秋葉原

第2話:『秋葉原ハウスシッター』15【完】

「それで、結局特許は承認されたんすか?」

 受け取った封筒の感触に頬をほころばせつつ、おれは問うた。一任務終わるごとに即時現金で報酬が支給されることは、うちの事務所の数少ない長所の一つだ。迂闊に月末払いにでもされると、報酬を受け取らないうちに餓死しかねない連中も何人か所属しているので、自然とこうなったようだ。

 明日からいよいよ世間様はお盆である。ニュースでは帰省ラッシュによる新幹線乗車率がどうの、成田空港の利用者は何万人だのといった情報が垂れ流されている。二十四時間体制でろくでもない仕事を引き受けるうちの事務所も、大きな仕事もないため明日からはしばらく事務所を閉めて日本の風習に倣うこととなるのだ。

 メンバー達はほとんどが休みを取っており、所長とおれと直樹と真凛だけがただいま事務所に残っている。直樹は盆になにやら大きなイベントがあるとかで、おれは純粋に生活資金が枯渇しているので、両者とも今日までに任務の報酬を受け取っておく必要があった。真凛はこの後すぐに家に帰って盆の準備をするのだとか。渦巻く外気温は引き続き絶賛上昇中、直樹なんぞはさすがにこのままでは日光で消滅しかねんと判断したのか、逆にサマーコートを羽織っての出勤だ。

「はいこれ。一昨日の日経産業新聞」

 応接室の雑誌ラックから所長が取り出した新聞を受け取り、ぱらぱらと広げてみる。紙面の後ろの方、衣食住あたりの企業まわりの情報を紹介する欄の片隅に、おれは小さな記事を見つけることができた。

「『クランビール、新種のスイカを登録。低温、少量の水での栽培が可能、国際協力活動への展開も』……なるほどね」

 その後には、この苗が今後数件の提携農家によって試験的に栽培される旨の記事が続いていた。

「ふむ。どうやらうまくいったようだな」

 おれが置いていったあの荷物の梱包を終え、戻ってきた直樹が言う。

 公式に登録された事により、もはやうちの業界が暗躍する余地はなくなった。ムリにでも苗に危害を加えようとすれば、確実に痕跡は残る。そうなれば当然調査はされるだろうし、関与が判明すれば外交上の交渉カードにすらなりえる。証拠を隠滅して力技で口を拭うという方法を取るにはあまりにもリスクが高い。ステージはすでに、次の段階へと移ったということだ。

「そ・れ・で・ね」

 所長が満面の笑みを浮かべる。あ、珍しく邪悪じゃない普通の笑みだ。

「……なんかヘンなこと考えなかった?」

「イエイエメッソウモゴザイマセン」

 所長はじろりとおれを一瞥したあと、気を取り直して流し台に向かう。そこには冷水が貯められており、そこに浮かぶは、

「じゃーん!笹村氏からの差し入れよ~!」

 おれたちが守り通した、緑に黒の縞も鮮やかなあのスイカだった。

「うわ、大っきいなあ~」 

 真凛が感嘆の声を上げる。

「日本に滞在して長いつもりだが……。これほどのものは始めて見るな」

「今回の報酬のおまけで、ぜひ食べてくれってね。君たちが来るのに朝から冷やしておいてやったのよ。感謝しなさい」

 湧き上がる喜びの声。さっそく食べよう、そうしよう、なんて言葉が飛び交う。

 何となく、おれの脳裏に一つの風景が浮かぶ。果てしなく続く荒涼とした砂漠。そこにぽつぽつと植えられていくスイカたち。しかし、そこには二人居るべきはずなのにもう一人しか居ない。それは少し、悲しい風景なのかもしれない。

「そうでもないんじゃない?」

 おれの思考を読んだかのごとく、所長が意味ありげにコメントする。おれはその意図を読み取り、新聞の記事を再度読み進めていった。記事の末尾に、それは載っていた。

「何と書いてあるのだ?」

「『……本件の登録商標は『瑞恵』。開発者である笹村氏の命名である』だとさ」

 瑞々しき恵み。不毛の地へ実りをもたらす種、か。

「ははあ。名前はもう決めてあったってわけだね」

 笹村氏がどんな顔をしてこの名前を登録したのか。想像するうちに、次第におれは爽快な気分になってきた。気合を一つ、気だるさを振りきり立ち上がる。

「おれが切りますよ、丸々一個、いいですよね?」

 いいよー、盆前に全部食べちゃうつもりだから、との所長のお言葉。となれば一人四分の一切れ。横で真凛が目をきらきらと輝かせているのがわかる。そういやガキの頃からおれもやってみたかったんだよな。でかいスイカに思いっきりかぶりつくって奴。

「じゃあ、ボクお盆とお皿出してくるね!」

「タオルと包丁と塩も頼むぞ」

「あいあいさー!」

「ふむ。では俺はテーブルを出すとするか」

「いいのかよ、日焼けすんぞ」

「なに。雅を味わうためなら些細な事よ」

 それにな、と奴は不敵に笑って見せた。

「明日より炎天下のもとに三日間曝されるのだ。今のうちに体を慣らしておかねばな」

 おれには良く意味がわからなかったが、まあ理解しても幸福になるわけでもなさそうなので突っ込まなかった。


 スイカは叩くとキレイに音波が通りそうなぎっちり実の詰まった大玉。まっかっかの果肉と黒い種がもうこれでもかっ、とばかりに己の存在をアピールしている。それをワイルドに皿に乗せ、事務所のベランダに出されたテーブルへ並べる。ちなみにテーブルの上には、スイカと一緒に送られてきたクランビールの缶が。笹村さん、やるな。

「所長、さすがに昼間からビールはいかがなものかと」

 言いつつ、しっかり缶をキープしているお前の方がいかがなものか。

「いいのよ。たった今夏季休業の報せを発信したから。今から晴れてお盆休みってワケ」

 所長は言い、プルタップを押し込んだ。おれも習い、ビールを一気にあおる。なんだか水分の取りすぎで腹を壊しそうだが、気にしない気にしない。

「こういう報酬もたまには悪くないでしょう?真凛ちゃん」

「はい、美味しいです!」

 ドラえもんの登場人物の如くうまそ感を振りまきながらスイカを食べる真凛であった。なんだかこいつもなんだかんだで上手く騙されているような。

「まあいいか。これはこれでアリだしな」

 おれはスイカにかぶりついた。それはとても冷たく汁気たっぷりで、極上の甘味だった。

 吹き込んだ風が、蒸し暑い空気を払ってゆく。風鈴の音が、ちりん、と響いた。


 今日もまた、暑くなりそうだった。


『秋葉原ハウスシッター』【完】

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