猫又のバラバラ書評(おかめ八目)

経済、つまりエコノミーというのはギリシャのオイコノミア、家政管理が語源だと聞いている。その経済がいつの間にかグローバリズムを主たる経済という概念になってきていることの弊害は、世界に溢れている。つまり格差であり貧困である。一体経済学とは何を学び、何を求めてきたのか甚だ疑問だ。私は経済もお金の管理もできないとんどもない素人だが、今の社会を席巻している経済成長絶対論について行けない層で、すなわちはっきり言えば貧乏人なのだ。

 というわけで、「貧乏人の経済学 もういちど貧困問題を根っこから考える」A・V・バナジー&E・デユフロ著 山形浩生訳 を読んでみた。

著者は2019年のノーベル経済学賞受賞者なのだが、日本ではほとんど報じられなかった。これまでノーベル経済学賞はいわば経済成長のための理論構築のための理論に対する賞の色合いが強かったような気がするが、昨年の賞が本書に記されたような貧乏人(貧困と言わないところに何か意味があるのかはよくわからなかった)の経済学であったのは興味深い。

 しかし彼らの経済学は新自由主義に対抗するための反貧困の手引きとはまるで異なる。新自由主義経済の弊害はいわばある程度経済成長がなされている国家、社会をグローバルに統一することからくる格差貧困問題であるのに対して、彼らが見ている貧乏とはさらにそれ以下の餓死線上にある発展途上国の人々をいかに経済というラインに引き上げるかのための実験を含む研究の実践である。開発経済学というらしい。

 本書によれば貧困は歴史上常に存在した。その貧困へのアプローチが上からなされる限り、全てとは言わないが成功することは難しい。しかし貧乏人は怠け者で、意欲がなくて、未来など試行しない愚か者であるわけではない。生きる、食べるという以上に未来につなげる希望を持てないことによる貧乏からの脱出が出来ない。最大の問題は未来への展望が閉ざされていること。特に子供達の教育が阻害されることは家族全体の生活の向上を絶望に落としているという。そこに何を提供すれば子供達を学校に行かせることができるか。金を与えればいいということでもない。貧乏人に未来を描くことができるインセンティブは何なのかというようなことを実験的手法で探し出している。それは経済学というよりは心理学に近い面もある。

 何年か前にグラミン銀行というマイクロファイナンスの銀行がノーベル賞を受賞したが、その際、こんな運動があるのだと感心したのであるが、この小規模融資によって生活の糧を得て最低の生きる道を手にしている人々はグラミン銀行だけではなく、かなりの数あり、銀行としても継続性を保つように取り組まれているようだ。

 本書で印象的なのは貧乏人の意思決定権を最優先する。そのためには遠回りでも政策の押し付けはしない。政治経済という認識は政治が優先されるトップダウンが有効という認識であり誤りではないかという点である。そして経済(さらには政治も)周辺部から改変されうるという、細部にこだわるべきだという哲学である。

 結論的に言えば、グローバリズムによる貧困格差も、新自由主義への反抗も、この細部にこだわり周辺部からの反転攻勢を施行すべきなのかもしれない。

 経済とは何なのだと悩んでいる方々にお勧めします。


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