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猫又のバラバラ書評「おかめ八目」

 『福島 モノローグ』いとうせいこう著

 東日本大震災から10年。東北の震災の傷跡は埋められるはずもない。そして特に原発事故の被災者は政府に忘れることを強いられている現状の中で、それに抗いながら生きている方々の在り様を真摯に受け止めて行かねばならないと思ってきた。

 3・11以後、文学作品として多くの作品が書かれてきたし、中には世界的な評価を得ている作品も出てきている。私自身の経験からいうと、3・11後、最も早く書かれたいとうせいこうの『想像ラジオ』に深く心を打たれた。それは死者と生者が同時に存在している。ラジオをツールにして彼らは繋がっているという。死者と生者の関係を信じることこそが生者の生きて行く道だと言う事をユーモアもときには込めて書いた本である。その当時私は宗教学者山折哲雄氏の講演会で、同じような趣旨の言葉を聞いた。それは「絆」という言葉が氾濫しているが、絆は死者と生者をつなぐ関係でなければならない。この言葉もまた強く私を縛ったことを思い起こすのだが、この『想像ラジオ』は芥川賞の候補になりながら受賞はならなかった。後に選考委員の一人が、お伽話だという批判をしたと聞いて実に残念だと思ったことを思い出す。

 そして本書は、いとうせいこう氏がその後の10年、福島に通い、インタビューを続け、そして一切インタビューアーとしての問いかけを差し挟むことなく、語る人々の語るままに、即ちモノローグとして作品化した。登場されている方々それぞれが不条理な状況に抗いながら、生きるために思考し、自ら決断して行動している。それをただ聴く。この手法は文学とノンフィクションのぎりぎりの接触点であろう。

 登場する方々のエピソードを紹介することは意味がない。是非読んでいただきたい。もちろん彼ら彼女らの決断に危さを感じたり、東電、政府の被災者への対応を批判すべきだと言うことも言えるかもしれないが、それは彼らに求めることではない。原発を許してしまい、自己の責任すら認めない政府、当事者企業が未だに安穏と残り、原発そのものからの離脱すら志向しない政権への追求を続けなければならないのは私たち自身なのである。

 ぜひぜひお読みいただきたい。


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