北関東

第6話:『北関東グレイブディガー』15

「それにしてもとんだ食わせ者でしたね、小田桐って野郎は」

 元城駅のそばにある、歓楽街とも言えないほどささやかな飲み屋街。そのさらに裏通りにあるごく小さな酒場『アリョーシャ』を出ると、おれはチーフに言った。アルコールで微妙にハイな声のおれと対照的に、チーフは一向に酔いが回ったとも思えない表情で頷いた。

「人の印象や感想というものは、書類やデータベースで検索してもそう引っかかるものではないしな」

 コートから取り出した手帳に、今までの聞き込みで得た情報を手早く書き込んでいくチーフ。さすがに元刑事らしく、その仕草は実にサマになっていた。

「しかしさすがに、これは飲み過ぎたかな……」

 若干ふわふわする頭に手を当てて、おれは独り言をつぶやく。なるべく飲むよりも飲ませる側にまわっていたが、四時間も飲み屋をハシゴしていれば、何も飲み食いしないというわけにはいかない。

 思わず出てしまったげっぷを掌で押さえると、腹の中にたまっていたウォッカとビールの炭酸ガスと唐揚げの油の臭いが鼻をさした。

「こういうときに喫煙者は間の取り方が上手くていいですよねぇ」

 普段はどちらかというと訥々としたしゃべり方で、積極的な会話というのは苦手なチーフだったが、テーブルの上にボトルとグラスと灰皿とライターが揃うと、実に自然な寡黙さが演出される。すると、それがまた磁力のように、相手の会話を自然に誘い出すのである。

 おれがおっちゃんやサラリーマン相手に必死に話の糸口を探っている傍らで、悠々と集まってくる情報をチーフが吸い上げていくサマを見せつけられると、さすがに実力と年季の違いを感じないわけにはいかない。

「ならお前も吸えばいいのに。というか吸え。吸ってくれ。喫煙者同盟だ」

「金と健康の両面から謹んで同盟は辞退させていただきます。まだ酒の方がマシです」

 おれはタバコは吸わないが、酒とはごくまっとうなつきあい方をしている。すなわち、自分の気が向いたときや気の合う友人との集まりのとき、つきあいの浅い奴の内面をもう少し知りたいとき、それなりに飲む程度だ。下戸でも酒豪でもないので、残念ながら面白いエピソードというのはない。

「しかしさんざん連れ回しておいて言うのも何だが。お前もう二十歳になったのか?」

「……ああ!」

「なんだその”ああ”ってのは」

「いやぁ。……自分が未成年だってのを忘れかけてまして」

 そう、まだおれは十代。夢と希望に溢れたセイショウネンなのである。

「飲み屋でジョッキ片手に情報収集をする青少年がいるとは知らなかったな」

 冗談とも本気ともつかない表情で、チーフが呟く。その台詞を聞かなかったことにしつつ手帳を横から覗きこみ、おれは先ほどまでの情報収集の成果を頭の中でまとめ直していた。


 同じくらい栄えていても、東京都内の街と地方の街では大きな違いがいくつかある。そのひとつとして、酒が飲める場所が限られる、という点が挙げられるだろう。

 都内なら電車や地下鉄で何駅か移動すれば、銀座の一流の店から隠れた名店、財布に優しいチェーン店までよりどりみどりだし、深夜まで飲んでも終電やタクシーがあるので帰り道には困らない。

 他方、地方の街で飲むとなると、どうしても街の中心部や駅前の飲み屋にならざるをえない。終電の時間は早いし、もちろん車で帰るわけにはいかないので、事前にタクシーを予約しておいたり、旦那や奥さんに迎えに来てもらえる立地でなければならなかったりする。

 こうした事から、どんな街にも必然的に『地元の人たちがいきつけにする飲み屋』というものが発生することとなる。

 予約を入れたホテルへチェックインした後、チーフとおれは元城市内のその手の店に片っ端から顔を出していたのだった。なお、真凛はホテルに待機させてある。

 例によって散々ぶーたれたものだが、さすがに「お酒が飲めない子は連れていくわけにはいかないよ」というチーフの説得は聞いたらしい。今は出前で頼んだホテル近くの店屋物をかきこんでいるところだろう。

 真凛を外したのは我ながら賢明な判断と言わざるを得ない。あやつの酒癖の悪さと来たら極めつけで、以前おれはひどい目にあったことがある。

 地元の人向けの飲み屋と、観光客や商談客用の酒場を見分けるにはちょっとしたコツがいるのだが、かつて現場をかけずりまわった刑事であるチーフにしてみれば「ここだろうなと思う場所に行けば、まずここだろうなという飲み屋がある」らしく、まったく店選びには迷わなかった。

 若者向けのチェーン店、大きいがひなびた飲み屋、そこはかとなく昭和の香り漂うバー。それぞれに一時間ほど逗留し、『地元の店に迷い込んでしまったビジネスマンと、そこにくっついてきたバイト作業員』を演じる。

 多少酒をおごったりカラオケを入れてやったりしながら、「ところで今日聞いたんだけどさ。この街にオダギリとかいう人の幽霊が出るんだって?」と話を振ってやると――まあ引っかかる引っかかる、呆れる程の入れ食い豊漁っぷりだった。


 この街での小田桐剛史の評判は、それはもうひどいものだった。


 昼に工場長から聞いた、別の会社から転職してきたエリート・ビジネスマンという肩書きは、確かに事実だった。だが、仕事についてはともかく、人格についてはまた別の側面がある。この街にやってきた当時から、元城市内での彼の素行の悪さは有名だったようだ。

「確かに仕事は出来たんだろうけどさ。ああはなりたくないって思ったね」

 これは、たまたまチェーン店で捕まえた昂光の若手社員の弁である。

「部下にも取引先にもゴリ押しの一手でさ。俺の同期なんて自宅の鍵を取り上げられて、契約取れるまで家に帰らせてもらえなかったんだぜ」

 次の店ではこんな話も聞けた。

「ウチの叔父さんの車が駅前であいつの車に追突されてさ。抗議したらものすごい勢いで逆ギレしやがって。出るとこ出たっていいんだって脅されて、いつのまにか叔父さんの方が弁償させられるハメになったんだよ」

 バーにもよく部下を引き連れて飲みに来ていたらしいが、『こんな田舎の店に金を払ってやって居るんだからありがたく思え』と放言し、実際に女の子に絡むは大声で騒ぐは備品を壊すは、いまどき学生サークルでもやらないほど無様な飲みっぷりだったらしい。

 あまりにしつこく小田桐に絡まれて店を辞めてしまったホステスの子も、一人や二人ではないとのことで、店の子からは、

「こないだの土砂崩れで死んだんでしょ?お客さんの事は悪く言っちゃいけないんだけど、正直いい気味だって思ったわね」

 などと実に率直なコメントを頂いたわけである。

 聞き込みに回ったいずれの店でも「小田桐なんて知らないな」というコメントが無かったあたり、マイナス方向だとしても相当に有名ではあったのだろう。憎まれっ子世にはばかる、という事らしい。

 とはいえ、先ほど述べたように、営業マンとしての彼が会社の成績を伸ばしていたのは事実である。『敵だろうが味方だろうが、馬力にものを言わせて押して押して押しまくる』体育会系タイプだったと推測するべきだろうか。

 そんな街の嫌われ者の小田桐氏が行方不明になり、街のあちこちで彼の”幽霊”が目撃されている事件は、この街の人々に大小様々な波紋を巻き起こしているようだった。

「小田桐の幽霊?冗談じゃないね。こっちが恨むことは沢山あっても、アイツに恨まれる筋合いなんかあるものか」

 という声もあれば、

「大人しく地獄に堕ちていればいいのに。死んでまで未練がましく迷い出てくるなんぞ、つくづく強突張りだな」

 という意見もある。

「幽霊なんているわけないさ。みんなアイツにビビってたから見間違えたんじゃねぇの?」

 というごくまっとうなコメントも多かったのだが、実際に幽霊と遭遇した身にしてみればこれはあまり参考にならなかった。しかし、

「きっとアイツ、死んだふりしてまた何かロクでもないこと企んでるのかもよ?ああイヤだイヤだ」

 というバーのママさんの話には、一つ無視できない単語が含まれていた。

「”また”何か企んでる、って。前にもなんか企んでたってコトですか?」

 気前よく水割りの追加を頼み――久しぶりのアシスタント業務、経費を気にしないですむ特権を利用しない手はない――いかにも”こういうお店は初めてです”風を装っておれが訪ねると、故人相手ならばもう義理立ての必要もないと思ったのか、ママさんは気前よく話してくれた。

「そう……何年前だったかしらね。アイツが全然お店に来なくなった時期があったのよ。――結局、二ヶ月くらいしたらまた戻ってきたんでウンザリしたんだけど。その時は、私もウチの子達も正直ほっとしたものよ。でも、そうならそうで、どこで飲んでるのかが気になっちゃうのよね。最低の客とはいえ、他の店に取られたならそれはそれで悔しいし、でもまたそこで絡むんじゃその店の子が可哀相だし」

 ママさんの言葉には水商売の複雑なプライドがにじんでいた。

「でね。たまたまお店の外に買い出しに行ったとき、通りでアイツを見つけたのよ」

 余談ながら、この手の飲み屋ではお酒やフルーツの類が足りなくなって、急遽お店の人が裏口から八百屋やコンビニに買いに走る、ということは結構あるんだそうだ。五百円で買ったスナック菓子やあり合わせの果物が、裏口から店のカウンターを通って出撃するときには二千円や三千円になっているのがこの世界なのである。

「普段肩で風切って歩いているようなアイツが、妙にコソコソしてたのよねぇ。で、これは何かあるな、と思って。そしたらアイツら、『アリョーシャ』に入っていったのよ」

「アリョーシャ?それに、アイツ”ら”?」

 我ながら芸のないオウム返しの質問。さすがに不自然かなとも思ったのだが、ママさんは何年か越しの秘め事を打ち明けられることにすっかり心を奪われているようだった。

「その時は、なんか体格のいい外国人が何人か一緒にいたの。で、アリョーシャっていうのは、ちょっと奥の通りにある酒場なんだけど、昔日本人と結婚したロシアの人がマスターをしててちょっと珍しいお酒が飲めるのよ。だから、たぶん一緒にいたのはロシアの人じゃないかしらね。いつもと違ってやたらと挙動不審だったし。あれは相当、後ろ暗いことやってたハズよね」

 そう言われてしまえば、『アリョーシャ』へ向かわないわけにはいかない。幸い、店自体はすぐに見つかった。歓楽街というにはささやかすぎる通りの、店と店の隙間の通路に体をねじ込む。通常の店の従業員用の通用口の隣にある安っぽいスチールの扉を開けて中に入ると、雑居ビルの一室を改装したのだろう、小さな酒場がそこにはあった。

 恐らくは内装のチープさを照明を暗くすることでごまかしているのか。鈍いライトの光が無骨なカウンターを照らし出しており、その後ろのラックにはウォッカをはじめとして幾つもの酒が無造作に並べてあった。カウンターから出てきた羆のような巨漢のマスター、オレグさんに話を聞くと、

「四年前の夏だな」

 と、彼はあっさりと答えてくれた。もちろん、高めのウォッカを一本ボトルキープさせてもらった効果も大きいだろう。

「ずいぶんはっきり覚えてるんですね」

「その一ヶ月後に女房が出い行った」

「……そ、そうですか」

 というようなやり取りはあったものの、マスターは当時のことをよく覚えていた。四年前に来た常連でもない客の事を覚えているのだろうかとも思ったのだが、むしろ今はほとんど常連相手にしか商売をしていないため、一見の客、しかもロシア人というのは相当珍しかったらしい。

「まして、マフィアと来ればな」

「マフィア?……というといわゆる、ロシアンマフィア?」

 マスターは苦々しげに首を縦に振ったものだった。

「ハバロフスクに駐在していたときにあの手の奴らは何度も見たからな。においでわかる」

 照明の下でよく見ると、しかめ面をしているマスターの長年の飲酒で灼けた頬に、うっすらと刀疵が浮かんでいるのが見て取れた。となるとこの御仁も、前職ではテッポーやらドスやらを扱っていたのかも知れない。

「その時の様子に、何か変わったことは無かったかい――ああ、俺もボトルを入れさせてもらおう。スタルカはまだ飲んだことがないんだが、お勧めの飲み方は?」

 根本まで吸い終えたゴールデンバットを灰皿に押しつけ、チーフが問う。

「ストレート以外あるわけなかろうが。――四年前の客の様子なんぞ、さすがに覚えておらんよ」

 と言いつつ、マスターはしばし考え込み……ふと思い出した表情になる。

「ああ。そう言えば、マフィア共は随分と日本人をせっついていたようだったな。『装置』だの『納期』だのなんてロシア語を聞いたのはずいぶんと久しぶりだった」

 へぇ。『装置』に、『納期』ね。隣の席を見やると、チーフの目が、鷹のそれを思わせるほど鋭いものとなっていた。

「ああいう手合いが紛れ込んでくるから、俺達が白眼視される。小樽に流れて漁師の家に婿入りした俺の同期も、ずいぶんと差別を受けているんだ」

 とにかく鬱陶しい連中で、早く帰ってもらいたかったものだ、とマスター。一通り聞けることを聞き出した後、おれ達は勘定を済ませ、「キープしたボトルは他の客に出すなりアンタが飲むなり好きにしてくれ」とお決まりの台詞を投げて出てきたのであった。


 そして今、おれ達はホテルまでの道すがら、集めた情報についての議論を交わしている。

「たしか、小田桐さんが昂光にやって来たのは、商社マンとして海外に強力なパイプがあることを買われたから、でしたよね?」

 頷くチーフ。午前中に工場長はそう言っていたはずだ。そして小田桐氏は海外に積極的な売り込みをかけ、昂光の業績に大きく貢献することとなる。

「となると、ロシアの顧客と相談をしていた、というのもあり得ない事ではないでしょうし、それで『装置』とやらの『納期』について、もっと早くしろと飲み屋でせっつかれていた、というのは十分考えられることでしょうが……」

 思考の検証のためあえて常識的な道筋をつけてみるが、チーフは首を横に振る。

「そういう交渉ならば、会社でやればいい。わざわざ人目につかない飲み屋を選んでやることはないさ。それにそんな連中を接待するなら、もっと女の子のいる派手な店にでも連れ込んで、懐柔をはかるのが普通だろう」
「ですよねぇ」

 ロシアンマフィア。『装置』。『納期』。その三つの単語は、頭の中でどう組み合わせてみても、あまり気持ちのよい回答にはなりそうになかった。ふと閃くものがあり、おれは午前中に工場長からもらったままの昂光のカタログをバッグから引っ張り出してみる。

「四年前、もしかして昂光に何か大きな動きでも……と。ああやっぱり」

「ビンゴか?」

 チーフとおれの目が一点に釘付けになる。企業のカタログの裏にはたいてい、その会社の略歴のようなものが載っており、昂光についても例外ではなかった。そして、ズバリ今から四年前の年末に、昂光の最新次世代測定器『TKZ280』なる商品が世界に向けて発表されたことが、誇らしげに年表の中に書き込まれていたのだった。

「……えーなになに。『この『TKZ280』は世界中の研究所、機械メーカー様より高い評価を頂いており、現在、測定器における弊社のシェアは国内一位72%、世界で一位45%となっております』……改めてみると、世界で45%ってとんでもない数字ですねえこれは」

 たとえばゲーム機ならA社もB社も両方そろえるという事はあるし、次世代機の性能次第ではあっさり乗り換えられることもしばしばだが、こういった業務用の大きな工業機械は、信頼性の面からも、A社ならA社のものだけを、何世代に渡って使う事が当たり前だ。

 すなわち昂光は、世界の精密機器メーカーのうち45%というお客をがっちりとつかみ、今後しばらくはその数字が大きく変わることはないという事になる。まず将来は安泰と言っていいだろう。

「昂光が全力を挙げて作り出した次世代機。……年末に公式発表されたとなれば」

 おれは今までの仕事で何回かお邪魔した機械メーカーさんのスケジュールを頭の奥から引っ張り出して逆算してみる。

「”その年の夏”頃には、さぞかし企業秘密を巡って色々とあったんじゃないでしょうかね?」

 おれの皮肉っぽい笑みに、チーフは仏頂面で同意する。

「亘理、お前は知っているかもしれんが、この手の製品というのは、非常に強い輸出規制がかかっていて、海外のあまり身元がまっとうでない相手には売ることが出来ないんだ」

 ふむ。おれはかつて手当たり次第に脳裏にぶちこんでおいた法律の条文に検索をかけて、該当するものを引っ張り出してみる。

「えーと、輸出貿易管理令。銃や爆弾、核兵器や毒ガス、細菌兵器などなど、物騒なモノやその材料となり得る品物は、政府の許可を得なければ輸出しちゃいけない、って奴でしたっけ」

「そう。だからこそ、何としても手に入れたいと考えている連中にはさぞかし高く売れるのだろうな」

「たとえばロシアンマフィア、ですか?」

 するとチーフは、肯定とも否定ともつかない表情を浮かべた。

「マフィアやヤクザというのは、経済に寄生する事で栄えるものだ。経済そのものをぶち壊してしまっては、彼らもまた生きてはいけない。核兵器なんぞ手に入れたところで、連中にとってはお荷物にしかならんだろう」

「……となると?」

「実際には転売だろうな。手っ取り早くテロリストなり某国なりに売り飛ばして多額の利益を上げる。マフィアというより武器商人と読んだ方が近いかもな。ロシア系と言えば最近は、新興勢力の『第三の目(ザ・サード・アイ)』という組織が…………うむ?…………となると、いや、まさか?」

 なにかがひっかかったのか、チーフがいぶかしげな表情を作ったまま虚空を見据える。その素振りはもちろん気になったが、その時おれは自分の仮説の方に気を取られていた。

「例えば、ですけどね」

 前置きして続ける。

「四年前にその、新型の測定器の企業秘密についてなにがしかのトラブルがあってですね。ロシアンマフィアが、小田桐さんを狙っていたとしたらどうでしょう」

 ……実のところ、おれ達が今ここでこうしているのは蛇足にすぎない。先ほどのスポーツクラブでの遭遇で、『すでに幽霊騒ぎは解決している』のだ。

「そいつは執念深く小田桐氏から機密を奪う機会を狙っていた。四年越しの機会を手に入れたそいつは、まんまと小田桐氏を事故死に見せかけ、土砂で生き埋めにすることに成功する。でも、機密そのものは手に入れることが出来なかった。そう気づいたそいつは、慌てて小田桐さんの遺体を掘り起こそうとするが、すでに地の底にあってどうしようもなかった……とか」

 チーフが目を細める。本来、おれの意見は仮説と呼べるレベルのものではないが、チーフは黙っておれに先を促してくる。

「そうこうしているうちに、何故か小田桐氏の幽霊が現れるという異常な事態が起こった。当然、そいつは焦ったはずです。自分が殺したはずの相手が生きているかも知れないのだから。そして次に取り得る行動は……」

 チーフがおれの言葉を引き取った。

「確認、だな。自分で実際に埋められた亡骸を暴いてみる。つまり何か――」

 一つ言葉を切ったあと、おれの考えを正確に形にした。

 

「お前は、今日遭遇した奴らの中に、小田桐氏を殺害した犯人が紛れ込んでいると思っているのか?」

 

「ええ。そしてそいつは、回収し損なった企業秘密を手に入れようとしている」

 これではさすがに仮説というより、妄想と取られてもしかたがない。だが、この推測であれば、”奴”の話と辻褄は合うことになる。チーフはそんなおれを見つめることしばし。やがておれの肩に手を置いて言った。

「……やってみるか?」

 その言葉の意味を、たぶんおれは正確に理解できたと思う。チーフは多分わかっているのだろう。わかっていながら、おれの好きなようにやってみろと言ってくれているのだ。

「スンマセン。ありがとうございます、チーフ」

 素直に感謝の言葉を述べる。もしおれがチーフの立場だとして、果たして自分のアシスタントに同じ事が言えるだろうか。ここらへん、まだまだおれは青二才だなぁ、と自覚させられざるを得ない。だが、これでおれの腹は据わり、方針も決まった。

「明日の朝、もう一度板東山に向かいましょう」


 歩き続けるおれ達の視線の先に、ようやく小さなビジネスホテルの看板が見えてきた。本当ならもう一、二時間は早く戻ってくる予定だったのだが。店屋物を食べ終えた真凛が不機嫌な顔をしてロビーに居座っている光景が容易に想像できて、おれは顔をしかめた。

「とりあえず、今日はシャワー浴びてゆっくり眠るとしましょうか」

 アルコールに少し霞んだ頭を振り、大あくびをして肺に酸素を取り込む。振り返ってみれば、今日は朝から早起き、車での長距離移動、山歩きから川流れに飲み歩きとずいぶん多忙な一日だった気がする。おれの予想が正しければ、明日もおそらくハードスケジュールになるだろう。


 どういう形になるにせよ、そこで今回の幽霊騒ぎについては幕が下りるはずだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?