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EX2話:『星を見る犬』05

 この歓楽街には、仕事を求めて、あるいは野望を抱えて様々な国から人が流れ込んでくる。

 国際都市ならばどこでもそうだが、異国で裏社会に片足を突っ込んで暮らす彼らは、自然と互いに助け合うようになる。

 彼らは出身地ごとに縄張りを作り、困ったときには言葉のわかる先達が面倒を見、あるいはその恩返しにと協力する。良く言えば地域社会に根ざすということだし、悪く言えば、徒党を組むということだ。

 二人がたどり着いたのは、この街の裏通りの一つ、台湾系の人々が多く住む通りだった。一階にはいくつもの中華料理屋が店を出し、上の階には漢方医や鍼灸医が入っているらしく、繁体字の看板が頭上を埋め尽くしている。

 日本語を探す方がむしろ難しいくらいで、少し気を抜くとここが日本だということを忘れてしまいそうだった。その一角、小さなあまり綺麗とは言えない中華料理屋に、サブロウは迷わず入っていく。

「朱(チュウ)姐さん、おはようございます!」

 中華料理と看板を出していても、書いてあるメニューは乾史には読めない。ラーメンもギョーザもねえのかよ、などと呟いていると、カウンターの奥から返事があった。

「おーサブくん、毎日ご苦労!!」

 現れたのは、二十代後半とおぼしき、中華系の女性だった。ボリュームの多い髪を、いわゆるお団子状にまとめている。大きいが吊り気味の目と、一本通った鼻筋が、気の強さを象徴しているかのようだ。

 烏龍茶の宣伝に出てきそうな、細い腰と滑らかな肌。今は味気のないブルゾンを羽織っているが、チャイナドレスがさぞ似合うことだろう。

「ウチの連中も君くらい早起きだと助かんだけどね!昨日の夜のお仕事はどうだった?またオヤジをカモったワケ?あれ、その後ろの目つきの悪い子は?」

 一気にまくし立てて、乾史の方を見つめる。いきなり自分に話を振られた乾史の眉が急角度に跳ね上がった。と、慌ててサブロウが割って入る。

「こちら犬神乾史さん。今日からあっしのボディーガードをしてもらうことになりました。アニキ、こちらがあっしが働かせてもらってるこの店の主人、朱姐さんでさあ」

「犬神?まさか、『狂犬』乾史?」

 乾史に向ける朱の視線に、単一でないものが混じる。

「……ンだよ、何か文句あんのかよ」

 飛ばされたガンつけにはとりあえず応じるのが乾史の流儀である。にらみ返すと、朱はすいと視線を外した。

「あ、うん、別にね。有名人がいきなり現れたんで少し驚いただけよ。アタシは淑娟(スーチェン)。朱淑娟(チュウ・スーチェン)。ここで弁当屋と、あとは医者みたいな事もやってるわ。よろしくね」

 一転して、気さくに手を差し出す朱。そうなると別に喧嘩を売る理由もない。

「あー。ええと。犬神乾史だ。よろしく」

 握手を交わすと、朱はサブロウに訪ねた。

「で、何?この乾史君も配達手伝ってくれるわけ?」

「配達?配達ってなんだよ」

「あ、いえ。アニキはあっしの用心棒なんでさあ。仕事はいつも通りあっしがやりやす」

「そうなの?そりゃ助かるわ~。二人分のバイト代出せるほど、今ウチ余裕ないのよね」

 からからと朱は笑うと、カウンターの奥からなにやら巨大なプラスチックの箱を三つほど引っ張り出してきた。

「そんじゃさっそく今日のノルマいってみようか!!ハイこれね」

 ずん、とカウンターに置かれたそれに、乾史は見覚えがあった。

「もしかしてコレ…給食を運ぶときのあの箱か?」

 それは小学校や中学校などで、大量の弁当を運ぶためのバットに、太いベルトがくくりつけられているものだった。それを見て、ようやく乾史にも、サブロウがやろうとしている仕事が何かわかった。

「弁当配達ってわけか」

「ええ。この街のあちこちで働いてる台湾系の人にお弁当を届けるんです。コンビニの飯は高ぇし、やっぱり中華料理を食わねぇとリキが入んねえって人も多くて」

 そういう人に出来たての弁当を配って歩くのがサブロウの今の仕事なのだそうだ。皆、この通りからそう遠くない街のどこかで働いている。店の裏口やビルの三階などから弁当を手渡すには、原チャリや自転車よりも歩いて配ってしまう方が早いのだとか。

「離れたところにはちゃんと原チャリの人が向かってますけどね。朱姐さんの店はこの仕事始めてから随分繁盛したそうですよ」

 乾史に説明する間にも、要領よくバットを固定し、ベルトを背中に回す。ちょうど駅弁を売る人の格好だったが、いかにもその姿は重そうである。

「お、おいおい。さすがにそりゃムチャなんじゃねえのか?」

「いえ…平気ッス…!毎日やってますから…!それじゃ行きましょうか、アニキ…!!」

「お、おう」

 危なっかしげな、だが意外とバットを揺らさないように店の外に出て行くサブロウを追う乾史。

「十二時半までには帰ってきてね~」

 その二人を、朱は店の出口で見送った。遠ざかる二人のうち、乾史の方を見ながら、朱はしばらく腕組みをしてなにやら考え込んでいた。



「やっぱりオレが少し持ってやるよ」

 ようやく正午が近づく頃。三つあった重いバットも、どうにか一つが片付いている。

 ただ単に近い人から配ればいいというものでもなく、それぞれの職場の昼飯の時間に合わせて配らなければならないため、同じ場所を行ったり来たりという事もままあるのだ。

 正午を過ぎれば皆が一斉に食事を取り始める。ここからの三十分が勝負所だった。

「いえいえ、いいんです。アニキは楽にしててくだせえ」

「そうは言ってもよお」

 これほど重いバットを背負って歩き、あるいは階段を上り下りしながら、サブロウは一度も乾史に持ってくれとは言わなかった。しかし乾史としてみれば、自分より年下の相手が重い荷物を運んでいる横に、手ぶらでついて回るというのもどうにも居心地が悪い。

「平気っすから。おかまいなく」

「いや、けどよ……」

 そんな押し問答が何度か続いたあと。

「アニキ。これはあっしの仕事でさあ。あっしにやらせて下せえ」

 サブロウが物腰こそ柔らかだが、きっぱりと断った。

「助けてくれるのはホントうれしいんですが、あっしはこれで金をもらってやすから…手を抜くわけにはいかねえんでさ」

「……そうかよ」

 今しがた弁当を配り終えた雑居ビルの階段を降りていくサブロウ。会話が途切れてしまったので、乾史は手持ちぶさたにポケットから百円を取り出すと、昨夜のように手のひらの上で弄び始めた。親指と人差し指でくるくると回してみたり、時には弾いてみたり。

「次はどこだっけか?」

「三軒先のクリーニング屋さんでさあ」

 そう言って、ビルから出たとき。

 乾史の頭上に、わずかに陽がかげった。

「アニキ、アブねえ!」

「あん?」

 見上げて―――硬直する。古びた雑居ビルにぶら下がった、やはり古びた中国語の看板。春風に煽られて錆ついた金具が折れたのか、乾史に向けて、今まさに真っ直ぐに落下してくる最中だった。

 バットを抱えて動けないサブロウ。

 咄嗟、乾史はコインを握りしめ、猛然とジャンプ。

「うらぁぁぁあああ!!」

 渾身の右ストレート。空中で放たれた拳に叩き飛ばされ、看板が垂直から水平へと軌道を変えて吹き飛ぶ。まるで一昔前のアクションゲームのような光景だった。通路向かいの電柱に看板が激突し、けたたましい金属音をまき散らす。

「ったく、いったい何だってんだ」

 何事もなかったかのように手を払う乾史。派手な物音を聞いた住人達が顔を出すが、まさか彼らも、向かいの通路にいるこの少年が下手人とは思わなかったらしい。乾史はサブロウを促し、悠々と三軒先の目的地へと向かう。

「ツイてないっすね、アニキ」

 それを聞いた乾史が横目で睨む。

「てえか、お前、昨日オレが助けに入る前にもからまれてたんだろ?ひょっとしてツイてないのはお前のせーじゃねーのか?」

「面目次第もありやせん……」

 自覚するところがあったのだろうか、人差し指で頬をかきながらサブロウが苦笑した。と、改めて吹き飛んだ看板を見る。

「それにしても、改めて見るととんでもねえパンチですねぇ…。これが噂の、『コインで殴る』ってヤツですか?」

 まあな、と乾史は気のない返事をした。


 犬神乾史の強さはこの街で幅広く知られることになったが、それとともに一つの特徴も知られることになった。それは、彼が喧嘩の際に、必ずポケットからコインを取り出し、それを握りこむ、という事だった。

「百円玉をこう、ぐっと握ってな。思いっきりパンチをぶちかますんだ。拳が重くなるから威力も増えるってわけよ」

 もっとも単純な物理で考えれば、打撃の威力は質量×速度ということになる。となれば、小銭を握りこんで拳の重さを増してやれば、それだけ単純にパンチの威力が増加するのは道理だ。

 乾史に限らず、街の不良がよく使う、お手軽な喧嘩テクニックの一つだった。

 だが、もちろん小銭を握った程度で少年がプロレスラーを殴り飛ばせるようになるわけもない。どう理屈をこじつけたところで、乾史の力は、拳が重くなる云々で片付けられる話ではなかった。

 そして何より、説明できない事がある。握りこんだ硬貨は、手を開くと”消えている”のだ。どこに行ってしまうのかは、乾史にもわからない。


「そんな…。そりゃ普通の人間に出来るこっちゃねえですよ」

 乾史の歩が止まった。

「もしかしてアニキ、超能力者かなんかじゃないですか?こう、この街でも結構噂聞くんですよ。ヤバイことが起きると出張ってくる、企業に雇われた凄腕の連中がいるって」

「さあな。んなヤツらのことは知らねぇよ」

「でもアニキ、百円玉を握ってそんだけスゲェ力が出せるんなら、五百円玉だとどうなるんですか?」

 光を反射して鈍く輝く、銀色の硬貨。

「……この街でためしたことはねぇな」

 ひしゃげた看板に背を向けてまた歩き出す乾史。その背中に、興奮した様子のサブロウが話しかけてくる。

「やっぱしコインが重い分割り増しになるんすかね。それとも単純に値段の分五倍のパワーとかだったりして。それなら気にいらねえ連中は百人いたってボコボコに、」

「うっせえ!!」

 看板の落下音に匹敵するほどの怒声。サブロウがびっくりしたように立ち止まる。


 拳に埋まった歯の欠片。朱い視界。銀色の月。

 脅えきった羊たちの眼。そう、自分は最初からこの群れのイキモノではなかった。


「あ……すいません……」

「―――オレの力の理由は、別にどうでもいいだろ。それよりホレ、早く次に行かねぇと弁当がさめちまうぜ」

「あ、ヤベェ!もう時間がねえ」

 慌てて早足で次の建物へと向かうサブロウ。犬神乾史は自分の掌をじっと見つめ……やがて、その後をついて歩き出した。暖かな正午。穏やかな春の風は街の様々な生活臭を乗せて、通りを吹き抜けてゆく。


「―――ふうん。よもやと思ったが…同族とはな」

 もちろん乾史達は、その風の届かぬ場所、先ほど看板が落下してきたビルの上で、二人の様子を興味深げに見下ろす男のことなど、知る由もなかった。

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