北関東

第6話:『北関東グレイブディガー』18


「うっわ、危ねぇ!マジで撃ってきてるし」

 火を噴くような熾烈な剣戟を数十合に渡って繰り広げている真凛とシドウの背後で、おれはといえば『風の巫女』が放つ矢から、土砂を跳ね上げながら逃げ回るのが精一杯という有様だった。

「弓道家なら他人に弓を向けちゃ行けませんって最初に教わるだろうがよー!」

 おれの非難など聞こえぬ態で、無慈悲にこちらに矢を向け放ってくる巫女さん。敵はなかなか割り切りが良いらしく、例の疾風の魔弾が通じないと分かった時点で、詠唱の必要のない『ごく普通の連射』に切り替えてきたというわけだ。

 魔弾だろうが普通の矢だろうがどっちにしろ当たったら終わりなおれとしては、むしろこちらの方が遙かに脅威である。

「くっそ……!」

 巫女さんの弓の腕は中々のものだ。業界にいる『降下中の隼を撃ち落とす』ようなバケモノじみた達人というわけではないが、充分に訓練された腕。高校生だとしたら全国大会を狙えるのではなかろうか。

 あちらの矢が尽きるのが先か、はたまたおれがドジやって命中するのが先か。互いに詠唱を妨害しあって不毛な膠着状態に入ってしまうと、もはや手の空いている残り一人に望みを託すしかない。

「チーフ、すいませんがよろしくお願いします!……っと、マジで顔面狙うかよ!?」

「そうは言われてもな。こっちもちょっと相手が厄介で困っている」

 三対二の戦闘で唯一手が空いているはずのチーフなのだが、なぜか油断無く銀のプレートを構えたまま、まったく動こうとしない。実はいろいろあって、今朝からこちら、チーフは主導権をおれに預けてくれて控えに徹してくれている。だが、流石に戦闘でここまでチーフが動かないというのは解せない。いや――動けないのか。

「使役――ってのは、俺達側の言い方だな。神道ならむしろ”下ろした”と表現する方が正解なのかな」

 チーフの目の前に、なにかが居た。目には見えない無色透明な、だが確実に気配を感じさせるなにか。

「むっ……!」

 チーフが咄嗟にマントのようにコートを翻し己を庇う。その直後、いきなり前方の地面が爆発したように弾け、砂利や石が散弾のように襲いかかった。突風を地面に叩きつけることで、より効率の良い物理攻撃に転化する、いわゆる『ストーンブラスト』。実戦的な風使いがよく使う手口だ。

「でも、『風の巫女』さんはおれと相対しているんだが……って、ああそうか」

 おそらくあの巫女さんは、自然の精霊を召喚し……いや、”風の神様”を呼び出し、神様にお願いすることで風を操るのだろう。そして巫女さん本人が弓でおれを潰しにかかっている間、風の神様はチーフの牽制に専念している、ということか。

「チーフ!銃は持ってきてないんですか!?」

 本来のチーフの戦闘スタイルでは、銃を使用するのだ。それさえあれば例え力天使や荒神レベルの精霊であろうと全く問題はないのだが……。

「馬鹿を言うな。ここは日本だぞ。許可無く民間人が銃器を持ち歩けるか」

「ですよねぇ」

 チーフはコートで石礫の弾丸を払い落とす。くたくたの一張羅のコートだが、内側にケブラー繊維が織り込んであり、即席の防弾チョッキ程度の防御力は発揮するのだ。

『八代副王が一の長――』」

 詠唱と共に、気配があるあたりに雷撃が落ちる。だが雷は”なにか”の気配を素通りし、単にごくわずかの地面の水蒸気を沸騰させ、小さな爆発を引き起こしただけにとどまった。

「……ま、やっぱ霊体に雷撃は効かんよなあ」

「真面目にやってくださいよ!」

「そうは言われてもこっちだってな……おっと」

 今度は強力な突風が吹きつけ、成人男性であるはずのチーフを軽々と浮き上がらせて後退させる。単に吹きつけるだけの突風、というのは意外と厄介だ。下手に収束や操作をしない分、パワーに特化して術を使用できる。そして相手を遠ざけつつ動きを釘付けに出来るというのは、牽制としてはかなり有効な戦術である。

「おれとチーフを釘付けにして……前衛同士の戦闘に集中させる気かよ」

 互角の条件の一騎打ちならシドウが負けるはずはない、という事か。だがそれは――こちらも同じ事だ。巨体から繰り出される剛壮の小太刀と、小柄な身体からは想像もつかないほどダイナミックに空を切り裂く疾風の大太刀は、今も一進一退の攻防を繰り広げている。

 『先の先』『対の先』『後の先』。研ぎあげられた山刀とチタン合金の木刀が擦れる度に、耳障りな音と黄金色の火花をまき散らす。本来、殺傷能力が極めて高い真剣の立ち会いでは、剣道のようなチャンチャンバラバラはほとんど発生しない。

 これ程の剣戟が続くと言うことは、互いの力量が恐ろしいほど均衡しているという証拠だろう。真凛の眼に宿る気迫の意味は……さすがにおれにもわかる。己が信ずるところにかけて、絶対に退かぬと言う覚悟。

「ったく……妙なところで張りきりやがって」

 単純すぎるのも考え物だと正直思うんだがなあ。……とにかく、この戦闘が長引きそうなのは確かな事実だった。またも飛んできた矢を泥の混じった地面に伏せながら回避して――ああ、昨日洗濯したジャケットがすでに泥まみれだ――おれは、しばらく事態の推移を見守ることにした。



「うっ……」

 軽薄な外見以上に荒事には慣れているし、もちろん情景も想像していた。だがそれでも、いざ現物を目にした土直神は、その光景に息を呑まざるを得なかった。

 巨大な岩を退かした穴の下にあったのは、一人の男性の亡骸だった。恐らくは土砂崩れでここに流されたあと、時間差で山の上から飛ぶように落ちかかってきたあの岩に潰されたのだろう。遺体の上には大量の土砂と瓦礫が積もっていたが、瓦礫はいずれも粉々に砕けている。

 一体どれほどの衝撃が彼を襲ったのか。己が大地を操る術を持つからこそ、その総エネルギー量の巨大さを理解し背筋が寒くなるのだった。

 もう一度簡単な術式を組み立て、遺体の表面に積もった土砂を地脈の流れに乗せて退かす。岩が落ちてくる瞬間、遺体の上に大量に土砂が積もっていたために、衝撃の方向と位置はかなりバラバラに分散されたようだった。

 損傷の酷い箇所もあれば、ほぼ無傷のようなところもある。土砂崩れのあった一ヶ月前から急速に気温が下がったこと、比較的低温な山の地中に、奇しくも土砂と岩に密閉される形でほとんど空気に触れていなかったため、腐敗は驚くほど進行していなかった。

 南無南無、と口に出しかけて土直神は表情を改め、略式ながら神道の作法に則って死者に礼を施した。そして穴を覗き込む。不幸中の幸い、と呼ぶのは不謹慎だろうが、顔にはほとんど外傷らしいものはなかった。そしてその顔立ちには、確かに、小田桐剛史の印象が残っていた。

「どう見てもご本人のようですがねえ……」

 横で徳田がしげしげと覗き込む。やっぱり死んでいましたか、と呟く声はかすかに震えているが、死体を前にしては仕方のないことだろう。

「これが、『役者』の変装だと言うんですか?」

「もし四年前に行方不明になったのは小田桐さんの方だったとしたら、『役者』は消息不明になったんじゃない。小田桐さんになりすまして四年間を過ごしていた事になる」

「はあ……」

「そうなると、今回の土砂崩れで行方不明になった”小田桐さん”は、実は『役者』が化けてる、ってことになるワケで」

 未だにどうにも納得がいかないと首を捻る徳田に、土直神が苦笑した。

「まあ、仮説も仮説っすから」

「それって、三人で考えたんですか?」

「いんや、おいらの思いつき。ちょっと突飛すぎるんで二人には話してないよ」

「……そうですか」

「ま、ぶっちゃけ本筋にはあんまり関係ないッスよ」

 注意深く遺体の状況を確かめつつ土直神。

「要は、この山の遺体を発見することがまず第一目標でしたからね。。オイラの説が外れてたら、この遺体は小田桐さんなので任務は万事解決。おいらの説が当たってたら」

 うん、こりゃあ何とか引き上げられそうだぞ、なとという呟きを所々に挟みつつ、言葉を続ける。

「そもそも、遺族の方々が探して欲しいと言っていたのは、小田桐さんじゃあない。小田桐さんになりすましていたこちらのヒト、ってことになるわけだし。四年前に行方不明になった本物の小田桐さんについては、とりあえず考えなくてもいいでしょ」

「ああ……そうですねえ。四年前行方不明になった小田桐の事は、誰にとってもどうでもいいことですよね」

 なるほどなるほど、確かにそうだと口の中でぶつぶつ呟く徳田に土直神が声をかける。

「徳田サン。んじゃあ清音ちんたちが来る前に、引き上げるだけ引き上げてしまいましょう。あんまり気が進まないかも知れないスど……」

 しゃがみ込んで腕を伸ばすが、この態勢では遺体を引き上げるほどの力は出せない。仕方なく腹ばいになって、穴へ向けて大きく腕を伸ばす。徳田はと言えば、おっかなびっくりといった態で、土直神の背後から穴の中を覗き込んだ。そして、はたと気づいた表情になる。

「――ああ、土直神さん。さっきお話しを伺っていて、一つ間違っているところがありましたよ」

「え?」

 腹ばいのまま、自分でもなぜか分からないまま咄嗟に身をよじったとき。


 ざん、と。

 

 背中に鈍い衝撃が走った。

「……四年前、小田桐剛史は『第三の眼』に商品を売り渡そうとしていたんじゃない」

 殴られたのか、と土直神は思った。だが、衝撃は背中の表面だけではない。もっと深いところまで到達していた。そして、そう認識した瞬間、鈍い全体に広がるような衝撃が、たちまち焼け付くような鋭い激痛へと化け、土直神の意識に火花が飛び散った。

「……最初から商品の情報を手に入れるために昂光に入り込んだ『第三の眼』のスパイだったんですよ」

「…………っ、……ぐ、……ごふっ!!」

 反射的に喉が叫び声を上げようとしたが、代わりに飛び出してきたのは小さな血の塊だった。大振りのナイフによる刺突。刃先が背筋を突き破って肺を傷つけている――土直神は激痛の中、自分でも驚くほど冷静に状況を把握していたが、逆に今の思考を放棄した途端、自分の意識は激痛に呑まれて消えるであろうことも理解していた。

「くぅ……ああっ!」

 激痛に耐え、仰向けになりながら大きく腕を振り払う。背中から素早くナイフを引き戻される感覚が、さらに新たな激痛を産み出した。振り向いたその先には、これまで何度となくつきあいを続けてきたはずの男がナイフを持ったまま、奇妙にのっぺりとした表情で立ち尽くしていた。

「……徳田、さん?」

 どうにか声は出た。ダメージは左の肺。なんとか呼吸は確保できているが、依然危険な状態。

「……そして四年前、任務に失敗した哀れな男はすごすごと逃げ戻りましてねぇ」

 その男はウルリッヒ保険会社正社員、徳田紳一のはずだった。少なくとも、その顔のパーツの構成は、間違いなく徳田のものであるはずだった。だが同じパーツで作り上げられたはずのその表情は、土直神が今まで一度も見たことのないものだった。

「社会的な地位を奪われ。組織内での立場を奪われ。そして己の顔まで奪われて」

 徳田の顔に、変化が起こっていた。

 土直神は最初それを、激痛にかすむ目の錯覚だと思った。だがそうではなかった。

「任務に失敗した無能者として『第三の眼』の中でも随分と屈辱を受け」

 徳田の顔の筋肉が、まるで強力なマッサージ器でも当てているかのようにぷるぷると不気味に波打ち、とろけていく。そして、皮膚と肉が蠢いているその一枚向こうで、目玉と歯並びだけがおぞましい笑みを浮かべていた。

「……アンタ……誰だ?」

 徳田ではない事だけは、もはや確実だろうが。土直神の問いなど耳に入った風もなく、徳田だった何者かは、まるで酔っぱらいの胃にたまった反吐のように言葉をぶちまけ続ける。

「……やがて組織内で、無能者には無能なりの価値を見いだされる」


 ――顔というのは不思議なものだ。それは、私が私であるという証明。

 顔を失ったとき、私は私ではなくなった。私であることを証明できなくなってしまった。

 ”顔のない男であれば、今さらどんな顔になってもかまわんだろう?”

 奴はそう言い、包帯に巻かれた私の顔を実験台にして――


「そして四年ぶりに。懐かしの日本に舞い戻ってきた、ってわけなのさ」

 ぐずぐずに溶けきったかのような顔面の皮膚が、突如として、まるで電気でも通したかのように再び引き締まる。だが、顔面を構成する皮膚も筋肉も肌の色も、徳田のそれとは全く異なっていた。そこにあったのは、もっと若々しい別の顔。

「……これが、全てを失った男に与えられた”異能力”。セラミック製の可動式フレームを頭蓋骨にボルトで埋め込み、高分子ゲル製の筋肉で覆って有機薄膜とナノマシンのブレンド皮膚と人工毛髪を貼り付けた試作品。”擬態する顔”だよ。……間に合わせの顔としては、なかなかのものだろう?」

 土直神が奥歯を食いしばる。激痛のためもあるが、それだけではない。今、彼の目の前にあるものをどうしても許せなかったからだ。若々しい、細身の面立ちに細い目。童顔に見られるのを嫌って顎に無精髭を生やしているが、そもそもあまり髭が濃くないようであまり成功していない、鏡で毎朝見ているその顔を。

「能力はもちろん、”変装”。こうやって君の顔を解析して、その通りに顔面を変形させることが出来る。そうそう、声紋の解析と変更も出来るんだ」

 いつのまにか、その声すら土直神のものとなっていた。

「そういえば質問に答えてなかったな。『第三の目(トゥリーチィ・グラース)』所属の異能力者。『貼り付けた顔(ティエクストラ)』。……ああ。君たちには本名で、小田桐剛史と名乗った方が通りがよかったかな?」

 目の前の己の顔が、他人の表情で嗤う。

 欲望に飢え、絶望に乾ききった、ゆがんだ笑顔だった。

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