北関東

第6話:『北関東グレイブディガー』14

「ンで。悪戦苦闘一時間、なんともならずオイラ達を呼んだってワケだぁね」

 畳の上にふくれて正座する清音の前に、ちゃぶ台を挟んで土直神と四堂が座っている。

 今三人がいるのは、彼らが今夜の宿と定めた、元城駅前にあるウルリッヒ保険御用達のビジネスホテル……とは一応名乗ってはいるものの、どうやら元々は旅館だった建物が、出張客を当て込んでホテルに転身したというのが正直なところのようだった……である。

 畳、ちゃぶ台、押し入れ、床の間。部屋自体は多少古いものの、清掃が行き届いており快適である。お値打ち価格で手足もゆっくり伸ばせてその上なにより自分でご飯を炊かなくてもいい!ので、そのことについては清音は全く異存がない。問題は。

「だって。線がつながらないんですよっ」

 ぶうぶうと文句を言いながら、テレビ台に据え付けられたPCと、土直神に借りたLANケーブル、そして壁に取り付けられた差し込み口を順番に指さす。事件について調べてみます、と言ってはみたものの、まさかネットに繋ぐことすら出来ないとは思ってもみなかったのである。

「徳田サンに聞けば良かったのに」
「さすがにもう帰ってしまいましたよ。自宅で書類仕事をしなきゃいけないそうです」
「土曜だってのに社会人は大変だねぇ。ま、いーけどサ。清音ちゃんがメカ音痴ってのは今さらだし。……ってうわぁ、これモジュラージャックじゃないか!」

 珍しい昆虫でも見つけたように、呆れ半分はしゃぎ半分の声をあげる土直神。

「ひっさしぶりに見たなー。ってか、ビジネスホテルでダイヤルアップとかISDNってアリなのか!?でも徳田サンはブロードバンドは使えるって言ってたし……あー」

「ワイアレスが導入されているようだな」

 清音にはさっぱりわからない会話を交わす男二人。こちらはすでに一風呂浴びて、浴衣に着替えている。

 自販機で買い込んできたビールを片手にあぐらをかく土直神と、対照的に膝を開いた正座の四堂。鉄の棒でも入っているのではないかと思わせる伸びた背筋は、例え今この瞬間に敵が乱入してきても、即座に叩き伏せる気構えであることを伺わせる。

「んだね。じゃあアンテナを優先にして……ほい、これでOKだぁよ」

 ケーブルが引っこ抜かれたPCの画面を確認すると、確かにネットに繋げられるようになっていた。なんでケーブルを抜くとネットにつながるのか。清音からすると、術法などよりよほど魔法じみている。

「まあ、いいです。つながったら後は私でもわかりますから」

 ウルリッヒの社員用ページへのアクセス自体は清音も慣れている。任務をこなす度に、このページから報酬を請求しているので嫌でも覚えざるを得ないのだった。自宅にPCなんかない清音は、一時は学校の視聴覚室から授業中にアクセスしていたこともあった。

「ここ数年、この元城市で起こった事故と事件……」

 徳田から借りた仮パスワードで、ウルリッヒ保険北関東支店のデータベースにアクセスする。あの”幽霊”の正体は本当に小田桐剛史なのか。それを確かめたかったのだが。

「……うう、全然情報が載ってません」

「あちゃあ。まーそーだとは思ってたけど」

 ウルリッヒ保険はあくまでも保険会社であって、興信所や調査事務所ではない。彼らに必要なのはあくまでも自社の契約者が死亡、被災した際の情報であり、いちいち街で起こった事故や事件を記録してもあまり意味はないのだった。

「ここにあるのはあくまでも、この街でウルリッヒ保険に入ってた人に関するデータだからなぁ。清音ちん説の”小田桐さんじゃない誰か”が仮に居たとしても、他社の保険に入ってたりそもそも保険に入ってなかったらお手上げだぁよ。新聞の方を調べてみた方がいいんじゃね?」

 新聞社と契約を結ぶと、かなり昔の記事にまでさかのぼって記事を検索することが出来る。再びウルリッヒの仮パスワードでアクセスし、『元城市』や『事故』『事件』といったキーワードで記事を絞り込んでいく。だが、今度は数が多すぎてとてもすぐにチェックできるものではない。

「こうしてみると、一つの街でも小さな事件は毎日起こっているんですね」

 それでも一つ一つヒットしたデータを調べていた清音だが、さすがに限界を感じたらしく、座ったまま大きく伸びをする。

「あんまり今から根詰めてもしゃあないやね。これでも飲みなよ清音ちん」

「ありがとうございます……ってこれビールじゃないですか!」

 今さら固いこと言ってもはじまらないじゃん、とプルタブを押し込みながら土直神。ちゃぶ台の上を見てため息をつく。

「あーあーこんなに菓子なんかたくさん買い込んじゃってまあ」

「いいんですよっ。昨日と今日はほとんどお金を使ってないんですから」

 一日山歩きをしたら甘いものが食べたくなったのである。と、その様をしげしげと眺めて、土直神がぼそりと呟く。

「……清音ちん、もしかしてダイエットする度にリバウンドするタイプだろ」

 マウスをクリックする音がはたと止まり、ぎ、ぎ、ぎと清音の首がこちらを向く。

「ナ、ナゼ、ソレ、ヲ」

 土直神は頭を抱える。

「……二回節約したから三回目はお金を使っていい、って考えるタイプの人は、朝昼抜いたから夜は豪華に食べていい、って考えちゃうんだよねー。一番太るパターンなのに」

「ほ、ほっといてくださいよ!」

「怒らない怒らない。ストレスためるとまーた太るよ……って痛ェ!き、清音ちんマウスを投げるのはよくないな……ちょっと!ディスプレイはだめだろディスプレイは!?」

「問答無用ッ!!」



 ……それでも根気よく清音は調べ続け、たいしてやることのない土直神達がそれを交代で手伝った。結果として、深夜までかかったものの、ヒットした全ての事件に目を通すことは出来たのだった。だが、そこで得られたものは。

「いなかった、なぁ」

 ビールの空き缶をべこべこともてあそびながら土直神。すでに空き缶がいくつも畳の上に転がっている。

「うう、私の見込み違いでしたか……」

 応じる清音の声には疲労がにじみ出ている。実際に疲れていたし、何より無駄骨に終わったという事実が堪えていた。

 事故や失踪事件をしらみつぶしに調べてみたものの、いずれも交通事故や、海外旅行中の失踪が大半で、少なくともデータで検索できる十数年の範囲では、板東山のあの場所と関わりのありそうな情報は見つからなかったのである。

「ま、巫女さんのカンが百発百中だったら、そもそもおいら達がここに来るまでもなくどんな仕事も片付いちゃうかんね。当たんないのが普通、くらいで考えときゃいいんじゃないの」

「でも、それじゃあ明日はどうやって動けばいいんでしょうか」

 また板東山に登っていって神下ろしをしたところで、上手くいくという保証はない。死亡の確認が仕事である以上、何はなくとも遺体の場所がわからない限りは手の打ちようがないのだ。

「あー。そのことについてだけんどね。ちょっとバクチっぽいけど方法はある」

「え?あるんですか?」

「いやまあ分の悪い賭けかも知れんけど、やってみる価値はなきにしもあらずかなー、ってとこだぁね」

 妙に歯切れの悪い返答だった。その態度に不審を抱いた清音が問いただそうとしたその時。

「いたぞ」

 不意にそんな声が届いた。慌てて後ろを振り返る。

「シドーさん?」

 そこには、立ち上がってディスプレイを覗き込んでいる四堂がいた。いつも通りの寡黙な表情だが、その左目には常以上に強い光が宿っている。

「いたって、……何がです?」

「行方不明者だ」

「い、いや……今まさに、”いない”って証明されたばっかりなんだけど?」

 四堂は大きく首を横に振る。そして、ディスプレイ上にいくつも広げられたウィンドウの一つ、ウルリッヒ保険のデータベースを指し示す。

「確かにこのデータを見る限り、ウルリッヒ保険の依頼人には不審な失踪や死亡を遂げた人間は居ない。……”依頼人”には」

「え?」

 四堂が指さすデータ。それは、ウルリッヒ保険の営業日報……いわば、企業の日記だった。指の動きを目で追うと、そこには、シンプルな文字列が一行、無機質に躍っていた。


 『昂光社元城工場に派遣中の社員、帰還せず。連絡途絶』


「こりゃあ……」

「日付は、四年前ですね」

 PCの画面を、三人が覗きこむ。八畳あるはずの部屋の片隅に、人間三人が窮屈に身を寄せ合っている様は滑稽に見えたかも知れないが、当事者達はそんな事を気にしてはいられなかった。

「……四年前っつったら、まだウルリッヒ保険が日本に出てきたばっかり。北関東支店も出来たてだったはずだぁよ」

「私はもちろん、土直神さんもまだ派遣登録してない時代ですよね」

「シドーさんが入ったのはつい最近だしな。誰も当時は知らないってか」

「どういう事なんでしょう?」

「清音ちん、この当時の情報を片っ端から出してみてくんない?」

「今まとめます。……『昂光』って、小田桐さんの勤め先……あの板東山の上にある大きな工場ですよね?」」

 そうだ、と応えたのは四堂だった。

「日本ではそれほど有名ではないが、海外では非常に評価の高い企業だ。そして、」

 そこで四堂は、言葉を選ぶように一度沈黙した。

「俺が従事していたような仕事では、とても有名だった」

「へ?シドーさんがやってた仕事って言やぁ――」

 そこまで言って、土直神も気まずそうに口をつぐむ。

「『昂光』自体は非常に優秀で誠実、立派な企業と聞いている。だが、その製品が」

「良くない?」

 またも首を横に振る四堂。

「良すぎる、のだ。『昂光』が作っているのは精密測定器。研究所や大学、企業の開発室の依頼を受けて世界最高レベルの装置を作っている。しかしその技術はひとたびテロリストの手に渡れば、容易に核の製造へと転用できる」

「へぇ。核に使えるんすか。――って、かくぅ!?」

 土直神が素っ頓狂な大声を張り上げ、慌てて声のトーンを落とす。

「かくって、核ミサイルとか核爆弾の”かく”?」

「の、製造装置の一部だ」

「……な、なんか急に話がでっかくなってついてけないんだけんども」

 そうでもない、と四堂。

「もともと核兵器の理屈自体はそう難しいものではない。小型のもので爆発さえすればよいレベルのものなら、個人が台所でも作れる程だ。重要なのは材料と、そして理屈通りにモノを作ることの出来る装置。特に高威力のものを作るには、物理学の理屈どおりに反応が起きるよう、精密な球体や楕円状に物質を成形する事が不可欠だ」

 それを実現するのに『昂光』の装置は最適なのだという。

「そ、そんなもん日本のこんな田舎の工場で作って売りまくってていいワケ?」

「日本国内なら大丈夫だ。あの測定器を使用しなければ、携帯電話も液晶テレビも作ることは出来ないからな。だが、海外に輸出される際は非常に強い規制がかかる。政情不安定な国や、外交上問題のある国には輸出できないし、研究用に作成するとしても大幅なスペックダウンが要求される」

 当然、買い手側の身元も何重にもチェックされる。だからこそ、核兵器を持ちたがるものにとっては、『昂光』の精密測定器は、プルトニウムと並んで喉から手が出るほど欲しいものの一つなのである。

「……そーいやおいらがガキの頃、ゲーム機が核ミサイルの弾道計算に使えるから輸出禁止だー、なんて話もあったっけかね」

 うなずく四堂。

「ヒロシマに原爆が落ちてから数十年、世界の技術は信じられぬほど急激に進歩を遂げている。携帯電話やカーナビ、車を作ることが出来るだけの技術があれば、核ミサイルを作るなど全く難しい事ではないし、作り方だけならネットで誰でも見ることが出来る。だから今、国際社会は、核の拡散を防ぐために、材料と装置を中心に規制を行っているのだ」

「そ……そーなんすか。まさか国際情勢の勉強をすることになるとは。――ってちょっとシドーさん、そんな工場にウチの社員が派遣されたってぇ事は!?」

「出ましたよ、たぶんこれだと思います」

 清音がディスプレイを指し示す。そこには四年前のウルリッヒの資料から、関連すると思われる情報をピックアップした項目が並んでいた。

「日報には任務の詳細な情報までは書いてありませんでしたが、依頼主は……」

「そこなら知っている。NPO法人で、出資の大本は国連のはずだ」

「さすが詳しいっすね、シドーさん」

 四堂が操作をかわる。任務に使われたとおぼしきいくつかの事務的なドキュメントをネット上から呼び出して、そこにある定款や契約内容を確認した上で、判断を下した。

「ウルリッヒはこの法人と、有事の際に核不拡散のフォローを行う保険契約を交わしている。おそらく四年前に、それが履行されたのだろう」

 淡々と語る四堂。その内容を整理するうちに、土直神の顔から笑いが消えていく。

「……と、いうことは。要約すると?」

 対する四堂の声は、変わらす冷静だった。

「四年前。この元城市で、核兵器の密輸に関するなんらかの事件があった可能性が高い」

 土直神の表情が真剣さを帯びることで、ようやく清音は、これが冗談や茶飲み話ではないという事を実感できた。核兵器を巡る冒険物語など、それこそクラスの男子が読んでいる漫画の話である。

「そ、それで。一体ウチから誰が派遣されたんですか!?」

 ”――帰還せず。連絡途絶”

 ディスプレイの隅の文字列が、急速に不気味さを帯びてくる。

「日報に本名を書いてあるはずはない。あったとしても二つ名コードだが……ああ」

 急に四堂が珍しい声を出した。それは、驚きの声だった。

「知ってるヤツなんすか?」

 土直神の質問に、四堂は頷いた。

「知っている。だが、直接に会ったことはない」

 日報の一カ所をクリックする。英語で書かれた専門的な契約書の文面の中に、”actor”という場違いな単語が一つ、混じっていた。

「アクター?」

 またも頷く四堂。

「『役者(アクター)』。一昔前には、業界の中では知らぬ者無きほどの凄腕だった。戦闘能力はないが、あらゆる場所や組織に潜入し、重要な機密をいとも容易く持ち出してのけた」

「……そりゃあまた、ゼロゼロセブンも真っ青な凄腕スパイだぁね」

 清音も土直神も、どちらかと言えば戦闘や追跡、それも屋外が得意なタイプである。屋内や組織への潜入、機密奪取の事となるとどれだけ凄くともあまり実感はわかない。

「どんな能力を持っていたんですか?」

 四堂はそれについて、あくまでも伝説だが、と付け加えた上で述べた。

「一度会った人間には、まったく同じ顔、同じ声、同じ体つきに化けることが出来、完璧に当人のように振る舞うことが出来たらしい。業界には同じような能力者は多々いたが、それらの追随を許さない、超一流の変身能力者だったそうだ」

「……へんしん、」

「のうりょくしゃ!?」

 清音と土直神が、思わず顔を見合わせた。

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