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荻窪随想録・公民館跡地

めったに夜には行かない図書館の敷地を出たら、白いオブジェが目に入った。

なぜ、この日だけ目に飛び込んできたのかはわからない。ライトアップされて、宵闇の中に浮かび上がるように見えたからだろうか。
今まで何度となくこの前を通り過ぎたことがあるだろうに、一度も心に留めたことがなかった。こんなもの、ここにあっただろうか。いったい、いつから存在していたのだろう。

そんなふうに思う自分に驚きながらも、近寄ってみると、台座となっている四角く黒いつややかな石の表面に、「オーロラ」という多少意外なタイトルとともに、杉並区立公民館の跡地としての記念碑であることが刻まれていた。

ああ、公民館の。

確かにここには、かつて公民館と呼ばれる建物が立っていた。図書館と隣接するように立っていて、あいまいな記憶では中でつながっていたような気もする。今はその代わりに区立の体育館が立っているけれど、小6の終わりにいったん親の決めたことでこの地を離れるまでは、幾度もその前を通ったことがある。
通っただけではなく、実際にその中に入ったこともあった。公民館では子どものための映画を上映することもあったので。

オブジェの手前には由来を細かく記した碑も据えられてあり、暗がりの中で腰を屈めて、ライトアップの明かりを頼りになんとか読み取ってみると、公民館は昭和28年に区民の文化活動促進のために建てられたもので、区民の自主的活動の場になったのみならず、世界的に広がった原水爆禁止運動の発祥の地にすらなったということが書かれていた。昭和28年、というと、昭和30年代生まれの私はまだ生まれていないし、「原水禁」のことは知識としては多少持っていても、リアリティを持っては知ってはいない。

そんなりっぱな務めを果たしたという公民館だが、当時の私にとっては映画を上映したりするところ、という認識でしかなかった。

ここで小学生の頃に、東映の子ども向けのアニメをいくつも見た。「東映まんがまつり」で映画館で上映した長編アニメを、公民館でまたかけたりしたこともあったと思う。確か、やまたのおろちが出てくる『わんぱく王子の大蛇退治』は、ここで見た気がするのだが、どれとどれをここで見て、どれとどれとを映画館で見たのかははっきり覚えていない。

でも一つ確かなことがある。それは、そのような子ども向けアニメとは違って、ある時、フランス映画の『禁じられた遊び』を上映してくれたことだった。

『禁じられた遊び』は私が生まれて初めて大好きになった映画だった。最初に見たのは、家族といっしょに家のテレビの前で、お昼ご飯のミートソーススパゲティを食べながらだった。そう言うと、母は「そうだったかしらねえ」などと返すのだが、でも、それは間違いない。

そして、幼心に――計算すると、自分は主人公の5歳のポーレットとほぼ変わらない年だったはずなのだが――私は『禁じられた遊び』がすごく気に入ってしまい、それ以来、もう一度見たい、もう一度見たい、と言い続けていたのだった。
さすがにその年では、話の全体をきちんと理解できていたとは自分でも思えないのだが、おそらく哀調のあるメロディーに引き込まれ、かわいそうな女の子の物語に胸を打たれてしまったのだろう。

でも、時代は昭和の中期。今と違って見たいと思ったらDVDで見たり、ネットの配信ですぐに見たりすることのできない時代。どんなに見たいと思っても、どこかで上映してくれない限り見ることはできない。

そんなある日、公民館で上映をすることをポスターだかチラシだかで知って、ついにこの日が来た! と喜び勇んで出かけたのだった。確か、それは土曜日の午後だったと思う。おそらく、小学校の高学年ぐらいにはなっていた頃だったろう。
場内に入ってみると、見に来ているのは大人ばかりで、なんだか少し肩身の狭い思いをした。とはいえ、自分も見たくて見に来たのだからひるんでいる暇はない。席を探して歩いていたら、大人たちの中に、悠長にせんすを扇ぎながら座っている洋服の男の人がいた。それは、自分にとっては印象的な光景だった。洋装でも――そして、男性でも――暑ければそうやって、せんすをうちわのように使うということを、その頃の私はまだ知らなかったのだ。

そのように、そこにかつてあった公民館が私にもたらしてくれた最大の恩恵は、自主的な活動うんぬんというよりも、大好きな『禁じられた遊び』の上映会をしてくれたことだった。

ところで、それだけ見たいと思っていた『禁じられた遊び』をふたたび見ることができて、その時、私はどんな感想を持ったのだったろうか。ふしぎなことにそれは覚えていない。もしかしたら、ふたたび見ることができたということのほうで胸がいっぱいだったのかもしれない。実際にはどうしてそのようなタイトルがついているのかを理解できるようになったのも、それよりもずっと後のことだった。

記念碑があることに気がついた翌々日、時間を見つくろって、私はまだ明るいうちにそこに戻ってみた。

丸みを帯びた白っぽいオブジェの、どこがオーロラなのか、夜に見た時にはあまりぴんと来なかったが、日の光の中で見直すと、強い電気の光に照らされている時とは違って、柔らかな石の色と、その上を流れるような薄墨色の模様とがよく見えた。若干、薄茶も混じっているようだ。おそらく大理石と思える。このタイトルは、穹窿(きゅうりゅう)のようなそのフォルムからだけではなく、素材である石の美しさからも来ているのだろう、と思った。


このような、大して盛り上がらずに終わる文章を、昔は「随筆」と言った。
やがて「エッセイ」という軽さを含んだ言い方が主流になり、
今では単に「ブログ」と言う(無骨な語感)。

新緑のまぶしい季節に、少しそういったものを書きたくなった。

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