ZASSO.遠足 能登半島輪島ボランティア
おはようございます(18:58)
3度寝から目覚めたらこんな時間になってました
最近ライブの次の日とかよく思うけど本当に
HPの回復が遅い。
もともとスーパーロングスリーパーなもんで
毎日最低でも10時間は寝たいんだけど毎日
そうもいかないのでオフの日とかは18時間ぐらい
寝ちゃったりします。
1日36時間ほしい。
私が神様ならそうする。
だよね~形兆~~~
目が覚めてきたので本題に入ります。
※この記事には震災に関するショッキングな
画像や内容が含まれます。
ついに発表されましたS60 presents ZASSO.
RIOT JUNCTIONはday2の3日O.Aとして
出演なのですがday1に出演のO.A THE S.O.Sと
共に10/8、9と2日間主催のとんまさんと
SEIDAKOのせいじさんにZASSO.遠足に
連れて行ってもらいました。
10/8朝方に出発して午前9時頃到着
着いた先は石川県能登半島 輪島
1月1日に地震があり、さらにそこから
水害が発生して被害が大きくでている街
地震発生当時はニュースでずっと流れていてた
もののここ最近は見かけることも少なくなって
なにより発生から10ヶ月も経っていて正直な
ところもう少し復興しているものだと思ってました
現地入りしてから街を見ながら
自分の目で見てるのにあまり現実味がわかない
というか、オモチャの街なのかと思ってしまう
ようなぐらい全部が当たり前のようにグチャグチャで。
前はめちゃくちゃ綺麗で絶景だったという
海も海底が浮き出ていて水も茶色く濁ってた
現実離れした景色をみながらこんな状態を
自分たちでどうにかできるものなのかと考えた
車を走らせ目的地に到着
振られた任務は水害でめちゃくちゃになった
家の片付け、ゴミの分別、泥掃除
泥の中から燃えるゴミと金属をひたすら
分別してダンプで運ぶ
泥をかき分けてただひたすら分ける
めちゃくちゃ地味な作業をひたすら繰り返す
初日は朝から夕方までひたすら繰り返して
やっと地面ぽくなりました。
合間に現地の方が様子を見に来ては
ゴミとなってしまった物をみつめて
この前買ったばっかりやったのになぁとか
さすがにもう使えんわなと笑いながら嘆く姿が少し辛かった
途中近くで売ってるソフトクリームを
ありがとうね、って言いながら差し入れしてくれた
めちゃくちゃ美味しかった
食べてる間も色々明るく話しかけてくれたり
ずっとありがとうって言われたりして
なんて言ったらいいかあんまりわかんなかった
ただ分別してゴミを捨ててるだけの自分達に
ありがとうって何で言えるんだろうって思った
自分が大切にしていた物がゴミになってしまって
それを他人が容赦なく捨ててしっかりゴミに
なっていく様子を見るなんてことは多分
私にはできないと思う。
ましてそれに対してありがとうなんて言えるか
さえ私には分からない、というより無理だ
そんな事を考えながら
ずっと泥の中を漁った1日目作業終了。
夜は輪島にあるねぶた温泉能登の庄に
お世話になりました
めちゃくちゃ立派な素敵な旅館
なんと言っても温泉が本当に最高でした。
ローション風呂かな?ってぐらいとぅるとぅる
現在は日帰り温泉のみで通常営業は
出来てないようですが温泉だけでも絶対に
行く価値ありますまじで
(お風呂上がり化粧水せんくてもいけた)
良すぎて温泉の素買いました
目の前が海で部屋の窓からは絶景でした
朝たまたま虹が観れた
通常営業が再開したら絶対プライベートでも
また来たいです。
お風呂上がってからは即寝。
気絶レベルで寝た。
ZASSO.遠足2日目
朝方に能登の庄を出て移動
現場は昨日に引き続き同じ場所。
任務は倉庫の中の掃除
昨日と同じく分別しながら片付けていく
倉庫の中の荷物を分別しながら出して
泥をひたすら外に出す
数時間かけて
めちゃくちゃ綺麗になった!!!
さすがにちょっと感動した
これにはみんなもニッコリ
達成感ある中での暖かいお弁当は
めちゃくちゃ美味しかった。
昼過ぎに別現場移動してお家の中を
片付けたりしました。
泥にまみれてしまった洋服をたくさん処分した
私的にはやっぱり処分していくこの作業が
1番辛く感じる。
元々物があまり捨てれない性格というのも
あるんやろうけどどうしてもバックグラウンドを
考えてしまうから沢山の思い出があったんだろう
なとかを考えてしまう。
家の中は泥と雨漏りでめちゃくちゃになってて
仏壇がひっくり返ってたりもした。
お家は取り壊しになってしまうらしい。
それでもここのお父さんもめちゃくちゃ明るくて
ずっと笑顔で色々お話してくれた。
お父さんにもありがとうってまた言われて
あげく飲まないウイスキーまでくれた
お酒貰いすぎやない?笑
作業はこれで全て終わって移動しながら
被災地を見て回ったりして避難所にもなってる
小学校を少し見学させてもらった
体育館は支援物資が沢山置かれていた
けどこれでもかなり量は減っているらしい
物資をみているとやっぱり偏りがあったりして
難しいなと思った
廊下には写真が飾ってあったり、
現地の方のメッセージがあったりした
私は今回人生で2度目のボランティア活動で
1度目は高校生の時に東日本大震災の3ヶ月後
ぐらいに気仙沼にボランティアしにいったことがあった
気仙沼は津波被害が酷くて亡くなった人の数も
尋常ではなく災害規模もすごかった
東日本大震災の時は学校が勇士を募って
20人ぐらいで行ったんだけれども震災直後
すぎることと、高校生という事もあって
出来ない事がとにかく多かった
水道電気が止まってるは当たり前、
手付かずのとこが多くてまだ人がたくさん
眠ってるエリアも多くて近寄ることさえ
許されなくて出来たことといえば本当に
1部の泥掃除、避難施設での炊き出し
支援行く前に集めた義援金を届けに
気仙沼高校へ行って気仙沼高校の生徒と
少しの交流をしたりしたぐらい。
気仙沼高校の生徒達と話をしても
家族は全員流されていなかったり、同級生も
たくさん亡くなってたりしてて会話にもとても困った。
仲良くなってまた会いたいし何かあれば
いつでも連絡してねって連絡先と言っても
携帯流されちゃったから無いし
手紙を書くにも家がないからどうしようもない。
高校生が気仙沼にボランティアに行くというので
テレビ局が2つ密着取材で着いてきていて
そのせいで無駄な電気をくったりとか、
無駄なやらせ、露骨なお涙頂戴展開にさせる為
わざとセンシティブな会話をさせられたりもした
1週間ほど気仙沼に行ったものの
当時はあまりのショックと無力さと
話してしまって逆に傷つけてしまったりして
行かない方がよかったのではとすら思ってしまった。
だから今回能登にボランティアに行くという
話が出た時正直言うと怖かった。
また何も出来ないんじゃないかと、
男メンバーの中で1人女が混じることによって
足でまといになるかもしれないし
行かない方がいいのかもしれないとも思った
高校を卒業してから高校の時気仙沼に
行ったメンバー数人とボランティア団体を
立ち上げようとしとことがあった。
でも未成年であったりとかで申請やら
経済力やらで実現には至らなかった。
ボランティア自体はずっとやりたい気持ちは
あったから今回の話が出た時に怖かったけど
大人になった自分にもなにか出来ることが
増えてるかどうか確かめたくて参加しました
結果として沢山の人を助けることは
出来なかったかもしれない、けど
思ったよりもやれる事が沢山ありました。
確かに男メンバーよりは力は劣るから
重たいものを運んだりとかは厳しかったけど
みんなが重たいものを運んでる間に細々した
ゴミを片付けたり分別したり泥をどけたり。
車の免許を持ってたから車で荷物を運んだりも
できたし、被災地に食料を車で配って回る
ボランティアもあるという事を知ったから
そういう事もやろうと思えばできる。
建物を建て直したり、機械でガーッとやる
とかそういう事は専門的な技術がないと
出来ないけどそういうものだけがボランティア
じゃないという事を知りました。
泥の中からゴミを分別するってすっごい地味
だし、1日に1件ずつぐらいしか出来なかった
かもしれないけどそれでも沢山の人に感謝された
現地までの高速道路はボランティアに行くという
申請をすると無償になるらしく、料金所で
証明用紙を出す度に各地の料金所の方に
ありがとう、ご苦労さまでしたと言われた
ありがとうを言われたいからやってるわけでは
ないのに沢山のありがとうをまた言われた
被災地ではもう家を諦めて離れてしまった人も
沢山いる。けどあの現場に居てる人は復興を
諦めていないから次を見て、前を見て、
だからあんなに明るくて元気な人が多いんだと
理解した。だからありがとうが出るんだと思った
輪島を出て大阪に帰る途中感じたことを
たくさんヨシキと話した
与えるつもりで行ったボランティアだったけど
得たもの、学んだことの方が遥かに多くて
本当に行ってよかったです。
何気ない会話の中でとんまさんに言われた
自分が笑顔になるために動くな
人を笑顔にする為に動け
って言葉が深く自分の中で刺さりました。
考えるきっかけをくれた今回のZASSO.遠足
本当にありがとうございました。
今回はとんまさんやコネクトの力を借りて
現地まで実際に足を運んで現場作業で動けたけど
実際こういうこと個人でやろうと思うととても
難しいことだとは思います。
それでも出来ることは0ではない
現地に行きたければコネクトとかの団体に
現地の人と繋いでもらうこともできるし、
重労働が厳しくても、免許があれば
食料や物資を運んだりすることもできる
現地に行くのが厳しければ各所で募金したり
被災地の物を買ったりするのも支援になると思う
自分がそういうのするのが厳しいのであれば
コネクトとかが発信してるSNSを拡散する
だけでもいいと思う。知ること、知ってもらえることで関心を持つ人が増えるかもしれない。
そして誰もが出来ることとして
自分たちで防災グッズをしっかり用意しておく事
都会に住んでる人間ほど震災が起きると弱いと
言われましたが多分その通りです。
全てが電気で動いていたり、地下が沢山ある分
土台がスカスカで南海トラフがもし起きたら
住んでる大阪なんかはきっと大変なことになる
いつかやろ~なんて思ってたけどこの機会にすぐ
準備しようと思いました。
震災なんてものはいつもみんなどこか他人事で
自分のところは大丈夫と思いがちだけど
場所も時間もなんの前触れもなく起きるから
万が一の為を想定してちゃんと準備しとこうね
とんでもなく長々と、いつもと違って大して
ふざける事もなく書きましたがつたない分で
少しでも伝わればいいなと思います。
ZASSO.まであと1ヶ月を切りました
こっちの準備も頑張らなきゃね。
RIOT JUNCTIONもTHE S.O.Sも長年目指して
きたステージ、共に頑張ろう
その前に来週のツアー神戸編もよろしくね◎
さて今は何時でしょうか
0:40です。
あの花みて能登の庄の湯に浸かって寝ます。
能登に出た落ち武者を添えて。
おやすみなさい
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