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EX3話:『アボーティブ・マイグレーション』05

『”シャチについて”――続き。シャチは基本的には冷たい水を好みますが、世界中のあらゆる海に生息し、ヨーロッパやアフリカ、日本の海でも目撃されます。彼らは餌を追いかけて、夏には北極海、冬には赤道まで移動します。彼らの移動は一年で一万キロ以上にもおよび、これを『回遊』と呼びます。解説の続きを聞きたい時は、次のボタンを押して下さい』


 というわけで、真凛を人質に取られる代わりに解放されたおれは、すごすごと通路を逃げ戻った。

 大ホールから離れ、入口付近まで一気に戻る。なまじ外に出てしまうと、周囲を包囲している警察とのやりとりが面倒くさい。

 受付用の机裏のコンセントから電気を拝借すると、おれは多機能携帯をフル稼働させて片っ端から電話を飛ばしまくることとなった。

「――ええ、ですから! とりあえずボートは用意して欲しいんですよ常務。使わせるかどうかは別として、現物が目の前にあった方が相手の警戒心も……。ええ。ええ。…………はァ!?役員会の承認が必要!?アンタこの件では全権限もってたんじゃなかったのか!?委任状はどうなるんスか? ……はあ。……はあ。形だけぇ?つまり、最初から強行突破以外の選択肢はなかったと? …………いや、そうでしょ。まさにそういうことじゃないですか。あのねえ、カードを切る権利がなきゃテロリストと交渉なんて出来るわけ…………あ、ちょ、オイ! ――クソッ! 結局最初っからモーターボートなんか用意させるつもりなかったんじゃねぇかまったく。どうなってんだよこれ!」

 おっけー落ち着け亘理陽司。お前はこの程度のクソな事態は何度も経験してきている。この程度の最悪でいちいちキレてたら身がもたない、そうだろう?気を取り直して次のステップへ。

「あ、もしもし所長? どうなってんすかこの案件!!超特急の飛び込み案件だからどうしても、って言うから引き受けてみれば、敵の情報は足りてない、依頼人はビビって権限をろくに寄越さない。こんなんじゃマトモな交渉なんて出来るわけがないじゃないですか!…………え。……いやまあ。そりゃ、今回は報酬はいつもよりちょっと高めでしたけど。それが?………………ハァ!?まさかアレっぽっちの報酬上乗せで任務の条件に折り込み済みとか言い張るつもりじゃないでしょうね!?あのねえ、真凛が人質になってるんですよ! …………む、ま、まあそりゃ。確かにそれはおれのミスですが、それだってそもそも情報が、…………ってあ、ちょ、待って下さい所長、おい待てコラ!」

 
 ――うん、まあ、なんだ。

 たしかに先日、家賃用としてとっておいた虎の子で仮想通貨Vコインを買ってしまったおれが悪い。

 ……なんで株と仮想通貨は買った一週間以内に暴落するんだろうな。

 自分の人生はトゥルーマン・ショーばりに誰かに監視されていて、世界経済の相場は視聴者が面白く転がるようにスイッチされているのではないか?みんなそう思ったことはないか?

 んでまあ水道光熱費を猶予してもらってる状況で割増依頼を受けざるを得なかったのは確かだ。

 でも割増条件が敵の情報、正体、人数不明、依頼人からの交渉カードなしというのはもはやレイヴンでネストな案件ではなかろうか?イレギュラーにもほどがある。

 あはははははは。

 ははは。

 は。

 深呼吸。

 吸ってー。

 吐いてー。

「あ、ン、の、女狐め!そもそも景気のいいこと言うのはいつも依頼の時ばかりで蓋を開けてみればいつもこんなだそのくせ支払いの時はなんのかんのとマージンを抜きやがってどうせ今回もインフラ部門に食い込んで甘い汁吸いたいからって特急案件で条件ゆるゆるで無理矢理引き受けてきたに決まってやがる貧乏くじを引くのはいつもおれ達だチクショウチクショウチクショウチクショウチクショウチクショウチクショウチクショウチクショウチクショウあ゛~~~~~~~~~もう!! またこうなるのかよチクショウ毎回無茶ぶりにも程があんぞどいつもこいつも!!いいよ!わかったよ!!結局は現場でなんとかしろってことだろいいよやるよやってやんよ!! おいマクリール、どうせ聴いてんだろ返事しろコラァ!」

 水族館の受付部屋の床で体力が七転八倒して奇声を上げてセカイの理不尽に中指を突き立てて悶えのたうち回ることおおよそ五分、さほどない体力を使い切る頃には脳がかなしい現実を受け入れていた。

 ――そうなればやるべきことは一つ。手持ちのカードをかき集めて、いつものように勝負に勝つだけだ。

「一から仕切り直しだ。集めるだけ情報を集めるぞ手伝え。今回の爆弾テロ、アースセイバー、それから彼女、『白シャチ』――祥子、と言ってたな? どんな些細な情報でもいい、なんとか突破口を見つけるんだ、二時間で。いいな!?」

 携帯が振動する。

 バックアップのハッカー『マクリール』が仕事を開始した合図だった。

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