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亡くなった母親の実家に行ってきた

3月、母親が亡くなった。

母親は、誰にとってもそうかもしれないが、私にとっても大きな存在なので、悲しくて毎日落ち込むのかと思っていたが、彼女の生き様を見てきたし、心構えができてからの他界であったため、“あの世に行けて良かったね”、という気持ちのほうが強いようで、意外すぎるほど元気にやれている。


父親が亡くなってからは、両親の近くに住んでいた妹が母親と同居してくれていて、私は、1週間か2週間に1回、妹の家に母親を見に行くという生活をしていた。
妹は数回引っ越しをしているが、今の妹の家までは、私の家から片道2時間。
1週間か2週間に1回だけだったが、それでも、春も夏も秋も冬も、その日が雨でも多少の雪でも台風でも、電車が動いている限り、頑張って通った。
しかし、最後まで一番近くで面倒を見てくれた妹には、この先も一生感謝し続けることになる。

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3月。
母が亡くなったことを、母の家族に知らせる必要がある。
母の父母=私の祖父母は、もうこの世にはいないため連絡のしようがないが、母の兄弟姉妹が元気で暮らしている。

連絡はずっと年賀状だけ。
母の兄弟姉妹に会ったのは子供の時が最後。
母の実家にも子供の時に行ったのが最後。子供の時からこんなに長い年月、空いてしまった理由は、母の足が悪かったから。


まず、母と同居していた私の妹が母の兄に電話をしてくれた。
連絡を取れたところで、皆お年寄りのため、葬儀にこちらには来てもらうことができなかった。

しかし、その後も連絡を取り合い、先日:ゴールデンウィークに、“母の実家=祖父母の家に行って、母の兄弟姉妹に会えた”という、どうせ叶うわけがないと思っていたことが現実になってしまったのだ。


行ったのは、妹、妹の旦那(車を出してもらった)、私の3人。
私の家族にはお留守番係になってもらった。

母は、兄・姉・母・弟の4人兄弟姉妹。
今、健在なのは、母以外の3人。
ただ、この他に、子供の時に亡くなっている兄弟姉妹が3人いたそう。
さらにこの他に流産している子も1人いるそう。祖母は、生前、その子も入れて、8人産んだと言っていたらしい。
昔の女は強い。

祖母との話で、1つ強く記憶に残っていることがあるので書いておきたい。
小学1年生くらい。
祖母と、妹と、私で、この家の近くにある、なだらかな丘みたいなところへ行った。遊びに行ったんだろう。

祖母が先頭で歩いていた。
祖母が、「ここ滑りやすいから気をつけてね」と言ったとたん、言った本人がすっ転んだ。
祖母はすぐに立ち上がって、何事もなかったかのように歩き出した。
それを見て、私は、とっさに、声かけちゃいけない、気づかないふりしたほうがいいんだと思ってしまったのだが、本当は「おばあちゃ〜ん(泣)」と、駆け寄りたかった。
転んだ祖母・何もできない自分に、オロオロし、泣き出したいくらいとても悲しい気持ちになった。
この時の気持ちは大人になっても忘れられない。

妹にこの時のことを覚えているか聞いてみたら、やはり覚えていた。
しかし、私と逆でめちゃくちゃウケたそうだ。
性格が全然違うんだ。


今、その家に住んでいるのは、母の兄(長男)と奥様とその子供(いとこ)。
ここに、私達と、この家の近くに住んでいる、母の姉と弟が集合。

母の兄(長男)は90代。今でも尺八を演奏する。
姉は80代。スクーターに乗って来た。
弟は70代。車を運転してやって来た。
皆、杖は持っているが、ものすごく若々しくて元気だった。


皆に会うのが子供の時ぶりで年月が経ちすぎているため、話もとぎれとぎれで、ギクシャクするのかと思っていたが、会ってみると全く違和感がない。びっくりするくらい自然。毎日会っているかのように。
さすが、お母さんの家族!
なんか全員覚えてる!
お姉さんが、お母さんそっくり!

母の昔のこと。祖父母のこと。兄姉弟の現在のことなど、知らない話をたくさん聞かせてもらった。
私達の知っている母、父についても話した。

祖父母の家は、昔からほとんど変わっておらず、廊下、部屋、床の間、覚えていた。
変わっていないと言っても、長い間訪れていないこの場所を覚えているなんてと、自分の記憶力を自分で驚いた。


玄関のところにいたフクロウの置き物。まだいた。

藁で編んだ帽子があり、小さい時被ったのを覚えていたので、“これは今やっておかないと!”と思い、被らせてもらった。被った私と、母の兄とのツーショットを撮ってもらった。

あとはこれ。
昔よく食べていたお菓子。
網代焼と言うんだと初めて知って、本当に嬉しい。

 魚のかたちの優しい味


最後は、一人一人と何度も握手をして、2度目はないかもしれないが、また会いましょうと言って、解散となった。あっという間の数時間だった。

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【まとめ】
知らなかったことがたくさん知れた良い旅だった。
・すっきり気持ちが区切れたような気がしている。
・途切れかけていた御縁を、母が繋いでくれたと思っている。
・母が亡くなってから、今回のような奇跡みたいなことが続いているので、母はずっと自分がすごい人だってことを隠していたに違いないと思っている。

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【余談】
そうそう、母の棺に手紙を入れたんだった。
手紙には、“次もまた親子でね。親子逆で、私が親になっても良いよ!”ってことを書いた。


(おわり)
今回も読んでいただきありがとうございます。

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