北関東

第6話:『北関東グレイブディガー』10

「……なんですか、あれは?」

 アーチェリーを構えたまま清音は思わず叫んでしまったが、それも仕方がないことだった。何しろそこには、あまりにも場違いな人間……こんな山中には不釣り合いな女子高生と思しき少女と、もう一人、奇妙に印象の不鮮明な青年が居たのだから。

 まして、その少女の方が、彼女の同僚にして白兵戦の達人であるシドウに手傷を負わせていたとなれば尚更だ。考えられる理由はただひとつ。彼女達もまた、”同業”だということだ。

「にしてもよぉ。いきなり警告なしでぶっ放すのはさすがにヤベェんじゃないの?清音ちゃん」

 いささか呆れ顔で土直神がつぶやく。

「――あ、そ、そうですね。すみません」

 清音が駆けつけざまに青年に向けて放った矢は、結果として相手が同業者だったからかわされてしまった。だが万一、これが山に迷い込んだただの学生だったのなら、矢が命中して間違いなく大怪我になっていたはずだ。責任問題どころか歴とした傷害罪である。

「まぁ結果オーライだけどさあ。らしくないっつうか」

 弁解のしようもない。本来、清音は戦闘を好む性格ではない。だが、清音がシドウの様子を確かめに駆けつけたとき。少女の隣にいる青年から、異様な――そう、異様、という言葉くらいでしか表現ができない気配を感じ取ったのだった。

 巫女の家柄の清音は、生まれつき霊の気配を察知する力に長けているし、やや人間からはみ出した血筋の者や、魔術師や超能力者とも仕事をして、彼らの独特の”雰囲気”は知っている。だが、あのとき。青年から発せられていた気配は明らかにそれらとは別物だった。

 気がついたときには、清音はほとんど直観的に矢を放っていたのである。恐怖や嫌悪といった感情とは微妙に違った。なんというか……本能的に、”それをここから追い返さなければいけない”使命のようなものを感じた、とでも言えばいいのか。

「んでさ?ぜんぜんおいら状況が飲みこめねーんだけど。清音ちゃんわかる?」

「無茶な振りしないでくださいよ。私だってさっぱりわけがわからないんですから」

 あの二人が同業者だと言うことは納得してもいい。

 ついでに言えば、清音よりも小柄な――さすがにあれには勝ったと思う、色々――女子高生が、シドウに傷を負わせたということも、この業界ならありえないことではない。

 だがしかし。清音の儀式を妨害するほどのシドウの戦意、いや、殺意は、目前の女子高生ではなく、後ろの青年の方に向けられていることが不可解だった。先ほどの気配といい、この青年には何かあるのか。

 判断をする暇もなく、シドウが動いた。清音たちの参戦に驚いた相手の隙に乗じて、すかさず青年のほうにつかみかかったのである。そこに女子高生が割って入り、たちまち二人は熾烈な戦いを繰り広げる。なるほど、女子高生の方は相当の武術の心得があるらしい。

「ちっ、いまさら落ち着いてお話し合いしましょ、なんて言える雰囲気じゃないってか」

「とにかく、援護します!」

 清音は腰に装着した、緋袴とマッチしないこと甚だしい矢筒から新たな|矢を引き抜いて、アーチェリーに改造された霊弓につがえる。

 片や土直神はと言えば、またしてもポケットから携帯ゲーム機を取り出すと画面に視線を落とした。そして地面にかがみこむと、タッチペンで地面に触れてなにやら小さな丸を描き、気のいい兄ちゃんそのものといった表情を曇らせる。そして、

「……やっぱさっきの場所だな。二人でもヤバそうだったらあそこまで戻ってきてくれ」

 そう言い残すと、くるりと踵を返し、今来た道をまっすぐ戻っていってしまった。それに振り返らずにうなずいて、清音はつがえた矢を向けた先に意識を集中する。

 シドウと女子高生の戦闘は膠着状態に入ったようだ。青年の方は負傷しているのだろうか、後ろに下がっている。めまぐるしく位置が入れ替わる接近戦に割って入る余地はない。

 それならば。

 清音は弓を打ち起こす。

 姿勢、という言葉そのままに、構え姿の持つ勢いを利して流れるように|引き分け。そのまま更に弓を押し出しつつ弦を引き絞り、”会”へと至る。弓というものは、撃とうと思って撃つものではない。たまった雨露が自然に地に落ちるように、自然と己の心技体が充実し、会から自ずと”離れ”に至った時、真の射となる。例え和弓であろうと洋弓であろうと、その理は変わらない。

 そして。風早清音はただの弓使いではない。

 『風の巫女』には、さらにまだその先がある。

 満月を連想させるほどに引き絞られた状態を保ったまま、清音はまたも言葉を口ずさむ。一音一音に力を込めるように。

「と・ほ・か・み・え・み・た・め――」

 祓詞に応じ、再び清音を中心として周囲に風が渦巻く。否、その中心は清音自身ではない。清音のつがえた、矢の先端であった。



 頭から冷や水をぶっかけられたようだった。


 ――何をやっているのか、おれは。

 森の奥から攻撃をしかけてきた場違いな二人は、明らかにおれ達の同業者。つまりはシドウの仲間と考えるべきだろう。真凛に突き飛ばされなければ、さっきの矢の一撃で即リタイヤしているところだった。

 ……バカが。冷静になれ。

 真凛に言いきかせるどころではない。おれはまず自分自身のアタマをクールダウンさせなければならなかった。先ほど感情にまかせて、おれは何をしようとしていたのか。

 アレは、アレと同質のモノに関する戦いの時だけ呼び出すべきもの。力欲しさに感情にまかせて振るうのであれば、おれのメンタリティはキャンディ欲しさにライフル銃をぶっぱなす子供と大差がないことになってしまう。

 正直まだシドウの野郎は殺してやりたいが、だとしてもそれは別の手段によってでなければならない。

 絞められた首の跡が痛む。くそっ、認めなきゃいけないんだろうな。たぶんおれは今、焦って集中を欠いている。全く偶然に旧知の人間に出くわし、殺されかけた事。そして。

 シドウと斬り結ぶ真凛の背中が目に入る。

 組み技は危険と見た真凛が、徹底的に腕や足など先端部分に攻撃を加えるのに対し、シドウはもはや隠す必要の無くなった回復能力を全開にし、文字通り肉を斬らせて骨を断つ機会を伺っていた。

 ……とにかく、今は目の前の事態を切り抜けることを考えなければならない。現れた増援のうち、妙なファッションの男の方は撤退し、巫女姿の少女の方は、すでに第二射をつがえようとしていた。どうやら男の方は戦闘系の能力者ではないようだ。となれば、増援はこの子一人ということになる。

 真凛とシドウが高速で接近戦を演じている以上、狙ってくるのはまず間違いなくおれだろう。おれはひとまず獣道から森の下生えの中へと飛び込み、立木を盾にして身を隠した。腰までが下生えに埋もれ、むっとする草いきれの臭いが鼻をつく。

「さすがに飛び道具は卑怯だと思うんだよなあ」

 おれはぼやいた。銃で狙われるのは、悲しくもずいぶん慣れてしまった身であるが、弓矢で狙われるというのはまた別の恐怖である。何しろ相手とこれだけ離れていても、ぴりぴりと張り詰めた空気がはっきりと伝わってくるのだから。

 一流のハンターと対峙した野生動物の気分だった。対策を練ろうにも、とにかく相手の情報が足りない。銃ならいざしらず、弓矢ならば木の幹を貫通することは出来ないはずだ。時間を稼ぎながら、少しでも状況を打開するヒントを見つけださなければならない。木立の影から様子を伺う。

「……あれ?」

 すると、獣道の奥で弓を引き絞った巫女の少女は、おれが森の中に逃げ込んだことを気にも止めず、無造作におれのいる方向に矢を向け――そして、放った。


 刹那。


 おれの前にあったはずの立木が消失した。

 耳の奥で、わずかにきぃんと不快な音がなったような気がした。

 そしてそんな事を知覚する余裕はまったくなく。

 おれは、爆発に巻き込まれ土砂ごと無様に宙を舞った。



 カマイタチ、突風、つむじ風。

 ゲームや小説でも散々登場する『風使い』の攻撃のイメージは、だいたいこんなところだろう。確かに、この派遣業界にも、こういった能力を持つ人間は多数いる。

 だが、風早清音からしてみれば、それはただ”風を吹かせている”だけであり、風を”使っている”わけではない。

 そうした風による攻撃は、石をぶつける、火で燃やすといった他の系統に比べても効率が悪く、どうしても馬力勝負になりがちだ。それを嫌い、天之御柱の力を借りて風を操る清音が選んだ攻撃方法は、実に合理的で恐ろしい物だった。

 充実した心技体より繰り出された”離れ”の時、アルミ合金とカーボンフレームで出来た弓と、アラミド繊維で縒りあげた弦に満々と蓄えられた力は、全て矢に転化され撃ち出される。通常どんな強弓であろうと、撃ち出された矢は空気抵抗によって減速し、いずれ地に落ちる。当然の物理法則だ。ここまではいい。

 だが、清音は風早の霊弓を媒介として、矢の先端に圧縮された小さな風の塊を纏わりつかせていた。

 これは清音の風使いとしての技量の精髄とも呼べる物で、まず猛烈な勢いで後方に空気を噴射し、矢を前方に押し出す。そしてその速度が一定域に達した時点で極小の渦を形成。前方の空気流を吸い込み圧縮して後方に噴射することで、さらにもう一段階爆発的な推進力を得る。いわば擬似的なジェットエンジンを構成するのだ。

 そう。元来、風というものは、物体を”加速させる”時にこそその真の威力を発揮する。そしてその速度を最大限に生かすのが、今回清音が使用した矢である。

 鏃の中に鉛を詰め込み通常の倍近く重くした規格外のシロモノで、これが際限なく加速され音速を凌駕したとき、その最大破壊力はアンチマテリアルライフルに匹敵する。これは、鏃の素材次第では現役軍隊の装甲車両を貫通しうる値だ。

 通常の風術による攻撃よりも遙かに効率的で凶悪な、超音速の魔弾。こんなものを撃ち込まれたのでは、相手もたまったものではなかった。

 直接あの青年に当てれば、誇張無しに首から上が消失する。あえて外して放った一撃は、立木をチーズのようにへし折り森を一瞬にして駆け抜け、その軌道上に凄まじいソニックブームを引き起こした。

 爆発音と同時に大量の土砂が舞い上がり、青年を巻き添えにして吹き飛ばす。そしてシドウと交戦中の女子高生も、その光景に驚愕して動きが止まった。

「シドウさん!こちらへ!」

 ここで初めてシドウに声をかける事が出来た。

 戦闘としては明らかな好機である。一気に決める事も可能だが、清音はなぜか、ここでこちらも体勢を立て直すべきと感じたのだ。巫女として生きる清音は、己の直観が割と要を衝くことを経験的に知っていた。だがしかし、シドウはそれに応じない。好機と見るや、女子高生を無視して再び青年の方へと向かったのだ。

「シドウさん……!本気ですか!?」

 信じたくはなかったが、認めざるを得ない。シドウ・クロードは、本気であの青年を殺そうとしているのだった。一体、あの青年とシドウの間に何があったというのか。舞い上がった土煙をものともせず、シドウが猛然と突進する。

   "MARAK    -A,     -R,     -A,     -K"
『手弱女が髪の如く縺れる束縛の銀よ』

 ふいにそんな声が響くと。

 異変が起こった。シドウの突進が、ぴたりと止まった。いや。止められていたのだ。いつの間にかシドウの全身に、幽かに輝く無数の銀の糸が張り巡らされていた。咄嗟に引きちぎろうとしたシドウの鋼鉄のような容貌に、はじめて明確な警戒の色が浮かぶ。

「……六層拘束術式。魔術師が居るのか」

 シドウが視線を転ずる。

「やっと崖から下りてみれば。いったいどうなっているんだ」

 そこには、くたびれたコートを身に纏った男がいた。


「チーフも来てくれたんですか」

 とんでもない爆弾みたいな矢に吹き飛ばされ盛大に尻餅をついた状態から起き上がりつつ、おれは背後から現れた人物、つまりはおれ達のリーダーである須江貞俊造に声をかけた。

「ああ、上から”視た”時のお前の様子が尋常ではなかったしな」

 左手には火のついたゴールデンバットを挟んでいる。まさか崖の上で吸っていて、捨てるのがもったいないから持ったままあの急な崖を降りてきたのか。その右手には、ちょうとトランプのカードくらいの、薄い銀のプレートがあった。

「で、その。こうなるに至った経緯なんですが」

 一体どう説明したものやら。

「ああ。少なくとも、誰も状況を把握していない、ということは把握している」

 的確な観察である。コートを翻らせて、無数の銀の糸に囚われたシドウに向き直った。

「こちら側には戦いを仕掛ける理由はないが……この男は聞いてくれそうにもないな」

 まだ半分残っているゴールデンバットを愛おしげに口に運び、たっぷり肺に吸い込む。そういえば以前この人、高原の空気でタバコを吸うと実に美味いんだ、などと本末転倒も甚だしい台詞を吐いていた前科がある。

 他方シドウは、新手の参戦でも怯むことなく、からみついた銀の糸を引きちぎろうと、全身に力を込めた。その様を冷たく見据えて、チーフは紫煙を吐き出す。

「小技が通じる相手じゃなさそうだな」

 そのまま、右手にもった銀のプレート――祭壇で清められ、翼ある御使いが文字を刻んだそれ――を、天へと掲げた。

「やっべぇ!真凛、離れろ!」

 おれは叫ぶと同時に、自分でも全力でシドウから距離を取った。

”HAMAG   ABALA.   MAHAM   ALABA,   GAMAH!"
『八大副王が一の長。豊穣と打擲の蛇、其れ即ち”稲妻”也!』

 チーフの詠唱と同時に、シドウの身体が、突如光り輝いたように見えた。

 雲一つないはずの晴天から降り注いだ雷が、シドウの脳天を直撃したのだった。閃光と爆音。またしても衝撃が大気を振るわせる。

 魔力によって編まれた銀の糸によって対象を拘束。そのまま次の詠唱によって上空へ接続された見えない魔力の経路(パス)が、大気中に存在する静電気を瞬時に一点に集積し、対象への落雷を引き起こしたのだ。200万ボルト、1000アンペア程度の小さな雷ではあるが、本来人体を破壊するには充分すぎる威力だった。

 莫大な電子の濁流がシドウの体内をかけぬけ、たちまち水分を蒸発させ全身から煙となって吹き出す。落雷による電流の多くは銀の糸にも伝わり、からみついた皮膚をずたずたに灼き斬る。発生した熱はたちまち背広を炎上させた。

 肉と髪の毛のこげる不快な臭いがもうもうと立ち込める。

「ぐは…………っ」

 開いた口からも煙が吐き出される。内臓も焼けただれているのかも知れない。だが炎と煙を全身から噴き出しつつも、まだ、『粛清者』シドウ・クロードは動くことが出来た。のみならず、焼けこげただれ剥がれ落ちたはずの皮膚がたちまち剥がれ落ち、新たな肉が盛り上がり再生を始めているのだった。

「これなら出力を抑えなくても良かったか」

 その様を見て、呆れたようにチーフが呟いた。たしかにここまで来るとほとんどホラー映画のモンスター並みの不死身っぷりだ。

「仕方ない。悪いがもう一発喰らってもらおう」

 チーフは再びプレートを掲げる。別に無慈悲だからでも残酷だからでもない。ここまでしないと止められない敵手なのだ。

「シドウさん!後退を!」

 獣道の奥から、あの弓使いの巫女さんの声が飛んだ。シドウが初めてその歩みを止める。チーフ、真凛、そして、おれをそれぞれに見つめた。

 これでは相討ちも不可能と判断したのか。全身から煙を吹き出しながら大きくバックステップして距離を引き離し、そのまま巫女さんの方に向けて走り出す。落雷の衝撃によって銀の糸は焼き切れていた。それに真凛が反応した。

「ここまでやっといて逃げるのはなしだよ」

 追いすがろうとする。

「真凛!バカ!追うな!……くそっ」

 何度も言っているが、これはおれとシドウの私闘に過ぎない。双方のチームが決着をつけるまで戦う必要などどこにもないのだった。手負いのシドウをここで仕留めるにはリスクが大きすぎるとわかる程度には、おれの頭の血も下がっていた。

「チーフすいません、あと頼みます!」

 快足を飛ばして追いすがる真凛。やむなくおれも、真凛を追わざるを得なかった。



 シドウがこちらに向けて走ってくるのを見て、清音はひとまず安堵した。援護に現れたもう一人のコートの男は、おそらくは清音同様、術法を扱うタイプ。しかも、シドウを一瞬で拘束したこと、晴天に落雷を落としてみせたことといい、並々ならぬ技量を持っていると判断せざるをえなかったのだ。

 清音は自分のやるべき事を弁えている。追いすがってくる敵を牽制するため、すでに第三射の準備は整っていた。莫大な加速を引き起こす疾風の矢の狙いを定めたその時。

「『亘理陽司の』『指さすものは』『仮初めの理を』『紡ぐことはない』」

 矢の先端に収束させていたはずの風が、突如雲散霧消した。

「――え、なんで?」

 思わず目を向けると、少女を追ってこちらに走りながら清音を指さしている青年と目があった。青年は首を抑えて走りながら、清音に向かって皮肉っぽく口を開いた。

「悪いな。術法なんて不確定なものを妨害するのは、得意中の得意でね」

 そう唇が動いた気がする。どうするか。判断に迷ったのも束の間、清音はつがえた矢をそのまま少女の方に向けて射る。だが、少女はまるで矢の軌道があらかじめ見えているかのように易々とかわすと、なおもシドウに向けて追いすがった。

「……どうも、二対三でどうこう出来る相手ではなさそうですね」

 清音は現状を認めると、弓を降ろした。そして、

「走りますよ、シドウさん」

 やはり踵を返し、獣道の奥へと向けて走り出した。



「くっそ、どいつも、こいつも、体力バカ、かよ!」

 痛む喉をさすりながら、おれは息も切れ切れに喘いだ。……まあ、おれが運動不足なのは正直認めるところではあるが。

 前方を走る真凛の脚力は大したものだが、足場の悪い山中の獣道を走破するとなると、軍隊で専門の訓練を受けたシドウに一日の長がある。併走する巫女さんの方も山歩きに慣れているのか、やたらに早い。そしておれはといえば、連中に引き離されないようにするのが精一杯だった。

 ちくしょう、今日は完璧にオーバーワークだぜ!

 朝の予定では、実務はチーフに、雑用は真凛にまかせておれは気楽な中間管理職を気取っていられるはずだったのに。息切れで愚痴をこぼすことも出来ず、おれは走り続けた。

 すると、唐突に森が消え、ひらけた場所に出た。いや、そこは正確にはひらけた場所というわけではなかった。水はけの悪い土砂が大量にぶちまけられており、そこらにあったはずの木々が根こそぎ押し倒され、流された跡があった。そしてすぐ側に見える濁流は、板東川か。

「……そうか。ここが、土砂崩れのあった場所なのか」

 合点がいったおれが周囲を見回す。

 すでにシドウと巫女さんは歩みを止め、追いついた真凛と静かに相対していた。

「ここで決着をつけるつもり?」

 真凛が問う。だが、シドウと巫女さんは言葉を返さない。それならば、と真凛がさらに一歩踏み込む。

「おい止せ真凛――」

 おれは駆け寄る。妙に落ち着き払った二人の様子が、おれの脳裏に黄色信号を点滅させていたのだ。迷わずここに向けて走ってきたことも気になる。そしておれが真凛の傍らに立ったとき。

 
「はい。You are trapped(ひっかかった)!」

 横合いからとぼけた声がかけられた。

「えっ?」

 真凛が間抜けな声をあげた時には、おれはすべてを理解していた。

「しまった……誘い込まれた!!」

 おれ達から少し離れた岩の上に、さっきの妙ちきりんなファッションの兄ちゃんが腰掛けていた。それも、こともあろうに携帯ゲーム機をもったまま。

「悪いが、仕込みはとっくに済ませてあったんだよね」

 機体からタッチペンを引き抜く。山の中、川の傍、土砂崩れ、誘い込まれたとくれば。

「地脈使い!罠を設置するタイプの異能力者か!!」

「ご名答。でも遅かったね」

 兄ちゃんはそのまま、タッチペンで己の座っている岩を突いた。


 ずん、と低音がひとつ響き渡った。


 結局のところ、今日のおれはまったく頭が回っていなかったようだ。

 今さらになって、そう言えば北関東を中心として活動する、とくに山岳地帯や河川地帯では無類の強さを発揮する厄介な異能力者がいる、なんて噂を思い出していたのだから。代々受け継がれる神道系の能力者ではあるが、『土と豊穣の神様』を奉るうちに、普通の神主さんとはずいぶん異なる進化を遂げた。

 土、それも『地脈』を扱うすべに強力に特化し、今ではむしろ、大陸の風水師のイメージに近いものとなっているのだとか。

 その低音が消えるとやがて、地の底から咆吼のごとき地鳴りが轟き始める。

 その家系には先天的に地脈の『線』と『ツボ』を見抜く力があるとされる。地脈の流れを読み、ツボを突いて刺激をすることで、地脈に含まれた余分な水や土を河川に排出させたり、あるいは氾濫止まぬ河川に流れ込む地下水を断ち鎮める、といった行為を可能とする。便秘解消と下痢止めみたいなもん……と言ってしまうと身も蓋もないのだが。

 とにかく。土の理を知り五穀豊穣をもたらす地脈使いからしてみれば、突然の土砂崩れにより山肌が切り崩され、川の流れが妨げられているなどという状況は充分に『地脈が乱れている』ということになるのではないだろうか。

 そしてそこに、地脈の『ツボ」への刺激が加わることで、”もとに戻ろうとする”力を与えられたならば。堆積している邪魔な土砂や水は、どうなる?


 地鳴りは鳴りやまない。


「ホントはアンタ達に備えて張ったモンじゃないんだけどね。すでに十箇所の『ツボ』を突いてある。このコンボは、ちょぉっと”ごっつい”ぜ」

「でええええええっ!?な、何あれ?」

 真凛が目を見開くのも無理はない。岩の上に座る兄ちゃんのすぐ脇にはこの地鳴りの原因である満々とたたえられた土砂と泥の塊――ここにあった大量の”いらないもの”があった。

「へぇ。そこのちっこいお嬢ちゃん、たぶん『毒竜』をぶっ倒した子だろ。史上最年少の”ドラゴンバスター”の噂はあちこちで飛び交ってるよ」

 二つ名で『竜』を名乗れるということは、周囲にそれを認めさせる実力がある証でもある。そしてその『竜』に勝利した者には、二つ名とは別に時折”ドラゴンバスター”などと称されることも、ままあるのだ。それはさておき、兄ちゃんはタッチペンでおれ達を指し示す。

「『浄めの渦(メイルシュトローム)』土直神安彦。今後ともよろしく」

 兄ちゃん……土直神の背後に湛えられた膨大な土砂と水が、まさしく堰を切ったかのようにいっせいに襲いかかってきた。

 兄ちゃん本人と、少し離れたところにいる巫女さんとシドウを綺麗に避けて、おれ達だけをまるで生き物のように狙ってくる。関節を破砕する凶悪な武術も、因果をねじ曲げる反則技も、襲いかかる土石流の前にはなんら意味をなさない。

「ああああああああああああぁぁぁぁぁぁ……」

 抵抗する間もありはしない。おれ達二人は瞬く間に呑み込まれ、たいそう間抜けな声を挙げながら、板東川の遙か下流へ向けて流されてしまったのだった。

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