第6話:『北関東グレイブディガー』21
「ば、馬鹿な……」
”小田桐剛史”が”おれ達五人”を驚愕の表情で見つめている。獣道をようよう歩きながら、おれ達は小田桐と土直神の元へと近づいていった。
「お前達がなんでここにいる。それも一緒に!?」
「そりゃあ、一緒にここまで移動してきたからさ」
他人に化けて姿を隠し、事態を自分の思うように誘導する。おれ達を共食いさせて事件の黒幕を気取っていたつもりの小田桐の声は、全くの想定外の事態にすっかりとうろたえていた。
「そ、それに――さっきのアレはなんだ。お前達の誰かの能力か?」
「さあ?」
そんな彼に、おれは冷たく返答してやる。
「幽霊でも見たんじゃないの?」
小田桐の喉のあたりが引きつる。その全てをあえて無視して、おれはさっさと話を進めることにした。倒れている土直神の顔色は相当ヤバイ。おれ達の到着まで時間稼ぎをしていた幽霊さんとは違う。いちいち小田桐に懇切丁寧にネタバラしをしてやる理由も余裕も、おれにはなかったのだ。
「これで終わりだよ、『貼り付けた顔』。こっちの『風の巫女』の術のおかげで、アンタの話してた内容は把握してる。あとはその密輸の証拠さえ押収すればもう幽霊は出ない。フレイムアップ(うち)の仕事も解決。アンタ自身をとっつかまえれば、どういう形であれ、『小田桐剛史の安否を確認する』ってウルリッヒの仕事も解決する」
「来るんじゃない!」
近寄ろうとしていたおれ達に、小田桐が鋭く警告を発する。その左手に掲げられた、何かのスイッチのようなソレを見て、おれ達は息を呑んだ。
「陽司、もしかしてあれって……」
「おいおいおい、正気かよ?」
そのまま己のスーツとシャツのボタンを引きちぎる小田桐。そこにあったのは、ごく薄いメッシュ素材で作られた軍用ベストだった。そのポケット全てに何かが詰め込まれている。メッシュの編み目に絡ませるように細いコードが配されており、ポケットの何かに接続されていた。それを見たチーフが、かすかに目を細める。
「爆弾ベストだな。テロ屋が人質に着せたり自爆に使うものだ。無理に脱がせようとすればポケットに詰め込まれたプラスチック爆薬が爆発するし、ものによっては、装着者の心音が止まると爆発する」
「ほぅ、察しがいいな!その通りだよ。迂闊に俺に近づいてみろ。お前達も一緒に……」
ドカンだぜ、という言葉は発するまでもなく全員が了解していた。
「ってえか、アンタ普段からそんなもの着込んでいるのかよ」
おれの呆れ半分のツッコミに、奴は自嘲気味に笑った。
「ふん、こちらは一般人あがり、ろくな戦闘手段も持ってないんだよ。貴様等のような生まれついてのバケモノどもと互角に渡り合うには、このくらいの手札を常備するのは当然だろう?」
おれだって別に生まれつきこうだったわけじゃあないんだがな。おれが舌打ちする間にも、奴は起爆装置を持ったまま、倒れている土直神の身体をひきずり上げて抱え込み、右手のナイフを突きつける。
「土直神さん!」
血の気の失せた顔の土直神に巫女さんが声をかけるが、返事はない。彼の背中からは、見ただけでわかる程の出血があり、早めに手を打たないと正直ヤバそうだった。
「どけよ。俺がこの山を下りるまでこいつは人質だ。俺をさっさと通して、麓でこいつを解放させれば、まだ助かるかも知れないぞ?」
このまんま奴におめおめと核兵器製造のネタを渡してやる気にはなれない。それに、ここまで内情を知られた土直神を、奴が素直に解放するとは到底思えなかった。
「あいつに自爆する度胸がありますかね?」
「度胸はどうか知らんが、奴は恐らく追い詰められている。必要とあれば押すかも知れん」
「くそっ」
膠着状態がしばし続く。何とか奴と土直神を引き離し、かつ、おれ達も奴の爆弾から身を守らなければならない。ふと視線を横にやると、こちらを見ている巫女さんと目があった。どうやら考えることは同じらしい。
「それと、もう一つ。あいつの持っているナイフは、多分スペツナズナイフだ」
「マジですか?厄介な骨董品を持ち出しやがって」
ロシアの特殊部隊スペツナズ。真偽の程は確かではないが、奴らが旧ソ連時代に使用したナイフの中には、グリップの内部に強力なバネが内蔵されているものがあったという。
いざというときは鍔のレバーで刀身を十メートルも撃ち出すことが出来、奇襲や暗殺に使用されたのだと。真偽いずれにせよ、最近ではロシア軍の装備の近代化に伴いほとんど使われることはないと聞くが、それでも海外への持ち出しが比較的容易で、火薬を使用せず、音もせず、意表も衝ける飛び道具の利点が消えたわけではない。
マフィア崩れの武器商人グループなんぞにはおあつらえ向きの武器だろう。つまりは、土直神に刃を向けつつ、飛び道具も所有している事となる。
「どうした、どけよ。……さっさとどけと言っているだろう!」
土直神を盾に突き出す小田桐。本当に、手はないのか。そう思った時。血の気の失せた土直神が、こちらを見ているのに気づいた。その視線を追っておれが彼の足下に目を動かすと――そこに勝機が見えた。
おれはそのまま視線を真凛、チーフ、そして巫女さんへと移しながら、土直神が伝えたかったものを目で示していく。視線のバトンリレー。意図に気づいた全員が、”それ”に向けてさりげなく態勢を整えていく。
そして、最後の一人、シドウ・クロード。こいつが動いてくれるなどと期待はしていないが。邪魔だけはして欲しくない。奴はおれの視線を受けても何一つ動じることなく、相変わらず巌のように沈黙を保ったまま佇んでいた。
「さあもういいだろう、早くどけよ!」
奴がさらに土直神を押しだし、ついに歩を進めようとするタイミングに合わせて、今までぐったりしていた土直神が、唐突に声を放った。
「そういや……アンタが、小田桐だ、ってんなら……もうそれなりの、歳ッスよね」
「なに?」
くたばりかけていた人質の声は、だか思ったよりも明瞭だった。背中のキズから腿を伝って流れ落ち、すでに危険な量に達している足下の血溜まり。それがいつのまにか、土直神の足によって砂と混ぜ合わされ、赤い泥となっていた事に、小田桐はついに気づくことが出来なかったのだ。
「アンタくらいの、歳なら……、ガキの頃、絶対、やったっしょ?」
赤い泥は土直神の足によって引き延ばされ、シンプルな星形――晴明紋を描いていた。
「校庭で朝礼、してるとき先生の話が、タイクツでさぁ……、足で絵を描く、ってぇヤツ」
「貴様ッ……!!」
「それとサ。徳田サンとオイラはそれなりに――」
土直神の意図に気がついた小田桐がナイフの切っ先を再び向ける。だがすでに遅すぎた。
「長いつきあいだったんだよ!」
残された最後の力を込めて、踵で思い切り星の中心を踏み抜く。土砂崩れによって積み上げられた柔らかな地面は、まるでとろけるように、文字通りの泥沼と化して土直神自身と、そして彼を捕まえていた小田桐を引きずり込んだ。
今だ、などという合図を口にする余裕はなかった。
これから要求されるのは、精密な外科手術ばりの連係プレー。ついでに言えばリハーサルどころかブリーフィングもなし、もひとつ言うなら立ち会うメンバーはほぼ初対面の上に敵対関係ときたものだ。難易度で言えば、サジを投げるどころか最初から手に取る気すら起きない。
だが。
それをやってのけるからこそ、おれ達に存在意義があるのだ。
「『亘理陽司の』――」
足を取られ、態勢を崩しながらも起爆装置にかかった奴の指に力がこもる。俺の詠唱ではどう言葉を短く詰めてもそれを防ぐことは叶わない。しかし。
「疾ッ!」
俺のすぐ側を、鋭い音を立てて石礫が吹き抜けた。『風の巫女』の願いに応じ、下ろされた”風の神”が、地面の小石をその風で撃ち出したのだ。
「ぐっ!」
小石は正確に小田桐の手首を打ち据え、反射的にその指の動きを硬直させる。とはいえ、敵も一通りの訓練は受けた間諜の端くれ。紐でくくられた起爆装置を手放すようなはしなかった。『風の巫女』の機転も、奴がすぐに腕に力を入れ直し、再び起爆装置を押し込むまでの、わずか二秒の時間を稼いだに過ぎない。しかし。
「『指さすものの』『爆発を禁ずる』!」
その稼ぎ出された二秒は、おれが詠唱を完了させるに充分だった。施錠された因果が鎖となって確率を縛り上げる。確かに押し込んだはずのボタンがなんの反応も示さない、その事実に小田桐は驚愕するしかなかった。
「なんだそれはっ……!ふざけるな、ふざけるなっ!!」
狂ったようにボタンを連打する小田桐。実はおれとしてみればこれは一番マズいパターンだった。『鍵』をかけて都合の悪い未来への道を封鎖できるのは、数秒程度の時間に過ぎない。ああやって何度もトライされれば、いずれ『鍵』の拘束は解け、本来ごくあり得るべき結果が再現されるだろう。
単語数と対象を絞り込んで出来るだけ負担を軽くし、そのぶん時間を延ばしてかけた鍵だが、それも持ってあと三秒か。しかし。
その稼ぎ出された三秒は、ほとんどヘッドスライディングの要領で飛びかかった七瀬真凛が、小田桐のベストを引っ掴むまでには充分すぎる時間だった。
「いっ、せぇえええ、のおおお……!」
「小娘っ……!」
プラスチック爆弾の爆薬部分を直接ひっつかんで、その握力にものを言わせて起爆コードとベストごと引きちぎらんとする真凛。解除も分解もあったもんではない。
警察の爆弾処理班の人が見たら卒倒しそうな光景だが、おれの『鍵』が作用している間は、数万分の一でも爆発しない可能性があれば、その未来が現実のものとなり続ける。
一秒。真凛の指と、ベストを構成するケブラー繊維の間に恐るべき引張力が発生する。二秒。古流武術と現代化学の粋という、二つの人類の英知の綱引き。そして、三秒。
「せぇっ!!」
今回の軍配は武術に上がった。分厚いガムテープを大量にまとめて引っぺがす時のような異様な音とともに、ケブラー繊維のベストが引きちぎれる。勢い余った真凛が腕を振り上げ、爆弾が高々と宙に舞ったとき――おれの『鍵』が消失した。咄嗟に目を閉じて頭をかばった。まだ連打されていた起爆装置が、ここで本来の性能を回復する。
炸裂音。
火薬の臭い、まぶたを閉じていてもはっきりと感じる強い光、そして大気の震え。空中で爆発したプラスチック爆弾の衝撃が、上からおれ達に降り注ぐ。思惑を外された小田桐と、既に行動を終えたおれ達。膠着状態。だがまだ一人、この機を伺っていた者がいた。
”NAV, EH”
『砂漠を蹂躙せし戦車の司――』
相変わらず左手にタバコを掲げたまま、チーフは右手に掲げた銀のプレートで緩やかな円を宙に描く。円の内部はたちまち破邪の銀光に満たされ、正視できぬほどの輝きを放ちはじめた。
"A.Q-VQ-E-H" "D"!
『――猛き女神の投槍を見よ!』
そして、号令をけしかけるようにチーフのプレートが振り下ろされたとき、円環に満ちた銀光は枷が外れたように弾け、小田桐へと疾駆する。それは、編成した小型の結界の中に魔力を過剰充填した、いわば魔力の砲弾だった。
かつてエジプトに招聘された、異教の女軍神の顕現。魔術書には故事にちなんで”館を砕いた矢”とも記されるものである。
威力は最低も最低レベルに抑えてある。それでも小田桐の胸に命中した銀色の光は、ヘビー級ボクサーのストレート並の衝撃を炸裂させ、ぬかるみに脚を取られていた小田桐を数メートル後方まで吹き飛ばした。人質に捕らえていた土直神から、爆弾と小田桐を引き離すことに成功したのだ。
「やぁったぜ、おい!!」
異能力の即興五連コンビネーションを、敵対していたチームとで完全に決めてのけた。思わず指を打ち鳴らしていたおれに、油断があったことは否めないだろう。吹っ飛んだ奴の様を確認しようとしたとき。倒れたままこちらを向いた小田桐と、ちょうど眼が合ってしまった。怒りに燃える小田桐、そしてその右手には、まだ握られたままのスペツナズナイフ。
「ちょ、……っ!」
柄に仕込まれたスプリングが解放され、凄まじい勢いで刃が射出される。刀身そのものの重量があるため、近距離では銃弾以上の殺傷力を持つ一撃。おれに反応など出来るはずもなかった。
ざん、と音を立てて。
「お前――」
「相変わらず後詰めが甘いぞ、ワタリ……!」
必殺の刃は、横合いから割って入った『粛清者』シドウ・クロードの分厚い胸板に、根本まで深々と突き刺さっていたのだった。膝をついて沈む、大きな背中。
「……おい、シドウ!」
駆け寄ったおれの呼びかけにも、奴は応えない。あの位置は、間違いなく心臓だった。不死めいた再生能力の奴でも、さすがにあれは。その事実を理解したとき、唐突におれは叫んでいた。
「……待て、ふざけるな!人を思い込みで誤解したまま、勝手に死ぬんじゃない!」
また一人、居なくなる。
冗談じゃない。
そういうのが面倒だから、一人でやるか、"殺しても死なないような奴とだけ組むようにしてきた"ってぇのに……!
「お前には、あの時の真相を知る義務があるんだ……!」
肩をつかんでこっちを振り向かせる。そこにあったのは、唇の端から血を流し、既に息絶えた男の顔――
「……この程度で」
「え?」
――ではなく、無愛想なツラでこちらに視線を返す、シドウの仏頂面だった。
「俺が死ぬと思ったか」
心臓付近に深々とめり込んだはずのスペツナズナイフの刀身が、再生される心筋と大胸筋に押し出されて地面に落ちる。
「…………イヤ、普通、思ウヨ?」
心臓貫かれたら吸血鬼だって滅ぶぜ。
「酸欠で脳死するまでの間に心臓を修復することが出来れば問題はない。ましてナイフの攻撃面積は、結局の所鉄板一枚程度に過ぎぬ」
……あー、そーですかそーですか。口の中で呟いて、おれは何となく足下の砂利を蹴っ飛ばした。なんだよ、くそ。
「で、真相とは?」
「うっせえよてめぇ!まだ仕事中だろうが!」
巨体に背中から蹴りを入れるが、びくともしない。そうだった、と目線だけで返事を寄こして、『粛清者』とおれは、最後の牙をも失った男へと改めて向き直った。
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