見出し画像

未完了

「コーチングは受けるより習え」と日頃から思っていますが、
では習ったあとはというと…… 

コーチとして常に自分を磨くために
継続してなんやかやと学んでいます。

現在は、自己基盤をしっかりと整えるため
講座を受けています。

その中に、感受性が豊かな10歳前後の記憶を掘り起こし
その時の感情を丁寧に扱う、というものがあります。

そのころの感情を掘り起こして味わいつくし
その時に適当に終わらせたりあしらったり
あるいはなかったことにして蓋をしてみたり

これをやり直すわけです。

この頃の記憶をあっさりと思い出せる人もいれば
かたくなに思い当たらないという人もいます。

テーマがそのことなので
「ない」で逃げれるわけもなく
否応なしに向き合うことになっていきます。

私には、遠方でひとり暮らしをする母がいます。
よく電話で話をするのですが
母が昔話をすると決まって話すのが
母の10歳前後の話なのです。

ネガティブワードの連続ですが
確かに娘が聞いても可哀そうな話です。

ですが、今までは聞かされるたびに

「またこの話?」

とマジめに嫌だと思っていました。
だって世間でも言うではないですか?

泣いても一生 笑っても一生

ですが、この自己基盤講座で学んでから
母のこの話を違った角度から聞くことができました。

母たちの時代は、泣き言をいう事が許されない時代でした。
悲しむ気持ちに蓋をしてまさしく無かったことにしてきたんでしょう。

母は娘の私にこの話をすることで
自分のその時の感情を取り出し
丁寧に扱い もうこれ以上置き去りにしないで
辛かった自分をいたわり なぐさめたいんだ。
それが終わらない限り
「笑っても一生」は来ないかもしれない。

そう思ったら、母のことがとても愛おしく感じるようになりました。

お母さん
私は何度でも おなたの話を聞くよ
この話はもういいわ
そうあなたから言い出すまで
私は 何度でも聞くからね


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?