見出し画像

第6話:『北関東グレイブディガー』01

 おそらく彼は、私の悩みを正確に察知していたのだろう。


「変身と変装、どちらがより高度な技術だと思う?」

 不意に彼は、グラスをすすめながらそんな事を聞いた。なぜ私にそんなことを聞くのか、と問い返すと、彼は当然のように、もちろん君だから聞くんだよ、とそう言った。今更そんな事を、と抗議の声を上げかけて、ようやく私は彼の気づかいに思い至った。

 だから私は態度を改め、真剣に回答した。変身だと思います、と。

「なぜだね」

 当たり前の話である。私は自論を述べた。変身とは、何かに成ること。変装とは、何かを装うことだ。

 変装で形だけ誰かの真似をしてみせたところで、その人間に本当に成ることはできない。どれほどハチミツで味をごまかしてみたところで、メロン味のキュウリが本当にメロンになるわけではないのだ。

 変身は違う。それは、キュウリをメロンにしてのける技術。誰かに本当に成ってしまう技術のことだ。私のような凡人になせる業ではない。だからこそ、結局私は彼からその技を授かることが出来なかった。

 当の本人に述べ立てているうちに、次第に私は激昂してきた。彼に対してではない。自分に対してだった。なぜ私には素質がなかったのか。能力がなかったのか。努力などは前提条件。置かれた環境も申し分なかった。

 だが、普通の人に腕は三本ないように、目が三つはないように。私には”異能力”の素質がなかった。彼に近づこうとすればするほど、その差異は明確になった。

 飛んでいる鳥も、跳ねているバッタも、写真に撮ってみれば宙に浮いている事にはかわりない。しかし、自分はそれ以上高く飛ぶことが出来ないことは、当のバッタが一番良く解っている。

 グラスを前にして心の奥の劣等感をぶちまけ続けた私を――すでに回答どころか、ただ私が一方的に喋っているだけだった――彼は無言で見守っていた。やがて私の体力と言葉が尽きた。すると彼は、喘ぐ私に、こう声をかけた。

「私は、変装の方がより高度な技術だと考えている」

 最初は侮辱されたのか、と思った。

 自分より優れた者から、いやあ君の方がすごいよ、などと慰められるのは、屈辱以外の何物でもない。だが、同時に、彼がそんな見え透いた世辞を述べるような人間では決してない事も知っていた。自然、私は彼の言葉の続きに傾聴する。

「変身の行き着く先は、その人の持つデータに己を近づけること。変装は、自らの裡にその人間を写し取ること。変身も変装も、まずは自分を他人に似せてゆくことから始まる」

 その通りだ。顔を似せる、声を似せる、癖を知る。髪の色を変更する。身長を合わせる。

「より高度な技術を求めていけばいくほど、自分と他人の境界は狭まってゆく」

 口調を真似る。思考を真似る。価値観を真似る。骨格を変形させる。遺伝子を複写する。記憶をコピーする。

「だがここで、変装の場合は物質的な限界が訪れる。男は女にはなれない。白人は黒人になれない。指紋も免疫も、まず変更するのは無理だろうし、遺伝子を書き換えるわけにはいかない」

 そう。だから私はその能力に憧れたのだ。他者の記憶と遺伝情報を読み取り、皮膚組織から筋肉、必要であれば神経系、脳細胞やそれが生み出す記憶まで、完璧に他人を模写できるまさしく最高の役者(アクター)としての力を持つ彼に。だが彼は、ゆっくりと首を横に振った。

「そこが分岐点なのだ。足りないからこそ工夫をする。たとえば女形の役者は、女を演じるために実に様々な工夫を凝らしているだろう」

 それは、事実だ。私も異性を演じるために、彼らの技術を勉強したことがあった。本当に彼らは『女』というものをよく観察している。おそらくは、大多数の女性よりはるかに。

「他方、私のような変身の力を持つ者は、近づいていこうと思えば際限なく対象に近づいていくことが出来る。だが、それだけだ。行き着くところはその個人の劣化コピーに過ぎない。百のものに対して、九十、九十九に迫ることは出来るが、それだけだ」

 彼は何もわかっていない。私は反論した。それは貴方がコピーする能力を持っているからこその言い分だ。彼らにもし貴方のような、性別を超えて肉体を変化させる超常の力があれば、あのような面倒くさい技術は必要なかったはずだ。

 私の頑迷な主張に、彼は少し困ったようだった。

「では質問を少し変えてみよう。そうだな、警察が指名手配の犯人を捜す時、ポスターを作って街中に貼るだろう?」

 話が急に飛ぶ。今の今まで女形の役者を脳裏に思い浮かべていた私は、咄嗟に警察官の映像を思い浮かべることが出来ず、返事に詰まった。

「君はあのポスターに、犯人の顔写真を載せるのと、似顔絵を載せるのと、どちらが効果があると思うね?」

 今度の質問には、容易に答えることは出来なかった。私自身は職務上、追われることはあっても、追う立場にはあまりまわったことがない。同僚達なら答えられるのかも知れないが……。

 私はごく常識的に考え、顔写真だろう、と答えた。すると彼は、私のグラスにワインを注ぎながら笑った。

「はずれだ。答えは似顔絵。顔写真のポスターよりも、見かけた人が犯人と気づく確率が高いんだ」

 ……それは。本当なのか。

「もっとも、私が正確な統計を取ったわけでもないがね」

 警察関係者ならおおむね同意してくれるはずさ、と彼は付け加えた。何故です、と私は問う。問わざるをえなかった。

「似顔絵とは、他者の持つ顔の情報を写し取るためにある。となれば、もっともデジタルに映像を記録出来る写真が、他人が手動で写し取った似顔絵に劣るはずがない。君はそう考えたのだろう?」

 頷く。

「ところがな。実際のところ、写真で見た映像というのは思ったよりも印象に残らないものなのだ。特にその犯人が髪型を変えていたり帽子を被ったり、逃亡生活でやつれていたりすると、気づく可能性はぐんと低くなってしまう」

 私は時々街中で見かけたポスターを思い出してみた。……確かに、そうかも知れない。

「対して、似顔絵というのはいわば、デフォルメされた画像だ。目がキツネのように吊り上がっているとか、耳が大きいとか。そういう情報が、一度描き手によって”濃縮”されて絵にされる。すると面白いものでね。それを観た人間というのは、自然と『実際の顔はどんなのだろう』と、あれやこれやと想像を巡らせはじめるのだよ。一枚の絵からね」

 私はいつしか、彼の話に聞き入っていた。

「そうして、いつのまにかその人間の頭の中には『その人の候補の顔』が幾つも脳内に蓄えられていることになる。だからこそ、髪型や表情、年齢による変化に惑わされず、その人間を見つけることが出来るんだ」

 ……私は彼の言わんとすることを、おぼろげながら理解し始めていた。私は控えめに意見を述べた。つまりは人間は、正確な情報よりも、誇張された情報を記憶するということなのか。

「そのとおりだ」

 彼は満足げに言った。

「真に”似せる”という事は、ただ模写をするということではない。当の本人以上に客観的に本人の特徴を捉え、それを自在にデフォルメしてのける技術。それこそが”似せる”ということなのだ」

 極論をしてしまえば、私が演じようとする当人の容姿と、私自身の変装がデジタルに同一である必要はない。私を観る人間の脳内の”当人”の映像に、私自身の変装を合わせればいいということだ。

 ……気がつけば当たり前のことではある。舞台の役者なら最初に覚えるような事項だ。幸か不幸か、この単純な事実にも気づかぬほど、私は彼という人間に近過ぎたということか。

「確かに君には私のような力はない。だからこそ、君には私を越えていく力がある。私は百のものに九十九までしか歩み寄ることは出来ない。今の君はまだ九十、いや、八十にも達していないだろう。だが究極的には、君は百二十に辿り着ける可能性がある」

 彼はそう言うと、ついぞ私の前では見せたことのない表情を見せた。今でも時々思い返す。それは、自嘲、だったのか?

「……そう。私には結局、模写しか出来ないのだ。模倣以上のものを産み出すことは、決して出来ない。だからこそ、君に託したいのだ」

 彼はそう言って、私との、結果として最後になる会見を締めくくった。


 その後、私は何かと忙しく、彼ともあまり連絡を取る機会は得られなかった。だが、彼の一言はまるで要石のように確と私の底に埋め込まれており、私が任務を続けて経験を積んでいくほどに、より強固な、揺るぎのないものとなっていた。

 今の私はどの領域に達しているのだろうか。九十か。百か。それ以上であればよいのだが。

 この世は広い。彼と同じような不可思議な力を持つ者も数多くいると知った。そんな連中に混じって、私も何とか日々の仕事をこなしている。


 そして今、彼の言葉を得て、今では私はそれなりに食い扶持を稼げるようにはなった。

 私は私でありながら、誰をも装うことが出来る。

 さながら舞台に上がる役者のごとく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?