第2話:『秋葉原ハウスシッター』08
「……と言っても、実際にやることはネット上の検索なわけですか」
おれは事務所の奥にある石動研究所(和室六畳間。ちなみに隣には洋室六畳の仮眠室がある)に通された。和室と言いつつ無数の配線と機材のジャングルに埋もれ、畳なんか一平方センチメートルだって見えやしない。羽美さんが巨大バイスの上にノートPCを乗っけてソフトを起動させる。おれはと言えば座るところも無いので、立ってPCを覗き込むしかない。
「まあな。来音のように紙媒体の資料を地道に漁ると言う手もあるが、今回はそこまで悠長に調べている時間は無いのだろう?」
おれは頷く。うちの事務所の情報は、ほとんどが羽美さんがネット上で集めてくるデータと、来音さんが官公庁や図書館、各種年鑑から調べ上げてくる書類、所長の人脈に拠っている。今回は来音さんにも動いてもらっているが、今夜にもあの黒いコートの怪人が再度襲ってくるかもしれないとなれば、情報は出来るだけ早いうちに揃えておきたいものだ。
「そこで、コイツの出番となる。石動研究所謹製、機能拡張型検索ソフト『カー趣夫人』であるぞ」
「……ただの検索エンジンじゃないっすか」
起動されたのはごく一般的なブラウザソフト。そこには検索エンジンと思しき、キーワードを入力するだテキストボックスが一つあるだけのシンプルなページが表示されている。どうやら羽美さんのオリジナルのようだが。
「如何にも検索エンジンよ。だが、『ただの』ではないぞ」
羽美さんは『笹村周造』と打ち込むと検索ボタンを押した。たちまち表示される『笹村周造』の文字を含むページ。そこには同姓同名かと思われる『笹村周造』氏の情報がいくつかと、無数の『笹村』さんと『周造』さんの情報が含まれている。
「つうか。ここまでならおれでもすぐ出来るんですが」
というか、中学生でも思いつくぞ。初恋の人の名前を何となく入れてみたりとかな。
「そんなことをやっていたのかね?」
いやまて、みんなやるだろう?少なくとも自分の名前を入れてみたりとか。
「まあ待つがよい。亘理氏。貴公の調べたい『笹村周造』はこの中に居るか?」
無数に表示された検索結果を眺める。クランビールの研究所のページの社員名簿一覧の中に『笹村周造』と確かにあった。
「この人で間違いないでしょうね」
「そうか。ではこの人物についての情報を集めるとしよう」
羽美さんは手際よく、そのページの『笹村周造』のテキストをダブルクリックした。
瞬間。
ブラウザソフトが猛烈な勢いで情報を吐き出し始めた。並行して無数のファイルがノートPCのデスクトップ上に積み上げられてはフォルダに格納されてゆく。
「な、何をやってるんですか?こいつ」
「いやあ。実際の所片手間に作ったものであまりたいした事はしておらんのだ。クラウド上に放牧している人工知能と連動させた検索システムでな。文面からこの『笹村周造』氏の周辺情報、例えば三十台男性であるとか、クランビール社員であるとか、大学はどこか、などを読み取り、それ自身をキーワードとして再検索。
結果を元に『笹村周造』の情報を再強化。今度はそれによって得られた学生時代の研究所名や入社年度をキーにさらに再検索……と繰り返していく。人間がネット上で個人の情報を追跡する時と基本的には同じだが、これを人工知能の速度で、徹底的にやりつくす。SNS上に泳がせている人間に擬態させたbotも使用して、対象が使用していると思わしきアカウントを絞り込む。
キーワードを選択するセンスと、紛らわしい情報や嘘を見分けるカンにはまだまだ改良の余地があるが……ま。五分も検索すればそれなりに成果が出るはずであるよ」
それは結構凄いことなのではないだろうか?
「たいしたものではない。大手検索会社はすでに着手しているしな。小生がこれを作ったのはひとえに我が終生の目標の為よ」
「ああ、美少年アンドロイドを作るのが夢なんでしたっけね」
ここらへんは深く突っ込まないでおいてやって欲しい。
「ハッキングとウィルスを連動させて、よりプライベートなデータベースからも情報を奪ってくるように強化してみるのも一興かも知れんな」
「そ、それはいくらなんでも犯罪ゾーンぶっちぎりかと」
「おう、そんなことを言っているうちに出来上がったぞ」
チーン、と一昔前の電子レンジのような間抜けた音がして、検索ソフト『カー趣夫人』は終了した。あとに残されたのは一つのフォルダのみ。おれはそれを開く。
「……凄い」
中に入っていたのは一つのHTMLファイルだった。そこには、『笹村 周造』氏の生誕地、学歴、就職先、転居の履歴、健康状態、現時点の身長体重。予想される趣味や好き嫌い。ネット上のハンドルネームや、頻繁にアクセスしているサイトまでがずらりと列挙されていた。しかもどこから手に入れたのか、学生時代の写真や子供の頃の写真まで添付されている。
「ふぅむ。やはり一流企業の優秀な研究者ともなれば、それなりにネット上に経歴や足跡を残している。ウェブ上の情報でも、力技のストーキングでそれなりには見られるようになると言うことだな」
のほほんとのたまう羽美さんとは対照的に、おれは冷や汗を禁じえない。これでは個人のプライバシーなど丸裸も同然ではないか。
「なあに。ここに上げられているのは全て推測だ。鵜呑みにすれば痛い目にあうのは貴公の方だぞ?」
言ってにやりと羽美さんは笑う。
「それを確かめるのが貴公らの仕事だろうが」
それもそうか。おれは頷くと、羽美さんが助けてくれたこのファイルを丹念に見てゆく。クランビール勤務。それ以前は某大学の農学部の大学院に在籍していたのだそうだ。ここらへんは所長が事前に調べた情報とも合致する。その前は、と。おや。
「結婚してますね、この人」
「ふふん。それも婿養子に入っているようだな」
ああ、なるほど。姓が変わっているわけだ。普通に検索しただけでは旧姓の情報は取りこぼしているかもしれない。おれは結婚前後の情報を集中的に調べてゆく。
「旧姓『吉村 周造』。大学農学部在席時に同大学国際学部の『笹村 瑞恵』氏と結婚。以後、笹村姓を名乗る。へぇー。学生結婚か」
おれにとってはまるで異星の出来事である。
「大学院生ならそう珍しいことでも無いとは思うがな」
「そういうものですかねえ、っと。ちょっと待った。奥さんが居る人が東京で一人暮らしってことは、単身赴任か?」
「いや。ここに書いてあるが、笹村瑞恵氏の実家は埼玉県の草加市だ。入り婿なら充分に通えるはずの距離だぞ」
「羽美さん、この瑞恵さんについて同様に調べることは可能ですか?」
「無論の事」
言うや、羽美さんは再びPCを走らせ、猛烈な勢いで情報が吐き出される。ファイルが完成されるのを待っている間に、部屋に所長が入ってきた。
「三日見ないと新しい機材が増えてるってのはどういうわけかしらねぇ」
「何。必要経費だよ社長ッ。経営者は細かいことを気に病んではいかんッ!」
ちなみに羽美さんはなぜか所長のことを『社長』と呼ぶ。
「こないだ回してくれた領収書。ソフトって書いてあったけどアレ、ファミコンのゲームでしょ?」
「イ、インスピレーションを養うのに必要なのだよッ」
そういや地底大陸オルドーラなんて買ってたな、この人。
「さ、さあ亘理氏。待望のデータが完成したぞ。見てみタマエ」
露骨な話題のすり替えだったが、このままでは何時までも話が進まないので乗ることにした。おれは眉を顰める。
「死別してますねえ」
笹村瑞恵氏は大学時代に国際学部に所属していたとの事だが、どうにも日本の枠には収まらない人物だったようだ。結婚後は商社に就職し、学生時代に培った語学の知識を生かして各国で働くかたわら、ボランティア活動にも力を入れていたようである。まさしく国際派キャリアウーマンを地で行っていた、というあたりだろうか。
「死因は……飛行機事故、か。旦那さんもやりきれないわねえ」
東欧の某国を移動中に飛行機が墜落して、奥さんは帰らぬ人となったのだそうだ。その後も笹村周造氏は『笹村』の名を変えず、現在も己の仕事を継続しているのだと言う。資料をしばらく見ていた所長がおもむろに口を開いた。
「亘理君。笹村氏って他に家族はいるの?特に都内に」
「えーと。実家は福島の方みたいですね。ご両親は学生時代にすでに他界されてるし、親しい親戚はここらへんにはいないみたいです」
ふむ、と所長は形の良い顎に指を当てて考えた。
「じゃあ十中八九、笹村さんがいるのは奥さんの実家でしょうね」
「そんなことわかるんですか?」
「まあねえ。そういう人ってね。割と結婚するとき『家族』を求めるものだから。ただ好きな人と結婚するだけじゃなくて、その人の家族の一員になろうとすることが多いのよ。笹村さん、子供もいなかったんでしょう?何かトラブルに遭遇したのなら、戻るのは自分の『家』じゃないかしら」
そんなものなのだろうか。
「さすが所長!感服しました。さすが不倫慣れしていらっしゃる。三十男の心理は手にとるようにわかるというわけですね!」
「殴るわよ?」
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