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荻窪随想録4・5月5日

(承前)
しかし今、こうして私が荻窪の今昔を交えてここに書くということは、私はその後、東京は杉並の、この荻窪の地に戻ってきたのだった。
正確に言えば、最初に戻った時は隣の阿佐ヶ谷で、その後、阿佐ヶ谷内のアパートを3箇所転々とし、
次にまた出ていかざるを得なくなって、だいぶ長いこと杉並以外の土地に住んでいたこともあったけれど、
ある時、ふたたびここに戻ってきた。今は阿佐ヶ谷と荻窪の中間ぐらいのところに居を構え、その両方の駅を場合によって使い分けている。

居を構え、と言えば聞こえはいいけれど、昔と変わらず単なるアパート暮らしだ。

最初に杉並に戻ってきたのは、新卒で会社員になった年の暮れで、
「私は東京に帰る! 大人になったら絶対に帰る!」
と、高校生ぐらいの時に家族に宣言し、何年以内に、とその場で口にしたところ、
「そんなに早く帰れるわけないだろ(好き勝手言いやがって)!」と兄に嘲られたものだが、
その、自分が達成目標とした年よりも、実際には早く帰ってこられたことになる。
ただその時に荻窪ではなく阿佐ヶ谷にしたのは、せっかく独り立ちしようという際に、子どもの時とまったく同じ土地に住むのは、ちょっと意気地がないかな、と自分で思ったからだった。

杉並に戻ってきてよかった。戻ってきたら、その頃顔を出すようになっていたライヴハウスやフリースペースに出没するミュージシャンたちがやたらと近所に住んでいて、どんどん友だちになっていったし。
しかし、今私がしたいのはその頃の思い出話ではなく。

次に戻ってきたのは、ここで詳しく書く気はないが、「人生で傷を負い過ぎた」と感じていた頃だった。

やっぱり、戻ってきてよかった。ここに戻ってきたら水を得た魚のように生き返って、活力が湧いてきたし。

私にはわかっていた。ここは私のいるべき場所なのだ。私はここでなければ生きられないのだ。

と、ある頃までは思っていたのだが、実は最近はそうでもない。

どんなところでも、長く住んでいるとなにかしらの澱がたまってくるような気がする。ほんとうは若い頃に阿佐ヶ谷を転々としたように、荻窪内でも時々住まいを変えたほうがいいだろう、とは思っているのだが、ひとところに長く住んでしまうと荷物が増えていくいっぽうでなかなか腰が上げられなくなる。それに、引っ越し作業に費やす時間が惜しいし。

私は、二度目に越してきた時からずっと、風通しのいい明るい部屋に住んでいる。
南側についた窓と北側についた窓とを同時に開けると、部屋の中を風が吹き抜ける。

私が二度目に杉並区に戻ってきたのは5月5日だった。
その時と同じ初夏の風が、今日も吹いている。

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