猫又のバラバラ書評「おかめ八目」

 『水道、再び公営化 欧州・水の闘いから日本が学ぶこと』岸本聡子著

 水道民営化問題について、日本の状況を正確に理解している国民は多くはないのではないか。2018年「水道法改正」がほとんど審議もされないまま可決されてしまった。当時この問題に危機感を持っていた一部の人は反対の意思表示をして、その中で多くの国々でこの水道の再公営化に取り組み、実際に再公営化していることも情報としては得ていた。本書はアムステルダムのシンクタンク研究員で公共政策や水道事業についての国際的な運動に携わっている岸本氏の現時点での国際的な水問題についての報告と共に、日本人のこの問題に対する意識の喚起を意図するものとなっている。

 水道法改正の際に問題になっていたコンセッション方式というものに正確な説明をすることが困難であったが、2011年PFI法の改正で「公共施設等運営権方式」(コンセッション方式)が明記された。これによって公共施設等の「運営権」を民間企業に売却し、その維持管理や運営をさせることが可能になった。しかし、「運営権」は単に契約上の地位ではなく、法的な財産権を指している。つまりこの権利は売買される可能性もあり、担保として融資を受けることもできる。単純化して言えば、公的な財産であったものが、企業の財産となる。民営化そのものなのである。海外での事例でも、民営化によって起こった問題は災害級の大きさである。現象としては利潤を挙げるための料金の値上げ、整備の放棄による水質の悪化、運営の不透明化などが見られるが、その結果水へのアクセスを失った水貧困が命に関わる問題として起こって来た。水問題がはじめて注目されたのは、ボリビアのコチャバンバで水の民営化にたいして農民の抗議運動が拡大し「水戦争」といわれた大争議になり、それを「水戦争」という映画(フィクションではあるが事実に即している)になって知られた。本書はそれ以後の特にヨーロッパにおける民営化によって起きた問題から再公営化を求めて起こされた行動の成果が記されていて、日本のようにこれから民営化がされる可能性のある自治体が反対するための拠り所になると思う。

 水サービス企業はグローバル資本にとってこれ以上有利なビジネスはない。一度運営権を手にすれば競争企業はないに等しく、利益優先のための経営がなされる。民営化によるコスト削減という話は事実ではない。むしろコスト削減のしわ寄せは労働者の削減でもあり、水道事業にとってもっとも利用者に密接な仕事をしている地域の現場労働者、技術者の削減によって、サービスの質の低下は必至となる。また利益を設備への投資には回されず、株主と経営者、役員への報酬だけが肥大化して行く。こうしたディメリットに直面して、多くの人々が気づき始めたのが公的資源は企業の物ではないと言う認識である。「民主的に共有され、管理されるべき社会的な富」(コモン)。宇沢弘文はこれを「社会的共通資本」という概念で説明しているものである。このコモンを取り戻す運動は水の再公営化を契機に新しい民主主義を模索する動きへとひろがっている。

 フランスでは2000年から2009年の10年間に水道再公営化は33件あり、さらに2010年から2019年までの10年間に78件の再公営化が記録されている。パリの再公営化が他の自治体に自信を与えて急速に進んだ。この再公営化の成功を支えたのは「オー・ド・パリ」という運営体で、民営化時代経営がブラックボックス化していた事の反省として、構成員にパリ市議会の関与に留まらず、労働者代表、市民組織代表が加わり、さらに議決権のない科学者と参加型民主主義の専門家が加わって運営されている。また特質すべきは、円滑な水道供給に必要と判断される水源地はすべて保全の対象とし、土地の権利をもつことで水源保護にまで踏み込んでいることである。この延長上に「オー・ド・パリ」は農業政策、産業政策、環境政策などの公共政策への関与が不可欠として活動していると言う事である。水質維持のために水源地周辺の農家に資金を投じて、有機農業を推進することで将来に向けて循環型社会への契機としている。また「パリの水を飲もう」というキャンペインを始めて無料の飲水機をパリに200台設置し、有料の水にアクセスできない人、つまり移民や難民、ホームレスの水を保障するシステムも作っている。このような再公営化が実績を挙げているのは、水は「コモン」であるという考えに基づく政策であるとともに、十分な利益を挙げていると言う事実である。その利益は民営の時には経営者の懐に入って消えていた金が再投資に回せて、持続可能な水道事業に転換させているのである。

 イギリスにおいてはサッチャー政権の時代、水道の運営権だけではなく水道施設すべてを民間企業に売却する「完全民営化」を世界ではじめて実施した。しかしサッチャーが売却してから28年たった2018年になり水道会社10社は合計負債7兆1400億円を持つまでになっていた。しかしの実態は税金の支払いを少なくすること、株主への多額の配当の確保のために故意に借入金をくりかえしていたことによる結果であることが判明して、大きな問題となった。2010年代後半、最大野党労働党はそれまで市場原理主義を部分的に採用していたブレア・ブラウンの労働党政権に明確な批判を示して注目を浴びて登場したのがジェレミー・コービンで富の再配分、経済の民主化などの社会主義色の強い公約を発表して党首となり、彼の掲げた公約の中でも有権者から最も支持をうけたのが、公共サービス(交通、水道、郵便、電力)の再公営化であった。残念ながら2019年12月の総選挙ではプレグジットを前面に出した保守党に敗北したが、労働党の政策はより広まる可能性がある。

 スペインの事例も又注目すべきである。公共サービスを市民の手に取り戻そうと言う運動は、緊縮策を推進する既成政党やエリート層に反発する人びとを動かし始めている。スペインでは失業者の増加や就職先のない若者たちを中心として2011年5月15日(スペイン語で15 Mayo)に各地で草の根の政治集会を呼び掛けた市民がマドリードで13万集結し、中心地の広場を占拠し、政府に抗議活動を展開した。バルセロナでもカタルーニャ広場の占拠が行われた。反新自由主義、反緊縮の運動はスペイン全土で300万人が参加した。これらの市民はデモで終わりというのではなく、広場で青空ディベートや集会を通じて、「広場の政治」をスローガンに、各人が政治に関われる民主主義を求めた。この運動は終息した後も、ストリートだけでは不十分として、国政レベルでは左派政党「ポデモス」が誕生している。地域レベルとして「ポデモス」と緩やかな連携を持つ草の根政治のグループが各地域で結成された。そのグループ「シルクロ(サークルの意味)」は2015年の地方選で多くの自治州で左派政権を誕生させた。その中で注目されているのが「バルセロナ・イン・コモン」である。この組織は水や電力といった社会的な権利を脅かす民営化に明確に反対する運動として活動している。バルセロナの水道民営化は1860年台にさかのぼり、悪名高い水メジャーのスエズ社の現地法人がカタルーニャ州の80%以上を独占してきた。水道料金は高騰し続けていて、2000年ごろからバルセロナを中心に水メジャーに反対する草の根運動が続いていた。闘いは裁判の過程で明らかになった事実からであった。なんとバルセロナ市と水道の運営に関する契約が存在しないことが判明した。しかし市議会は2012年35年の契約を取り決めた。これに対して激しい抗議がおこなわれ、2014年「バルセロナ・イン・コモン」が生まれ、2015年の地方選挙では水道再公営化や住宅問題の解決を公約して市議会の第一党に躍進した。この「バルセロナ・イン・コモン」は市民が意見を述べ、政策を提案できる市民参加のプラット・フォームがあり、多くの市民が参加している。しかし、前政権時結ばれた35年の契約が存在しているために再公営化は即時に実施できない。それ故、これからの長い闘いが模索されている。

 水の再公営化をめぐる運動から見えてきた民主主義の形について、聞きなれない言葉ではあるが「ミュニシバリズム」というのだそうだ。地方自治体を意味する(municipality)から来ている語だそうだ。政治参加を間接民主主義に限定せず、地域の人々が議論し自律的に決定すること。新自由主義を脱してコモンの価値に基づく政治をめざすこと、そういう政治意識を意味しているようだ。ミュニシパリズムは決して保守的な意味で地域主義ではない。むしろ国をまたいだ各地の実践に学び連帯し、新自由主義のグローバリズムとは明確に異なる国際連帯を目指している点にも注目すべきである。その一つの現れとして、世界の自治体の民主主義を発展させるために「フィアレス・シテー」の結成というのがあるようだ。私自身はまるで知らなかった。いわば自治体の国際連帯ということだろうか。2017年にはバルセロナで第1回会議が開催され700人以上が参加したそうだが、日本からは参加者はいたのだろうか。2018年にはニューヨーク、ワルシャワ、バルパライソ ブリュッセルが名乗りを挙げていると言う事である。

 水道法改正が成立してしまった日本において、これを跳ね返す方策はあるのだろうか?他国の例も決してたやすいことではないことは明らかだが、下からの民主主義を地道に積み上げることで再公営化を実現している。問われているのはやはり民主主義という事になるだろう。国連は「水は人権」と規定している。日本の多くの自治体は未だ民営化されていない。ヨーロッパでは水メジャーへの市民の抵抗で行き詰まっているからこそ日本の水がメジャーに狙われているのである。再公営化した自治体の闘いを学び、直接民主主義を武器に民営化を阻止したい。

 

 本書から学べるものは多い。ぜひ一読を。


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