知性について その1(峻別すること)

 結婚してから今に至るまでの私の主なテーマは、総じて下から3つまでのチャクラ的なことだったんだなと、振り返ってみて思う。それは、「どんな自分でもOKと心のそこから思えること」、「自分が常に自分でいていいんだ、という根本的な自己肯定感を持つこと」、そして、「自分であるという感覚」がどのようなものなのかを体感的に理解していくプロセスだったし、それはこれからもしばらく重要なテーマであり続けてはいるし、常に道の途中ではあるのだけど、現実的な部分でひと段落してきたところもあるので書いてみようと思う。

「グリーンマンとの思い出」でも少し触れたけど、私は学校が大嫌いだった。学校が嫌いすぎたために、運動が苦手で好きじゃないと思っていたし、勉強は悪とかダサいみたいな気持ちもあったけど、後になってからそれは学校の教育システムに関する諸々と、私の出身地の田舎社会の色々が嫌いなだけだったとわかったし、もっと言えば、根底には家族との価値観の違いとかも関係していた。今は、私は体を動かすことはもちろん、学ぶことがとても好きだとわかっている。生きているうちにわかることができて本当に良かったと思う。こんな単純なこともわからないくらいにアホすぎたし、今も日々自分のアホさ加減にこれでもかと打ちのめされる日々である。それでも、アホでもなんでも、やると決めたことをやるだけなのである。そう思えるようになったのは若い頃との大きな違いだと思う。

学校の、特に小中がきつかったが、高校の時もかなりいかれていた。とにかく酷い時期だった。「運よく」「たまたま」私は、「この世」側の、「塀の外」側にいられただけだと、痛ましいニュースを見るたびに思う。私はその時期、あらゆることを混同していたし、混乱していた。上述のように、「体を動かすこと自体」と体育を切り分けて考えられていなかったし、「学ぶこと自体」と学校教育の区別も然り、本当は何に不満で、本当はどうしたいのか、その選択肢もビジョンも何も見えない無明世界にいた。自分の住んでいる村社会以外の世界があることや、もっと違う価値観を持った人たちがたくさん存在していることが、知識としてはあっても全く実感を伴って感じられていなかった。

ここで当時の不満を列挙するのはとても簡単だ。理不尽な教師に目をつけられて、校庭を走らされすぎて嘔吐したこともあったし、クラスメイトに私物を盗まれるとか、その他にもここでは書きたくない位のこととか、今だったら人権とか犯罪とかそういうのに抵触しまくることが日常茶飯事だった。小・中学校ともに指導困難校的な状況に何度かなり、学級崩壊で担任が途中で変わるとか、差別的で独裁的な担任に対し親たちが担任を変えろと陳情書を出す騒ぎになるとか、ヤンキーに制服を切られるから中3以外はジャージ登校とか、とにかくめちゃくちゃな状況だった。優しそうなクラスメイトの何人かは不登校になってそのまま引きこもりになってしまったし、少し話が通じそうな教師は精神を病んで休職してしまった。残っているやつは、私含め、毒を以て毒を制しているといえば聞こえはいいが、どこか「悪い」人間だけだった。嫉妬や冷笑、村人意識の強い田舎の人間関係の中で、それでもそこで生き延びる以外の選択肢はないと思い込んでいた。他の人と違うことや変とかダサいと思われることが恐怖すぎる日々だったけど、当時はそういう自覚も薄かった。

友人関係は一応、表面上はうまくいっていた。そこで生き延びるために、感度を下げて、より残酷に、いい加減に、面白おかしく不真面目にするという同化政策を自分に課していたからだ。人の噂話や悪口にも上手に合わせられるようになったし、アイドルなんて全然興味ないのに、アイドル雑誌を読んで一応誰が好きか聞かれた時用の推しは決めていたし、面白いとは思えなくてもトレンディドラマを見るとか、そういうつまらない努力をしていた。今思うととても疲れる日々だったし、実際、若いのにすでに毎日疲れていて体力が一日もたなかった。

田舎の学校の社会だと、運動ができて活発で「明るい」子がいけていて、クラスの中心だった。別に猛勉強なんてしてないのに、単に成績が良いというだけで「ガリ勉」と言われたり、自分的にはただ普通に振る舞っているだけで「真面目」と言われるのが嫌だった。私のナチュラルな特性は、田舎社会の中ではダサい扱いだったので、そう思われないために、自分のテイストをややマイルドヤンキー方面に修正しなければならないと思い込んでいたけど、全くあまりにも無駄な方向性の努力だったと思う。

一方、教師たちに対しては恨みと怒りの怨念を抱えて過ごしていた。全然尊敬できない人を「先生」と呼ぶのがまず嫌だった。初等教育という行政サービスに従事しているだけの役人を「学びの師」と思わないといけないという誤認が自分の中を苦しくさせていたのだと今は理解できるけど、当時はただただ怒りを腹の内に溜め込むだけだった。

役所に行けば、公共のためにと一生懸命な人も、一生懸命だけどそれがうざい人も、自分の保身しか考えていない人もたくさんいる。でも、こっちだって目的は何らかの手続きだけだから、人間同士の最低限の敬意を持ったやりとりだけで済ませられるし、大概はそれでニーズも事足りる。学校だって同じようなもので、そこで働いている人たちに必要以上に従属しなくても尊敬しなくてもよかったし、彼らが提供する情報のうち必要なことだけを入手して、あとは登校拒否するなり、遅刻・早上がりするなり、無駄なコミュニケーションを減らすなりで、自分の省エネに徹すればよかったのに、当時はそんなことが全くわからなかった。そういう視点を持つきっかけになるような環境も人も皆無だったし、自分だけでそういう思想の本に辿りつくのもむずかしかった。

そんな私だったので、パンク音楽には大変お世話になったし、学校も塾もいらねえと言いきって反骨精神で通したい気持ちもやまやまではあるが、今は、不快感の表面上の原因に見える嫌いなもの、いらないものを批判する方向ではなく、自分が本当に望む感覚を明らかにして、それを具現化させることにエネルギーを集中させる方が建設的だと確信している。そのためにはまず、混同しているものを峻別すること、そして、本来の自分ではないものに同化しようとしないこと、本来の自分が何なのかはわからなくても、どんなに辛くても、自分の感性を鈍麻させる方向ではなくて、ゆっくりでもいいから繊細さを大事にして感覚を見出していくことが大事だと言いたい。

愛とか融合とかの方がスピ界ではもてはやされていて、自我や男性性、第三チャクラ的なことは境界線くらいしかフィーチャーされていない傾向にあるけど、人間として現世で生きる以上、この峻別はとても大事な力だし、不可欠な知性の一つだと思っている。概念的にはvivekaとかそういうらへんのことなんだろうけど、それはアグニとも繋がってる感じもとてもするし、第6・7チャクラとも関係してる感じもするし、肉体のメンテもとても大切だと感じている。知識としての情報は巷に溢れているので、ここでは私の個人的な体感を伴う経験の記録をまた綴っていきたい。


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