北関東

第6話:『北関東グレイブディガー』11

 彼からの手紙を受け取ったとき、私は少なからず驚いた。

 

 彼とはここ数年すっかり音信が途絶えてしまい、こちらからの連絡もとりようがなかった。色々と言葉を取り繕ってはいるが、しょせん、我々のやっていることはやくざな仕事である。

 正直なところ、最悪の事態も想定していないでもなかった。だから安堵もしたのだが――手紙の封を開いた途端、そんな安堵も吹き飛んでしまった。

 手紙は二通。

 一通は、彼から私への贈り物だった。こういう時、彼には到底かなわないな、と思う。彼に学び、彼に近づこうとしていた時、一度でも”それ”を欲しがったつもりはなかった。だが実際に貰ってみると、晴れがましさと畏れで胸が満たされる。私に演技の道を説き、自分には演技は出来ないなどと言っておきながら、私の知るところ、彼ほど人の心をよく把握している人物はそうはいなかった。

 そしてもう一通は、彼の舞台への招待状だった。

 そしてそれを一通を開いたとき。なぜ彼が私に贈り物をしたのか、その理由を知った。なればこそ、私にはその招待を断ることなど出来るはずもなかった。勿論、恩義がある人の頼みだからということもある。だが、それだけではない。

 舞台の幕が上がったのだ。

 限りなく100%に近づくことを可能とし、だがそれ故に100%になることが出来なかった男。その彼が、はじめて100%の向こう側に辿り着くための舞台。

 この私にも欲はある。

 そのひそやかな、誰にも知られぬ偉大な挑戦の中で、ささやかではあるが役を与えられ、そして同時に観客という名の見届け人を務めることになるのであれば。

 彼からの『贈り物』にかけて、これほどの栄誉はないと胸を張って断言できるのだから。



「ありゃあ『フレイムアップ』つう派遣会社の連中だあね。東京にあるちっちゃい会社だけんど、なーんかロクでもないのがいっぱい揃ってるらしいよ」

 ワゴンの助手席で、相変わらず携帯ゲーム機に外付けのモバイルアンテナを取り付けながら土直神が説明するのを、またジャージに着替えた清音と、こちらは変わらぬ背広姿の徳田が聞き入っている。

「ええっと……あのちっちゃい子は『殺促者』。ウルリッヒのデータベースによると、野生のケダモノも真っ青なルール無用の残虐超人。なんでも半径一メートル以内に近づくと目ン玉を抉られるとか。でも知能はそんなに高くないらしいんで、作戦や罠にはよくひっかかるらしい」

 時刻はすでに三時を廻り、日は傾きかかっている。今彼らがいるのは、元城市の国道17号沿いにあるショッピングセンターの立体駐車場に停めた、徳田の大型ワゴンの中だった。


 あのほとんど訳がわからないまま突入した三対三の戦闘の後。

 清音は元の場所に戻ってはみたのだが、土直神の術の影響で大幅に地相が変化してしまったことと、先ほどの苛烈な殺気と闘志のぶつかり合いが、感光したようにこの辺りの”雰囲気”に焼き付いてしまったため、当分は神下ろしの術式を執り行うどころではなさそうだった。

 このままここにいても仕方がないとの判断から、清音達四人は得るものがないまま、元来た河原を下って徳田の車に乗り込み、ひとまずは街で態勢を整え直しているのである。

「んで、一番厄介なのは、あのコートのおっちゃん。連中のまとめ役の須恵貞ってヤツだな。こいつはあのちみっこより、倍以上の脅威と考えといた方がいいやね」

 最近の携帯ゲーム機はノートPCの真似事も出来るらしく、液晶画面をタッチペンで繰りながら、データを読み上げていく土直神。あのタバコ臭い男が駆使した術式の数々は、清音の使う術とはかなり系統が異なるようだ。恐らくは西洋の流れ。そして自然の力を借り受けるよりも、自然そのものを従え支配する思想に基づくもの。

「銀のプレートを使ったって言ったろ?ならたぶん、方陣魔術だぁな。悪魔と交渉して力を引き出す魔術とも、神の慈悲を願い授かる法力とも異なる、神サマの命令権を行使して俗世に奇跡を行使する”聖魔術”だぁね。魔方陣の刻まれたプレートをかざして簡単な呪文を唱えるだけのクセして、かなり強力らしい」

 行使出来る力が弱いほど、組み合わせたり重ねがけしたり蓄えたり増幅したりして”術”に仕立て上げなければならない。本当に強い者が力を使う場合、柏手一つで魔を祓い、歩法一つで大地や大河すら操る事が出来るのだ。

「そーいや昔、有名どころの魔術結社の団長が発掘したとかって話もあったな。でも天使サマか聖者でもないと扱いは許可されないモノのはずなんだがなぁ……って、どしたん清音ちん?」

「……いえ。土直神さんって意外と博識だったんだなぁ、とちょっと感心してたところです」

「意外と、とは失礼な。見てくれよおいらを。いかにも内なる知性がにじみでてる顔だろ?」

「ええ。だから意外だと言ったんです」

「引っかかる言い方だぁな。まぁいいや。実際ウチはまっとうな神道からはずいぶん外れてるんで、その分こだわりなくあっちゃこっちゃの術を貪欲に研究して取り入れてるワケ。とくにあの方陣魔術のレパートリーは多彩だぁね。雷を起こす、銀の糸で敵を拘束する、なんて攻撃系から、失せもの捜し物についてもかなりの……」

 不意に土直神は言葉を切り、ううんと一つ唸った。そして業界長いけど実物拝むのは初めてだねー、などとぶつぶつ呟く。だが清音は彼らの能力以前に、そもそもの疑問を解決しておかなければならなかった。すなわち、なぜ、彼らと戦うことになったのか。

「ほんで最後のあの兄ちゃんについては……あんまり情報がないけんど。まぁそこは、詳しそうなシドーさんから説明してもらいましょーか」

 土直神の、そして清音と徳田が視線が一斉に四堂に向く。当の四堂はといえば、無言のまま運転席で食事を繰り返していた。

 四堂が今口にしているのは、徳田にショッピングセンターの中のドラッグストアで買い込んできてもらった巨大な缶入りのプロテインに、袋詰めの上白糖をぶちこみ、牛乳を混ぜて練りあげたものである。

 それを、無言のままペットボトル入りのスポーツドリンクで胃の中に流し込みながら、サプリメントの錠剤をおつまみ代わりにかじっている。

 どうひいき目に見ても美味そうな食事ではなかったが、四堂は一向に意に介した様子はない。それもそのはず、これは食事ではなく、『補給』なのだ。不死身じみた再生能力とは言え、”材料”がなければ細胞は分裂できない。

 損傷箇所の補修と、次に向けての物資の備蓄。そのために経口摂取するものは、栄養バランスが整って軽量でさえあれば良い。引き裂かれ、焼けこげた背広とは対照的に、まったく無傷の筋肉は、傍目に見てもあまりにも不自然に過ぎた。

「……昔の知り合いだ。たまたま遭遇したので戦闘を仕掛けた」

「……それだけ、ですか?」

「ああ」

 それきり四堂は、ただ栄養補給のみに口を開閉させるだけだった。

「ちょい待ってよシドーさん。さすがにそれで納得しろってのはムリだってばよ」

 土直神のコメントはもっともだ。問いただすべき事はいくらでもあった。そもそも任務中に私怨で戦闘を行うなど、業界の”仁義”からすれば相当問題のある行為だ。清音が知る限り、派遣社員達の中でも四堂はそういうことには人一倍スジを通す男である。

 仁義を無視して遭遇戦を仕掛けたあげく、結果として本来の任務を大きく妨げるような事は、他人にも自分にも許すはずがないのに。そしてもう一つ。清音が駆けつけた時にあの青年から感じた途轍もない違和感。あれは一体なんなのか。

「四堂さん、」

「すまん。これ以上は話せない」

 そういうと四堂は、深く頭を垂れた。

「え」

 そして四堂は、本当に岩と化したように喋らなくなってしまった。口先だけで誤魔化そうとするならまだしも、こうなってしまっては追求のしようもない。微妙な沈黙の中、土直神が一つタッチペンを弾くと、間抜けな電子音が社内に響いた。

「しょーがない。シドーさんが頭を下げるくらいなら、きっと知らない方がおいら達も幸せなんだろ。とーにーかーく。これからどうするかを決めよっか」

「……そうですね。起こった事は仕方がないとして。これからどうするかを考えましょうか」

 完全に納得したわけではないが、確かにここで問答をしていても無意味だ。それに、そもそもの任務の方も、腑に落ちない点が多すぎたのだった。

「まず確実に言えることは、板東山のあの辺りで人がひとり亡くなっていること。そしてその人は、例の落盤事故について知っており、小田切剛史さん本人の可能性が高いと言うことです」

「ただしその幽霊さんは、本人だとは言ってないんだけどな」

 対話する形をとりながら話をまとめる土直神。どう推理しても本人だとしか思えない幽霊が、死んだのかどうか、死体を見つけて確認してみろ、と言い放つ。あまりにも不自然な話ではある。

「そんなこと、私の今までの経験からはまずあり得ない事なんですが」

「あのぅ……。私たちのお仕事は、保険金を支払うために死亡を確認することです」

 ためらいがちに口を開いたのは徳田だった。

「私は未だに幽霊なんてものは信じられないんですが……とにかく居るとして。こういう言い方はどうかと思いますが、ご本人の幽霊が居るなら、亡骸も近くに埋まっているはずです。掘り起こしてみて、当人だったならば万事解決。そうでなければ身元を照合し、あの事故の関係者であるとわかれば、それはそれで事態は発展するんではないでしょうか」

「……つまり、あの幽霊さんの言うとおりに、ホトケさんを探す、っつうことだぁね」

 おそらくそれは正論である。ただしそうなると、そもそもの根本的な問題が浮かび上がってくる。

「でも、どうやって亡骸を見つけるかが問題になります。だいたいそれが可能だったなら、最初から私が霊を呼ぶ必要なんて無かったわけですし」
「そうだーなぁ……おいらが地脈をいじった表層にもホトケさんの反応は居なかったし。埋まっているとすれば結構深いところなんだろなぁ」

 なにやら首をひねって考え込んでいる土直神と、黙々と養分の補給を続ける四堂。そして、これ以上の意見が思いつかないままの徳田。しばらく考えた後、膠着状態を断ち切るように清音は声をあげた。

「徳田さん。私、この街で他にも居なくなった方がいないか調査をしてみてもいいですか?」

「え!?それは、なんでまた」

「根拠はないんですが……人生もこれから、という方が亡くなったにしては、やっぱり不自然が過ぎると思うんです」

「巫女の直観、という奴ですか?」

「そうかも知れません。自分が死んでしまったという事実を、あそこまで平然と受け止められるあの霊のイメージは、徳田さんから頂いた小田桐氏のプロフィールとはどうにも重ならない」

 かと言って、全くの別人にしては平仄が合いすぎていて、どうにも”据わりが悪い”。山中での神下ろしから清音がずっと抱いている違和感がこれだった。

「はぁ……。しかし、私どもの仕事はあくまで小田桐氏の死亡の確認ですし、今さら他の情報を再確認してみたとしても得るものは……」

 徳田は人の良さそうな顔に困った表情を浮かべ、かいてもいない汗をぬぐった。どうやらこれが、この男なりのやんわりとした拒絶らしい。と、土直神が口を挟んだ。

「いーんじゃないの徳田さん。どうせ今おいら達は手詰まりなんだしサ。どっちにしろ今日はもう陽が落ちるし、現場に行くにしても明日だ。なんかヒントがあるかも知れないし、夜の間に調べるだけなら損はしないやね」

「はぁ」

 未だ気乗りしない風だが、それ以上積極的に反論する気も徳田にはなさそうだった。

「……それでは、ウルリッヒ社内の該当するデータにアクセス出来るように本社に申請をしておきます。それと皆さん、明日は日曜日ですが、継続して任務に参加いただけるということでよろしいんですか?」

 はい、と返事をする清音。年頃の女子高生にとって土日がまるまる死体探しのアルバイトなどで潰れてしまうのは、もちろん楽しい話ではない。だが風早の巫女として、山中で出会った霊をこのまま見過ごすつもりはもはや清音にはなかった。

「ま、しょーがないさね。本当は今日中に片付けて明日は原宿の表参道ヒルズを冷やかすつもりだったんだけどなぁ。まあ原宿なんてもう行き飽きてるんだけどぉ。久しぶりに原宿も悪くないかなってさぁ」

「聞こえよがしに原宿原宿連呼しなくてもいいですよ土直神さん。で、四堂さんは?」

 あれほどあった缶入りプロテインを空にして、四堂は己の左腕――あの少女につけられた傷は完全に消え失せている――をなぞり、無言で強く頷いた。つまりは誰も降りるつもりはないということだ。

「じゃあ、ウチが提携してる駅前のビジネスホテルを確保しておきます。備え付けのPCでネットには繋げますので、清音さん、調査の方はそちらで」

「わかりました」

「そーと決まれば、ホテルに移動するとしましょっか」

 土直神の言葉に応じて、四堂がキーをまわす。ワゴン車はショッピングセンターを出て、元城市の中心部へ向けて走り出した。

「ところでシドーさん、あのフレイムアップの連中の事なんだけどサ」

 ハンドルを握る四堂に、カーナビを設定し終えた助手席の土直神が声をかける。

「場合によったら連中を排除しなけりゃいけない。このメンバーで戦闘になったら、前に出て戦えるアンタが要になる。そんときゃ頼んます、シドーさん」

 頷く四堂。言葉を続ける土直神。いつもどおりの飄々とした、だが少しだけ低い声で。

「人一倍仁義にうるさいアンタがいきなり襲いかかるような敵って事は、相手の素性もきっとロクでもないんだろ。そこはまあ呑むけどさ」

 携帯ゲーム機を折りたたんで胸ポケットにしまう。

「今度連中と鉢合わせしたとき、いきなり襲いかかるのだけはカンベンして欲しい。いくらアンタが戦闘担当でも、お互いの利害も確かめずに戦いをふっかけるようじゃ、チームにとってマイナスにしかならないよ」

 今度は四堂は頷かなかった。そのまま車を走らせ、ややあってからその重い口を開いた。

「最大限努力する。こちらから襲いかかる事はもうしない」

 それなりにつきあいのある土直神は知っている。この寡黙な男が口にした約束は、誓約と言っていいほどの重みを持つと言うことを。ひとまずは安堵し、胸を撫で下ろそうとしたとき。

「だが――」

「だが?」

 再び沈黙。今までのが重い沈黙だったなら、今度のそれは、重苦しい沈黙と呼ぶべきものだった。フロントガラス越しに国道の先を見つめる四堂蔵人の眼は、どこか昏く、陰鬱な光が宿っていた。

「正直、奴の顔を見た時、自制できる自信がない」

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