猫又のバラバラ書評「おかめ八目」

「海賊ユートピア 背教者と難民の17世紀マグリブ海洋世界」ピーター・ランボーン・ウィルソン著 菰田真介訳

 何でこんな本を読んでいるかというと、ふざけているわけではない。今注目されている先日急逝したアナキズム人類学者デヴィッド・グレーバーの著作の中に引用されていて、興味を持っていたのだ。海賊というとなにやら悪辣非道、人民の敵のようなイメージなのだが、それはなにから来ているのか?事実なのか?あれやこれや頭の上にはてなマークが立っていたのだが、本書を読むと、グレーバーが読みこんでいた意味がよく分かるし、非常に興味深いいくつもの視点が理解できる。

 本書の作者は自らを海賊研究者と称しているのだが、そのまま海賊を研究していると言う意味と同時に独立研究者という事を内包している。自称「自律した貧乏人」でありアナキストだそうであるが、訳者も又同じくフリーの研究者で週2日働くフリーターだと称している。彼らの強みはアカデミズムに依拠していないと言う点である。いわば自前の理論の展開に誰はばかることがないということである。そこから実にユニークな見解が表明されているのは目を見張らされるものがある。

 海賊の研究などする研究者はいままでいなかった。たしかにフィリップ・ゴスの『海賊の世界史』という著作はあるし、有名なボブスボームの『匪族の社会史』という名著もある。しかしいずれもが、海賊に対峙した側から見た歴史であり、海賊自体の精神史や心性や社会性等について分析した著作は読んだことがない。何故か?当然の答えがある。即ち彼らは文字を持たなかったし、自らを書き残す意識もなかった。さらには一つの言語すらもたなかった。それ故、彼らが現れるのは彼らを敵視した側の文献、見聞記、裁判記録であり、それが中立なものであることはあり得ないことは明白である。しかし、なにも残さず消え果てたかに見える海賊の姿には現代に通じるいくつもの思想の根底をなしているものを明らかにすることが出来ると言う事である。

 本書の舞台は17世紀、地中海世界、特にモロッコの海沿いの海域であり、そこに海賊が作りだした共和国の魅力的な姿である。しかし私には、この地方のあり様がイメージできないことと、アラブ世界の歴史に疎いことで、読み進むのにかなり苦戦をしたが、カスバやカサブランカを時々頭に描いてみたりしながら読んだ。

 さてこの17世紀の世界はスペインのレコンキスタが終わり、イスラム教徒は一旦はキリスト教に改宗したモリスコとしてスペインに残る事を許されていたのであるが、その後イベリア半島から完全に追放された。それが本書で活躍することになるレネゲードとヨーロッパ人に呼ばれることになる人びとである。彼らは背教者という烙印を押されて海を渡ってイスラム世界に流入した。彼らをイスラム世界は肯定的に受け入れたようだ。このレネゲードはイスラム教に改宗をする場合もあったが、強要はされなかったようで、むしろ偏狭なキリスト教をはなれて精神的な自由を得た点もあるらしい。特にキリスト教では許されていなかったホモセクシュアルとか複数の妻を持つこと、大麻の使用などが、良かれ悪しかれ彼らをイスラム世界に結びつけることになった。

 彼らが海賊として活動したのには当時、スペイン、イギリス、オランダ、ベニスなどが海洋を商品輸送することを活発化していたことや、そのいずれの国家もが、時々に対立していたことによる不安定な時期で、その商品を輸送する船を捕獲することで、それを商品化するということが可能になっていた。その略奪行為は捕縛した船の所有者に敵対する国に売りさばくし、捉えた船員は捕虜として、多くは買い戻させた。という事は、戦闘行為がメインではなく、捕獲することが目的であり、人間も又商品価値のあると言う事から、殺戮はほとんどなかったと言うのが実態のようだ。彼らはどこかの国と条約を結ぶわけではないので、いわばえり好みをする必要はなかった。才覚で分捕ったらしく、各国の国旗を持っていて、襲撃の際、使い分けて、自国の船に偽装して接近して乗り込み船ごと捕縛したりした。マンガのようだが、ありそうでもある。

 海賊には実は2種類あるのだそうだ。コーセア(corsair )とパイレート(pirete)で、パイレートは海の犯罪者、コーセアは政府から何らかの許可証をもらい、私掠者として他国の船を襲うものであるが、襲われる側からみれば犯罪者でありどっちも変わらないと言えばそうなのだが、興味深いのは略奪品の分配が異なるのだそうだ。パイレート船長の取り分はわずか1.5から2で、航海士や一般乗組員もほぼ同額、これに対して私掠船長は乗組員の40倍。この事はどこにも属さないパイレート海賊の優勢とすすんで帰属する者を惹きつけたようでそのなかにある平等主義はいわば共産主義的であった。このような集団が社会的領域を形成していた点が本書の最大の意味になる。彼らは個人に最大限の自由を認め経済的階層構造を取り除いていた。カリブのパイレートの社会組織は15から18世紀のどんな国家とも類似点を持たなかった。その共同体ともいうべき地域がラバト、サレーで海賊ユートピアではなかったが、海賊的原理に支えられた国家であった。

 この国家の内容も又みるべきものがある。それは共和国の運営の長である提督兼市長は選挙で選び1年の任期で交代し、権力が集中することを阻止している。またディワーンとよばれる評議会を作り10人程の人物も選挙で選んだといわれる。西洋の共和政のはるか先を行っていたともいえる。

この独創的な海賊共和国を支えていた物の根本は何であるのか、訳者の解説によればレネゲートは追放されたものであったが、社会の底辺に位置したものが多くキリスト教的社会構造への叛逆であった。そして平等主義的な意思決定のプロセスという民主主義的実践はどこにでもおこる。本当の民主主義は世界のあちらこちらに存在する。しかしそれを国家の名によって纂奪された時、知識人階層や政治家によって強制力をもったイデオロギーに収斂されてしまったのが議会制民主主義である。グレーバーは『民主主義の非西洋起源について』という著書を出しているが、民主主義は西洋が生み出したと言いきれるか?そうではないのではないか?その一つの答えがこの海賊国家の社会構造である。

歴史は前向きにしか動かないのではない。歴史的に現在より本源的な意味で民主的社会があった。それが無文字社会であったことによって忘れられてきたかもしれない。グレーバーが人類学者であったように、この著者も又数少ない記録から少し強引に描き出した海賊の社会はなかなかに興味深く、なによりも面白い。


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