素人の疑問:新自由主義の底を探ってみる。その1。


前から考え、本を読んだりしていたのだが、それもあるいはどこかで話すこともあるかと思っていたが、それもほとんど機会がなくなったようなので、自分の心おぼえにメモしておくことにした。それは世界を席巻している新自由主義について日本人の反応がかくも鈍いのかと言うこと。

 タームとしてはしばしば口の端に登るのだが、その本質とは何なのか、なぜここまで無慈悲な経済政策が世界を覆い尽くしているのか?どう考えても素人にはわからない。そこで関連すると思われる本を片端から読んでいたのだが、ふと気づくと、そのほとんどが英語、フランス語など他国の研究者の翻訳本である。この経済構造についてなぜ日本の経済学者は日本の経済について発言することがないのかが激しく疑問に感じられた。もちろん幾つかの日本人経済学者が書いた本もあるにはあるが、ほぼ外国の大学での研究やアメリカのシンクタンクや政府機関で働いた経験から、アメリカを中心とした研究の紹介に多くが割かれている。

 新自由主義といえば必ずその根源をフリードマンとシカゴ学派。フリードマンの弟子たちによる中南米諸国へのアメリカと多国籍企業の植民地支配同様の支配が語られる。そしてその過酷さが際立ったチリの軍事政権の分析などが詳細に記されている。ところでシカゴ大学のフリードマンの経済学は独占状態だったのだろうかという疑問を持っていた。これに対して知り得たち知識の幾つかに驚いたわけだが、それはシカゴ大学のフリードマンには明確な対立する経済学者が存在した。例えばナチスの圧政を逃れてきたフランクという学者の存在もあるが、フリードマンの学生であり優秀であったが故にフリードマンの欺瞞をつく論文によって、研究助手を追われている。さらにチリのアジェンデ政権の経済的助言をしたことでアメリカへの入国もできなくなるというように政治的な追放にまで至っている。シカゴ大学ではフリードマンのチリ介入に対して学生の抗議運動も起きていた。さらにはこれもアジェンデ政権時の駐米大使であった経済学者オルランド・レテリエルはフリードマンの「資本と自由」の矛盾を訴え続けていたが、ピノチェットのクーデターを逃れてアメリカのシンクタンクでフリードマン批判の論を展開していたが爆殺されている。このようにフリードマンの経済理論が大勢を占めていたわけではなかった。この流れを一気に決着つけたのが1978年のノーベル経済学賞の受賞であった。ノーベル賞のうち経済学賞は実はノーベル財団ではなく銀行が資金を出している特異な賞で、フリードマンの受賞にはアメリカ国内はもとより賛成反対の声が上がり、授賞式は5000人が抗議行動をしたという。しかしこの賞の権威で一気にフリードマンの一派が圧倒する事になり、彼に反対する経済学者は存在すら危うくなっていったということのようである。

 ここで注目すべきはシカゴ大学でフリードマンと同時期に在籍していたのが日本人の経済学者で宇沢弘文で宇沢はフリードマンを見限って帰国した。宇沢は東大教授として独自の経済学理論を構築した。その点で本来であれば日本の経済学者はこの宇沢の系譜が存在するはずなのである。しかし、現在日本が世界に何周か遅れで怒涛のように新自由主義に頭から突っ込んで行く状況に経済学者の誰も異を唱えないのは何故なのであろうか?ここが私の最も深い関心の元なのである。

 日本人経済学者は本当に日本国内の経済政策について研究し、社会のあるべき姿を模索しているのであろうか。竹中平蔵にやられっ放しでいいのか!!という強い憤りがある。

 つづく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?