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the pillows/MY FOOT 〔馴染まないこと〕

※ 本投稿は歌詞解釈ではなく、一般市民の一人がどのようにこの曲を聴き入るかを書いたものです。

誰かのせいじゃない 気づいている
やっぱり僕は今もストレンジャー
光に群がってお揃いの夢を見ても
居心地悪いだけ

Sawao Yamanaka

自分が馴染めないという場合、その矛先はその社会に向くことも自分に向くこともある。でも、そのどちらにも振り切らない。「誰かのせいじゃない 気づいている」という歌詞は、外部のせいにしたいけれど馴染めないのは薄々自分のせいだと気づいている、けれど僕であることをやめられないという、多層的な状況を一言で魅せてくれる。
「お揃いの夢」。なんて可愛いのだろう。欲望は生産される時代となった。Instagramなどの様々な媒体が日々、これが実は欲しかったんじゃないの?あの人もこれ使ってるし欲しいでしょ?と欲望を生産させてくる。そんな既製品の夢をお揃いだなんて、可愛らしい。でも騙されてはいけなくて。その前に「光に群がって」とある。光に群がるのは、虫だっけ?


風に消えたラブソング
壁に貼られなかったポスター
渡しそびれてるプレゼント両手に抱え

Sawao Yamanaka

ラブソング。壁に貼られるポスター。プレゼント。
どれも「誰か」を想定した産物だ。誰かに聞いてもらう愛、誰かに見てもらう作品、誰かに贈りたい物。でも、どれも届かなかった。それは実力不足だったからなのかもしれないけれど、でも「渡しそびれている」ってことは、実は不足しているのは他者と交流する勇気なのかもしれない。
当然実力不足だって多々ある。しかし、社会に対する自信とか勇気とか、そういうのがないとそもそも出すこともできないものが、たくさんあるのだ。


僕はまだ見てる 進む爪先を
雨も水溜りも気にしないぜ
すぐに乾くんだ
いつの日か立ち止まるのなら
冒険家のように進め my foot
道なき道を

Sawao Yamanaka

そこまで現状をしっかり見つめて、励ましてくれるのがこの曲が無鉄砲ではなくて優しい所以だと思う。ちょっと無理している感じの「すぐに乾くんだ」であったって、遠くを見るわけでもなく「爪先」を見つめている下向き加減だって、ここでは十分応援歌だ。むしろ、身の丈に合っている。


憧れの扉の隙間から
盗んだパスポートじゃもう無理さ
街を薙ぎ倒して寝転んだ夢を見ても
虚しく笑うだけ

Sawao Yamanaka

なんかそれっぽいことして、それっぽく憧れに近づいたって結局限界がくる。パスポートは一人ひとつ、その人に紐づいたものでなきゃいけない。
無理ってなると、僕は妄想する。魔法が使えるようになってみんなを助けて感謝されたりしないかなって。そういう妄想、する時ないだろうか。圧倒的に自分が優位に立って、絶対的に存在意義を認められる世界線。
でも、結局それはただの夢。ダメな自分は毎日ついてくる。


夜を急ぐファンダンゴ
空を飛ぶ気になったルースター
砂漠で目覚めたエスキモーと再会を誓い

Sawao Yamanaka

ファンダンゴってなんなんだって笑。馬鹿騒ぎくらいしか調べても出てこない。
まぁなんだっていい。結局、夢を虚しく見た後に出てくるものが、また荒唐無稽なことに意味があるのだ。現実を見ろって、みたいなこと言わないでいてくれてありがとう。


僕はまだ見てる 永遠のライバルを
十歩先を走るその背中
僕に似てるんだ
いつまでもあきらめの悪い
挑戦者のように走れ my foot
踵を鳴らして

Sawao Yamanaka

どこに居てもミスキャスト
独り言が増えたロストマン
誘われないのに断るセリフ覚えて

Sawao Yamanaka

ここえぐいなーと思う。「誘われないのに断るセリフ覚えて」がえぐすぎる。パーティーとか、行くと楽しい。でも、途中からふわふわとミスキャストな感覚になってしまう。それがわかっているから、だんだんと断るセリフの方ばかり考えてしまう。


僕はまだ見てる 進む爪先を
雨も水溜りも気にしないぜ
すぐに乾くんだ
いつの日か立ち止まるのなら
冒険家のように進め my foot
道なき道を
踵を鳴らして行こう

Sawao Yamanaka

「砂漠でめざめたエスキモー」みたいな、ありえないものに、いや、でもあり得るんだぜって会って、世界に見せるために、道なき道を行くんだぜ。



時々無性に聴きたくなる聴く薬。紹介してくれた人に感謝だ。

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