壱番街

第7話:『壱番街サーベイヤー』27

「ドーモドーモ。では、話し合いと参りましょうか」

 紅華飯店の最上層、ベイエリアを見下ろすドラゴン・スイートのソファーにどっかりと尻を落として足を組み(ちゃんと今朝靴を磨いてきたのだ)、おれは室内を睥睨した。

 流石にVIPが宿泊するスイートルーム、応接設備は最高級。円卓会議が開けそうな巨大かつ重厚な木製テーブルの向こうでおれと正対して腰掛けるのは、たるんだ家猫を思わせる肥満体の中年。今回MBSを雇用し、ファリスを狙った張本人であるワンシム・カラーティだ。その右側には美玲さん。左側には気弱そうな通訳の青年。そして背後には、ファリス皇女と、その傍に立つ颯真の姿があった。

 おれの隣には真凛が座り、颯真と美玲さんを警戒する。事前に取り決めたサインで、真凛が気配を伝える。隣の部屋には四人、恐らくワンシムの護衛が待機。さらにロイヤルスイートの出入り口にも十人。こちらはMBSのスタッフだろう。まともにぶつかりあっては真凛はともかくおれが助からない。慎重にことを進める必要があった。卓上に置かれた普洱茶には手を付けずに話を進める。きっと使用されている茶葉はとんでもない高級品なのだろうが。

『あ、細かい意思疎通が希望でしたらルーナライナ語でも大丈夫ですよ。そこそこ会話は出来ますからね』
『この恥知らずの小僧め、事情も知らずに貴様が余計な手出しをしおって云々』

 ありゃりゃ。おれの親切心からのコメントは逆効果だったらしい。おれはワンシム某とは初対面ではあるが、あらゆる点で想像の範囲内に収まっていた人物のため、ほとんど興味をそそられなかった。一通り人物鑑定を終えると早々に脳内ミュートをかけて会話内容をシャットアウトし、さくさく交渉を進めることとした。

「こちらの条件はすでにお伝えしたとおりです。我々が解読した『箱』の中身と、貴方がたが確保している皇女殿下の身柄を交換すること」

 おれが日本語で要求を伝えると、隣の青年、ツォンと名乗ったか、が丁寧に通訳する。ワンシムが何事か告げたようだが、ようは隣の美玲さんに任せる、というような趣旨の発言だった。

『こちらとしても、最優先は『箱』の中身です。皇女殿下の身柄の優先順位はそれほどでもありません。双方の利害が相反しない以上、話し合いの必要すらありません。これは交渉ではなく、ただの取引を粛々と進めるだけと考えますが、いかがでしょうか?』

 英語で美玲さんが喋る。三ヶ国語が入り乱れる中、全員に情報がもれなく行き渡るよう、ツォン青年が傍らで翻訳に奮闘していた。

「だめです、亘理さん!『箱』の中身を渡しては!金脈の在り処は、ルーナライナの最後の希望なのです――」

 皇女の声を、颯真が手を挙げて遮る。

『フレイムアップのエージェントの賢明な判断を期待します。我々にとって皇女は絶対条件ではありませんが、『鍵』と『箱』は絶対条件です。あなた方は逆のはず』
「ああ、そこは事前にはっきりさせておきたいのですがね。おれの受けた依頼は『謎を解いて』『ルーナライナの危機を救うこと』。皇女自身の身の安全は必ずしも絶対条件ではないんですよ。たとえ彼女が依頼人でもね」
『ハッタリですね。ではなぜ貴方はこの場に来たのですか?鍵の謎が解けた時点で、それこそ金脈を他の勢力に流すなどすればよろしい』

 美玲さんが悠然と微笑む。実際のところ、冷静に条件を比較すればこちらが不利であった。こちらの切り札は解読結果を他国へ横流しすること。しかしそれでは皇女は帰ってこない。力任せは不可。かと言って時間経過を待つほど、向こうに暗号を解読される可能性が高まる。

 こちらの勝利条件を『皇女を奪還する』『暗号を守り切る』いずれかに限定するならばたやすい。
 しかし『皇女を奪還し、暗号も守りきる』に規定すると難易度が段違いとなるため、おれとしては色々と浅知恵を絞らざるを得なかったのである。

「そういうわけにもいきません。こちらにも色々と都合がありましてね……。まあ何しろ、事を荒立てるつもりはありませんよ。美玲さんの言う通り、お互いの絶対条件と優先順位がぶつからないんです。粛々と進めるとしましょう」

 おれはポケットから、仰々しくUSBメモリを取り出した。一同の視線がおれの指先に焦点を結ぶ。

「解析結果を一通り保存してあります。べつに端末からメールで送信、でもいいんですがね。こういうのは視覚的にわかりやすい方が良いでしょう」

 言って、テーブルの右端にメモリを乗せる。

「……そこの通訳の人に、右側からメモリを取りに越させてください。同時に、皇女を左側からこちらへ歩かせてください。おれのアシスタントが皇女の腕を取ると同時に、メモリを渡します」
「もしもメモリが空っぽだったり、ウィルスでも入っていたら?」

 颯真のコメントに、おれは皮肉っぽく返した。

「その場で適当なノートPCにでも差して中身を確認してくれ。もしも空だったら、おれ達は対等の交渉を装って偽物をつかませようとした不埒者だ。外にいる全員を呼んで袋叩きにしても、みんなが納得。お前の名誉に傷はつくまいよ」

 部屋の角に取り付けられた監視カメラにピースサインをつきつける。

 沈黙は、そう長くは続かなかった。

 先述の通り、究極的には双方の利害は一致しているのだ。ネゴシエーションや落とし所を探る必要はない。顔を合わせて互いを信用し、取引を交わすだけの会合のはずだった。

 美玲さんとワンシム、ツォン青年が小声で言葉を交わし、頷く。

『わかりました。交渉に合意します。皇女をそちらに』

 おれは大げさに安堵のため息をついた。交渉内容が録画されているということ自体が抑止力となる。ここで一切合切反故にして暴力沙汰に訴えるとなれば、今度はMBS内での颯真のメンツが丸つぶれになるだろう。

「ワンシム閣下とMBS各位の賢明な判断に感謝しますよ」

 言って、メモリを卓の端に押し出す。おずおずと近づいてきたツォン青年が回収する。

「さ、ファリスさん、こっちへ」

 真凛がファリスに手を差し伸べる。

 しかし、ファリスは動かなかった。

「ファリスさん」
「七瀬さん、そちらへは行けません。私と『鍵』を引き換えにしても、誰も救われない」
「ファリス、もう交渉は決着したし、メモリは渡したんだ。君がそこで立ち止まっていたって、『箱』の中身が戻ってくるわけじゃない」
「ですが、私は……」 
「……おい。亘理陽司。どうするんだ。俺にこの女を突き出せというのか?」

 微妙な沈黙が空気を満たした。今この場で、交渉の結果に不満があるのは、もっともメリットが有るはずのファリス・シィ・カラーティその人というわけだ。

「ええとですね。交渉もほぼ決着したということで、小話を一つ」

 おれは、はははと薄ら寒い笑いをひとつして、場を埋めるべく話題を投げ込んだ。


「せっかくですから、おれ達がどうやって謎を解いたか、聞きたくありませんか?」


 効果は劇的だった。


 ファリス、颯真、美玲さん。そしてまだ詳しい説明をしていなかった真凛。

 万事美玲に丸投げしていたはずのワンシムまでがおれを見つめていた。

「では、交渉妥結後の茶飲み話ということで。あ、ツォンさん、通訳お願いしますね」

 ほどよく冷めた普洱茶で唇を湿して、おれは喋り始めた。


「この『鍵』と『箱』の謎は、解けてしまえば非常にシンプルでした。そもそもこの話の発端の奇妙な点に気づくべきだったわけです」
「奇妙、だと?」
「ああ。大帝セゼルは、後継者候補アルセスに、とっておきの金脈の情報を与えた。アルセスは日本に留学し、学生兼外交官見習いとして、セゼルに報告を行っていた。アルセスはセゼルから授けられた『公開鍵』を以て暗号文を作成し発信。セゼルは自らの持つ『秘密鍵』で解読して情報を得ていた。ですよねワンシム閣下?」
『……そうだ。我々王族は海外で活動する際に、セゼル陛下に情報を暗号化し報告する。情報を解読できるのは陛下ただ一人だった』
「そう、その時点ですでにおかしいわけですよ。金脈の情報は、そもそも『セゼルがアルセスに発信した』もののはずです。となれば、わざわざアルセスが報告のために暗号にしなおす必要などはない」
『それは。……そうだが』

 スイートルームに集う一同の視線がおれに集まる。うん、探偵が謎解きをするのが癖になる気持ちが少しわかった気もするな。

「だいたい、隠された金脈の情報はセゼル大帝自身が一番良く知っているんです。わざわざ日本にアルセスが残した『箱』なんぞ探させなくても、改めて暗号文をもう一回作りなおして後継者候補に渡せばいいだけの話でしょう」
『亘理さん、では、なぜセゼル大帝はそのような回りくどい方法をとったのでしょう?』

 美玲さんの疑問に、おれは直接答えなかった。

「君はもう、薄々気づいているんじゃないかな、ファリス?」


「――それは。きっと。日本に来て『箱』を探すという行為自体が、セゼル大帝の求めた『|探求(クエスト)』だったからではないでしょうか」


 皇女の回答に、おれは沈黙の後、深く頷くことで答えとした。

「え、陽司。じゃあセゼルさんの目的は、ファリスさんが日本に来て『箱』を探す旅をすること、そのものだってこと?」
「そう。日本を訪れ、アルセスという男の足跡に触れ、その思考を理解すること。それがセゼル大帝の望んだことだったわけだ」

 だからこそおれ達は必然的に、ルーナライナと日本をつなぐほぼ唯一の人物であるアルセス皇子の足跡をたどることとなった。

「アルセス皇子は学生生活の傍ら、日本の企業とも接触をしていました。これを国家機密――金脈の漏洩ととられ、反逆者として処刑されるわけですが。ではアルセス皇子が接触していた企業とはどこだったのか?これについても並行して調べていましてね」

 実際には文系全般担当の来音さんに裏で頑張ってもらってたわけであるが。今回はウチの事務所総動員である。

「採掘系の関連会社を抱える日本の大手商社。融資を当て込んだ投資銀行。金脈の採掘を考えれば、これはまあいい。問題は、電子部品系のメーカーとも積極的にパイプを作っていたことです」
『金は黄金としての価値だけでなく、精密機械にも多く使用されています。そういう意味ではさほど不自然とは思えませんが』
「であれば、金の流通を仕切る専門の商社がありますから、そちらに顔をつなぐのが合理的な判断でしょう。ですが皇子はメーカー、それも日本のメーカーに渡りをつけた」
「もったいぶるのはよせ。皇子はなぜそんなことをしたんだ」
「そりゃ簡単。『ルーナライナに産業を誘致するため』、さ」

 おれは『アル話ルド君』にモバイルバッテリーを接続し、プロジェクターモードに変更。壁面に画像を映し出した。

「これがアルセス氏の学生時代の論文。彼の研究テーマは、高性能な半導体やコンデンサを高効率に制作する方法。……彼が在籍時に頻繁に行っていた食事会は、ルーナライナの一部の土地を経済解放区として、そこにセゼル大帝のころから縁のある日本の援助を受けて企業を呼び込むためのもの、だそうですよ」

 プライベートな食事会や勉強会の形をとっていたために、当時の関係者を短期間で絞り込むのはだいぶ苦労したが、まあそんなことはどうでもいい。

『ええい、馬鹿なことを。アルセスは反逆者だぞ、国外に通じて機密を売り渡そうと――』

 おそらくその場に居た誰もが『お前が言うなよ』と思っただろうが、丁重にスルーしておれは話を続ける。

「はっきり言って、こんなこと私利私欲でルーナライナを売り渡そうとうする人間がやることじゃありませんよ。ついでに言えば、個人のスタンドプレーでも出来ることじゃあありません」
「亘理さん、それでは――」
「ええ。アルセス皇子はセゼルの後継者候補として、学生でありながら国の機密に関わる仕事を行っていたんですよね。となればこれは、彼の独断ではなく、セゼル大帝の命令を受けて、秘密裏に日本の政府や企業と接触していたと見るほうが現実的でしょう」
『成る程。となると、セゼル大帝の目的は』
「金鉱脈に頼りっきりの自国の経済状態の変革、でしょうね。金を発掘してお金を儲ける。余力があるうちに、産業をつくり、金が取れなくなっても国民が仕事をしてご飯が食べていける状態を作り出す。さすがに近代史に名を残す名君です。その時点で十分に将来を見据えていたわけだ」

 なまじ簡単にカネになる資源があると、それにあぐらをかいて国の成長が阻害されるということは多々ある。石油の需要が高まり、産油国として経済成長しながらも、その次のステップに進めず、石油の枯渇と同時に破綻した……そんな国はいくつもある。

「これだけの重要事項を任されていたという事実から、ひとつの推測が導き出されます。
アルセス皇子は後継者候補、と言いつつも、実際には、すでに後継者だったんじゃないかと」

 少なくとも、最有力候補だったのは間違いないだろう。

『そんなものは妄想だ!ただのこじつけに過ぎない』
「ええ。証拠はありません。でもこの仮説から、謎の解き方が見つかりました。アルセス皇子が後継者だとしたら。セゼル大帝が彼に与えたものは金脈の情報だけだったのでしょうか。将来を見据えた手を打っていた大帝が、後継者にただカネと権力のみを与えたわけではないとしたら」

 おれはそう言うと、画面を操作した。今となっては双方の陣営が所持しているアルセスが残した『箱』の数列。

『まさか、いや、信じられん……』

 心当たりがあったのは、意外にもワンシム氏のようであった。

『あの猜疑心の塊のような陛下が、まさか……!』
「そのまさか、ですよ」

 おれはその数列をドラッグしてみせた。

「アルセス皇子の残したこの数列は、金脈の情報を記した『箱』なんかじゃない。アルセス自身が次代の王となるために、自身の暗号を作り出し解読するための『鍵』だったのさ」

『ふざけるな!ありえん!!』

 ワンシムががなりたてる。その怒りはおれよりも、故人であるセゼルに向けられたようだった。

「えっ……と。いまいち、わからないんだけど。セゼルさんが自分にしかわからない暗号を使って情報を集めていて。アルセスさんはアルセスさんで、自分だけの暗号を持っていた、ってことだよね。それの何がおかしいの?」
「考えてみな。アルセスが彼だけの暗号を使用するということは、セゼルにもその情報を知ることが出来ないということだ。それはセゼルの知らないところに、情報、秘密、……権力が蓄積することになる。きっとそれは、王族たちの間では絶対のタブーだったんじゃないかな?」

『……陛下は、我々に指示を下す時は必ず国元に呼び出し、口頭で指示を与えた。我々はそれに従い、目的に準じて各自の判断でセゼル陛下に情報をひたすら送り続けた。それは一方通行で、決して陛下から指示がくることはないし、横のつながりもなかった』
「……だからこそ、いずれくる権力の移譲に向けて、準備を進めていたのだと思います。まずはアルセスに暗号を作らせる。そして、何よりもまず、セゼル自身がその暗号の初めて使用してみせた」

「それでは、私が持ってきたこちらの数列は……」
「そう。セゼルが他の王族達に授けて、最終的に君が持ってくることとなったこの数列は、暗号解読のための『鍵』じゃない。アルセスの『秘密鍵』によって作られた暗号なのさ」
「ええっと。つまりその。……『箱』と『鍵』が逆だったってこと?」
「そのとおりだ。我々は滑稽にも、一生懸命『鍵』に『箱』を突っ込んで開かない開かないと騒いでいたってわけさ」

「じゃあ、暗号の解き方って」
「わかってしまえば簡単。今まで『鍵』だと思ってたものを『箱』に。『箱』を『鍵』に入れ替えて解読すればいい。いやあ思い込みって怖いもんだね。デジタルで総当たりしてたからこそ却って気づかなかった」

『陛下が、アルセスの『鍵』で暗号を作り、送っていた、だと……ばかな』
「それこそが、彼が後継者だった証拠じゃないでしょうかね。他の候補者達ヘは一方的な連絡だったのに、アルセスに対してはお互いに『鍵』を持ち、事細かに連絡を取り合っていた」

 正直、いつMBS側に気づかれたらどうしようと内心焦っていたのは内緒である。

「だからね、半分以上はおれの推測なんですけど。セゼル大帝は、日本でこの『箱』……いや、『鍵』を見つけ出し、アルセス皇子こそが自らの後継者だったことに気づいた者に、情報が伝わるように仕向けたんじゃないでしょうか」
『ふ、ふん。くだらん妄想だ。仮にそれが真実だとしても。すでにアルセスは刑死し、セゼル大帝すらもこの世には居ない。後継者が誰だったかなど、もはやどうでもいいことだ』
「確かにどうでもいいことかもしれませんね。ま、以上。これが『鍵』と『箱』の種明かしです。疑問に思うなら、そちらでもお手持ちの数列を組み合わせれば同じ結果が出るはずですよ」

 おれは一通りしゃべり倒すと、再度普洱茶を口に含んだ。実際ずいぶん長いこと独演会をやった気がする。実際の交渉時間は十分程度だったのだし、せっかくメンツが顔を揃えた以上、それなりの身のある雑談を提供するのは発案者の義務というわけである。

「どうでもいいことでは、ありません……!!」


 血を吐くような叫び。

 それは壁際にずっと佇んでいたファリス皇女のものだった。

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