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猫又のバラバラ書評「おかめ八目」

 『言語の七番目の機能』ローラン・ビネ著 高橋 啓訳
 一九八〇年3月26日、ロラン・バルトが2月25日の交通事故が原因で死んだことはかなりショックであった。ところがそれをめぐってとんでもない本が書かれるとは思ってもいなかった。即ちこの本のことなのだが、推理小説である。登場するのがめちゃくちゃ有名人ばかり。そしてその人びとがやたらに過激で、猥雑で、ハチャメチャで、かつそれをつないでいる理論が難解なのだ。訳者あとがきでも触れられているが、私自身、生者・死者の遺族から名誉棄損で訴えられなかったのか?と思った。
 バルトは殺されたのだ、それはだれに?なんで?から始まるスト―リを紹介してもしょうがないが、そのタイトルの意味は、ロマン・ヤコブソンの『一般言語学』のあげている言語の機能は6つで、7番目の機能は存在しないのだが、この7番目の機能について書かれた未発表原稿をめぐってそれを追いかけるサスペンスなのだ。設定自体がフィクションなのだが、バルトはその原稿を持っていて、それを奪うためにあらゆるところからねらわれて謀殺されたという出発である。それを追うのがフランスの警察官と、思想にまるで知識がないために雇われた若手記号学者なのだが、彼らの活躍はほとんどなく、ただどんどん流されてゆくばかり。
 登場人物あるいは、未発表原稿に絡んでくるのは、20世紀後半の世界的な思想家たちで、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダ、フィリップ・ソレルス、ジュリア・クリステヴァ、ベルナール=アンリ・レヴィ、アルチュセール、ドゥルーズ、ガタリ、ラカン、更には政治家としてミッテラン、ジスカール・デスタン、エーコも出てきた。
 ともかく多くが言語学やら構造主義やら記号論やらの文節が会話に飛び交い、なにが主題だかわからない混沌とした中に、ほの見えて来るのが秘密結社(ロゴス・クラブ)でこの弁論対決がまた難解で、理解不能。この秘密結社がヤコブソンの秘密原稿と直接関係しているわけではないのだが、なんだかあれやこれやの専門家の対立構図が議論に反映されていて、ああ言えば、こう言うという相手をぶちのめすための議論が唖然とさせられるのである。しかもその敗者への刑罰が指の切断やら、高度な論議(クラブは階級性になっている)に挑戦し敗れた者は睾丸を切り取られてしまう。その犠牲者がクリステヴァの夫である。なんでここにクリステヴァがでてくるかというと、どうもバルト殺害の首謀者はブルガリア諜報部員の仕業で、とうぜんブルガリア出身のクリステヴァがあやしい。秘密文書はバルトから奪われて、転々とするのだが、途中それは運河に落ちたり、アルチュセールがコマーシャルのパンフレットに隠しておいたのを奥さんが掃除して捨ててしまい、それが原因でアルチュセールは奥さんを殺害したということになる(かれの夫人殺害は事実であるが)。また追求を逃れるために記憶しておく作戦も、結局は完全に記憶できないで終わるのだが、どうやらこの文書にはコピー以外に別の文書もある様で、まー真偽はだれもわからない。いったい何が書かれていたのか?と何度も思ったが、7番目の機能とはどうも占いとか、お告げとか、予知とかいうことではないのかなーという示唆はされている。もちろんフィクション。
 そしてこのミステリーに結論があるのか?ない。バルトを殺したのがだれかもわからないし、その原因であるヤコブソンの未公開文書も見つけられない。追いかけていた若い記号論の研究者は途中、何故か判らない事故に見せかけた攻撃で片腕を失ってしまい、更には追いかけているのか追われているのか分からないまま、赤い旅団に捕まってしまう。しかしなぜかギャングが現れて、混線してそこに別に囚われていたナポリの汚職政治家が殺されるという結末なのだが、これってなにか解決したのか?その記号論の若者はフランスからアメリカ、ナポリと引きずりまわされて、あやうく助かるのだが、彼が自力で解決したものは何もないと言う、驚くべきミステリー。
 更にこの本の特色はその性的な猥雑さの描写が突き抜けていて、それもフーコーのそれはどうやら事実だと言う目撃談があると筆者は言っているようだ。またマリファナやらが普通に出て来るのだが、暗殺者としてブルガリアの諜報部員が使うのが傘の先端に仕込んだ毒薬というのもなんか有りそうだ。わたしの感想を一言で言えば、キーパーソンはクリステヴァ。彼女といえばバフチンを西側にもたらした本人であるし、この点は一切出てこないが、この小説自体がバフチンの世界観そのものなのではないかと思った。グロテスク、カーニバル的な騒擾(実際カーニバルは出て来る)。そして高尚な理論で言語学の、構造主義の、脱構築の・・・そんなものを笑い飛ばしてしまったすさまじく高等戦術のノンフィクションを見るようなフィクションである。まー恐いもの見たさがお好きな方はどうぞ。

 

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