨毯の上で毛を逆立てて膨れ上がるワンシム閣下。

「亘理さん」
「おう」
「このまま鉱脈の情報が流れば、何も変わりませんよね。金と同じようにタンタルの採掘が進み、結局皆、貧しいままです」
「そうだな」
「そうなれば。セゼル大帝も。アルセス兄様がやろうとしていたことも。――すべては無駄になってしまいますね」
「だろうな」
「亘理さん」
「おう」
「――――勇気を、貸してくれますか」
「――何のために、おれがここに来たと思う?」

 皇女が紫水晶の瞳を大きく瞠り……強く、強く頷いた。


『ワンシム叔父様』

 皇女は両の足を踏みしめ、確と面を上げた。

『な、何だ』
『私は、この『箱』の情報を諦めません。このタンタル鉱脈の情報は、貴方達には渡しません。私はこれを使い、ルーナライナに産業を呼び込み、国をもう一度立て直します』

 ワンシムは数秒あっけに取られ……そして腹を揺すって笑いだした。

『バカめ!今更お前のような小娘が吠え立てたところで誰も取り合うものか。後ろ盾もなにもないくせに』
「いやーそれがですね、実はアルセスさんが当時付き合っていた若手官僚とか企業の技術者が、今は結構それなりのポジションに昇進してるみたいなんですよね」

 おれはへらへらと笑ってみせた。

「ああ、もちろん『箱』の中身は教えていませんよ?でもルーナライナの経済問題についてはまだ懸念に思っている人が多くてね、アルセス皇子の遺志であれば協力したい、という人が結構いらっしゃったんですよねえ」
『な、何を言うか。こちらには誰がついていると思っている!私には中南海に何人も友人が――』

 語るに落ちるとはこのことである。

『なに、別に構わないんですよ。それならそれでね。日本の政府や企業が乗り出してくれば、中国も単純にタンタルを買い占めるよりも、投資という形を取るんじゃないですかね。となれば、あとは政治とビジネスの話になる。あとは資本をどんだけ投入するか、地元にどれだけカネを落とすかを話し合いで勝負すればいい。正当な皇女殿下を支援する勢力と、外戚に肩入れする勢力の争い。楽しいですね』
『き、貴様……』
「ついでに言うと、ファリスが言ってたルーナライナのSNSとやらにちょっと偽名で潜ってみたんですがね。なかなかアルセス皇子を偲ぶ人が結構多いそうじゃないですか。うん、これ実は結構、勝てる喧嘩じゃないかって気がしてるんですよねえ、おれ」
『亘理さん、まさか貴方、交渉が目的ではなく。最初から――』


「ははははやっだなあー。最初にちゃんと言ったじゃないですか」

 おれは肩をすくめて首を左右に振った。


「おれの受けた依頼は『謎を解いて』『ルーナライナの危機を救うこと』。ファリス皇女が、アルセス皇子の遺志を継ぎ、このタンタル鉱脈を以て国を立て直す。これがおれなりにひねり出した危機の解決策ですよ。如何?」


『――殺せっ!生かして帰すな!』

 激昂したワンシムが叫ぶ。

 事態は一瞬だった。

 背後の控室からワンシムの護衛が突入してくる。ファリスがこちらに向けてダイビングしてくるのを腕を引いて抱き寄せる。すれ違いざまに真凛がテーブルに飛びつき、おれと自分のソーサーとフタを手裏剣めいて放つ。護衛たちはドアを開きざまに顔面を超高速で飛来した重量感ある高級磁器で強打され、あえなく沈黙した。おれは卓上の『アル話ルド君』をレーザーポインターモードに切り替え、赤い光点をワンシムの額にびたりと固定する。

『ひっ!お、おい貴様何を』
『アクションは慎重に閣下。コイツは特注品でね、電話音楽閃光弾にスタンガン、レーザーで対象を灼くことだってできる』
『待て、待て貴様、おい』

 まあ、実際には一分光を当ててタバコに火をつける程度だが。

 だがおれ達のターンはそこまで。美玲さんが飛針をおれに向けて構え、颯真は真凛に拳を向け、背後から突入してきたMBSのスタッフたちがおれ達をぐるりと取り囲んだ。拳銃の類は所持していないようだが、どうせそれぞれ暗器だの投擲術だのの心得が在るに違いない。

 おれはソファーに座ったまま片手を挙げて、それ以上の抵抗の意志がないことを示してみせた。

「さて、どうする?次期MBS当主候補殿」

 おれはむしろ余裕を以て、颯真をみやった。

「このままおれ達を袋叩きにでもするかい?」
「どうしたものかな。交渉は合意した。お前たちは皇女を取り戻し、我々は暗号の解読結果を手に入れた。誰も何も損をしていない良き取引、というところだ。これを反故にして貴様らを嬲り倒せば侠者の看板は泥にまみれる。かといって、クライアントの意向は汲まねばならん」

 颯真が語りかけているのはおれではない。この交渉を監視している、あるいは後ほど録画を見るであろうMBSの他の面々に向けてであった。この一挙手一投足が、後の塞主に相応しいか採点されているのだろう。おれは最大限、そこにつけ込むことにした。

「だったらそうさな、侠客らしく拳で決着をつければいいんじゃないか」
「……ほう」
「真凛」
「おっけ」

 すでに気息を万全に整えていた真凛が立ち上がり、颯真に詰め寄る。

 その視線を真っ向から受け止め、微動だにしない颯真。

 クロスレンジに到達したところで両者は静止した。

「こいつが負ければ、おれ達とファリス皇女は以後『鍵』には関わらない。勝ったら、ここをおれ達はそのまま出ていく。そこの叔父さんには、MBSのメンツにかけて、すくなくとも彼女がルーナライナに戻るまでは手出しをさせない。――条件としては、そう悪くないと思うがね?」
『おい貴様、何を勝手に話を進めている!』
『すみませんねワンシムさん。お気づきでないようですから申し上げておきますが、交渉を丸投げした時点で、この場での貴方はただのウィークポイントですよ』
『そんな条件を私達が飲むと思います?』
『さあどうでしょうね。この場で決定権があるのは、実際ただ一人と思いますが?』

 おれの声は、すでに真凛と対峙する颯真の耳には届いていなかった。その目に映るは、目前の好敵手のみ。

 美玲さんに目をやる。致し方ないという風に首を振る美玲さん。

 そう、武道家二人が対峙した以上、いずれはこうなる定めだったのだ。

 空気が歪んだように思えた。

 三度目にして、最後の立ち合いが始まった。

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