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EX2話:『星を見る犬』02

 裏通りに引っ張り込まれる。

 声をかけてきたのは、二人組の少年だった。とは言え、少年と呼ぶのはいささかためらわれる。恐らく歳は十八、九。染めた髪にピアス、派手さを装っているのにだらしなさばかりを印象づけられる衣服、卑屈さと狡猾さとが混じった目線は純真さからはほど遠い。

 ありていに言えば、繁華街なら世界中のどの街にもいる、路上を縄張りとするチンピラの類だった。

「……ばんわス、宇都木さん、蟹江さん」

 先ほどまで少女の姿でサラと名乗り、今またサブロウと呼びかけられた少年は、ぞんざいな言葉に丁寧な口調で挨拶を返す。相手を持ち上げつつ、かつ、へりくだらない間合いの取り方。そんなものは真っ先にこの街で憶えた技術の一つだ。

「おおっと、それともサラちゃん、の方が良かったか?今日も随分ご活躍だったみたいじゃないの、エェ?」

 宇都木と呼ばれた方のチンピラが揶揄する。それに応じて蟹江と呼ばれた方が下品な笑い声を上げた。

「スンマセン、今は商売中じゃねェんで。如月(きさらぎ)佐武朗(さぶろう)の本名でお願いしやす」

 捕まれた腕をさりげなく外しながら、少年……如月佐武朗は静かに、だがはっきりと返答した。と、その言葉にチンピラ二人は過剰に反応した。

「……お、何サブロウ、お前俺達に命令すんの?ンン?」

 語尾にいちいち唸り声をつけるのは、この男なりに迫力をつけようとしているのだろう。成功しているかどうかはさておいて。後ろの蟹江と呼ばれた男がじろりとこちらを睨む。

「いえ、そんな事は決して」

 下手くそめ、と内心でサブロウは自身に向けて舌打ちした。さっきのオヤジの件でヘマを踏んだせいでどうも苛立っているらしい。こんな連中に内心を気取られるとは。

 この手合いは皮肉や冗談を解する頭はなくても、軽蔑には安いプライドが反応する。気が緩んでる、生き延びたければもっと用心深くなれ。もう何度繰り返したかわからない自戒を心中で呟く。

「だいたいお前よお、最近ちっと稼げてるからってチョーシくれてねえ?あん?」

「そんなことないッスよ。お二人のおかげでいつも商売やらせてもらえてんスから」

 語調に愛想の良さを加えフォローしつつ、サブロウはこの二人が何を言い出すかを正確に推察していた。

「お前、今月のセミナー代まだ払ってねぇだろ、オウ」

 セミナー代、とは奇妙な言葉だが、彼らはあるサークルに所属しており、開催されるセミナーへの参加料金を毎月払う事になっているのである。

 ……が、サブロウも、当のこの二人もセミナーになど参加したことは一度もない。要は古来より延々と続く裏社会の上納金―――ミカジメ、シノギ、上前―――を、現代風にソフトに言い換えたものだ。

 「シノギをよこせ」と言えば恐喝だが、「セミナー代を払え」ならば建前はビジネスになる。NPO法人に偽装したヤクザがよく使う手口の一つだ。

 この二人もすでにヤクザの息がかかっており、サブロウのような路上で商売をする人間からシノギを取り立てる仕事を任されている。彼らにとっては将来組に入るための試験でもある。

「やだなあ宇都木さん。こないだいつも通り一万、お渡ししたじゃないッスか」

 一万ンン!?と宇都木がすごむ。典型的な安い脅しの手口。

「馬鹿言ってんじゃねぇよ。お前がどんくらい稼いでるかってのはわかってんだ、一万ぽっちで済むわけねえだろうがオウ。誰のおかげで商売できると思ってるんじゃコラァ!」

 宇都木が一気にまくし立てる。怒った自分に興奮し、さらに怒れるタイプなのだろう。先ほどより”キレやすく”なっているのがわかる。

 サブロウからしてみれば、一万は相場として妥当な数字だ。宇都木の台詞は文句ではなくて、明らかに難癖をつけてカネを巻き上げようとするものだった。

「カンベンしてくださいよ。月一万ってのは上の人達も納得してる話じゃないスか」

 この二人が難癖をつけてきている理由もサブロウには推測がつく。この二人はお世辞にも有能とは言えず、集めてくる金が少ないと上のヤクザから脅しをかけられているのだ。

 他のチンピラ仲間や、上のヤクザからは、『ウッキーとカニで猿蟹コンビ』などと揶揄されている事も知ってはいるが、もちろん口には出さない。

「ウッセエ、だいたいお前には最初見たときからムカツイてたんだよ。いつも済ましたツラぁしやがってよ。一回きちっとヤキ入れてやろうと思ってたんだ、アァ!?」

 歯茎をむき出しにしてすごむ。カテゴリー上は同じ少年、と言っても、相手はほとんど二十歳。片やこちらは本来なら中学に通っていなければならない、貧相な体格のガキ一人。荒事になれば勝てないのは明白だった。

「いや、ホント、そう言われてもどうしたらいいか……」

 何度もそうしてきたように、考え、最適の選択をつかみとる。愛想の良い苦笑いを振りまきながら……一歩、二歩、後退し。

「その話はまた今度に!」

 一転全力で逃走にかかる。だが、その目論見は、

「逃げてんじゃねぇ!」

 表通りへの道を塞ぐ位置に回り込んでいた蟹江に阻まれた。伸びてきた腕を飛び下がって間一髪かわす。一旦逃走を選択した以上、捕まればどうなるかは考えたくもない。

 避けたものの塞がれた出口。後ろからは迫る宇都木。サブロウはほとんど直感的に行動した。

「ぐげぇ!!」

 飛び下がった勢いを殺さず、むしろ加速をつけて反転し、追いすがる宇都木に体当たりをかます。まさか攻撃されるとは思っていなかったのか、宇都木は綺麗に吹っ飛んだ。それに目もくれず、空いた空間をサブロウは猛然と駆け抜ける。―――裏通りの奥へ奥へと。

「テメェコラ!!」

「待ちやがれクソガキがぁ!」

 すぐに体勢を立て直した二人が追ってくる。ネオンの裏側の夜の中、狭い建物の隙間で作られた迷路を、三人はまるで実験動物のように駆け回った。

 ともにこの一帯を縄張りとする者同士、地理はわきまえている。料理油の臭いが漂う中華料理屋の裏を、うらぶれた小料理屋の、明滅する看板の置かれた通りを、サブロウは息の続く限り走った。

 足の速さと体力には結構自信はあるが、相手はタバコまみれの運動不足とは言えほとんど大人、基礎体力が違う。同い年だったら負けねえのによ、と口の中で毒づいてみても、こればかりは仕方がない。

 それでもどうにか一分、障害物競走のトップを維持し続けた。だが、そこが限界だった。

「あっ……!」

 足がもつれ、アスファルトに勢いよく転倒する。今日はどこまで運が悪いのか。居酒屋の裏口、積み上げられたビールケースの裏から、人間の両脚がごろんと地面に投げ出されていたのだ。

 ケースに隠れて顔は見えないが、恐らくは用足しにでも出てきてそのまま壁に座り込んでしまった酔っぱらいの類だろう、等という推測をしている暇はサブロウにはなかった。

 ビールケースをなぎ倒し、派手に転倒。頭を庇った代償として、右の肘の皮膚がアスファルトにそぎ落とされる。

”何でこんなところに……!!”

 その台詞を口に出す事は出来なかった。

「捕まえたぜ?オラ」

 起き上がろうとしたところを、Tシャツの襟首を引っ掴まれ無理矢理に身体を起こされる。嗜虐の笑みを浮かべた宇都木の顔を確認する前に、ボディーブローが一発入る。

 くの字に身体を追ってたたらを踏んだところで、今度は脇腹に蟹江のフック。もう一度ビールケースを蹴倒し、壁に叩きつけられた。

「あ……かはっ!!」

 体重(ウェイト)の差は歴然。苦悶に身をよじるサブロウの肩を、宇津木が壁に押しつける。

「ナメた真似しくさりやがってこのガキが!出すもん出せっつってんだろ!アア!?」

 ジーンズの後ろのポケットがまさぐられ、先ほどオヤジから巻き上げた紙幣と定期が抜き取られる。こうなっては半分だけでも返してもらう、などという交渉も通じない。

 この上はあと二、三発も殴られてやって、今日はとっととねぐらに撤退するしかないか。

 焦りを浮かべるサブロウの表情をしばらく見つめていた宇都木の唇が、名案が閃いたとばかりに歪む。

「おーいおいおい。これだけじゃ全然足りねえぞ。なあ蟹江?」

「そうだな、全然だな」

「勘弁……してください、これで……全部ですよ」

 言葉を吐き出す度に肋骨のあたりがじくじくと痛む。

「そうだな!それじゃあその分はサラちゃんにサービスしてもらおうぜ」

「ああ、そいつぁいいアイデアだ」

「なっ……!」

 にやにやと笑う二人は、決してサブロウを軽蔑したり、悪罵する意味合いで言っているのではなかった。それならよっぽどマシだ。こいつらは本気だった。自分が何をされようとしているのかに思い至り、背筋が寒くなる。

「離せ!離せよ!!」

 今度ばかりは打算を考える余裕はなかった。全力で抵抗しようとするが、二人がかりで押さえつけられた腕はびくともしない。頭と足を無我夢中で振り回す。その様子に蟹江が舌打ちする。

「うぜぇな。もう二三発入れとこうか」

「腹にしとけよ、痣だらけのツラじゃノれなくなるからよ」

 ぎゃはははは、と顔を見合わせて笑う二人。サブロウの目に不覚にも涙がにじんだ。痛いからでも、恐怖からでもない。そんな事にはもう慣れている。ただ、またこんな奴らの暴力に屈してしまう事が、そう、悔しかったのだ。

「んじゃ、まずは一発―――」

 蟹江が拳を大きく引く。見せつけて脅すためのテイクバック。拳がめり込むその直前、サブロウは反射的に目を閉じた。


 ぐしゃり、と。拳が肉にめり込む音。


 はらわたを抉られるような痛みが…………ない?

 「ったく。誰だオレの足を蹴ったヤツは!?」

「え……?」

  目を開く。そこには自分同様に呆けた顔の宇都木と、そして蟹江―――が、いない。

 と、唐突に派手派手しい物音が炸裂した。視線を向けると、八メートルほど離れた隣のカラオケボックス裏のゴミバケツに、ずっぽりと頭を突っ込んだ蟹江が倒れて転がっていた。

「あのよ。ちょっといいか?」

  蟹江が先ほどまで存在していたはずのあたりから、突如声がかけられる。

「良くわかんねぇんだけどよ。とりあえずオメェらがそこのチビを二人がかりでどつき回してるってのはマチガイねえよな?」

 そこに、一人の少年が立っていた。

 年の頃は十四、五か。となればサブロウよりは若干年上ということになる。同世代の平均からすれば少し小柄で痩せているが、ひ弱な印象は微塵も感じない。

 薄汚れたジーンズにスニーカーというサブロウと似たり寄ったりの格好だが、薄手のタンクトップが浮き上がらせる上半身と、そこから突き出した二本の腕には、無駄のない筋肉が骨をべったりと覆うようについている。

 見せるための膨れあがった筋肉ではない、一流の男性バレエダンサーのような絞り込まれた身体だった。

 左手をジーンズのポケットに突っ込んでいるのはいいとして、問題は右手だった。

 親指でコインを宙に弾いて、落下してきたそれを掌でつかみ、また弾き上げる。無意識でやっているのか、別に格好をつけた様子もない。

 そして、何よりその表情。ぼさぼさの長めの髪の下から覗く吊り上がり気味のその瞳には、ひ弱と呼ぶにはあまりにも強靱な、いや、凶暴とも呼べる光が宿っていた。

「な、何だテメェは?蟹江に何しやがったおい」

 一つ、仮説を建てる事は出来る。この少年が横合いから、蟹江を八メートルも殴り飛ばしたという説だ。もちろん、そんな馬鹿馬鹿しすぎる考えを放棄しているから、宇都木は少年に質問している。その、当然といえば当然の宇都木の問いかけを、

「おい、そこのチビ」

 まるっきり無視して少年が問いかけてきた。宇都木に押さえつけられたまま、サブロウは腹の痛みをこらえて顔を上げる。

「助けてやるから金だしな。五千円でいいぜ」

 ぞんざいな口調。あっけにとられたままのサブロウに、右手でいじくり回していたコインを指に挟み、これだよこれ、と突きつける。それは、白銅で鋳造された銀色の日本硬貨、つまりは百円玉だった。裏通りに漏れたネオンの光を弾いて、わずかに煌めく。

「あ、あんた……何モンだよ」

 サブロウの問いも当然といえば当然だったが、少年が口を開くより早く、

「てめぇ、ツレを呼んでやがったのかよクソが!アア!?」

 自分たちが二人がかりで追いかけ回したことを遠くの棚に放り投げ、宇都木が喚いた。掴んだままの肩を、また壁に叩きつける。息が詰まった。一度ならず何度も。少年が険しい目でこちらを見つめている。

「出すのか出さねえのか、さっさと言いやがれ!」

 そんな事言ったって、もう出す金なんてないんだよ、と心中で毒づいたところで、一つ考えが浮かんだ。

「そ、そいつらに取られた金があるから……それを取り戻したらアンタに半分やるよ」

「サブロウ、テメェ!?」

 少年の口が両脇につり上げられ、牙を思わせる歯並びが剥き出しになる。

「ショーダンセイリツ、って奴だな」

  親指を強く弾くと、弄んでいたコインが澄んだ音を立て、一際高く夜闇に跳ね上がった。ここでようやく状況を把握したらしい宇都木が、サブロウを突き飛ばし少年に向き直る。

「チョーシくれてんじゃねぇぞこンガキがぁぁ!!」

 助走して加速と体重を乗せてのパンチ。路上の喧嘩ではそれなりに有効な一撃だった。

「じゃあまずは自己ショーカイだ。オレは―――」

 宇津木のパンチが顔面を捉える直前。跳ね上がった百円玉が少年の右の掌に収まった。コインを握りしめ、掌が拳になる。

 その瞬間。サブロウは、自分が手品でも見ているのかと思った。

 顔面に飛んできた宇都木のフック。被弾の直前まで少年は棒立ちだったはずだ。だが。

「え!?」

 打撃の音が鳴り響いた時、当たっていたのは少年の右の拳の方だった。その絞り上げられた細身の身体から猛烈な勢いで撃ち出された右フックが、奥歯全部を粉砕するほど宇都木の頬にめり込んでいる。

 かわしざまのクロスカウンターとか、そういった技術ではない。ただ単に、棒立ちの状態から、着弾直前の宇都木のフックより早く己のフックを振りかぶって叩き込んだだけ―――理屈ではわかる。だがそんな事が可能なのか?

 またも派手派手しい音。宇津木の身体は実に八メートルの距離を引き飛び、先ほど蟹江が突っ込んだままのゴミバケツに、狙い澄ましたように仲良く頭を突っ込んだ。

「―――乾史(けんし)。犬神(いぬがみ)乾史ってんだ」

  両の掌をはたいて埃を払う少年。その様子を見て、さっきのはやっぱり何かの手品に違いない、サブロウは思った。なぜなら、先ほど確かに右手に握りこんだはずの百円玉が、開いた掌のどこにも残っていなかったからだ。

 二人のチンピラを吹っ飛ばし、乾史と名乗った少年は、サブロウを見やってにやりと笑う。その両眼が、かすかに金色に光っていたように見えたのは、果たして気のせいだったろうか。

「あ、あんたが、あの……『狂犬』犬神乾史!?」

 サブロウの口から、知らず驚嘆の声が上がっていた。

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