秋葉原

第2話:『秋葉原ハウスシッター』13

 身を起こしたおれの事などもはや眼中に無く、直樹と『蛭』は静かに視線を交えていた。片や黒いハーフコートを着込んだ初老の男。片や、このクソ暑いと言うのにインバネスなぞ着込んだ直樹。カメラ越しに見れば十二月のシーンに見えなくも無いが、おれの周囲にまとわりつく熱気が、これは紛れも無く八月猛暑の夜なのだと訴えてくる。

「先ほど事務所に真凛君から再度電話があってな。突入してきた連中と戦闘を開始したそうだ。どうやら海鋼馬の連中らしい。第一波は問題なく撃退できたが、そろそろ第二波が来る頃だろう」

「お前なあ。毎度毎度の事ながら準備に時間かけすぎなんだよ」

 おれはぶつぶつと呟きながらズボンを払う。

 こいつは草加の笹村さんの家を出た後、一回準備をするとか言って、高田馬場の事務所まで戻っていたのだ。

「仕方があるまい。準備が必要なのは本来貴様も同様だろう」

 その出で立ちを見て、おれは一つ息をつく。

「本気ってことだな?」

「ああ。そういう事だから、貴様は早々に真凛君の所に駆けつけてやれ」

「あいつに援護が必要とは思えんがねえ」

「愛しい人を助けにゆくのは男の使命だぞ」

「そういうのを悪趣味な発言って言うんだぜ」

 おれは駆け出す。背を向けると同時に、待ちかねていたように直樹と『蛭』の戦闘が始まった。


 路地裏を抜けてダッシュすること三十秒。ここで息が上がって、そこから呼吸を整えつつさらに三十秒も歩き、ようやくマンションに戻ってきた。畜生、大学入ってからどんどん体がなまってきてやがるな。これで就職したらどうなることやら。

 エレベーターなんて怖くて使えない。オートロックを突破したらそのまま階段をかけあがる。ようやくお目当ての階にたどり着いた。

「真凛、大丈――」

 おれの声なんぞ遮って響き渡るけたたましい音。ドアを突破って吹っ飛んできた宅配便の制服の巨体がおれにぶつかってくる。受け止めてやる義理はないので身をかわすと、哀れ、その体は廊下の柵を越えて下へ落ちていった。ま、身体は頑丈そうだし、一階は植え込みだし。死にはしないだろう。

「戻ってくるまでもなかったかね」

 部屋の中を覗き込む。見事なものだった。スイカの生い茂る部屋の中、キレイにプランターを避けて八人ほどの男がノびている。本来三人居れば狭いはずの部屋に、パズルをはめ込むように倒れ方をしていた様は芸術的ですらあった。その中央に仁王立ちするのはうちのアシスタント。それにしても管理人さんには何と言えばいいのやら。

「とりあえず全員片付けたよ。でも、話に聞いていたコートの人はいないみたいだね」

「ああ。あいつは直樹と交戦中だ」

「えええっ!?何でこっちに回してくれないんだよお!」

「こっちに来る途中を襲われたんだ。おれに文句を言うな」

 真凛ががっくりと肩を落す。

「ううう。ボクは何をやっていたんだろう」

「なあに。きちんと任務を果したのだから全く問題は無い」

 おれはザックの中からガムテープを取り出した。ノされた連中を見やってため息をつく。男を縛り上げるのはあまり興が乗らないなあ。

「しかしま、連中時間が無いと踏んでなりふり構わなくなりやがったな」

「結局、相手の狙いはわかったの?」

「まあな」

 後でコイツにも話してやるとしよう。直樹が『蛭』に負けるとは思えんし、おれの仕事もとりあえずこれで終わりだ。思わぬ大事になったが、まあ大した仕事もせずにすんだし、結果としては良かったと言うコトにしておこう。真凛にもガムテープを放り、二人して縛り上げては玄関に放り出していく。

 と。視界の端に、小さな光がまたたいた。

 ――おれがそのマズルフラッシュに気付けたのは、完全に偶然だった。外が月夜でなければ、注視しても夜闇以外の何も見つけることは出来なかっただろう。向かいのビルのさらに奥、一際高いビル、こちらから見て丁度二階分ほど高い位置に潜んでいた海鋼馬のメンバーが、仲間を巻き添えにする覚悟で攻撃を仕掛けてきたのだ。わずかに弧を描きつつ降り注ぐ、かつて見たことのあるモノ。再び思考が加速する。それはつまり。

「HK69……グレネードランチャー!!」

 正気かよ。マンションごと吹き飛ばすつもりか!?

 すでに真凛も反応している。気付けばその反応はすぐにおれを追い抜く。今すぐ全力で脱出すれば自分は間に合うかもしれない。

 だが。

 ここは部屋、今から逃げても恐らく間に合わない。自分とおれだけなら何とかなるかもしれないが、ここにはノびた連中と、スイカがある。ましてや何も知らない隣の住民はどうなるというのか。そう考えたのだろう。そしてその迷いが、致命的な初動の遅れを招いた。

 もう、この部屋の人間は誰一人マトモにはすまない。

 ちっ。

 あーあ。結局こうなるのかよ。加速する思考。無限に引き延ばされてゆく時間の中、おれはしぶしぶ脳裏の引出しを開けて、『鍵』を引っ張り出す。刻まれたバイパスに思考の電流が弾け、灼けつく。おれは『鍵』を放る。意識はトーンダウン。俺は鍵を受け取り施錠。閉じた扉ごとその存在をバックヤードに押しやる。

 さて。

 闇夜の中、すでにその形状すら把握できるほどの距離に迫った榴弾を俺は一瞥する。

 始めるとするか。

『亘理陽司の』

 鍵を掛ける。イメージするのはそれである。

 誰でも考えることだ。あの時、ああしていれば。

 あの時、ああしなければ。あの時、あれさえなければ。

 あの時、あれがあったら。今はもっと違っていたのに。

 人は生まれたときより無数の判断を経て現在に到る。それらが全て正しい判断だったと断定できる人間はいない。何故ならば、選ばれることの無かった選択肢は永遠のブラックボックスと化して、二度とその結果を確かめることは出来ないからだ。

 雨の日に、駅へ行くときに右の道を行ったら車に水を引っ掛けられた。これは不幸かもしれない。しかし左の道を行っていたらどうだったのか。何事もなく駅にたどり着けたのか。あるいは車にはねられて重症を負っていたのか?同じ日を二度経験することの無い人間には確認のしようが無い事象だ。

 それを運命、と言う人もいる。個々人の選択、外的な要因によって一瞬から無限に分岐し、無限からさらにまた無限の選択肢が広がる果てしの無いツリー構造。その中から選び取られるたった一つの選択肢こそが、運命なのだと。

 しかし、その中で与えられる選択肢にはすべて『因果』が存在する。

 世界には『原因』によって『行動』がなされ『結果』が生まれる。『結果』は新たな『原因』となり、次の『行動』を産む。雨の日に右の道を選んだのは、アスファルト舗装の右の方が砂利道の左より歩きやすいと判断したから。歩きやすい方を選択した理由は、前日に足に小さなケガをしていたから。人間の『判断』などその瞬間の外的な要因と己の現在の状態を引数として、答えを出力する一つの関数に過ぎず、それは選択ではなくて必然なのだ。

『視界において』

 鍵を掛ける。イメージするのはそれである。

 ならば。

 この世全ての『原因』を把握することが出来れば、次の『結果』を完璧に導き出すことが出来る。ならばそれは次の『原因』となり……。これを繰り返すことで未来を導き出す事が可能なのではないか。かつてそんな思想が流行したことがあった。

 これが『ラプラスの悪魔』だ。人間の脳にめぐらされたニューロンとその中を流れる電流すら計算し尽くし、感情や精神すらも式に置換し結果を予測せん。

 それは、果てしの無い無駄な作業なのだと思う。仮にもし。その行為が実ったとして。計算者に与えられるのは変化など起こり様の無い未来なのだ。それでは意味は無い。研究とは実益をもたらすものでなければならない。結局、後の世では混沌と揺らぎが生み出す事実上予測不能の世界がラプラスの悪魔を追い払った。だが、そんなものは人々は最初からあり得ないと判っていたし、彼らとてとっくに気付いてはいたのだ。

 彼らは思った。ラプラスの悪魔が存在しない以上、『結果』とは無数の選択肢から無数に派生する予測不可能なものである。選択肢が二つあれば、二つの未来が存在する。無限の選択肢があれば、無限の未来が存在する。当然のことだ。だからこそ人は欲望や目標に向かい足掻くのだ。

 しかし。それでは望むものにたどり着けないかもしれない。それもまた当然のことだ。

 ならば。

 無限の未来の中から、己の望むものへ突き進むのではなく。

 無限の未来の中から、己の気に入らないものを切り捨ててしまえばどうだろう?

『あらゆる類の』

 鍵を掛ける。イメージするのはそれである。

 望み得る事象を実現するために、無限の分岐へ鍵をかけてまわる。ハズレの道がすべてふさがれてしまったのなら、あとはどんなに複雑な分岐でも、開いている扉だけを選んでゆけば必ず正解にたどり着くのだ。

 手持ちの鍵の数はそんなに多くは無い。あまりに広すぎる事象、長すぎる時間を留めるのは亘理陽司に過度の負担がかかる。乗せられる単語の数は、限定性の高いものを十がやっと、というところか。我が師より受け継ぎしはただ一つの鍵。これによりて亘理陽司は世界すべての干渉を無価値とし、己の意に適う回答が出るまで物理法則を切り捨て続ける。

『爆発を禁ずる』

 割れた窓から飛び込んできた榴弾は、重い音を一つ立てて床に転がった。

「愚か者め。近代兵器など不発を前提として戦闘するものだ」

 俺は悪意を込めて、そびえる塔の向こう、兵士に声をかけてやった。当然聞こえるはずも無いが、明らかに兵士はうろたえていた。それはそうだ。戦争ならまだしも、入念に準備を行った初弾が不発等という確率は、

「~~ああ痛え。『あらゆる』、なんて景気のいい単語を乗せるなよなっとに」

 ぼやくおれの横を、疾風と化した真凛が走り抜ける。突進の速度をまったく殺さず掬い上げた榴弾を、ホレボレするほど力感溢れるオーバースローで振りぬく。報復の弾丸は五十メート以上の距離を先ほどとは逆の軌道を描いて見事、射手に命中した。たまらず崩れ落ちる射手。

「よっし、当たり!」

「当てるのは得意なんだよな、お前」

 ってかさっきは、『爆発しない』と設定しただけで、完全に不発になったかどうかはわからなかったのだが。まあ、言わぬが花と言うものだろう。

 おれはガラスの割れたベランダに歩み寄り、千代田区の町を見下ろす。そう遠く離れてはいないところで、もう一組の戦いは続いているはずだった。

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