第6話:『北関東グレイブディガー』16
ものを作る人間と、それを盗み出して自分のものだと言い張る人間がいる。
どちらの人間ももっともらしいことを延べ、素人目には容易に区別がつかない。
それでは、どちらが本物の『作者』なのか。確かめるすべはあるのか?
――ある。
古来あらゆる文献に載っているように、それはとても簡単だ。
新しく、別のものを作らせればよい。
偽物には、決して新しいものを作り出すことは出来ない。
笑えもしない話だ。
どれほどに精緻に模写(コピー)をしても。
どれほどに精緻に擬態(エミュレート)をしてのけても。
それは今という一瞬だけのこと。
その人間が次に生み出す”新しいもの”を、真似る事だけは出来ない。
生み出される新しいもの、とは別に作品には限らない。
仕事であり、恋愛であり、人生そのものであるとも言えよう。
そしてここに、一人の滑稽な道化がいる。
他人の作品を盗む事に長けた者。
誰のどんな作品を見ても、即座にそれを模倣してのけることが出来る。
人はその技術のあまりの見事さに心を奪われ、人はその道化を職人と称えた。
その道化も、一時は己の才に酔い浮かれたこともあった。
だがある時、道化はこの上もない罰を科された。
新しいものをつくれ、と。
完璧な擬態が出来るのならば。
失われた原本(オリジナル)が”作れたはず”のものを。
お前は苦もなく作ることが出来るだろう?
最初は、当然だと思った。
事実その道化は、完璧なまでの贋作を提供し続け。
誰もがそれをオリジナルだと信じて疑わなかった。
だが。
月日が巡り。
やがて道化は道をたがえた。
それは些細な一歩。だがそれは何よりも致命的なもの。
オリジナルよりも己を採った罪。
わずかでもひずみが存在すれば、それはもうオリジナルではない。
そしてオリジナルは失われて久しく。
道化はもう、”正しい答え”を確かめ修正することは永久にかなわない。
失敗した試練から降りることももう出来ず。
月日が巡るほど、道化は己の技に自信を持てなくなっていた。
100%を目指した男。
99.99%に近づくことが出来たが故に。
101%の領域に踏み込んだとき。
道化の傲慢な挑戦は、これ以上もないほどの重い罰を以て報われた。
十月の早朝は昨日にも増して肌寒い。
とくに板東川沿いから河原を遡って板東山中へと続くルートは、触れれば手が切れそうな冷水に大気の温もりが奪われて流され、凍えるような風が吹き抜けていた。
昨夜の酒もまだ抜けない早朝に起き出したおれ達は、再び板東山へと向かった。今回は昨日の県道から直接坂道を滑り落ちるルートを避け、時間をかけて河原を登っていくルートを選んだのであった。
昨日の戦闘からすでに半日以上経ってはいるが、板東川には未だ土石流の影響があるらしく、水はやや茶色に濁っている。
「ううぅぅ。寒い……。こんな事ならダウンと手袋も持ってくるべきだったぜ」
ぼやくおれが今着ているのは、昨日と同じジャケットである。坂でズタボロに裂け、河で泥まみれになったそれを昨日コインランドリーで無理矢理洗った結果、お気に入りのジャケットは大層無惨な様子へと成り果てていた。
なんだか喉も痛い。昨日川に落ちたし結構無理もしたので、もしかしたら風邪を引いたのかも知れない。
「そんな背中丸めてると余計に寒いよ!ほら、もっと手足を動かす!」
……朝からテンションが高い奴を見ると無性に腹が立つのはおれだけだろうか。
「お前、風邪ひいたことないだろ」
「うん。ないよ」
そうだろうさ。
わかりきったことを今さらながらに確認しつつ、さらに歩を進めていく。やがて周囲の木々が開け、多少なりとも見覚えのある場所に出た。
「陽司、ここって昨日の……」
「ああ。どっかの誰かさんが水洗式よろしく流された時の場所だよ」
「うぐ。って、アンタも一緒だったじゃない」
「そうだったか?」
大量の土砂が板東川に流れ込んだ影響で周囲の地形はだいぶ変化していたが、確かにここは昨日おれ達が『清めの渦』土直神靖彦と遭遇した場所である。あのトラップは強力な分、即興で仕掛けられる代物ではないはずだ。おれ達と遭遇する前、奴らがここに色々と仕掛けを施していたということは……。
「とりあえず、ここまで来ればいいんじゃないですか?」
おれの言葉にチーフは頷いて立ち止まる。そしてコートのポケットから取り出したのは、工場長から受け取っていた、小田桐氏愛用の万年筆だった。
「それではここで!元警視庁ヒミツ捜査官、須江貞氏による心霊捜査です!」
おれはTVのよくある番組の司会の真似をして場を盛り上げてみたが、当の本人は一向に感銘を受けた様子がなかった。
「俺の術はそう便利なものじゃないぞ。よっぽど強い”縁”のある品物がないと、そもそも発動も出来んのだし」
「その代わり、”縁”のある品物さえあれば外部のノイズに影響されないじゃないですか」
まあな、と言いつつ次に取りだしたのは、術の基点となる魔方陣を刻んだ銀のプレートと、同じく銀色に輝く一巻きの糸だった。
銀の糸の上端を指に巻き付け、下端で器用に万年筆をくくる。そして銀のプレートを地面におき、手帳から破り取った白紙のページをその上に載せる。その少し上に掌をかかげると、ちょうど掌から糸でつり下がったペン先が紙に触れるか触れないかのところで停止する形になった。
チーフが静かに目を閉じ、低く静かな声で呪文を唱える。
"ETHANIM. -T - H, -A -N -I -M."
『盤石たる東司の皇。埋み朽つ色の即、逝きて還る縁の横糸を我が標と為せ』
詠唱が終わると同時に、プレートと、そして銀の糸が淡い輝きを帯びた。やがてかすかに、糸に垂らされた万年筆が振り子のように揺れ始めた。
チーフがまったく掌を動かしていないのに、振り子のごとき揺れは次第に大きく、かつ不規則にぶれだした。そしてチーフがこころもち掌を下ろすと、揺れるペン先が紙に触れ、不規則な線を刻みつけてゆく。
いや、不規則ではなかった。刻みつけられていく無秩序とも思える線の羅列は、だがやがて集まり重なり交わり、いくつかの意味ある象形へと姿を変じてゆく。五分ばかり時間が経過した後、チーフは目を開き掌を閉じた。すると、今までの激しい揺れが嘘のように、万年筆は元通りまっすぐに垂れたままとなった。
プレートの上に置かれた紙を拾い上げるチーフ。そこにはたどたどしい、だがはっきりとした金釘文字で、
『 → 130m UNDER RED ROCK』
と、記されていた。
長年愛用したモノ、長年共に過ごしたヒトの間に繋がった、あるいは繋がるべく定められていた『縁』をたぐり、失われたものを見つけ出す失せ物探しの魔術。もともとこういった即物的でささやかな願いは、魔術のもっとも得意とする分野である。
どうにも戦闘能力に偏った連中が多いウチのメンバーが、まがりなりにも調査や交渉の仕事も引き受けることが出来るのは、ひとえにチーフのバランスの取れたこの能力によるところが大きい。
「北東の方向百三十メートル、赤い岩の下。そこに、この万年筆の持ち主が眠っているってことですね」
紙に描かれた矢印の位置をずらさないように注意しながら持ち上げ、指し示しながら目測で距離をはかる。ここからではうずたかく積み上げられた瓦礫と倒木、そして雑木林に遮られているため、獣道の向こう側から回り込むしかないようだった。目標ポイントを記憶し、頭の中の地図に見えないピンを刺す。
「それじゃあ向かうとしようか」
手早く魔術の小道具を仕舞い込むと、森の奥へと歩を進めるチーフ。その後におれ達が続こうとした時。
「陽司、河原の雑木林の奥に気配がある!」
真凛が小声で鋭い警告を発した。ああ。おいでなすったか。心身を戦闘態勢に整えていく真凛を軽く手を挙げて制し、おれはむしろのんびりとした声音で、雑木林の向こうに呼びかけた。
「おうい。そこにいるのはウルリッヒ保険の連中だろ。出てこいよ」
しばしの沈黙ののち。
「……あっちゃあ。やっぱばれてた?」
特に悪びれた様子もなく雑木林の向こうから姿を表したのは、昨日の連中。
妙なファッションの兄ちゃん、巫女さん。そしてシドウ・クロードとあともう一人、微妙に冴えないスーツ姿の男の四人だった。
「ちょっと土直神さん!思いっきりバレてるじゃないですか尾けてたの!」
「ウン。まぁしょうがないでしょ。おいらとシドウさんだけならともかくこっちには清音ちんや徳田さんまでいるわけだし」
今日は最初から巫女服で、組立済みの弓を背負った清音の抗議に、こちらは昨日同様ラフな格好に携帯ゲーム機をぶら下げた土直神が応じる。その背後には背広姿の二人、一切の表情を遮断し沈黙を保ったままの四堂と、やっとのことで後についてきた徳田の姿があった。
「さりげなく責任回避してますけど。ゲーム機の音楽鳴らしっばなしでバレないと考える方が甘いんじゃないですか?」
確かに土直神の携帯ゲーム機からは、この山中に相応しくない電子音が漏れていた。
「ありゃこいつは失礼。まあとにかく、見つかっちゃったものはしょうがないさね」
憤る清音とは正反対に、一向に危機感のない土直神だった。
「だから私は最初から反対だったんです!あちらの術法の力に頼るなんて」
今朝早くに宿泊した旅館を出発した清音達は、板東山の入り口付近で一度車を停め、フレイムアップのメンバーがやってくるのを待ち伏せし、そこから尾行していたのだった。
昨夜土直神が言っていた、『小田桐の遺体を見つけるための方法』とは何のことはない、フレイムアップのチームに遺体の場所を探させてその後を尾けるというものだった。
「それくらいならいっそ、もう一度私にやらせてもらえれば……!」
清音としても土直神の作戦の有効性は理解している。確かに手としてはアリだろう。だが昨日自分の術で遺体の場所を見つけることが出来なかった清音にとっては、これは屈辱以外の何ものでもない。
「まあそう言わんでよ清音ちん。昨日の旅館でもそうだったけどサ。こういうのは無線と有線の違いだから」
広域での捜索が可能な反面、環境の影響を受けやすい清音の術と、範囲が特定され、手がかりとなるアイテムが必要とされるかわりに環境の影響を受けない相手の術。どちらが優れた術というわけではなく、使い方と状況次第と言うことだ。
「あのう……お二人とも、あちらの方々がお待ちのようですが……」
控えめな徳田の声に土直神が慌てて前を向くと、挑戦的な視線をこちらに向けている青年と目があった。傍らに控える少女もすでに臨戦態勢となっている。奥のコートの男はまだ自分が出る幕ではないと思っているのか、こちらに背を向けたままだ。
「昨日は世話になったな、『清めの》』、『風の巫女』、『粛清者』。ここら辺じゃあんたらは結構有名らしい。少し調べればウルリッヒ保険所属だって事もすぐにわかったぜ」
口調だけは軽薄に青年が言う。三人の中で今ひとつ異能力が判然としないひとり……たしか亘理陽司、とか言ったか。
「それはお互い様。おいら達も兄サン達らの事はすぐ調べがついたよ。だからそこの聖者様の奇跡を当て込んでここまで尾けてきたんだし」
こちらも口調だけはのんびりと土直神が返す。表情筋だけ笑顔のまま、油断なく視線を交える両者。三秒ほどの沈黙の後、口を開いたのは土直神だった。
「なあ兄サン、協力しないかい?」
「土直神さん!?」
「協力!?」
清音と、あちらの女子高生、『殺捉者』が同時に眉をひそめる。
「兄サン達はどう思っているかは知らないけどサ。元々昨日の戦闘は、偶然お互いのメンバーに因縁があったから発生したもんだし。純粋にこの任務に限れば、おいら達が戦わなきゃいけない理由は、多分ないよ」
語りながらさりげなく視線を横に向ける。隣の大男、四堂蔵人は亘理陽司を鷹のように鋭く睨みつけたまま。だが必死に自制しているのだろう、それ以上の行動を起こすつもりはないようだった。
「兄サン達が何のために東京からこの山奥まで来たかってのは知らないよ。でも多分、『幽霊騒ぎの正体を確かめにきた』とかってところじゃないの?そんなら、平和的に協力すれば、すぐにお互いの案件は解決するって話サ」
亘理はその提案を聞くと、皮肉っぽい笑みを閃かせた。
「はっ!協力したいっつっても、遺体の埋まっている場所はもう判明したんだ。今さらあんた等に手助けなんぞ乞わなきゃいけない義理はないだろ?」
その言葉を聞いて、むしろ土直神は安堵した。この青年は土直神の提案を否定しているわけではない。どうせなら恩を売って優位に立とうとしているだけだ。そうであれば後は交渉の世界である。
「へえ。じゃあ兄サン達は、地中深く埋まった遺体を手作業で掘り返すつもりなのかい?」
手に持ったタッチペンを振ってみせる土直神。
「オイラの力なら、五分とかからず掘り出すことが出来る。そう悪くない話だと思うんだけどサ。――そうだろ、シドーさん?」
水を向けられても、四堂は無言のままだった。己の激情と理性がせめぎ合っているのか。その眼は閉じられ、硬く握られた拳が細かく震える。だが、
「……そうだな」
眼を開いた時には、すでに己の中で一つの決着をつけていた。
「今は任務が優先だ」
絞り出された声は、鋼の塊をこじ開けたかのようだった。
「だってサ。ってのがこっちの提案なんだけど。そっちはどうするよ?」
「陽司……どうするの?」
『殺捉者』が亘理陽司を見上げる。その亘理はと言えば、土直神達四人をなにやら意味ありげにじっと観察していた。そして四堂を一度だけ視線で薙いで、ひとつ息をつき――
「はぁ?冗談じゃねぇな。こちとらそいつに殺されそうになった恨みがあるんだよ」
どぎつい嘲笑を浮かべて、そう言い放った。
「亘理、貴様――」
「おっと、お前にどうこう言われたかないぜシドウ。こりゃあ元々お前の方から売ってきた喧嘩だからな」
四堂を睨み付けつつ、己の首筋を撫でる。
「ヒトを殺しかけておいてハイやっぱり無かったことにしましょう、なんて話が通用するわけ無いだろ。まずはテメェにきっちり落とし前をつけなきゃ帰れない。シドウ・クロード。二度と再生できないようバラバラに刻んでこの山奥に埋めてやるよ」
相手の怒気を含んだ挑発。それに応じる土直神は、むしろ興醒めといった態だった。
「……兄サンはもっと頭の良さそうな人だと思ってたんだけどなー。残念だよ」
土直神がタッチペンを掲げる。
「交渉決裂、ってことだぁね」
すでに清音も弓を構え、矢筒に手を伸ばしている。そして、
「せっかく自制してくれたんだけどシドーさん、好きにやっていいって話らしいや。こうなりゃ例のブツも使っていいんじゃないの?」
無言で頷くと、四堂は己の背中に腕を回し、シャツと背広の間に背負っていた一つの得物を鞘から抜き放つ。それは刃物。だが、厳密に言えば”剣”ではなかった。
オンタリオ社製、米軍公式採用の山刀(マシェット)。
分類上は”藪を切り払うために制作されたナイフ”ではある。だが六十センチに及ぶ黒焼き入り炭素鋼の刀身が放つ禍々しさは、もはや直刀と呼ぶ方がよほどに相応しい。
そしてこの『ナイフ』のもう一つ恐ろしい所は、分類上はあくまでも『道具』であるがゆえ、日本国内でも比較的入手が容易であるという事だった。専用の得物を持たず、あくまで武器の現地調達を旨とする『粛清者』が、戦力の補強を期して、昨日ショッピングモールに入っていたキャンパー向けのショップで買い求めていたのがこの『道具』だった。
だが殺気を総身に漲らせる四堂に握られたその姿は、もはや『凶器』以外のなにものでもない。もうこの男を制止する理由は何もない。その視線の先には、先ほどから挑発の薄ら笑いを浮かべている青年。
「土直神さん、徳田さん。ここは私達が食い止めますので、二人は先に遺体のある場所へ向かってください」
「いいの?清音ちん」
「ええ。あくまで一般人の徳田さんと、事前準備が必要な土直神さんの能力はここでは発揮できませんし」
土直神は苦笑いをせざるを得ない。
「はっきり言うなあ。流石に女の子に正面切って役立たずって言われるとへこむさね」
「すみません。ここに居てもらって下手に巻き込むくらいなら、先に向こうで準備しててもらった方が助かりますし、それに――」
「それに?」
清音が例の清楚で物騒な笑みを浮かべる。
「私たちがあの三人程度に遅れを取ると思いますか?」
「……了解。じゃあ任せたよ、清音ちんに四堂さん」
頷く二人。しびれを切らしたように向こうからかかる声。
「能書きはもういいのか?それじゃあさっさと……」
「能書きを垂れているのは貴様だろう」
四堂が青年の長広舌を断ち切る。
「……ああそうだな。それじゃあ始めるとしようか!」
青年の言葉が臨界寸前の空気を発火させる。四堂が地を蹴り、『殺捉者』がそれに応じる。土直神と徳田は遺体のある方角へと向けて走り出し、清音が矢を取り出しつがえ、青年とコートの男が後方で詠唱に入る。半日前の戦闘が同じ場所で、だがより一層苛烈な戦意を以て再開されようとしていた。
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