壱番街

第7話:『壱番街サーベイヤー』20

「久しぶりに来たが、やっぱり雰囲気が違うよなあ」

 明けて翌日。陽はすでに頂点を過ぎている。とにかく多事多忙だった昨日の疲れを癒やすため、おれ達は午前をまるまる休みにあてて、活動開始は午後からとしたのだった。

「私は正直、こちらの方が落ち着きます。今まで日本の大学は、こういうものだとイメージしていました」

 興味深げに紫の瞳であたりを見渡すファリス・シィ・カラーティ皇女殿下。

「確かに、昨日のキャンパスとはちょっと空気が違うかな?」

 授業を終えた後合流した七瀬真凛が問う。ちなみに真凛は、ご母堂の『極めるものは一つで十分』なる教育方針に従い、部活動の類いには参加していない。時々弱小運動部の試合の助っ人に参加する程度である。放課後の時間が取れることは実に結構だが、果たしてこれでいいのだろうか。――おれが言えた義理ではないが。

 相盟大学、理工学部キャンパス。昨日訪問した留学生センターとは少し離れた場所に位置し、運動公園に隣接した敷地の中、無骨なコンクリート製のビルディングが数棟突っ立っている。その中心には石畳を敷いた広場があり、学生が思い思いに過ごしている中、おれ達は研究棟に向かって歩いていた。学生達の雰囲気も基本的に違いはないが、ファッションに無頓着な者が多かったり、大人数で騒ぐよりも少人数で話し込んでいたり……良くも悪くもオタクっぽい、と評すべきだろうか。

「ま、どっちの連中も酒飲んじまえばおんなじなんだけどねえ」

 仕事や学内での用事の関係で、どちらにも交流があるおれとしては、あまり文系理系で優劣をつけたり対立を煽ったりする気にはなれない。結局は各人が与えられた環境で何をするかだ。

「……ただまあ、積極的に声をかけてくる奴が少ないのは助かる」
「それはちょっと残念です。せっかくキャンパスに来たのですから、ぜひ先輩方と授業の内容や学校についてお話を聞いてみたかったのですが」
「うーん、それはまた後でねー」

 周囲から向けられる視線を努めて無視しておれはのたまった。皇女殿下は昨日アクションに巻き込まれた反省を踏まえ、今日はシンプルで活動的なパンツスタイルに来音さんから借りたコートとハンドバックをあわせて、年頃の少女ながら大人びた秋の装いといった体であらせられる。

 帽子とサングラスはやめにして、アンダーリムの眼鏡を整った鼻に乗せて私物であるルーナライナ織りのスカーフで銀髪を纏めており、野暮ったさは消え失せたが、おかげで非の打ち所のないミステリアスな銀髪の美少女が爆誕してしまい、人目を引くことこの上なかった。

「……しかしだなファリス、昨日の酒は大丈夫だったのか?」
「ハイ!正直眠れないのではと不安だったのですが、就寝の前に桜庭さんから頂いたお薬とアロマのおかげで熟睡できました。時差ボケも飛行機旅の疲れも吹き飛びました」
「……若いっていいなあ」

 ってか変なもん薬に混ぜてないだろうな、桜庭さん。

 昨日のファリス皇女歓迎会はたいそう盛り上がった。ドラッグストアで買い込んだ発泡酒とおつまみとケータリングのチキン類を事務所に持ち込んだだけのものだったが、奇跡的に事務所メンバーが全員集まったため、ずいぶんとひどいことになったのである。

「陽司!やっぱりボクが帰った後ファリスさんにお酒飲ませたの!?」
「一度は休んでもらったんだがなあ。桜庭さんが地下からワインを持ち出したんで」
「ファリスさん未成年なんだからお酒だめだって言ったのはアンタじゃない!」

「まぁそういうな。ルーナライナでは酒は十七歳から飲んでよいのだそうだ。王族とは実質的に外交官、しからばこれは外交官特権が暫定的に随時適用されているようなもの、皇女殿下にわざわざ日本のつまらぬ規制を当てはめる必要はあるまいよ」
「よくわからないけど、アンタが屁理屈を言ってるって事はわかるよ」
「それになおまえ、ファリス皇女殿下の肝臓はな……」
「亘理さん、昨日の勝負については、後日余計なことはおっしゃらないと約束していただいたはずですよ」
「ハイ」

 まばゆい笑みに、酔った勢いで始めた飲み比べで無様に撃沈した間抜けは引きつった笑顔で応じる。くそっ、途中で焼酎とビールをちゃんぽんしていなければここまで無様な負けはさらさなかったというに。

 ちなみに直樹は悪酔いしたあげく自前のノートPCでカラオケソフトを走らせダウンロードした最新アニソン(PVつき)を歌い出し、連続で六曲まで歌ったところで来音さんにしめやかに超人絞殺刑に処されて昏倒した。

 羽美さんはここぞとばかりに特撮ヒーローに影響を受けて作成した怪しげなガジェットを宙に飛ばし大顰蹙を買い、仁サンはビキニパンツ一丁になって鉄板の宴会芸の分身ボディービルで受けを取った後、さらなる高みを目指しパンツも脱ぎ捨てようとしたところで青少年への悪影響を懸念したチーフの魔術で次元の狭間に放り込まれた。

 そのチーフは手を滑らせて床に灰を落としてしまい、桜庭さんの笑みに屈して外階段でさみしく火を灯すホタル族と化し、来音さんはこれまた悪酔いして泣きながら延々と恋愛論という名のダメンズ遍歴を語り、それに二時間つきあった所長が開き直って生き残りを連れて夜の町へと二次会に出撃することでようやくカオスは収束を見た。

「えぇー、なんかみんな楽しそうじゃない。ボクも残ってればよかったかな」
「私も、真凛さんとはいつか一緒にお酒を飲んでみたいですね」
「はははー絶対ダメ!です」
「まあそりゃあ、お酒はまだダメだってわかってるけどさあ」

 こいつの酒癖は人としても武道家としても最低最悪の部類である。何しろ酔っ払うと他人に技をかけたくなってたまらなくなるのだ。

 いつぞやの忘年会でおれは危うく因幡の白ウサギめいて背中の皮を剥がれて泣きながら布団にくるまって眠る羽目になるところだった。こいつが成人した後、いつか将来酒で深刻な問題をやらかさないか、おれはひたすらに不安である。

「ってかおまえこそ、途中で帰ったけど、無事に家につけたんだろうな?」
「へ?」
「そう、来音さんも心配されてました。真凛さんは無事に帰れたのかと」
「あ、その、うんもちろん帰れたよ。ちゃんと学校にも遅刻しなかったし」
「ま、地下鉄で一本だし、無事につけなきゃ困るんだが」
「うん。無事無事。なんにもなかったよ」

 それならいいが。傷害事件だけは勘弁してほしいものである。

「さて、研究棟についたぞ」

 おれは受付に学生証をかざし、アポを取っていることを告げた。

「やあ亘理君。よく来てくれたねえ」
「お久しぶりっす、斯波……えーっと、今は教授ですよね」

 白衣に黒縁の眼鏡、四十代後半という年齢以上に後退した額の人物がおれ達を迎える。

「おかげさまでね。無事論文も認められて教授の資格を得ることが出来たよ。君には感謝してもしたりない」
「まーわかりやすいほど雑なコピペでしたからねえ」
「君みたいに簡単に見抜いてくれる人がもっと多ければ助かるんだけどね」

 この御仁、せっかく書きあげた論文を盗用され、しかも先に発表されてしまうと言う被害に遭ったことがある。事務所でバイトを始めたばかりのおれに、人脈があるという理由で調査依頼がまわり、なんとか盗作を証明したという経緯があったりしたのだ。

「なんにしても、これでやっと恩が返せる。研究室のみんなには話を通しておいたからね」
「ありがとうございます。ってか、恩とかそういうのはなしでお願いします。おれが手伝ったのも仕事なんで。報酬ももらってますし」
「まあそう言わないで。君が盗作を証明してくれなかったら、僕は教授どころか学校にも残れなかったんだから。個人的な感謝の念と思ってくれ」

 ついてくるように促し、鍵をぶら下げたまま踵を返す斯波教授。おれ達は礼を言い、階段を上ってゆく。


 
「前から思ってたけどアンタ、結構顔広いんだねえ」

 後に続く真凛が仏頂面で声をかける。

「そうか?」
「だってあの人、先生なんでしょ?」
「ふむ」

 高校生の真凛にしてみれば、教師とは生徒にものを教える側の存在で、互角の立場で話をするというのは違和感があるのかも知れない。

「大学になれば卒業した先輩がそのまま教える側になるってのもそう珍しくはないからなあ。仕事で会えば単純に元依頼人と担当者だし。後は何かの折に時々連絡を取り合うようにしてると、自然とつながりが生まれる。そんなところだ」
「へえ~、でもなんか先生と仲良くなると、宿題増やされそうじゃない?」

 オマエにとって先生とは会話するたび宿題を押しつけてくるものでしかないのか。

「ふふん、それよりテストの傾向とかを教えてくれるから楽になるかもしれんぞ……ってぇか、普通におまえのところの学校の先生方とも時々話してるからな」
「えっ」

 真凛の顔が凍り付く。実は以前、おれは真凛の通う学校内での調査のため、事務員見習いとして潜入したことがある。その時先生方の何人かとはそれなりに交流を持ったりもしたのである。

「オマエの成績についても色々聞いてるぞ。秋の中間試験、とくに英語の成績がさんざんだったそうじゃあないか。こないだ若松先生から相談を受けたんだからな。常々言ってるだろう、この仕事に注力するのはいいが、本分である勉強をおろそかには――」
「あーっ!見えてきたよ、あれが研究室かなあ?」

 露骨に話をそらす真凛。まったくどこでそんな手管を学んでくるのやら。

 
 相盟大学理工学部、研究棟A-301、斯波研究室。そこが目的の場所だった。ドアを開けると数人の院生が物珍しげにこちらに視線を向けてきたが、斯波教授が軽く挨拶をすると、見学希望の学生かと思ったのだろう、それ以上詮索はしてこなかった。

「ここが、研究室なのですね」

 皇女がややうわずった声でつぶやいた。壁際には整然と並べられた机とPC、中央には巨大な黒い天板の机……いわゆる実験台。その隣には高価そうな何かの試験装置とおぼしき巨大な機械がいくつも設置され、低い音を立てて稼働しながら液晶ディスプレイ上に数字を吐き出し続けていた。

 部屋の半分は通常の教室同様コンクリートの打ちっ放しだが、残り半分は透明なシートで仕切られており、その中で動く人々はみな白衣と帽子と手袋で全身を覆っている。ゴミや塵の侵入を嫌うクリーンルームという奴だ。

「……なんか学校の理科室みたいだね」
「そりゃまさしく”学校”の、”理科室”だからな」

 もっとも、中の設備で言えば高校の理科室とは比べものにならない。ここに入っている機械一つで一千万円を超えるものも珍しくないだろう。

「すみません、こちらの機械は何に使われるのでしょうか?」
「え、ええっと、それはウェハーの測定に使用するもので……」
「ではこちらの大きな機械は?」
「そちらはメモリのテストを行う奴ですけど、」
「もしやフラッシュメモリも評価できるタイプでしょうか?」
「あ、はい。最近設備更新した奴なんで……」
「一回あたりのテスト時間と同時測定個数はいくつなのでしょうか?」

 院生のひとりを捕まえてもの珍しげに質問しまくる皇女様。昨日からちょっと思っていたのだが、どうやらこのお姫様機械に詳しい、というかこちらを専攻希望している模様だ。会話を続けるうちに単語がどんどん専門的になり、おれもついていけなくなってしまった。

 というか質問された院生の方は、銀髪の美少女から質問攻めにされるというゲームでもまずないシチュエーションにすっかり舞い上がってしまい、結構致命的な機密っぽい情報もぺらぺらしゃべってしまっているような気がするのだが、大丈夫であろうか。

 来週の今頃、キャンパス内がどんな噂で持ちきりになっているか、おれは容易に想像することが出来た。この任務が終わったら、しばらくこっちのキャンバスに顔を出すのは控えた方がいいか。

「ってか、教授の専門は半導体なんですよね」
「そうそう。ざっくり言えば、省エネCPUの開発がメイン。まーあれだよ。陶芸家みたいなもの。焼き方とか、何をまぜるとか、何度で焼くとか、そんなことばかりやってるの」

 のほほんと答えるが、この人の提唱した理論は次々世代CPUの基礎開発にあたって業界に相当なインパクトを与えたらしく、某大手半導体メーカーとの共同研究も始まっているとかいないとか。

 深呼吸を一つ。皇女の質問攻めが一段落したところでおれは切り出した。

「さて、ファリス。そろそろ本題に入ろうか」
「…………はい」

 今までのはしゃいだ様子が鳴りを潜め、表情に陰が落ちる。昨日の寮での、あの新聞記事を読み上げるような無機質な会話が思い出されたが、今日は彼女の顔にそれ以上の変化はないようだった。

「うん。アルセス王子のことだよね」
「彼はここの――正確には、僕が受け継ぐ前の、この研究室に所属していたんだ」

 先述の通り、斯波先生が教授になったのはつい最近のこと。教授への昇進にあたり、丁度恩師に当たる老教授が定年を迎えていたため、最後の愛弟子として指名を受けてこの研究室を譲り受けたのだという。アルセス王子は、その定年となった先代教授の教え子だったそうだ。

「こちらでのアルセス王子は、どんな方だったのでしょうか」
「実は僕も直接は会ったことがないんだ。彼が在学していた間、僕は別の大学で准教をつとめいたし……彼はそう長く在学していたわけではないからね」

 言葉を濁す斯波教授。その後のアルセスの運命については、多少は耳にしているのだろう。

「そう、ですか」
「ただ、彼と面識のあった後輩からの又聞きだけど、大変熱心に研究に打ち込んでいた人だったらしいよ。それでいてまじめ一辺倒ということもなく、ユーモアのある人気者だったらしい」
「研究室にこもりきり、というわけではなかったんですね」
「それどころか、様々な企業や役所の人と頻繁に食事や会合をしてたらしいよ。将来、母国に戻ったときのためのパイプ作りだって言ってたそうだ。後輩の中には、その食事会に同席したことがきっかけで就職が決まった奴もいたりして、アルセスさんを一生の恩人と思う奴も多かったらしい。……そいつらは、アルセスさんが帰国後に亡くなった事が信じられない、と言っていたよ」
「企業や官庁との接触、ね……」

 それが後に、金鉱脈の情報の流出、そして処刑へとつながる。アルセス王子。時期王の座に最も近いところにありながら、王を裏切った男。彼の目的は、いったいどこにあったのだろうか。

「そうそう。教授のテーマは半導体ですけど、アルセス王子個人はいったい、何を専門に研究していたんですか?」
「ああ。コンデンサだそうだよ」
「コンデンサ?ってええっと、アキバの電子部品屋で売ってるような筒みたいなちっちゃい部品ですよね。こちらの研究とはちょっと毛色が違うような気が」
「ああいえ、亘理さん。コンデンサの中には半導体を使用してるものも多々あります。こちらで研究されている製造技術とは、かなり共通するものがあると思いますよ」

 そのコメントは教授ではなく、ファリスのものだった。

「えーっと、もしかしてファリス、こういうの詳しい?」
「あ。……はい。結構、機械いじりとか楽しくて……」

 ふぅん。そりゃぜひ詳しく聞いてみたいところだ。

「アルセス王子のテーマはシンプルだが王道、品質のよいコンデンサの量産だったね。そういう意味ではメーカーの人とも共通するものが多かったんだろうなあ」

 砂漠の国の王子にして、電子部品の研究者。すでに故人となっている王子の姿は、おれの脳内で二転三転し、明確な像を結ぼうとはしなかった。

「でですね。その、アルセスさんの荷物をこちらで預かっていると伺ったのですが」

 おれは話を進める。ここで想像にふけっているわけにはいかないのだ。

「ああ。昨日のうちに色々電話して確認したんだけど、さっきの後輩達が、寮からアルセスの荷物を引き取っていたんだそうだ。いつか戻ってきたら、って思ってずっと保管していたんだけど、ほら、ああいうことになったから……。それで処分するわけにもいかず、そのうち彼らも卒業してしまってね。手つかずの状態で研究室の倉庫に保管したままになっていたんだそうだよ」
「では、では今もここに?」

 逸る皇女の問いに、教授は首を振った。

「ここから丁度キャンバスの反対側、隅っこに古い共用の倉庫があってね。そこに使っていない資材とか古い資料とかがまとめて積んであるんだ」
「ああ、あそこでしたか」

 おれはその場所に心当たりがあった。たしか年に一度、学祭の時に使うテントなんかもそこに放り込まれていたはずだ。

「鍵は借りてきておいたよ。倉庫の奥の方、『斯波研』て札があるスペースが僕らの置き場になっている。前の研究室から丸々引き継いだから、たぶん底の方に眠っているはずだ」
「ありがとうございます、忙しいところ」
「なに、それこそお互い様さ。頑張ってね」

 おれは昭和製と思われる古くさい南京錠の鍵を受け取り、硬い面持ちの皇女を振り返った。

「んじゃあ、そこに行ってみますか」

 皇女は不安げに、だがしっかりと首を縦に振った。

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