第2話:『秋葉原ハウスシッター』09
「はぁ~、お腹一杯だと幸せだよねえ」
「……奢りならなおさらな」
途中の蕎麦屋で昼飯としてざる蕎麦六枚とカツ丼セットを平らげ、おれ達は千代田区のマンションに戻ってきた。ちなみにおれが食ったのはざる一枚な。なんていうかおれのバイト代の経費はほとんどコイツのメシ代に消えているんじゃないだろうか。
別に年上の貫禄で奢ってやる、というわけでもなく、ただたんに毎回連続でジャンケンに負けているということなのだが。何故だか知らんがこいつ、ジャンケンが反則的なまでに強い。いちおうその凄まじい動体視力を使った反則はしていないらしいが、だとすればなおさらとてつもない強運ということにもなる。入った店が高田馬場の学生向けの店で助かったぜ。
「くそう。前金がほとんどパァだぜ。何としても成功報酬を貰わないといかんな」
おれ達の任務には経費という概念が極めて希薄だ。おれ達には任務に従事する際、かなり自由な行動権が与えられる。かと言って、事務所としてもあまりに好き放題やられて費用が依頼料を上回るようなことになれば本末転倒である。特にウチの連中は派手な事をしたがる、せざるを得ない奴らが多いので尚更だ。
結局、このような事情が相まって、現在のところは自己採算性ということに落ち着いている。つまり、報酬額は充分に支払われる代わりに、任務中に発生する諸々の費用は全て自分持ち、というわけ。高めの報酬を手に入れたければ、『なるべく安上がりに』解決せねばならない。反面、経費をケチって任務を失敗しては目も当てられないので、おれ達としては常に己の財布と相談しながらの任務遂行となる。
中には己の能力を行使するのに特殊な媒介、例えば宝石や呪符など、を用いる奴もいて、そういう連中は媒介を通じて一段強力な力を行使できる反面、毎回収支を合わせるのが大変らしい。
ともあれ、マンションの玄関を空けると、相も変わらない緑のスイカの海の中、これまた不景気な面でコンビニ弁当と向かい合っている直樹がいた。
「早かったな」
「羽美さんがいたからな」
「そうか……」
その一言で大体の事情を察したらしい。直樹は黙々とチキンカツ弁当を平らげていく。
「なんだ、ジャンクフードは嫌いじゃなかったのかよ」
「嫌いだ」
「だからってそんなに仏頂面で食べるなよ。弁当に罪はないぞ?」
こいつは貧乏人のくせにやたらと衣食住にこだわる。昔の羽振りが良かった頃の癖が抜けないのだろう。出来合いのコンビニ弁当やら二束三文の投売り衣料はこいつの嫌いな最たるものだ。
とはいえ、いくら嫌ってみたところで財布が無ければ何も文句は言えないのがこの東京砂漠。結論としてこいつは現実と折り合いをつけつつ理想を追求していくことになる。その成果か、ここ数年でこいつはブランド品の特売やらスーパーの食材の相場やらにやたらと精通した。主婦もびっくり一家に一台、お買い物の達人に成長したのである。
そうやって身を削りつつ見栄を張って、得た報酬は先ほどのような趣味の領域につぎ込んでいるのだから、やはりこやつの考えることはおれには理解できない。
「衣食住を満たして趣味にまで金を使えるのだ。これほど幸せな人生はないぞ」
ああそうですか。お前に将来の夢って言葉は、ってまあ将来って言葉自体あんまり意味がなかったっけかな。食うか、と直樹が残りの弁当を押しやってきたのを断り、おれは今までの事情を説明した。直樹は眼鏡を押し上げ、
「では、これから埼玉のその死別した奥方の実家とやらを訪問するというわけだ」
「そういう事になるな。お前はどうする?」
「ふん。午前中はゆっくり居眠り出来たことだし、流石にそろそろ留守番も飽きてきたな。真凛君さえよければ、今度は俺が出よう」
午前中から読みふけっていたらしいライトノベルを鞄に仕舞いこむと、一つ首を鳴らして立ち上がる。
「貴様はどうするのだ?」
「どうしようかね」
正直なところ昨夜もゆっくり眠れていないので、真凛と直樹が出て行くというのならおれはここで今度こそごろ寝を決め込みたいところなのだが。
「ボクは直樹さんと一緒のほうがいいなあ。陽司と一緒だとこっちの品位も疑われるしね」
などと抜かすお子様。犬ですらメシを奢ってやった恩を忘れぬというのにッ。だいたい街を特大フィギュアをぶら下げて歩く人間と共に歩いて品位が疑われないと言うのか。おれなんてせいぜい街を歩く美人のお姉さんを見つけると気になって一日後を追跡してみたりする程度だぞ。何がいかんのだ。顔か。顔なのか!?
「まあいい。とにかく。そっちは特に変わったことはなかったか?」
おれは投げやり気味にザックをスイカの海の向こうのテーブルに放り投げた。狙いは外れたがどうにか片隅にひっかかった。
「ふむ、そうだな。しいて言えば宅配便の男が来たくらいか」
「宅配便?」
真凛と思わず顔を見合わせてしまう。
「一応俺も貴様の話は聞いていたからな。ほれ」
直樹がひょいと投げて寄越したのはうちの事務所の小道具の一つ。全体から突き出た無数のコネクタでありとあらゆる回線から貪欲に情報を吸い上げるマルチ録音録画システム『シャー録君』である。
「インターホンのジャックにかましておいたから、映像は撮れているはずだ。見るか?」
そういうことなら異論は無い。おれはさっそくシャー録君内臓のUSBケーブルを引っ張り出すと、断り無しで直樹のノートPCに接続した。
「ああ。こりゃ昨日も来た宅配便のおじさんだな」
録画されたインターホンの画像はまさしく昨日来た、やたらと元気のいいあのおっさんであった。これならば取り立てて騒ぐことでもない。
「昨日、また後日伺います、って言ってたからなあ。また今日来てみたんじゃないのか」
「それもそうだな。では我々も奥方の実家に赴くとしようか」
「ちょっと待ってくれませんか?」
異議を申し立てたのは真凛だった。
「なんか気になるところでもあったか?」
「もう一回戻してみてよ」
おれが見た限りでは特に不審な動きはなかったが。ともあれおれは画像再生ソフトをクリックして映像を巻き戻した。それを食い入るように見やる真凛。そういや昨日はおれが応対に出たから、こいつは直接宅配便のおっさんを見てはいなかったな。
「この人、本当に宅配便の人かな」
「どういう意味だよ」
真凛の頬が緩んでるということは、結果はだいたい想像できるが。
「軍人の歩き方をする宅配便の人って、日本にはそうは居ないと思うな」
「兵隊の歩き方って。お前そんなもんわかるのか」
「昔良く大会に飛び入りで参加してくる元軍人の外人さんたちがいて。そういう人に共通する歩方だった。歩幅がかっちりしてるからすぐわかるよ」
ドコノ大会デスカ。
「ははあ。じゃあマシンガンでも持って攻め込んでくるとか?宅配便のおっちゃんが」
冗談のつもりだったのだが。
「陸軍の人とはちょっと違うと思う。どっちかって言うと、もっと身軽な武装を前提にしてるかも」
「軽装と言うと、ナイフ、拳銃といった所かな」
横から口を出す直樹。
「ええ。それとあんまり表に出てくる人じゃないみたいですね」
「と言うと?おい亘理、拡大して見ろ」
「へいへい」
どうでもいいが三人いると狭くてしょうがない。
「……やっぱり。歩行に癖があります。意図的に隠しているんだろうけど、歩くたびに足の裏に重心が移動してる。これ、忍び足の要領ですよ」
「忍び足が日常化しているような生活を送っている、という事か」
「んで歩調は軍隊調、だろ。と言うと……」
どっかの特殊部隊、というところだろうか。
「あるいはどこかの秘密警察とか、な」
直樹が苦々しげに呟いた。どうもこいつはこの種の手合いと反りが合わないらしい。
「どこかの軍人が足を洗って宅配便会社に勤めてる、って線を期待したいところだがなあ。まあ無いだろうな。要注意人物、以後は来ても応対しない方が良いな」
「真凛君。一つ聞くが。その男の歩き方から、得意そうな間合いとかはわかるかい?」
間合い、とくればこいつの得意領分だ。何と言っても相手の体勢から弾道すら見切る娘である。と、真凛の顔がふと曇る。
「どーした?」
「うん。この人の腰の入れ方だと明らかに一足一刀以上の遠間を想定した攻撃を繰り出してくるはずなのに。歩き方はほとんど武器を携行しないものに近いんだよ。癖をここまで消せるものなのかな、だとしたら相当な強者だけど」
んー。よくわからん。ちょっと整理。
「つまりこういうことか。槍みたいな長い間合いで攻撃するのが得意のはずなのに、普段は槍なんて持ち歩いていない、ってわけか」
「うん。そんな長いものをぶら下げてれば必然的にどこかバランスが歪むはずなんだけど」
「そりゃ、誰だって昼日中から槍なんぞぶらさげて歩いている奴はいないよ」
「そう。忍び歩きが習性になっているような人だし。だからこそ、長い槍を扱うことが信じられないんだ」
ふぅむ。
「何、そう悩むこともあるまい。事態はもう少し簡単なのではないかな」
「え、どういうことですか?」
「ンだよ、言いたいことがあるならさっさと言えよ」
「そうだな。例えば、そいつの攻撃方法が『手から何かを槍のように伸ばす』だとかな」
あ、とおれと真凛の声が重なった。
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