北関東

第6話:『北関東グレイブディガー』17

『手弱女が髪の如く縺れる束縛の銀よ』

 山刀を構え圧倒的なプレッシャーを伴って突進してくるシドウ。それにまず反応したのは、先ほどから黙して後方でおれに交渉を任せてくれていたチーフだった。

 プレートを掲げた詠唱に合わせて、ペンを操るのに使っていた銀の糸が水に溶けた塩のようにほどけ、目映く輝く蜘蛛の糸と化してシドウを捕らえようと迫る。そして真凛は迎撃の態勢。チーフが移動を封じて真凛が仕留める、即席のコンビネーションだった。

「私たちに二度も同じ手が――」

 そこに割って入る涼やかな声は、あちらの後方に控えていた『風の巫女』のものだった。前回の戦いで見せた疾風の魔弾は、凄まじい威力を誇る反面、長時間の精神集中が必要のようだ。すなわち、おれからしてみれば非常に妨害しやすい格好のカモ。そう思ってカウンターに備えていたのだが。

「通じるとは思わないでください!」

 無造作とも思えるほど素早く弦を引き、矢を放つ。詠唱もないので当然、あの凶悪な疾風の魔弾ではない。狙いも甘く、ただおれ達の方角に向けて放っただけ。ただの牽制攻撃か。ならば取るに足りない――おれはそう判断を下しかけ。

 そこでようやく気がついた。板東山の大気を震わせ、高らかに響き渡る笛の音を。

「そうか、『蟇目(ひきめ)』があったか!」

 日本の矢には、穴を開けた金具を先端に取り付けて射る事で、風を吸い込みあたかも笛のように音を鳴り響かせる類のものがある。これを蟇目と言い、神社ではしばしばこの矢を放つ儀式が執り行われる。

 清めの音を以て邪を打ち払う魔障退散の一撃……すなわちそれは戦場において、歪な理によって生み出された怪異を退ける呪術破りと化す。

「今です!四堂さん!!」

 チーフが展開した魔術の銀糸が、響き渡った大気の震えにまるで打ちのめされるかのように青白い火花を発し、千切れて消える。

 最初から支援を予期していたのか、四堂は一切動じる事無く当初の予定通り突進。立ちふさがった真凛に向けて巨大なナイフを振り下ろす――いや、そんな雑な動作ではなかった。

 それは何万回と繰り返され磨き上げられた武道の動き。小太刀の撃ち込みと呼ぶべきものだった。肩に食い込み、鎖骨を無惨に打ち割り腹まで斬り下げる斬撃が真凛を捕らえた、かに思われた。わずかでも反応が遅れれば本当にそうなっていただろう。

 だがしかし、必殺の一撃は、甲高い金属音と共に受け止められていた。

「……そっちばっかり武器を持ってると思わないでよね!」

 真凛の両手に握られ山刀を十文字に食い止めているのは一本の棒。その正体は、おれが昨日斜面を滑り降りるときに使用した縄梯子、『ハン荷バル君』である。この羽美さんご自慢のチタン製の小道具は、ワンアクションでヌンチャクや三節根にも……そして、刃を受け止める木刀もどきにも変形するのだった。

「ふっ!」

 不意に力を抜き、受け止めていた木刀の角度をゆるめる。食い込んでいたシドウの山刀が耳障りな音と火花を立てて下方に流された時にはすでに、真凛の強靱な手首が翻り、苛烈な面への撃ち込みに化けていた。これまた必殺の軌道。

 だがそこに、下方に流されて崩れたはずのシドウの山刀が魔法のように肩口から出現し、真凛の撃ち込みに合わせてきた。「受け止めて」、「流す」のではない。一挙動で「受け流す」、精妙な受太刀の捌き。

「……上手い……ッ!」

 真凛の驚嘆。言葉と動きのどちらが先だっただろうか。透明なガラス球の表面を滑るように弾かれた己の一撃。その隙間に入り込むように、またも魔法じみた挙動で今度は下段から跳ね上がるシドウの小太刀。首筋を狙ったその横薙ぎの一撃に、振り下ろしてしまった木刀での受けは間に合わない。

 刹那の思考、そして決断。大道芸じみた挙動でとっさに上体を海老のように反らせ、暴風の一撃にかろうじて空を切らせた。額のすぐ側を刃先がかすめ、浮き上がった前髪が数本中空で両断される。

 そのまま体重を後方に預け、鮮やかにとんぼを切って着地する真凛。距離を取って仕切り直し。対するシドウ、すでに山刀を片手正眼に戻し、微動だにせず。

 昨日から数えればすでに何度目の対峙か。こちらは木刀もどきを八相に構えた真凛が、ややあって感嘆の声を漏らす。

「”彼ノ勢ヲ制シ我ガ勢ト為ス之太極乃構エ”……小刀で大刀を制する受けの術理、だったっけ?口で言う人は沢山いたけど、まさか実戦で使える人がいるなんて」

 柔術、回復能力、そして剣の心得。これ程己とかみ合い、かつ底の知れない相手にはまず出会えるものではない。戦闘者としての真凛の貪欲な本能が悦びに震え、新しいおもちゃ箱を与えられた子供のようにその瞳が輝く。鉄塊じみたシドウの硬い気配が、ふと緩んだ。

「……それはこちらの台詞だ。七瀬が組討以外を使えるなど聞いていないぞ」

 シドウの言葉。真凛が苦笑する。

「専門じゃないんだけどね。剣を防ぐには剣を知らないといけないから一応練習はするんだ」

「その力量を一応で済ませるか」

 わずかに唇をゆがめたシドウの口調に、おれは我が耳を疑った。まさか、アイツが。

「”苦笑”しやがった……」

 我知らず漏れたおれの呟きは、誰の耳にも入ることがなかった。そこでふと、シドウの眼がまともに真凛を捉えた。

「奴とチームを組んでいるそうだな」

 おれは、今更ながらに気づいた。今の今までこの男は、真凛を徹底して『亘理陽司を殺す目的の障害物』としか見なしていなかった……いや、敢えて見なそうとしていなかった、ということに。

「……そう、だけど?」

 真凛の表情が厳しさを増す。シドウの目的はおれの殺害。その事実を真凛は忘れたわけではない。シドウの気配は再び鉄塊じみたそれに戻っていた。

「ならば問う。その男は、貴様がその背に庇う価値がある者か」

 ――殺戮の記憶。そういえばあれは己の罪だったのだろうか。それとも生まれる前から引き継いだ自身の原罪だっただろうか。

「アンタが昔アイツと何があったかは知らないけど」

 己の罪は己で拭う。それは人として在るべき象(カタチ)であり、なればこそ、己の為すべき何かを他者に見せる必要などあるはずもなく、他者の安易な踏み込みなど絶対に許すべきではない。

「ボクはボクが知ってる今までのコイツを信じるよ」

 そう誓ったからこそ、今この場所まで辿り着いたというのに、今さら。

「――ならば」

 シドウが片手正眼の構えに左手を添え、ずい、と歩を進める。八方に張り巡らされた剣気、いかなる太刀筋も受け払い斬り返すその所存。

「貴様の信ずるところにかけて、俺を止めてみせろ」

「……わかった」

 対する真凛は八相から大上段に。腰を据え手首を外に向けた姿勢、小癪な護りそのものを撃ち割り捨てるその覚悟。

「伊勢冨田流小太刀術、四堂蔵人」

「七瀬式殺捉術、七瀬真凛」

 両者の得物が描き出す制圧圏が球状を描く。互いの死を招くはずのそれが、まるで吸い込まれるように次第にその距離を詰めなお交錯し。互いをその圏内に捉えたその刹那、必殺の太刀筋が深々と交錯した。



「それにしてもなー。フレイムアップの連中はもうちょっと頭が良いと思ってたんだけどなー」

 ぼやきを口にしながら、苛烈な戦闘を背にして遺体のあるはずの場所へと向かうのは土直神と徳田だった。

「と、土直神さん、置いていかないでください……!」

 森の中、瓦礫と流木で抉られた即席の獣道では全速力で走ると言うわけにもいかず、まして素人同然の徳田もついてきているとなればそうそう無理は出来ない。直線距離で百三十メートルとは言っても、実際にはその倍近い距離を駆け足程度のペースで移動して、ようやく目指す場所に到着したのだった。

 こちらからふり返ると、ほんの百三十メートルしか離れていないはずの、四堂や清音達の戦闘の様子はまったく窺い知ることは出来ない。

「百三十メートル先の赤い岩。……ま、これだろうね」

 堆積した土砂と石の中に、一回り大きな岩が埋もれていた。不吉さを感じさせる暗い赤色の、重苦しい花崗岩のカタマリ。自然石のはずなのに妙に四角いその岩は、まるで森の奥地に作られた何者かの墓を思わせる。――いや、現地に来てみて確実にわかった。間違いない。これは確かに墓標なのだ。

 この巨大岩のために小田桐氏の遺体が見つからなかったと言うことは。

「……つまりあれか。土砂崩れの時に崖から吹っ飛んで落ちてきたこの岩に……」

「は、はやく退かしましょう、土直神さん」

 わかってますって、と徳田に応じると、早速タッチペンを取り出し、岩の周囲の土砂をマークし始めた。

「地盤が緩いとはいえずいぶん深く埋まってるねぇ。いったいどんだけの衝撃だったのやら。はいはい、か、ご、め、か、ご、めっと」

 岩そのものをどかすことはできないので、地脈のツボを打ち、岩の周囲の土砂を押し流す術を織り上げていく。

「もし、お、小田桐さんがその下にいるならその……潰れて……」

「いついつ、えーっと、こっちか、でやる、っと。……そもそも下にいるのは本当に小田桐さんなんですかね?」

「え?」

 手際よく術を組み上げながら、いつしか土直神の意識は昨夜見つけた情報を思い返していた。四年前行方不明になったというエージェント『役者』。その任務の内容は相当シビアなものだった。

 当時、昂光社が開発していた次世代三次元測定器『TKZ280』。転用すれば核開発を飛躍的に容易にするであろうその装置を、政情不安な某国に密輸しようとする動きがある、という情報がさる筋からその筋へとリークされたのだった。

 これを受けて国連と、その息のかかった日本国内のNPO法人ががなんのかんのと動いた結果、そのNPOと専属契約を結んでいたウルリッヒ保険が隠密で調査に当たることになる。そしてそのために派遣されたのが当時のウルリッヒのエース……誰にでも化けることの出来る最強の潜入捜査官、『役者』だった。

「徳田さんには悪いと思ったんすけど、昨夜遅くのことなんで、許可取らずにウルリッヒのデータベースを漁らせてもらったんですよ」

 ウルリッヒの共用サーバーを漁ってみたら、四年前に『役者』が送ったと思われる、中間報告書とその下書きが残っていた。『役者』は、その変身能力を遺憾なく発揮し昂光に潜入、かなり事件の核心に迫っていたようだった。

「……でね。その密輸の犯人が誰かと言いますと」

「ま、まさか」

 土砂に無造作にペンを突き立て、板東川がある方向に向けて矢印を刻むその様は、校庭で遊ぶ小学生と大差はなかった。

「そう。営業担当の小田桐剛史部長。そもそも海外への売り込みの責任者だった人だから、いわば最有力容疑者、一番の信頼を裏切ってたって事になるんスね」

 そして四年前。小田桐はすでに『買い手』と『商談』を済ませていたらしい。

「買い手……テロリスト、とかですか?」

「んー、もう少しタチが悪いッスかね。徳田さんもこの業界長いから、もしかしたら『第三の眼(ザ・サードアイ)』って聞いたことないスか?」

「き、聞いたことはあります。たしか、新興の武器商人グループとか……」

「そ。ロシアンマフィアを母体とする武器商人で、カネになるなら地雷でも毒ガスでも売りまくるって連中なんだって。最近は子飼いの異能力者やら払い下げのサイボーグもかなり抱え込んでいるらしくって、ずいぶんブイブイ言わせてるらしいっすよ」

 矢印をいくつも描くと、今度は散らばっている石に一つずつ触れていく。

「そんな奴らに核開発の技術を……」

「たいした売国奴って感じっすよねえ。おいらぁ愛国心とか恥ずかしくてとても口に出せないけど、さすがにカネのためにヨソに核を売り飛ばす気にはなれないや」

 『役者』はすでに状況証拠を固めていた。そして決定的な証拠――『買い手』と『商談』を済ませた小田桐が実際に現物を持ち出す『取引』の瞬間を狙っていたのだという。

「……でもそれが、データベースに残っていた最後の報告書でした。恐らくその取引の現場を押さえようとして何かがあって……」


 ”――帰還せず。連絡途絶”


 一流のエージェントは姿を消した。

「……連絡が取れなくなったんすけど、潜入捜査だからウルリッヒの方から連絡を取るわけにはいかなかったらしい。そうこうするうちにTKZ280は無事に正式発売され、某国に輸出されたという情報もとくには無く」

 今度は矢印の交わる箇所をざくざくとペンでつつきほじくり返す。見ている分には本当に子供の砂遊びと代わらない。

「密輸疑惑はいつの間にか風化してしまった……ということですね?」

「そ。犯人と目されていた小田桐さんも、その後特に不審な挙動も見せることなく現在まで会社勤めを続けてる。いなくなったのは『役者』ただ一人ってワケです」

 そしてその四年後。今度はその小田桐さんが行方不明になり、あちこちで幽霊騒ぎが起き。土直神達はこうして、その墓を暴こうとしている。

「偶然にしちゃあ、出来すぎてる、っすよねぇ」

 そもそもは土砂崩れに関わる遺体を捜索する任務のはずだった。ウルリッヒ社員の徳田が気づかなかったのも無理はないだろう。だがひとたび関連性に気づけば、これほど怪しいものはない。

「そこで問題になってくるのが、清音ちんの心証ってワケで」

 直観を重視する巫女が、『あの霊は小田桐氏とは思えない』と言った。もちろん的外れの可能性も十分あるし、警察の捜査と矛盾するようなら笑い飛ばしたってかまわない。

「だけど、もし『ここに埋まってるホトケさんの霊が、小田桐さんでない』と仮定してみたら。それは何を意味するんだろう?」


 じゃあ、小田桐さん以外にこの辺りで『いなくなった人』はいるのか。


 一人、いることはいる。だが、当然時間が合わない。彼がいなくなったのは四年も前だ。

「で、昨夜布団の中で珍しく健全に悶々としてたワケなんスけど。ちょっと考え方を変えてみたら意外と簡単にパズルがはまったんです。うしろのしょーめん……」

 中腰のまま、岩をぐるりとタッチペンの線で囲む。
 

 

 四年前にいなくなったのが『役者』ではなく別の人だったなら。

 

 先日の土砂崩れで小田桐さん以外の人がここに埋まる事が可能となる。 


 
「だから、この任務を完結させようと思ったら、小田桐さんの遺体を確認するんじゃなく……だ・あ・れっと!!」

 最後に、岩そのものをタッチペンで軽く触れると。

「まずはこの四年間、小田桐氏として昂光で働き、群馬に良き家庭を持っていた夫であり父だった人は、”いったい誰だったのか”を確認しなきゃならないってワケ」

 土砂がまるで水と化したかのように流れ去った。岩がどれほど深く埋まっていようが、埋まっている土砂そのものがなくなってしまえば、それを退かすことは容易い。

 そしてバランスを失った岩はごろりと転げ落ち。


 隠されていたものが、ようやく昇り始めた陽の下に曝け出された。

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