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EX3話:『アボーティブ・マイグレーション』02

 暗く細長い通路を緩やかに下っていく。

 闇の中、時折青く浮かび上がる水槽やパネル。

 もともと照明が抑えられているこの通路だが、休館日である今日は非常灯以外の光が全てカットされ、視界の確保も困難なほどだった。普段は家族連れやカップルで賑わうであろうこのメインストリートも、今はおれ達の声と館内放送が響くのみだ。


『綿津見水族館にようこそ。この水族館には、大きな特徴が三つあります。一つは、宝石のように美しい、南の海の魚や珊瑚達。その数はなんと、720種類』


 照明はカットされているのに、館内ナレーションは生きている。入館者向けのガイドは電気系統が別なのかも知れない。近くのパネルに触れると、水槽の解説が刻まれたアクリル板がじわりと光った。

「へえー。720種類だって。凄いのかな?」
「国内トップクラスだな。この規模は世界でもそうはないぜ」

 隣でのんきな声をあげる女子高生、七瀬真凛に応じつつ、おれはペンライトを点灯しようか迷い、結局内ポケットに戻した。

 ようやく暗闇に目が慣れ、周囲の地形がぼんやりと把握で居るようになってきた。錯覚だろうが、スロープを下るほどに、皮膚に圧力が纏わりついてくる気がする。


『そして二つ目は水槽の水。南の海の魚達を育てるには、温かい海水が必要なのですが、ここではなんとお隣の綿津見原子力発電所の水を使っているのです。
 発電所では、発電する時に出る大量の熱を、海水で冷やします。この使い終わって温まった海水を引き込む事で、化石燃料を使わない、エコな水族館を実現しているのです』


「エコ、ねぇ」

 隣でふむふむとうなずく真凛ほどには、おれは素直に受け取ることは出来なかった。火力、原子力に関わらず、発電所では発生する過剰な熱を排出しなければならない。

 ほとんどの発電所では海水を引き込むことによる水冷を行っているが、この際に放出される温水が海中の環境や生態系に影響を与えているのではないか、という指摘はしばしばなされている。

 この水族館の建設時にも、あとあと生態系に影響が出たと騒がれるくらいなら、最初から温水を引き込んで南方の生態系を再現した水族館を作ってしまえ――なんて思惑があったとかなかったとか。

「ま、おかげで都内日帰りで南の海の底を体験できるわけだが」

 付き合い始めのカップルの無難なデートスポットとしても大人気だそうである。休日にバイトばかりが入ってくる身には異次元の世界の話であるが。くそっ。

 くだらないことを考えているうちに、通路の奥から青い光が灯り、やがて、ひらけた。


『そして三つ目。最大の特徴が、この海中巨大水槽です』


 通路を抜けると、そこには10メートル以上の高さを誇る、巨大なホールがあった。壁と天井一面に継ぎ目のない透明なアクリルがはりめぐらされ、そしてその向こうには、――南の海が広がっていた。

「うわぁ……!!」

 見上げた真凛が感嘆の声を上げる。

 綿津見水族館の中央、『海を横からではなく、下から見ることができる』メインホール。視界いっぱいに広がる海に、降り注ぐ太陽光が海水を通過し、青い光の帯となって降り注いでいた。今は館内照明が全て落とされているが、それが却って、幻想的な光景に拍車をかけている。

「……へぇ、こいつは凄いな」
「熱帯魚の群れが、あんなにたくさん……! 珊瑚も! ボク初めて見たよ」

 透明度の高い水の向こうで、宝石のような輝きを放つ魚群がリアルタイムに変化するタペストリーを織りなしている。形状も、模様も、色彩も無限に変化し続けるそのさまは、絵画的な美しさにあまり惹かれないおれでも、目を話すことが出来ないほどに美しかった。

「まさしく海の底にいるかのような、だな」
「あ、見て、見てみて陽司! サメだよ! 天井をサメが泳いでる!」
「ありゃジンベエザメだったかな」

 魚群がさっと引き、空いた空間を貫くように悠々と泳ぎ渡る巨影。

「あ、何あれ!? あっちになんか四角いのが居る!」
「ナンヨウマンタ。いわゆるエイだな」

 天井の端、上空にいたはずのそれは、意外なほどの素早さでおれ達のそばに迫り、視界をかすめて過ぎ去っていく。

「うぉ……っと、ナマで見るとさすがに迫力が違うな」


『この巨大水槽は一部が海とつながっており、時には外からの魚が訪れることもあります。海水は段階的にフィルターを通して濾過してすることで魚を傷つけずに水質を保っており、赤潮対策も万全です』


「綺麗だよねぇ……。んー、なんかこういう所に来ると、生命のシンピ?ってのを間近に感じちゃうよねえ」

 顎に手を当てて感慨にふけるお子様。

「さて七瀬クン」
「は、はい?」
「問題です。海に住む魚を十種類挙げてください。制限時間は十秒」
「ちょ、なんで急に?」

 問答無用。両の手のひらを突き出し、指を折っていく。

「はいスタート。十、九、八……」
「え、えっと……マグロ、鮭、カツオ、サメ、マンボウ……」
「あと五つ」
「ク、クジラ。シャチ! ~、えー……」
「あと三秒」
「~、ひ、ひらめ! トロ! えんがわ! よし十種類っ!!」

 ……なぜお前はそんなに力いっぱいのドヤ顔ができるのだ。

「えー、七瀬クン、クジラとシャチは、魚ではありません」
「え、そなの?」
「そなの。ついでに言うとトロとえんがわは生物名じゃねえ、寿司ネタだ」
「あ、あはは……。だってもうすぐお昼の時間だし」
「……お前さんにとって命のシンピがどんなものかはだいたいわかったよ」

 ま、緊張してないようで何よりではある。

 このおれ、亘理陽司と、アシスタントの七瀬真凛が今ここにいるのは、観光でも、ましてや断じてデートでもない。おれ達のアルバイト先である派遣会社から緊急招集されたのだ。

 原発に爆弾をしかけ、そのまま隣の水族館に立てこもったテロリスト。連中と交渉し、爆弾を解除させる。それが今回、おれ達『派遣社員』に課せられた任務なのだ。

「……って、どう考えても未成年に振る仕事じゃねぇよな?」

 最近感覚が麻痺しているが、これって国家の安全保障とかにかかるレベルの案件の気がする。少なくとも、いくら急ぎとは言え家賃を株に突っ込んだら暴落で焦げ付いたからバイトで穴埋めする、という理由で受けてはいけなかったかもしれない。

「この奥に……テロリストが居るんだよね」

 真凛が浮かれ気分を引き締める。おれも天井から視線を外し、おさらいを兼ねて情報を復唱する。

「ああ。超過激な環境保護団体、アースセイバー所属のエコテロリスト。通り名は『白シャチ』だとかで、拳銃を所持。これまでも化学工場を爆破したり、森を切り開こうとする政治家を誘拐したり、色々やらかしてるんだとさ」
「こっちは何人なの?」
「今日は三名。おれとお前、それからマクリールの野郎だ」
「マクリール、さん? ……あ、噂聞いたことがあるよ。凄腕のハッカーなんでしょ?」
「ああ。脳みそに機械が埋まっていてな。人工衛星と直結して、コンピューターを操る。今回は外から、おれ達を支援することになっている」

 キーボードやタッチパネルなどの入力装置を使用せず、直接脳からコマンドを入力するスピードは、並のハッカーの追随を許さない。

「ふぇー。慣れたつもりだけど、この業界、ホントに色んな人がいるんだねえ」
「まあな。おや?」
「メール?」

 振動を感じてポケットから携帯端末を引っ張り出す。画面には『今日はよろしくお願いします。レディ』のショートメッセージと、笑顔のマーク。

「えっ! いやあそんなレディとか~。ありがとうございます!! って、聞こえてるの?」
「聞こえてるさ。――オイてめぇ、いい加減人の携帯をハックするのやめろ」

 どうせおれか真凛の携帯のスピーカーから音を録っているのだろう。手段はそれこそ考えるだけ無駄というものだ。返答は、またもショートメッセージ。

「『もっと仕事以外に携帯を使ったらどうかね』だと。大きなお世話だのぞき野郎め。……まあ性格はともかく、腕は確かだ。戦力を十分そろえたうえで、一気にケリをつける。荒っぽいが、今回はとにかく急ぎだからな」
「『白シャチ』かぁ。やっぱり強いのかな?」
「武術(そっち)方面はあまり期待しない方がいい。テロリスト、なんつっても、結局は過激なパフォーマンスで世間の注目を集めるのが目的の連中だからな」
「ちぇー、つまんないの」

 口を尖らせるアシスタントに釘を刺す。

「ハイ七瀬クン復誦。”おれ達はヒーローじゃなくて派遣社員。働くのは”?」
「”給料分まで”。そりゃわかってるけどさあ~」
「たく、これだからバトルマニアは。さ、気を引き締めろ。そろそろ目的地だぞ」


 ――長大なホールの最奥、設備棟へと続くアクリル張りの通路。
 そこに、テロリスト、『白シャチ』は立てこもっていた。

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