秋葉原

第2話:『秋葉原ハウスシッター』11

「先ほどもご説明したとおり、侵入者騒ぎがあったわけですが」

 おれはお茶を飲み干し、口の中を潤した。

「我々としても依頼を受けた以上、スイカの番は責任を持って果させていただきます。そのためにもこのご依頼についての確認をしておく必要があると思うのです。改めて二つ質問があります。一つ。笹村さんが開発されたスイカの研究データは、今どちらにあるのですか?」

「研究データはここ、私の個人用のノートPCですね。いつもあの部屋に置きっぱなしだったんですが、作業に備えて持ってきました」

「了解しました。で、二つ目。これが肝心な質問なのですが」

 おれは一つ間を置いた。

「そもそもあのスイカには、いったいどんな秘密が隠されているのですか?差支えが無ければ教えていただけませんか」

 ついに核心に切り込んだ。しばしの沈黙が、辺りを満たす。おれが笹村氏の表情をみやると彼は――きょとんとしていた。ついで、堰を切ったように笑い出す。

「な、なんかヘンなこと聞いたっすかねおれ?」

 思わず口調が素に戻ってしまう。

「い、いえ別に。ただ、秘密なんて。そんな大真面目な顔をしておっしゃらなくても」

 ちょっと傷つくなあ。直樹が引き継ぐ。

「しかし、長い間の研究の成果でしょう?例えば凄く味が良いとか、色が赤くて通常の三倍収穫出来る等といったものではないのですかな」

 そんな便利なものじゃありませんよ、とのたまう笹村氏。笑いが落ち着いたのだろう、彼はお茶のお代わりと、煎餅が尽きたのか草餅をおれに勧めてくれた。とりあえず頂く。

「だいたい、そもそもがこのスイカは職務で作ったものではないんですよ。あくまで個人的な研究だったんです」

 草餅をほお張りながら笹村さんは述べた。だから、職場の方にもデータとかは持っていっていないんですよ、とも。

「……例えば、クランビールの時期主力商品の素材になるとか、ではないのですか?」

 そうなればちょっとした価値モノだ。産業スパイが然るべきルートで捌けばそこらの美術品並みの値になる。しかし、

「そんな大層なものではありませんよ」

 にこやかに笹村さんは笑う。

「これはね、まあ妻に頼まれたものですから」

「奥さんとの約束?しかし、奥さんはすでに……」

 っとと。我ながらつまらん事を言ったな。

「ご存知ですか。ええ、三年前に死別しましてね。ちょうど今ごろ、お盆の時期でしたよ。仕事先の西アジアから久しぶりに帰省して、みんなでお墓参りに行こうということになっていました」

 しかし、帰国時の飛行機は不幸な事故に遭い、笹村氏の奥方は生きて日本の土を踏むことは無かった。羽美さんと調べた情報はほぼ正鵠を得ていたことになる。当たっても大して嬉しくも無いが。

「妻はね。どうもあそこら辺の国が好きだったみたいです。商社の仕事も、どちらかと言えばあっちの国で働きたいために就職したようなところもありましてね」

「そういうものですか……」

 おれは一つ首を捻った。実はおれや直樹もそこらへんの国を訪れたことがあったりもするが、政情不安定な場所もあったりして、出来得るならば通らずに済ませたいところ、などといった印象しかない。

「実を言うと私たちが初めて出会ったのもそこだったんですよ」

 笹村さんが挙げた地名は、日本ではあまり有名ではない国の名だった。

「ああ、そこでしたか」

 直樹が言う。

「かなり北に位置しながら内陸の気候の都合上砂漠が多い土地柄ですな。ついでに言うならお世辞にも国土は豊かとはいえない」

 もうちっと言葉を選べよ、と思いつつもおれも同感だ。

「私は学生時代に農学部に所属していた、というお話はしましたよね。実は一年ほどそこの研究生達で、ボランティアとして各国へ技術協力をしにいったことがあるんです。そこは見渡す限りの砂漠でしてね。その過酷な条件でも作物を栽培出来るようにするのが私たちの仕事だったんです。そこで同じくボランティアの通訳として来ていたのが瑞恵……妻だったのですよ」

 同じ目的を持つ二人はたちまち意気投合したのだという。

「砂漠にもっとも適しているのはスイカ、メロンなどの瓜類なんです。そもそもがアフリカの砂漠のオアシスが原産地ですし。中国の内陸部なんかでは、売り物にもなるし、持ち運びが出来る手軽な水分としても非常に重要な役割を果している。経済と食糧事情の双方に改善効果があるわけです。どちらで行くか試行錯誤したのですが、我々はスイカを選ぶことにしました。過去、実績もありましたしね」

 笹村氏には自信も熱意もあった。そして後に奥方となる女性の支えもあったのだが、結果として、一年をかけたこの試みは失敗に終わったのだという。

「気温が低かったんです」

 とは、笹村氏の弁だ。

「砂漠ですから当然、日夜の温度差が激しいことは覚悟していました。しかし、肝心の日中の気温が、アフリカや中東の砂漠とは大きく異なっていたのです。結果として私たちの持ち込んだ品種は、ろくな実をつけることはありませんでした」

 口惜しかったですね、と笹村氏は言った。きっと本当に口惜しかったのだろう。今その言葉を口にした時も、その表情は苦かった。

「日本に引き揚げて妻と結ばれてからは私は外国に出ることはありませんでした。妻はあちこち飛び回っていましたがね。でも、あの時の悔しさは妻も同じだったのだと思います」

 いつかあの国に、もう一回スイカを作りに行こう。それが奥さんの口癖だったのだと言う。だからもっと低い気温でも実る強いスイカを生み出してくれ、私も手伝う。そんな事を言っていたのだそうだ。

「私もその思いは一緒でしたよ。でもやはり就職してからは忙しくて、正直それどころではなかった。気がつけば十年も経ってしまっていましたよ。あいつが死んで、ようやく本気で作る気になったなんて、馬鹿な話です」

 視線はおれに向けられてはいない。その先にあるものはまた、別の風景か、人物なのか。

「だから、このスイカは、味も収穫量も、現行の品種と大差はありません。しいて言えば、冷夏でも実る。それがこのスイカに隠された秘密です」

「冷夏でも実るスイカ、ねえ」

 おれは首を傾げた。んなもんあんなブッソウな奴を雇ってまで奪いに来るものかねえ?

 と、そんな思考は背後からの声に遮られた。

「おい、亘理、携帯が鳴っているぞ」

「おっとと」

 慌てて携帯を取り出す。相手は……真凛か。

「真凛か。どうした?」

『陽司?あのねえ。たしかあの宅配便のおじさんの会社ってあそこだったよね?』

 真凛が大手の名前を挙げる。たしかにそのとおりだ。

『今、ここから外を見てるんだけど。荷物を配っているにしては不審な動きの人が、それぞれ三人。なんかここを取り囲んでるみたいだよ』

 ふむ。どうやらあちらさんもだんだん手段を選ばなくなってきたってことかな。どうやらあまりここに長居をしているわけにもいかないようだった。

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