猫又のバラバラ書評「おかめ八目」

桜に雪の降り積もるコロナヴィールスに怯える日々に、こんな本を読んだ。

「黄金列車」佐藤亜紀著

 そそ数年、日本人作家が外国を舞台にその国の人を主人公にした小説、それもとても優れた小説が目につくようになった。そして、もう一点、時代設定にドイツのナチス期が設定されているものも多いように感じる。佐藤亜紀はその両方を扱った作品が立て続けに出た。いずれも、作品はフィクションなのだが、歴史的事実は厳密にあったことをフィクションとして作品化している。

 物語つまりSTORYは歴史すなわちHISTORYとつながりのある語であることは明らかだし、ポストモダンとしての小説はこの間を相互に行き来している。歴史の側から言えば、資料と資料をつなぐ語りが歴史と言えるわけだ。その点からいっても、佐藤亜紀の小説には歴史的事実が根底にあって、それを事実そうであったかもしれないと思わせる魅力がある。

 前作の「スウィングしなけりゃ意味がない」では戦時下のナチスドイツで、ジャズに熱中しする少年たちが実に正確に戦争の愚かしさを見極めて、その圧力に屈することなく強かに生き抜いて行くかを描いていて痛快であった。ついで出された本作品は、時代はナチス崩壊期、ハンガリーのユダヤ人から略奪した「ユダヤ資金管理委員会」なる組織が、ナチの手からあれやこれやと策をひねり出して、没収された財産を列車に積み込み、ナチの追跡を振り切り、米軍の空爆にも耐え、米軍の保護下に引き渡された。これは事実なのだそうだ。主人公もまた資料に残された現実の人物。

 本作品は激しい抵抗も戦闘もでてこない。ただ主人公の文官が四角四面の理屈を縦に、決して非道な要求に屈しないという点である。もちろん、戦時下に物事を進めるために、賄賂は十分に用意するが、それはより重要な財宝を守るための撒き餌として使うのであるが。文体も一貫して現在形で時系列で描かれている。そこにわずかに主人公の過去が記憶として描かれているが、その時点で妻は死んでいる。

 汽車に膨大な貨車を引かせてハンガリーからオーストリアそしてドイツへと延々と旅する過程で、その列車には難民となったハンガリー人、炭鉱夫、ハンガリー貴族などが乗車しているのだが、それを統括する上層部の役人は得てして無能で、事態対応能力がない。しかし主人公バログは現実に即した対応を実行することで、難局をクリアーして行く。彼の心模様とか信念とかは一切書かれていない。

 彼は何を支えにこの仕事を成し遂げたのだろうか?結末も実は米軍の保護下に入った時点で辞表を密かにおいて、身を消す。

 「列車は進んで行く、バログはヴァイスラーの灰皿でタバコを揉み消し、再び貨車の扉を閉める」

 うまいなー。この男の身の処し方の生真面目で、誰におもねるわけでもなく、しかし命じられたからだけではなく、ユダヤ人の財産を守ること、ハンガリーのユダヤ人は同胞であったという感情がその支えであったかもしれないと感じさせるラストである。

 佐藤亜紀には「吸血鬼」という名作もある。私の好きな作家なんですが、読んでみてください。


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