猫又のバラバラ書評「おかめ八目」

 『女たちの中東 ロジャヴァの革命 民主的自治とジェンダーの平等』ミヒャエル・クナップ アーニャ・フラッハ エルジャン・アイボーア 序文デヴィッド・グレーバー 山梨彰訳

 私にとっては近年まれに見る感動的な本である。本書にたどりついたのは、先日急逝したデヴィッド・グレーバーの著作を読み進めている中で、本書が引用されていたことで読んでみる契機になったのだが、私は本当に中東情勢に疎く、地理的関係も良く分からない。その上近年報道されることが多かったイスラム国への嫌悪から、中東問題にきちっと向き合ってこなかった。その上、中東はアメリカ、ロシアが背後から自国の利害で動き、さらに民族とイスラムの宗派の差も分からない。どことどこが対立しているのやらまるでわからない。さらには中東は砂漠の国だろうな―位しか認識できていない、まるで音痴なのだ。

 しかし、グレーバーが素晴らしいと言ってほめていたロジャヴァの革命って何だと言う興味の方が勝った。しかし読み始めて、本当に難儀したのは、やはり無知から来る無理解で、報道といっても中東世界が常に砂煙を挙げてあちこちで内戦やら、虐殺やらばかりで難民が多数出て、難民キャンプの状況ばかりが報じられて来ていた。それは事実なのだが、そこに住む人びとの中から単に奴隷のように虐げられ、暴力で屈服させられていたのかと思っていたクルド人が自らの土地と命を守る闘いに立ち上がり、西洋世界では考えられない程の平等な地域自治を成し遂げている事に、驚かされたのである。

 時系列から言えば、既に本書が書かれた時点が2015年であり、現在まで決してこの革命的な運動は平坦に進んだわけではなく、成功裏に終わったわけでもない。しかし、北部シリア(ロジャヴァ)で展開された社会変革運動は西欧社会の国民国家の民主主義運動を優に凌駕している。注目すべきは国家を目指していないと言う点である。非中央集権的で民主主義的なシステムを創り上げようとしている。中東は世界的な覇権勢力の利害領域が衝突する場である。それゆえ、何らかのブロックに従属するか、手先になるかを常に強いられてきた。ロジャヴァは対立する勢力のいずれにも与しないという第3の道を慎重に選びながら進められてきた。その事がシリアからの分離独立を画策するとして強烈な圧力に晒されることにもなったし、経済封鎖されることにもなり、国際社会すら国家ではないことで、ジュネーブで行われた和平会談への参加を認められなかったということもある。

 私の知る限りでも、中東では家父長制の強固な男性による女性の権利が極端に制限されているという認識が強い。その状況は今でも大きく変化してはいないのであるが、ロジャヴァに於いては初期段階から女性の解放がなければ革命とは言わないと言う非常に目を見張る認識が示されている。その思想的支柱になったのがアブドュラ・オジャランという活動家で、初期の思想はいわゆる西欧的上からの革命論理であったようだが、逮捕され獄中で多くの著作を読む中から自らの出自である古代からの地域自治を基盤としたボトムアップの革命へと認識を改めてゆき、国民国家なしの社会を創造する方法として、民主主義的自治と、それを進めた民主主義的連合主義のモデルを思考し、ロジャヴァ革命の基盤をつくった。そこには多元的なエスニックからなる評議会、法廷、治安部隊、女性組織、経済的協同組合の建設がロジャヴァ全体に広がった。

 驚くべきは常に侵略されるばかりであり、常に虐殺が伴っていた社会に、自らを守るために作られた防衛部隊で、その人民防衛隊は初期には男女混成部隊であったが、その後女性防衛隊が設立され、彼ら彼女らの闘いが実はイスラム国に勝利したのが実態だそうである。この女性戦闘員の役割の大きさがロジャヴァにおいて徹底した民主主義を目指し、支配的な家父長制的主張を見事に否定してみせた。女性の解放を進めるための努力はすべての分野に及び、地域の評議会からはじまり代表は男女とする。組織の構成では40パーセントを女性とする。司法についても、特殊な認識を持っていて、紛争は同意によって解決するように努力する。とくに家父長制に由来する暴力による女性被害者の争いは男性に拠って審議されてはならないという。保健医療については戦争と禁輸措置のために医療品が十分ではないため、過去の経験に繋がるオルタナティブな方法である薬草による療法や治療を発展させていて、キューバの保健医療モデルを参考にしている。教育は重要視されているが、クルド語を教える人材に乏しく、教え、学びながら人材を増やしている。さらにアカデミーを作り民主主義とジェンダー平等のパラダイムを持つオジャランの著作がカリキュラムでは中心的な位置を持っている。

 ロジャヴァの社会経済はどうなっているのかという点であるが、これも私は誤解をしていたのであるが、もともとこの地域は穀倉地域で、水源が豊かで、小麦や綿の栽培地帯で、さらに古く樹木の繁った地域であったものが、近代に入りまず樹木が切り払われ、さらにはシリアの植民地のようになりモノカルチャーが押し付けられた地であったそうだが、アサド政権との戦いによっていわば放棄された土地として、自力で農業を復興させるために、まず食料自立のために土地が配分され、それぞれが循環型農業で食料を確保している。小麦も綿も封鎖の為に外部に換金できないというハンデキャップに対応している。また石油も出ているのだが、精錬施設がなく、辛うじてジーゼルエンジンに使用できるだけの設備を作り、電力と水のくみ上げに使用していると言うことである。

 ここまでにいたる間に、多数の死者が出ていて、近年はイスラム国との前線に立たされて、本当の意味での殉教者は無数と言える。驚くべきはトルコの存在で、イスラム国のバックは完全にトルコで、イスラム国はトルコの国境を自由に出入りし、武器・兵器・戦車までトルコが出していたことが証言に出て来る。またその後ろにいるアメリカも又、テロとの戦いを名目に軍隊を出しながら、ほとんど直接の戦闘には出ていないと言うことも初めて知った。それ故、彼ら彼女らは自衛のために闘う。しかし決して、それ以上の戦闘には進まないと言う。それをすれば、必ずやそれと対立する勢力の手先として攻撃されることを経験上理解しているからでもある。

 究極の革命の闘いが北部シリアでなされている。それを支えるのがジェンダーの解放を基礎にした国を目指さない自治と多民族の共生、そして資本に吸収されないためのエコロジーの重視。これは今世界が求め始めている世界観そのものである。彼らに国際社会が示せるのは、難民救済の恩着せではなく、国に依存しない彼らの存在を認め、支援の手を差し伸べることなのだが、彼らからは「どうぞ自国の闘いを進めていただきたい」との答えが返って来たと、本の著者が記している。

 本書のすべてのページから私は教えられることが多かった。細かい事実も勉強になった。胸を突かれる指摘も多かった。是非一読を。

 


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