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第3話:『中央道カーチェイサー』01

「ぅえっくしっ!!」

 おれは唐突に盛大なくしゃみを上げ、周囲の人々――長旅の疲れを癒す善良なドライバー諸氏から冷たい目を向けられた。左右に首を振りながら愛想笑いと目礼で謝る途中、もう一回大きなくしゃみをする。おれはたまらず、ささやかな夜食、たった今トレイに載せて運んできたみそラーメンに箸を伸ばした。

 世にラーメン数在れど、体を中から温めるという点に於いてみそラーメンに勝るものはあるまい。シャキシャキのもやしと甘いコーンが入っていれば及第点。その点、このレストランのラーメンは充分以上の出来だった。いやもうホント、どうせインスタントだと覚悟していたのだが。今日は結構ツイているらしい。

 立ちのぼる湯気にあごを湿らせ、幸せいっぱいに麺をすすりこむ。一気に三分の一を平らげてスープを飲み込み、熱交換を終えた肺の空気を一気に吐き出す。五臓六腑に染み渡るとはこのことだ。寒い夜のラーメンは格別である。つい先程まではアイスクリームも買おうか等と迷っていたのだが、戯けた考えを自粛して本当に良かった。


 ――正直に告白しよう。八月だからと言って、Tシャツ一枚にショートパンツとサンダルという格好は、あまりにもこの時この場所をナメておりました。この窓際の席からよぉく見える、街の灯火に縁取られた夜の諏訪湖を見下ろし、おれは素直に反省した。

 そう。ここは長野県。

 八ヶ岳に抱かれたいにしえの湖を眼下に望む、中央高速自動車道諏訪湖サービスエリアが、只今このおれ亘理陽司の存在している場所なのだった。

 とはいえ、時刻は日付も変わろうかと言う深夜。せっかくの絶景も既に闇に沈んでおり、おれの感覚を占めているのは、本当にかすかにざわめく水の音ときらめく灯り、そして店内の喧騒と、響き渡る有線の音楽だった。世間様は夏休み真っ最中だが、さすがにこの時間帯になれば、店内も観光客より地元の若者やトラックの運転手の占める割合が多くなってくる。セルフサービスの無料のお茶|(ホット)の紙コップを三つほど積み上げラーメンを堪能しながら、TVで流されているニュースと画面の右上に浮かんだ時刻を見やった。ザックに仕舞い込んだ週刊誌も粗方読みつくしている。

 おれがこのサービスエリア内のレストランに陣取ってから、すでに六時間以上が経過しようとしていた。もう一つ、盛大なくしゃみ。まったく、夜の高地がここまで急激に冷え込むものだとは。……まあ、半分以上は不可抗力だと思っている。何しろ夕方三時に、まるで税務署の酷吏のように住民をぎゅうぎゅうと締め上げる東京の焦熱地獄を脱出した時には、とてもこんな肌寒さを予想するどころではなかったのだから。

「ちゃらら~ちゃちゃっちゃらちゃ~ら~ちゃ~っちゃちゃ~♪」

 麺を半分ほどすすり終え、お楽しみに取っておいた大きめのナルトをいただこうとしたところで、『銭形警部のテーマ』がポケットから響き渡る。

「はいはい、亘理ッス」

 それに対する返答は、受話器ではなくレストランの入り口から響いてきた。

「いたいた、おーう陽チン、待たせたな!」

「陽チンはやめてくださいって、仁サン」

 おれは苦笑しつつ手を振る。玄関のドアが開き、レストランの入り口に一人の男が入ってきた。とりたてて美形と言うわけではないが、不思議と人目を引く男だ。二十代前半、長身に纏った薄手のシャツの下には、分厚い、実用的な筋肉がうねっているのがわかる。野生を感じさせるその面構えも相まって、ハードレザーでも着せて夜の街に立たせておけばさぞかし同性にモテるだろう。本人はさぞかし嫌がるだろうが。そんなおれの勝手な想像を知る余地もなく、青年はおれの視線を捕らえるとにやりと笑い、真っ直ぐ歩を進めてきた。

「都内出発から占めて九時間。随分待たせてくれるじゃないですか」

「何だお前、せっかく給料つきで自由時間くれてやったってのに、まさかただここで座ってました、なんてほざくんじゃないだろうな?」

 おれの苦言などどこ吹く風。人ごみを飄々とすり抜けてこちらに近づいて来る。いつの間にかその右手にはトレイが握られ、気がつけば大盛のカツ丼とサイドメニューのうどんがそこに載り、テーブルに辿り着くまでにはデザート代わりのたこ焼きまでが載っていた。そのまま無造作にトレイを置くと、どっかりとおれの対面の椅子に腰を下ろす。

 いったいいつの間に食券を買って注文して、あまつさえ出来上がるまで待っていたというのか――そんな愚問はこの人にはぶつけるだけ無駄である。付き合いはそれなりに長いが、教えてもらった事は一度も無いのだ。いわく、タネをばらしたら法でなく術になってしまうのだとか。

「アルコールも無しで夕方以降の六時間をどう潰せと?」

 実際、諏訪湖に降りたならまだしも、このサービスエリアの中で周れる場所などたかが知れている。最初の一時間で一通り探索を終えた後、雑誌と違法改造携帯電話兼サウンドプレイヤー『アル話ルド君』とTVのお世話になっていた次第。エリア内には温泉があったのだが、どうせこれから散々汚れる事を考えると入る気にはなれなかった。

「出会いに二時間、食事に一時間。その後もうちっとお互いの理解を深めるのに二時間ってとこだろ」

 心底出来の悪い弟子を嘆くような表情でこちらを見るのはやめて欲しい。

「生憎とおれの売りはアンタと違って、手の早さよりもじっくりつきあってこそわかる篤実な人格って奴なんですよ、仁サン。だいたい車をアンタが運転していっちゃったんだから、理解を深める場所も無いじゃないですか」

「木陰があれば充分だろ」

「アンタが言うと冗談に聞こえませんね」

「たこ焼き食うか?」

「いただきましょう」

 このハードゲイ、もとい好青年は鶫野仁《つぐみの ひとし》さん。おれ達同様、人材派遣会社『フレイムアップ』でアルバイトに励むメンバーあり、その中でも古株に属する一人だ。今では自然とアルバイト達の取りまとめ役になっており、多数のメンバーが派遣される任務の際には、社員達のバックアップを受けて前線を指揮する小隊長になる事が多い。おれや直樹あたりもこの仕事を始めた当時から何くれとなく世話になっている、頼れる先輩といったところ。今回の仕事を引き受けたおれを、都内からこの諏訪湖まで愛用の四駆で引っ張って来たのも仁さんなのである。

「と言っても、今回はただの運搬役兼準備役だ。うちからの正式な選手は、お前と真凛ちゃんの二名、という事になる」

「……こういう混成部隊で失敗しても、『任務成功率百パーセント』は維持出来ないんですかねぇ?」

「何言ってやがる、もともと失敗するつもりなんぞないくせに」

 それもそうだ。そろそろ本題に入るべく、おれは話題を転換する。

「で、例のブツは?」

「あー安心しろ。お前がさみしい六時間を過ごしている間にバッチリ出来上がってんぜ」

 これまた手品めいた仕草で仁サンがするり、と取り出したのは、ノートパソコンを収納するような耐衝撃性を高めたキャリーケースだった。ずいぶんと身が厚く、金槌でぶったたいても内容物に傷を負わせる事は出来そうに無い。なんでも引越し業者が精密機器の梱包に使うモノの親分筋なのだとか。

「お待ちかねの後半部分がこの中に入っている。作者から受け取ったその足でここまで運んできた。前半部分はすでに敵さんが持ち去って、ルールどおり待機してんぜ。諏訪のインターから上がってくる予定だ」

「あちらは契約どおり四人?」

「四人だそうだ。そしてこちらもお前さん以外の三人は準備OKだとよ」

 マヨネーズのたっぷりのったたこ焼きと、勿論忘れずにナルトを口に放り込むと、おれはケースを手にとって眺める。ケースの口の部分には、これが『誰も開封していない』事を示す、封印の紙が貼り付けてあった。無駄だと解ってはいても、何とかしてその中身を閲覧できないか、と上下左右をこねくり回すおれに仁サンが苦笑する。

「何だ?お前その手のマンガに興味あったか?お前が好きなのは無意味に小難しいヤツか、実用一辺倒に劇画調年上陵辱系のエロスなヤツだと思ってたけどな」

 ご家族連れも利用するレストランでそんな台詞を吐くのはやめて頂きたい。

「水木しげる御大も一通りは揃えていますよ。……ま、こーいうのは確かにストライクゾーンじゃないんですが。こないだDVDを全巻一気に見せられて以来、まんざらでも無くなりましてね」

 おれはケースの天頂部をみやる。そこには無愛想な事務的なラベルとは対照的な、何と言うかハートフルな愛らしいフォントで、以下のような文言が刻まれていた。


『サイバー堕天使えるみかスクランブル 第42話原稿 18~36ページ』


 ふぅ、と一つ息をつく。ちょっとだけこの状況に緊張した。

 そう、まさに今おれの手にあるのは、あの超人気連載マンガ『えるみかスクランブル』の原稿。それも雑誌に未だ掲載されていない、出来たてほやほやの生原稿なのだ。しかも、あの長らく待ち望まれた第42話と来ては、

「責任は重大、だよなあ……」

 任務達成率百パーセント、なんて看板には未練どころか最初から執着もないが、さすがに失敗して世の熱狂的な『えるみか』ファンに八つ裂きにされるのは避けたいところだった。

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