北関東

第6話:『北関東グレイブディガー』22

「――形勢逆転、だな」

 近づいたシドウが、スラックスのポケットから密輸品の証拠を奪い取る。すでに巫女さんと真凛は土直神を庇うように移動しており、ちょうど小田桐を包囲する形となっていた。

 シドウを含めて戦闘向きの異能力者が三人。潜入専門の異能力者である小田桐にはもはや万に一つの勝ち目もない。しばらくぐったりと仰向けに倒れていた小田桐が、やがて力なく立ち上がる。

「……ハ、結局ここまでかよ」

 そう言うと、刀身を射出し終えたナイフの柄をあっさりと地面に投げ捨てた。そしてそのまま、くるりと踵を返すと、

「じゃあな」

 そう言って、何事もなかったかのようにこの場を立ち去ろうとした。

 そのあまりの自然さに、おれ達は一瞬、呆気にとられてしまった。

「ま、待ってください……待ちなさい!」

 我に返った巫女さんが、慌てて弓を構えて叫ぶ。

「土直神さんへの攻撃はともかく。徳田さんを手にかけたことは絶対に許せません!」

 ひでぇなあオイラへの攻撃はスルーでいいのかよ、という声には誰も耳を傾ける者はなく、小田桐も歩みを止めることも、ふり返ることもなかった。ただ、

「イヤだね」

 むしろうんざりとした声で応じた。

「待ちなさい!止まらないと撃ちます!」

「じゃあ撃てよ。撃って殺せよ」

 小田桐がふり返る。取り戻した本来の”顔”には、狂気の彩りを帯びた笑顔がへばりついていた。おれには馴染みのある表情があった。最後の賭け金で勝負をかける人間の、もう失うものが何もない、ある意味解放された笑顔。

「止めてみろ。その矢でアタマでも狙えば簡単だ。仲間の敵討ち、とくりゃあ仁義破りの粛清と大義名分もばっちり。お嬢ちゃんもここで人を殺していくのも悪くはない」

 自分の命というカードでの脅迫。お前も殺人者になれ、と脅しているのだ。

「……なにも頭だけを狙う必要はありませんよ」

 巫女さんが矢を頭でなく、脚へと向ける。

「陽司、組み伏せるよ」

 真凛もおれにささやく。だがおれがそれにゴーサインを出す前に、小田桐のけたたましい笑い声がほとばしった。

「じゃあ、俺を捕まえるか?いいぜ、なら捕まえてくれよ。殺人容疑で警察に突き出してくれよ」

 スイッチが入ったかのように、今度は一転してこっちに不気味ににじり寄ってくる小田桐。

「俺はしゃべるぜ、なんだって。今まで四年間、小田桐剛史の振りをしていたのが誰かってことも。どこぞの女が結婚していたのが小田桐剛史ではなかったということも。どこぞのガキの父親が小田桐剛史ではなかったということも!」

 『役者』に対する復讐……彼が築き上げてきたものが手に入らないというのなら、全てぶち壊してしまおうという考えなのか。おれにはコイツが何を求めているのか、今ひとつ把握できなかった。

「……変身能力による入れ替わり、なんて普通の警察関係者は信じないだろうし、そういうことが有り得ると知ってる警察関係者も起訴は難しいだろうけどさ。その流れで行くとアンタ、密輸と徳田さん殺害の件はどうするんだよ。幸か不幸か密輸の証拠はたった今見つかったばかりだし、徳田さんの遺体だってウルリッヒの連中が絡めばまず見つかる。そうそう都合良く『役者』にばっかりダメージが行くと思うなよ」

 もちろん極刑だって充分に有り得るだろう。

「――いいんだよ」

 だが、返ってきたのは、末期の熱病患者のように乾ききって狂熱をはらんだ声だった。

「俺はきっとテレビに出るんだろうな。『小田桐剛史』容疑者。新聞にだって載る。『小田桐剛史』。それでニッポン全国の皆さんが俺の顔を見る度にこういうんだろ、あの『小田桐剛史』って。いいねぇ、最高じゃないか!『誰が見ても、俺が小田桐剛史』だ!!」

 男の口から吐き出される狂気と哄笑、そして毒気に、六人も居る異能力者がただ圧倒されるだけだった。

「なら、いいさ!平和な家庭も、仕事も、それに比べたらクズ以下だ!絞首刑だって一向に構わない。小田桐剛史として公式の書類で死亡が確認してもらうなんて、はは、夢のようだ!さあ捕まえろ!俺を捕まえろ!何だってしゃべってやるぞぉ。どうした、俺を捕まえろよおっ!!」

 おれはこの男の経歴を詳しく知らない。だが、今までの会話の断片とこの叫びから、どうにか把握することが出来た。ある意味では、小田桐剛史という人間はとうに死んでいたと言えるのかも知れない。

 なぜなら、この男の究極的な目標は、『第三の目』とやらの任務でも、『役者』への復讐でも、人生の奪還ですらもない。

 ただ、「自分が誰だったのか」という、ただその一つの事を確かめたかっただけなのだから。


 自分の顔がわからない。

 「自分が誰なのか」わからない。

 その不安は。おれには、少しだけ、理解することが、できた。

 

「なあ、アンタ――」

 気がつけば、おれは奴に声をかけていた。その時、おれはどんな言葉をかけようとしていたのか。後になってふり返ってみてもよくわからなかった。


『――たわけ。おぬしの個人的な動機で我々に都合の悪いことを喋られたら困るのじゃ』


 おれの言葉を遮るように唐突に発せられたその言葉は、日本語ではなかった。

 日本人にとってはリズム、発音共に非常に馴染みのない言語、ロシア語だった。その言葉を発したのは、もちろんおれ達じゃない。そして、ウルリッヒのメンバーでもない。驚く皆の視線が一点に集中する。

「……え?」

 だが、言葉を発したその人物……小田桐剛史は、誰よりも愕然としていた。


「俺は、今、何と言った?」


 おれの聞き違いでなければ、確かにいまのロシア語は、小田桐の口から聞こえた。それも、”全く別人”の、しわがれた老人の声で。

 異変は急激に起こった。

「がっ?、ご、ぐっ……!?がはぁああっ!!」

 突如小田桐が苦しみだしたかと思うと、両の掌で顔を覆い、頭を狂ったように振り回す。頭痛か、はたまた毒でも飲んだのか。そう思う間もなく、すぐに理由は判明した。

「顔が……暴走している?」

 それは、正視に耐えない光景だった。小田桐の顔面が不気味に波打ち、べったりと頭蓋骨に貼り付くように展開している。それはちょうど、濡れた布を顔面に被せたような形状だった。

「はごっ!?……っ……!、……!、ばはぁっ!」

 鼻を塞がれた小田桐が喘ぐ。この男が手に入れた異能力である、自在に変形する顔。その”顔”が、持ち主に対して造反を起こしているのだ。

 セラミックのフレームが頭蓋に恐ろしい圧力を加え、不気味な軋みをあたりに響かせる。まがい物の表情筋と皮膚が拘束具と化して、鼻と口、そして喉を締め上げていく。それは、見えない加害者による扼殺だった。

「ぎ、っ、ざ、マッ!、こん……、な、ものをっ、仕掛、けやが――『やれやれ、無能だけならまだしも、有害となれば』――ふ、ざ、け――『もはや救いようもない。結局、廃物利用にもならなかったのぅ』――る……ぐぇ、……っ!」

 歯と舌が小田桐としての言葉を喋っているのに、唇と喉がそれを遮って全く別人のロシア語を喋る。おそらく、あの顔面を制御しているチップに、何者かが外部から干渉をしているのだろう。当然そんなことが出来るのはここにいる人間ではない。おそらくは、奴にこの顔を与えた者の仕業。

「真凛!アイツの顔の皮をひっぺがせっ!」

 突然の怪異に硬直していた真凛が、やるべき事を明示されて即座に行動に移る。そしてそれより少し先に、シドウも同じく動いていた。少女と大男の腕が、苦悶する男の顔面へと殺到する。


 だが、間に合わなかった。


 何かが致命的に砕ける音。男の全身が、電撃を受けたかのようにぶるるっ、と痙攣し。そして、糸の切れた人形のように、すとん、と座り込むように土砂の上にくずれおちた。

「――あ、」

 その声は誰のものだったか。おれも、真凛も、そして『風の巫女』も、土直神も。ただその光景の前に、呆然と立ちすくむしかなかった。

「どう……なってるの、これ?」

 真凛の声に、おれは苦虫を百匹ほどまとめてかみつぶして答える。

「口封じだ。任務に失敗したこいつから、組織の余計な情報が漏れるのを防ぐために」

 思いつきで実行させられるような動作ではない。おそらく外部からの指令で駆動できるよう、最初からモーションプログラムが組み込んであったのだろう。

「けっ、『第三の目(ザ・サード・アイ)』のボスとやらは、よっぽどお友達を信用できない寂しい子らしいな」

 おれが毒づくと。

『まあそう言うでない』

 思わぬところから返答があった。

「うひゃあ!?」

 真凛が素っ頓狂な声を上げるのも無理はない。喋ったのは、今まさに地面に倒れ伏したはずの死体だった。いや、死体に貼り付いた顔の皮が、まだ動いて声を出しているのだった。

『本来この程度の枝葉の処分、儂が自ら出向くまでもないのじゃがのう』

「なに、何て言ってるの?」

 この場でロシア語を理解できるのは、おれと、あとはチーフとシドウくらいか。おれは真凛を手を挙げて制止し、アタマをロシア語モードに切り替え応答する。

『へぇ、じゃあ何のためにわざわざ黒幕みずからお出ましで?』

『そりゃあもちろん、一言おぬしに挨拶しておこうと思ったからじゃよ、『召喚師』』

『――何だと』

 おれの二つ名と顔を即座に結びつけられる者は、そうは多くない。

 第三の目(ザ・サードアイ》……。第三(サード)。三。

 ああ、そういうことかよ。おれは得心がいった。

『……成る程ね。業界屈指の潜入捜査官だった『役者』の正体があっさり見破られたわけだ』

 どれだけ精密かつ完璧な変身だろうと意味はなかった。奴が『役者』を「見つけたい」と思えば、見つけることが出来てしまうのだ。”俺”と同質の、ルールや限界を無視したデタラメな能力。

『『検索』はお前の得意芸だったよな、3番(みっつめ)?』

 奴の唇が笑いの形に歪む。肯定の意思表示。その皮一枚奥では、すでに死したはずの小田桐の喉の奥から、ひゅうひゅうと音が漏れている。おそらくは喉を圧迫することで、無理矢理空気を押しだして声としているのだろう。表情、という言葉の定義そのものが冒涜されているかのような醜悪な光景だった。

『ドレスデンを根城にしていた23番もお前に奪られたんだってな。不良在庫のくせに相変わらずフライングだけは得意らしい』

 以前所長に仕入れてもらった情報を匂わせてやると、へばりついた顔の皮が驚きの表情を形成する。

『耳が早いのぅ。確かに23番は使い方次第では充分にこのゲームに勝ち残れるカードだったが、いかんせん宿主に才がなさ過ぎた。丁度昔のおぬしのようにの』

 そう、どんな素晴らしい道具も、野心と才がなければ使いこなすことはできない。

 極端な話だが、例えば普通の人間が偶然に核爆弾を入手したとしても、大抵の人はそれを使おうとすら思えない。野心がある人間なら、これを使って一儲けしてやろう、あるいはテロでもやってやろうと思うかも知れない。だが、それを成功させるには今度は核爆弾を効率よく爆発させたり、脅迫のカードとして用いたりするための才覚が必要なのだ。

『おぬしには才がなかったし、あの女――村雨晴霞には野心がなかった』

 その固有名詞だけは、流暢な日本語の発音だった。おれの背後で真凛がわずかに身じろぎする。ままならぬものよ、としわがれた老人の声。

『愚かな女じゃ。我ら三十六全てを手中にする機会など、栄耀栄華を窮め尽くした覇者であろうと、屍山血河を贄に捧げた左道であろうと、垣間見ることすら叶わぬ幸運だと言うに――』

『道具風情が気安く彼女の名前を口にするな』

 つぶやく自分の声がひどく遠く感じられた。砂漠の風のように、乾ききった、だが熱を孕んだ声。かつては人生の全てをなげうって追い求め、今もなお、片時も忘れることなどあり得ない仇敵。その尻尾がいまここにある。

『おお怖い怖い。清掃係が使命を忘れて私怨に狂っておるわ』

 露骨な嘲弄の響き。わざとらしいジジイ言葉が気に障る。今すぐにあの薄ら笑いを浮かべている皮一枚を削ぎ取ってやりたい――その衝動を必死に抑える。奴は操作をしているだけ。本体はおそらくは『第三の目』の本拠地に居るはずだ。

『今おぬしが持っているカードでは儂に干渉する事は出来んじゃろう。それともめくらめっぽうに海を越えて『切断』でも撃ち込んでみるかの?』

『魅力的な提案だが辞退させてもらおう』

 おれは乾いた声のまま応じ、儀礼的な通告を出すに留めた。

『三十六の第三席、『万偽にて一真を示す針(ザルムレント)』。『召喚師』の名にかけて、貴様を捕らえてみせる。貴様の行く末は、我が脳髄の奥で保管される標本の一つとなって、共に虚無へと還るのみだ』

『残念じゃが当分は儂の出番はない。おぬし達にはいずれ8番か16番あたりが挨拶に行くじゃろうて。奴らを排除しおぬしが儂の前に現れるその時を――楽しみにしておるぞ』

 皮が表情を失い、だらりと垂れ落ちる。高分子ゲルの表情筋とセラミックのフレームがコマンドを解除され、その役目を終えたのだ。すべてのモーションが初期化された跡に残ったのは、どんな顔にも効率よく変化できるよう配された、もっとも平均的な個性のない、苦悶の痕跡すらも消え失せた無表情な顔立ちだった。

 風が獣道の隙間を吹き抜け、ざわざわと悲しげに音を立てる。


 ――結局、本当の顔を求め続けた男の元に残ったのは、誰のものでもない顔だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?