壱番街

第7話:『壱番街サーベイヤー』25

 ――セゼル大帝は晩年にこう言ったそうです。”極東の地に在りし、うずもれたもう一つの数列。『鍵』と『箱』を揃えたとき、失われし我らの最後の鉱脈が示される”と――

「そのはず、なんだがなあ」

 ――事務所のバイト用机に無骨な作業用PCを広げ、おれは唸った。すでに日付も変わろうかという時刻だが、とりあえずお疲れ様でした続きはまた明日から、などとほざく気分には微塵もなれず、おれは今できることを進めるしかなかった。

 見つけ出した『箱』と皇女をかっさらわれたという弁解のしようもない失態を挽回する手は一つ。すなわち、『箱』を解読し、ファリスが探し求めていた金脈の位置を、MBSやその雇い主に先んじて見つけ出し、交渉に持ち込むこと。

 ファリス自身が持ち込んだ『鍵』となる数列は、初日の時点ですでに羽美さんのマシンに取り込み済み。そして奪われる前に撮影しておいた、アルセス王子の残したもうひとつの『箱』も、画像解析によって数列としての取り込みが完了している。『鍵』と『箱』が揃っている以上、RSA暗号のしかるべき数式に投入すれば、自ずと復号され結果が判明する。

 ――そんなおれの目論見は、あっさり覆される羽目になった。

「亘理氏、数字をずらしてみたりとか、桁を組み替えてみたりとか、ざっと思いつくパターンは試してみたが、やはり解読はできんぞ」

 隣の石動研究室から羽美さんが顔を出す。おれの要請に答え、彼女もまた、徹夜覚悟で付き合ってくれているのだった。

 そう、二つの数列を合わせてみても、暗号はなぜか解けなかったのである。いくつかの理由が考えられた。たとえば、『箱』が他人に渡っても簡単に解読できないよう、ずらして記載されている可能性がある。本当の暗号が『1527』なら、紙には1字ずらして『2638』、あるいは逆から『7251』と記載しておく、などの手段だ。夕方から羽美さんとAIの力を借りて総当たりで解読を試みているのだが、結果は芳しくなかった。

「あまり複雑な手続きを設定してしまえば、『箱』を解く『鍵』がさらに必要になってしまいます。何らかの計算を必要とするにしても、今度はその計算結果を記した紙が残り、情報隠蔽のリスクになる。アルセス王子がセゼル大帝の日々の通信に用いていたのであれば、手の混んだものにはならない、暗算で済む程度の処置だったはずですが……」

 ファリスの『鍵』が間違っていたのか。あるいはアルセスの『箱』に不備があったのか。羽美さんの解析の傍ら、これまでの経過を振り返ってみるが、打開策を見いだせなかった。

「ああ~~くそっ!今回はどうも後手後手に回っているなあ!」

 それだけMBS側の打つ手が的確で、出し抜くチャンスがないということでもある。テイクアウトの牛丼に手を付ける気にもなれず、缶コーヒーを流し込むと、おれは椅子の上で胡座をかいて頭をかきむしった。

「足りない頭を煮詰めても焦げ付くだけだぞ亘理氏。外で気分転換するなり、シャワーでも浴びてきたらどうだ」
「そうは言いましても……」
「こう言ってはなんだが、不幸中の幸いでもある。小生が解析できんのに、MBSの連中に先を越されているとも思えん。金脈の在り処がわからぬ以上、皇女の身に危害が及ぶこともなかろう」

 相手に合理的な判断力があればそうだろう。だが、あの『南山大王』を雇うような奴だ。個人的な感情を優先させてファリスに危害を加える可能性も十分ありうる。おれは羽美さんのメインフレームとリンクした自分のノートPCに、おれなりに思いつく限りの解読方法を打ち込み続けた。

「……やれやれ。やはり気分転換をしたほうがいいぞ。二人揃って云々唸られていても、こちらの気が散るだけだ」
「二人?」

 言われてはじめて気がついた。隅っこの方で体育座りをして鬱々と何やらつぶやいている真凛に。

「お前、まだ帰ってなかったのかよ。門限が厳しいんだ、そこは割り切って、とりあえずお疲れ様でした続きはまた明日から、って感じで……」

 いけるはずもないか。決してあいつのせいではないのだが、自分が催眠術にひっかかってファリス王女を捕まえて敵に差し出した、となれば自責の念もひとしおだ。

 いつもなら転げ回って後悔しているところ、どうやらさらに一段階悪化しているようで、壁の模様を見つめながら「無能者め」「技が鈍い。あと一拍削れた」「会話をしようと思ったのが間違いだった。まず初手で目を抉るべきだった」などと、物騒なひとり反省会を声出ししながら脳内で繰り広げているのだった。

「暗号が解けないなら、せめてセゼルの思考が読めればな……」

 倉庫でアルセスの隠した『箱』を見つけたように、モノを隠したときの人間の心理がトレースできればある程度の絞り込みはできる。だが、ほとんど歴史上の人物として生き、すでに数年前にこの世を去った異国の人物の心理を洞察するのはさすがに不可能だった。

「そもそも!そもそもぜんぶセゼルさんが悪いんじゃないか!」

 突如なにかのスイッチが入ったかのように、真凛が叫ぶ。

「うおい、どうした急に」
「アルセスさんって、ファリスさんの話からして、優しいいい人だったんでしょ?そういう人を捕まえて処刑しておいて、なんで今さらその人が残した『箱』なんて探させるのさ。いっそ最初から全部掘り出しとけば、ファリスさんがこんな目に合うはずもなかったのに」
「いい人だからって、国の機密を国外に漏らせばそりゃ犯罪だからな……」

 それに金脈が掘り出されていれば、ファリスが日本に派遣されることはなかっただろうが、ルーナライナの資金は枯渇し、国として詰んでいたことだろう。

 セゼルが何を考えていたのかがわからない、か。

 おれはため息をついた。わからないといえば、『箱』の裏側に書いてあった妙に長い詩の意味も不明だった。一応、内容の推測は出来ているが、その意図がさっぱりわからない。『箱』をさらに解読するための『鍵』かと思いソフトで解析をかけてみてはいるが、結果はさっぱりだった。

「それにアルセスさんのことだってわからないことが多すぎるよ。いい人だったのに、なんで国の情報を売ろうとしたのさ」
「そりゃあ、単純にカネに目がくらんだか、彼は彼なりの思うところがあって金脈の情報を――」

 待て。

 よく考えろ。

 ループしていたおれの思考回路に亀裂が走り、新たな方向へと展開する。

 必要なのは、暗号の解読じゃない。これまで先送りにしていた疑問への回答だ。

 セゼル大帝は、虎の子の金脈の情報を後継者候補であるアルセスに教えた。だがアルセスはそれを漏らそうとした罪で捕らえられ、処刑された。ならば、そもそも。

「羽美さん、ちょっとメインフレーム借りますね」

 作業用PCからLANを介して解析ソフトを立ち上げ、おれは二つの数列を投入した。

 
 
 解析ソフトは……あっさりと、解読結果を吐き出した。
 

 
「陽司、これ……!!」
「はっはっは、なるほど、これは一本取られたものだ。いやいや電算任せの力技では解けんわけだ」
「羽美さん、この数字、関連データと照合できます?」
「もともと答えが出たときに備えて紐づけてある。自動で出来とるよ。ほれ」
「…………わかりました。ええ、わかりましたよ、すべて」

 ディスプレイに映し出された解析結果を、おれは脳裏に収めた。

「……さてと」

 おもむろに立ち上がり、背伸び。ラジオ体操でこわばった関節をほぐすと、冷めきった牛丼を給湯室のレンジに放り込む。

 立ち上がりざまに、画面の前で固まっているアシスタントに声をかけた。

「真凛、タクシー呼んでやるから今夜はもう帰って寝ろ」

 おれの命令に、真凛は逆らわなかった。

「……了解。ちゃんと食べてお風呂入って寝る。で、集合は?」

 ふふん、わかってきたじゃないか。

「そうさな、学校終わってからでいいぞ。午後三時に、またここで」

 お泊り用の洗面キットを机の引き出しから引っ張り出す。そう、飯を食って、風呂に入って、十分な睡眠を取る必要がある。何しろ。

「気合入れろよ?明日はそのまま横浜、MBSの本拠地に殴り込みだからな」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?