the pillows/MY FOOT 〔馴染まないこと〕
※ 本投稿は歌詞解釈ではなく、一般市民の一人がどのようにこの曲を聴き入るかを書いたものです。
自分が馴染めないという場合、その矛先はその社会に向くことも自分に向くこともある。でも、そのどちらにも振り切らない。「誰かのせいじゃない 気づいている」という歌詞は、外部のせいにしたいけれど馴染めないのは薄々自分のせいだと気づいている、けれど僕であることをやめられないという、多層的な状況を一言で魅せてくれる。
「お揃いの夢」。なんて可愛いのだろう。欲望は生産される時代となった。Instagramなどの様々な媒体が日々、これが実は欲しかったんじゃないの?あの人もこれ使ってるし欲しいでしょ?と欲望を生産させてくる。そんな既製品の夢をお揃いだなんて、可愛らしい。でも騙されてはいけなくて。その前に「光に群がって」とある。光に群がるのは、虫だっけ?
ラブソング。壁に貼られるポスター。プレゼント。
どれも「誰か」を想定した産物だ。誰かに聞いてもらう愛、誰かに見てもらう作品、誰かに贈りたい物。でも、どれも届かなかった。それは実力不足だったからなのかもしれないけれど、でも「渡しそびれている」ってことは、実は不足しているのは他者と交流する勇気なのかもしれない。
当然実力不足だって多々ある。しかし、社会に対する自信とか勇気とか、そういうのがないとそもそも出すこともできないものが、たくさんあるのだ。
そこまで現状をしっかり見つめて、励ましてくれるのがこの曲が無鉄砲ではなくて優しい所以だと思う。ちょっと無理している感じの「すぐに乾くんだ」であったって、遠くを見るわけでもなく「爪先」を見つめている下向き加減だって、ここでは十分応援歌だ。むしろ、身の丈に合っている。
なんかそれっぽいことして、それっぽく憧れに近づいたって結局限界がくる。パスポートは一人ひとつ、その人に紐づいたものでなきゃいけない。
無理ってなると、僕は妄想する。魔法が使えるようになってみんなを助けて感謝されたりしないかなって。そういう妄想、する時ないだろうか。圧倒的に自分が優位に立って、絶対的に存在意義を認められる世界線。
でも、結局それはただの夢。ダメな自分は毎日ついてくる。
ファンダンゴってなんなんだって笑。馬鹿騒ぎくらいしか調べても出てこない。
まぁなんだっていい。結局、夢を虚しく見た後に出てくるものが、また荒唐無稽なことに意味があるのだ。現実を見ろって、みたいなこと言わないでいてくれてありがとう。
ここえぐいなーと思う。「誘われないのに断るセリフ覚えて」がえぐすぎる。パーティーとか、行くと楽しい。でも、途中からふわふわとミスキャストな感覚になってしまう。それがわかっているから、だんだんと断るセリフの方ばかり考えてしまう。
「砂漠でめざめたエスキモー」みたいな、ありえないものに、いや、でもあり得るんだぜって会って、世界に見せるために、道なき道を行くんだぜ。
時々無性に聴きたくなる聴く薬。紹介してくれた人に感謝だ。
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