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荻窪随想録10・田端神社【裏】

さて、なぜ田端神社を自分の産土神と思っているかというと、
それは自分の住んでいた団地に一番近い神社だったからであり、
産まれたのはさすがに病院でも、自分は産まれた時から小6で引っ越すまでは、
ずっとその荻窪団地で育ったので、
産土神というものがあるとしたら、それはきっとここだろう、と大人になってから思ったからだった。

そして、団地から行くと、田端神社の一番近い入り口は裏手の木戸になる。
今はつぶしてしまったようだが、
神社に向かうための坂道に入って最初にあったのがその左手の小さな裏木戸で、
そこをくぐって、少し急な土の階段を上っていって本殿の前にたどり着く、というのが団地から行く子供たちの行き方だった。
そうでなかったとしても、その道を神社の塀づたいに上り切って、裏参道から入るのが普通だった。

だから、大人になってこの地に戻ってくるまで、私は田端神社の表側から見た姿をまったく知らなかった。
初めて、いわゆる正面玄関に当たる、表参道の前に立ってみて、
こんなに大きな鳥居のある、こんなにりっぱな神社だったのか――参道も長いーーと思った。
子どもだったので、お祭りの時に露店を見て回るだけで、境内の造りにはとんと注意を払ったこともなかったらしい。
そもそも、自分がいつも入っていた神社の入り口が、裏口だという認識も持っていなかった。

そして、この裏手の坂道については、子どもの頃に繰り返して見ていた夢がある。
それは、この坂道を自転車で猛スピードで下っていって、必ずこの裏木戸の敷居にガッと当たって止まる、というものだった。

確か、この地から離れて、中1か中2になるぐらいまでは時々見ていた。
奇妙な夢だと思っていたけれど、ずっと後になって――というのは、ほんとうにずっと後のことで、30年ぐらい経たのち――友人の紹介で、たまたまこの神社の近くに住んでいる男性と知り合って、話のついでにこの夢の話をしたら、
「その夢、僕も見ました!」
と言われたことがあった。
ほかにもあの夢を見る人がいるのか、とその時思った。

坂は「境目」に通じ、次元の「裂け目」であったりするという。
そういうところに水晶を持っていくと、水晶を通して異次元の情報を拾ったりすることができるとも言われる。

そういった話を後になって知り、
その気になって、手持ちの水晶を握り締め、
改めてこの坂を上ったり下ったりしてみたこともあったが、なにもわからなかった。

しかし繰り返し見ていた夢の舞台が神社の裏口であり、裏はなにかの境目でもあるらしいということは、
私がそれと知らずに、神社にはいつも裏口から入っていたという習慣による以上に、
表からでは陽が当たり過ぎて目をくらまされ、見えないものがある、ということの、夢の中での教えのようにも思う。

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