恋愛が上手くいってたときの文章の放出

ある人との恋愛について、昔書いた文章を放出しておきたい。
何もなかったように感じてしまい寂しいので。

10年以上前からTwitterをフォローしてて、「最高、天才、現代のニーチェ」などと言い続けてたライターの(漫画も大好きだった)Oさんと、私は数年前に仲良くなり交際してた。
崇拝してた人だけに、私に近づいたらうんざりして離れたくなったりするだろうと思って怖かった。
実生活と関係ない、相手は私のことなんて知らない、それでもこの人が存在してくれるだけで嬉しい…そんな作家だったから。

毎日電話で5時間くらい話し、私が哲学、とくに永井哲学の面白さを電話で熱弁した日々があったのだが、今は他の方々と哲学の話をしてるし、なんだか寂しさがある。
哲学と恋愛という混ぜてはいけないものが混ざってしまってそれによって苦しくなってるような。
また、そんなことはないのかもしれないけど、好きだった彼の道徳性が「哲学」により損なわれた気もして寂しくもある。
毎日何時間も話しすぎて、互いの脳内が混ざったような気がする。嬉しいことだった。でもそれにより、相手の考えそうなことが分かってしまうのが何かよくないなとも思う。支配したくなるから。

元々ファンだったため、恋愛したことで、私は無垢な拠り所を一つ失ってしまった気もする。
でもそういう運命だったから仕方ない。
私は無条件にずっと彼の味方でいたかった。
私は愛が怖い。愛されてることが怖くて、こんなに大切な関係まで壊そうとしてしまう自分の歪みがつらくて仕方ない。

好きだと言ってくれて嬉しかったが、私はいまは精神的に不安定だから恋愛はおすすめしないと言った。
「殺してもいい、失うものもないし」と言ってはくれたのだが、本当にそうなったら辛くなり離れたくなるのが人間だった。
私はまずは友達になりたかったんだけど、付き合ってほしいという意志に押し切られたような形だった。関係性が担保されてないと信じられないのかもしれない。

彼と話すと世間離れした不思議な気持ちになり心地良かった。

ちなみに彼は全く、ファンに手を出すとかそういう感じではなく、単純に、私の書いてることに興味を持ってくれたということだった。そして私のことを好きになってくれたと。
私は10年前にもイベントで彼と会っていて、そのときサインをもらい、部屋に飾っているが、最近になって私と興味関心が合ってきて話しかけてくれたらしかった。
彼は私のnoteを読んでくれたみたいだけど、こんなふうに書かれる側になるのはどんな気持ちだろう。嫌かな。

彼は、私と会っているときに、少なくとも分かるような形ではスマホを一度も見なかったのが、すごく嬉しかった。

私の精神不安定さで迷惑かけたくないから、色んなことが安定するまで待ってほしいと言ったが、待てないと言われた。それで性愛関係になだれ込んでしまった。それでよかったのかどうだったか、わからない。


ーーーー
付き合ってと言ってくれる人がいて、
「狂人だから自信がないので付き合うのは迷う」って言ったら、「じゃあ結婚しよう」と言っていた。
「結婚したら付き合ってくれる?」って言われた。みんな、付き合う前に結婚すれば結婚のタイミングを迷うことも無いかも。

彼は私と同年代の男性の人気ライターでイラストレーターで、本質的でシニカルで優しい彼の文章や漫画やツイートに救われてきました。
誰にも分かってもらえなさそうなことを言語化する人で、言語感覚のセンスがめちゃくちゃ好きだった。

あと、男性だけどホモソーシャルに浸かってなくて、男性特有の女性を評価したり審査したり消費する気持ち悪さみたいなものがないから、安心して読んでいられるし、それは話していても変わらない。

私がネットで書いてた彼の記事への感想を時折目にしていて、
「この人はちゃんと理解してくれてる」
と言ってくれ、また、私に対し、
「他にない優しさを感じる」
とのことで嬉しくなりました。

彼が毒舌な記事や漫画を描いていた頃は、必ず同時に多数を批判したり支離滅裂なことを言うことで、

批判者が自分の後に続かないようにすると言っていて、言葉の影響というものにとても自覚的で、毒舌さとは対照的に究極に優しいと感じていた。最近は、「面白さ」からは離れて、世の中をすこしでも良くするような文章を淡々と真面目に書いてる。

それを「ユーモアが消えた」とか「目覚めてしまった」などと揶揄したり叩いてる人もいるが、感染症が蔓延して政府がめちゃくちゃやってる今、「ただ笑えるだけの記事」を書かない、そんなのは全然笑えない、という彼の選択を私は支持したい。

Twitterフォロワー6万人近くも居る影響力のある人がそういうまっとうな批判を発信してくれるのは嬉しい。そう言うと、
「まあフォロワー全員死んでるんだけどね」
と、謙遜(??)するけど…。いや、こええよ。

「笑いの対象にしたり毒舌で批判する対象が、弱者なのはダサい」
というのが今の彼の持論で、もうそんなことはしたくないし、どうせ批判するなら政権や体制や強いものや世の中を批判したいという。

面白いからこそ「笑い」の優しくなさをとても考えてる人だと思う。

「毒舌と狂気」が彼の世間的な評判であり、よく、「怖い」とか「精神状態が心配」「狂ってる」などとも言われていたけど、自覚的で、死と愛と自意識にあふれていて、本当にちゃんと狂っている。狂ってるふりをする人は多いけど、そういう感じではない。

そして本人に関わってみると、ただひたすらに優しくてまっとうな人。変だけど。
ディナーのコースとか焼肉とか、良いもの(私にとっては)食べさせてくれ、お寿司の盛り合わせを食べてて、イクラが好きだって言うとイクラ全部くれたりするので良い人。
作品にずっと救われてきてるのにこんな良くして貰っていいのかと思います…。バチが当たります。

あとなんか色々優しい。狂気は優しいし、究極の優しさって狂気なんだなあと、私は彼を見ていると思った。
機能不全家族で育った彼は、ある地点で、「立ち行かなさ」を感じ、どう生きていくかを考えている。

沢山の話をした。
私は彼と話していると湖を思い出す。
湖に石を投げ入れて、波紋が広がるみたいに話す。
私は、いつも共通語を使って話すけど、この人は自分語でも話せるから、疲れずに会話ができる。ちゃんと言葉が通じる人の存在はありがたいです。そういう人が私の人生で、四人いた。でも今はみんな疎遠。

最近はずっと人と話してなかったらしく、私と話す様になって、「人間っていいね」と言ってくれたのが面白かった。
電話で毎日7時間くらい話してた時期もあった。
無理に話そうとはせず、いったん何かを考え始めたら、平気でずっと黙ってる。そんな時私は、

「話せない人が黙るのではない。黙れない人が喋るのだ」
と彼が書いていたと思い出す。沈黙は心地良い。

概念みたいな人に体があり抱きしめられることはうれしい。

彼と関わることで、彼の世界に介入してしまうことが嫌だという思いや、
知らないからこそ勝手に癒されたり救われていたとこがあるので、それが壊れてしまう怖さみたいなものもある。
彼は謎のメンタルの強さがあると同時に、ガラスのような繊細さも併せ持つ人なので。
私は深く関わると自分を制御しづらくなり関係が壊れてしまう。
なので、ただ彼が作るものが好きだという初心に戻りたい。良い関係で居たい。
しらねーよという感じだと思いますが、私にとってはかなり驚くべきことなんです。

Twitterでフォローしてくれただけでびっくりしたし、存在するだけでよく、別に関わったり会わなくても良い人と、会うようになってしまって混乱している。勝手に救われる存在なので。
そんな人に褒められたり、仲良くなれたのが単純に嬉しいです。

前はよく、「今日のシオラン」とめいして、哲学者シオランの箴言集から、ひとつ選んで電話で朗読してくれた。

意味がわからなくて楽しい。いつかは、
「全知全能の者ですが聞くことありますか?」
と急に言ってきたので、
「人間が滅びるのはいつですか」
「2032年です」
「原因は?」
「アザラシの増えすぎです」
という感じで教えてくれた。アザラシの増えすぎで滅びるらしいです。

急に、
「可愛いものでしりとりしよう!僕からね。『◯◯(私の名前)』」
とか言って謎の誉め殺しからのしりとりを始めてきたり、

「物買うとお金かかるの意味がわからない。そのうち税金を払うと税金がかかるようになるのでは?税金を払うとかかる税金、税税。税税にも税金がかかる。」

などと言ってた。あとは資本主義社会とか、広告とか概念と現象についてとか色々な話をした。
ずっと好きなライターさんだったから、なんか言ってるなーと思うと覚えててしまう。

面白いもの作る人ってまず本人がめちゃくちゃ面白くて、この人は誰も見てないときでもずっと面白いんだな、と思わせられる。
こちらはその一端を小窓で覗いてるようなものにすぎず、本人には変な気負いがないし、謎のアイデアをひたすら垂れ流しにしている。

とても優しくて変で、現象として興味が尽きない。
私は興味があるものだけひたすらつきつめる研究者気質なんだけど、この人のことで文章をいくらでも書けそう。

キリンジの曲と、曲の解説を送ってくれた。
キリンジって良いな。あとなんかいいな…。キュンとするわ。

元旦から一週間くらい、彼と過ごしていた。
雪の中歩き回ってた。
一緒にカフェや銭湯に行ったら、設置されてるメッセージボードみたいなものに絵を描いていた。
私の絵も描いた。包丁持っていた。
料理してる最中に、ふと思い立って、包丁を両手で持ちながら焦点の合わない目で『許さない』と言って彼を怖がらせようとしたが、『こわかった?』と聞くと『別にいつもと変わらない』とのことだった…ので、その時の様子を絵にしたんだと思う。

シャボン玉をしたり、Detroitというゲームを買ってくれてやってたり、「ファンタスティック・プラネット」を観たり、動物の生態についての番組を観たり、美味しいものをご馳走してくれたり、浅草に初詣に行ったり、哲学と仏教の話したり、ハリウッドザコシショウの物真似100連発を観たり、お正月って毎年一人だから嬉しかったです。最近は基本引きこもり気味で、久しぶりの外出だった。
一緒に行った高円寺の銭湯「小杉湯」のロビーには本が置いてあって、彼の好きな笹井宏之の歌集があり、読んだらとても良かった。彼の作る文章や漫画の雰囲気があった。

彼と電話をすると、よく哲学の難しい話をしてくる(面白い)のだけど、
「今日は体調が悪いから難しい話はできないよ」と言ったら、レベルを合わせて貰えたのだが、
彼「お花は咲くね」
私「ちょうちょは飛ぶね」
彼「ハンバーガーは挟むね」
私「ハンバーガーは挟まないよー挟むのはパンだよ」
彼「合わせてあげたのに、なんかムカつく」
という会話をした。

「こんにちは」だけをずっと言ってる電話(挨拶は一番良いため)や、いろんな猫を考えて言っていく電話もした。

彼も銭湯が趣味なんだけど、私は、ちょっとイライラすることがあってこんなことを言った。
「銭湯、癒されに行ってるのにマナーがない人居てイライラしたりする」
「そんなものだよ。男風呂なんて、キンタマをジェットバスに当ててるおじいさんとか居て、『今日はキンタマ風呂かー』と思ったりする。それでも心を乱されないようにする。銭湯は、修行の場だよ。」
「修行しに行ってたんだ」
趣味なのに修行だと思ってるのにびっくりすると同時に、修行なんだなあなんでもという、気づきを得た。

彼と居ると、色んな気づきがあるから書き留めておきたい。
道を歩いてる時、彼が急にカバンを横に携えてピョンと飛んだから、「えっ、何?」と聞くと、「フレッシュマン」と言っていた。紳士服の青山のCMの物真似らしい。
私も、急に物真似していきたい。

彼を知れば知るほど、よく分からない。ただ、真摯で優しいということはわかる。
彼も家族関係で色々あり、そういう人らしい優しさがあると思う。私は昔からずっと彼のファンだったんだけど、彼の才能は、優しさの才能だと思う。
人生でわかり合える人たちとは、結晶のような時間を大切にして記録したいと思う。

ゲームの始まる前の画面をみて、
「生まれる前みたいでいいね」
なんて話したりした。

哲学の話を一生分くらいにたくさんした。


彼は飲み屋でおしぼりを丸めるというか固めていた。
「おしぼり丸めて、何作ってるの?」
「…ボリビアバグ」
「何それ」
となり、調べてみたらとても可愛かった。
モフモフで猫みたい。
たぶん、形状が似てたものを言っただけだと思うけど…。

ーーー

私が、目がかゆくてかいてるとき、
「それ以上目を掻かなければ、キリンの良い話をしてあげます」
って言われたので目を掻くのをやめて、涙を流しながら、キリンの良い話をしてもらったんだけど、どんな話だったか全然覚えてない。
また聞きたい。

わたパチをパチパチさせながら、自分の口を、彼の耳に近づけたら、やめてうるさいって言われたの楽しかった。

ーー

あの人と一緒に岩盤浴に行ったら、岩盤浴してるあいだ飲み物を入れておく冷蔵庫があり、名前を書く札がつけることができたんだけど、分かるだろうと思い、私はつけなかった。
取りに戻ったら、私のもののはずの飲み物に「萩原」って札がつけられていた。
えっ?と困惑してると、彼がつけたらしいことが判明。萩原誰だよ。萩原という苗字になった気分で飲みました。
「萩原来たんだなって喜ぶと思って」
と、彼は言っていた。何もわからない。

一緒にいるとき急に変な位置で停止していたから、どうしたの?って聞くと、考え事をしてたと言い、
「顔時計ってあったらいいと思う。顔の表情によって時間が分かる時計。その時計読めたらかっこよくない?この眉のしかめ方は50分だなとか」
と言っていた。誰も読めないけど、なんかいいかも。
不可解で興味深い人が身近にいるといきる元気がでます。
つらいことばかり書き記しがちだから、楽しかったことを書いていきたい。
最近は、反出生主義や仏教についてよく話している。

ーー
彼と一緒にいるときに彼の母から電話がきてちゃんづけされたりしてるの見たりしたことで、なんか家族からの援助とかもあるんだなぁと思ってスッと疎外感を感じてしまったり、他の人たちと仲良くしてるのを見てると寂しくなった。これは、私の愛着障害ゆえだと思う。


なんか、恋愛も生命だ。
楽しくて満たされた時間のまま、ずっといたらよかったな。

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